思い出の改ざんノート
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放課後の教室は、やけに静かだった。
外では部活の掛け声が聞こえるけど、この教室だけ切り取られたみたいに音が小さい。
僕は一人、机に向かってノートを開いていた。
ノートの表紙には“思い出ノート”と書いてある。
きっかけは単純だった。
最近、物忘れが増えた気がしたからだ。
昨日の夕飯が思い出せないとか、友だちとの約束を忘れるとかそういう些細なこと。
それが妙に気持ち悪くて、僕は自分の一日を記録することにした。
今日あった出来事。
自分が感じたこと。
会話の内容。
なるべく正確に書く。
それが決めたルールで、僕はペンを走らせる。
【放課後、佐藤と帰る約束をした。でも、佐藤は先に帰っていた。少しむかついた】
書き終えて、ふうと息をつく。
ページを閉じて、鞄にしまった。
そのときは、それで終わりのはずだった。
翌朝。
教室でノートを開いたとき、昨日のページに違和感があった。
【放課後、佐藤と帰った。途中でコンビニに寄って、アイスを食べた】
自分の字だけど、書いてある内容が少し違った。
僕は眉をひそめた。
そんなことしてない。
佐藤が先に帰っちゃったから、僕は一人で帰ったはずだ。
ページを何度も見直す。
書き直した跡はないし、インクのにじみもない。
最初からそう書いてあったみたいだった。
「……まっ、いいか」
小さな勘違いだと思った。
自分の記憶の方が曖昧だったのかもしれない。
「昨日、アイスうまかったな」
そのとき、後ろから声がした。
「え?」
振り返ると、佐藤が笑っていた。
「また行こうぜ、あのコンビニ」
僕は何も言えなかった。
頭の中で、何かがずれる。
昨日の記憶が、にじんでいく。
(……あれ? 昨日は佐藤と一緒に帰ったんだっけ?)
それからだった。
ノートの内容が少しずつ変わるようになったのは。
【体育の授業で転んだ】と書いたはずが、翌日には【かっこよくシュートを決めた】に変わっていた。
そして、周りの反応も変わる。
「昨日すごかったじゃん!」
「見直したわ!」
そんなことしていないのに。
だけど、何度も言われるうちに自分でもわからなくなってくる。
本当に転んだのか、それともシュートを決めたのか。
記憶がぐらぐらする。
僕は怖くなって、あることを試してみることにした。
【明日、英語の小テストで満点を取る】
その日の夜、ノートにこう書いた。
本当は自信なんてなかった。
むしろ赤点の方が近い。
翌朝、ノートを開く。
そこにはこう書かれていた。
【英語の小テストで満点を取った】
ノートを持つ手が震えた。
学校でテストが返される。
恐る恐る点数を見る。
“100点”
赤ペンで、はっきりと書かれていた。
「今回は簡単だったからなー」
先生の話を聞いて、周りも特に反応してなかった。
でも、僕だけが知っている。
昨日の自分はこんな点を取れる状態じゃなかった。
(ノートが現実を書き換えている……)
そうとしか思えなかった。
それに気づいてから、僕はノートを使い始めた。
【欲しかったゲームを手に入れた】
【クラスで人気者になった】
【先生に褒められた】
書いたことは翌日にはそれが現実になった。
最初は楽しかった。
思い通りの毎日。
失敗しない世界。
だけど、だんだんとおかしなことが増えていった。
ある日、僕はふざけてこう書いた。
【今日は特に何もなかった】
翌日、ノートはこう変わっていた。
【今日は本当に何もなかった】
その日を思い出そうとしても、何も出てこない。
授業も、会話も、帰り道も。
頭の中で何も浮かばなかった。
僕はぞっとした。
ノートは、ただ現実を良くするだけじゃない。
“なかったこと”にもできた。
怖くなって、僕はノートに書くのはやめようとした。
だけど、やめられなかった。
ノートに書かないと不安になった。
今日がどうだったのか、自分で証明できないから。
ある日、僕は決定的なミスをした。
夜、眠る前にぼんやりした頭で、ノートにこう書いてしまった。
【今日は母さんとケンカした】
本当は、そんなことしていない。
ただ、少し言い合いになりそうだっただけだ。
しまった、と思ったけど書き直さなかった。
疲れていたから、そのまま寝てしまった。
翌朝、ノートにはこう書かれていた。
【今日は母さんと激しくケンカして、もう口をきかないことにした】
嫌な予感がした。
急いでリビングに行く。
母さんはいた。
何故か、僕を見る目が冷たい。
「……おはよう」
声をかけても、返事はない。
「母さん?」
「話しかけないで」
その一言で、胸が締めつけられた。
記憶が流れ込んでくる。
昨日、怒鳴ったこと。
ひどい言葉を言ったこと。
母さんが泣いていたこと。
……そんなこと、していないはずなのに。
僕にはもう区別がつかない。
その夜、僕は震える手でノートを開いた。
もうやめないといけない。
全部元に戻さないと思って、ペンを握る。
【母さんと仲直りした】
書こうとして、止まった。
(……本当にそれでいいのか?)
今までのことも、全部書き換えられるのか?
それとも……。
ふと、最初のページを開いてみた。
【最近、物忘れが増えた気がする】
たしか、そう書いたはずだ。
読んでみると、そこにはこう書いてあった。
【昔から僕の記憶はあいまいだった】
息を飲んだ。
さらにページをめくる。
【だから、ノートに頼ることにした】
違う。
違うはずだ。
こんな始まりじゃなかった。
だけど、―――どこからが本当だった?
ノートを書く前の自分を思い出せない。
僕は、何を失ったんだ?
ペン先が紙に触れる。
そして、ゆっくりと書き始める。
【僕は、】
その続きを、僕はまだ書けない。
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