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書き殴られた未完の物語標本  作者: かがみゆえ
記憶にまつわる話

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25/27

思い出の改ざんノート

 .





 放課後の教室は、やけに静かだった。


 外では部活の掛け声が聞こえるけど、この教室だけ切り取られたみたいに音が小さい。

 僕は一人、机に向かってノートを開いていた。

 ノートの表紙には“思い出ノート”と書いてある。


 きっかけは単純だった。

 最近、物忘れが増えた気がしたからだ。

 昨日の夕飯が思い出せないとか、友だちとの約束を忘れるとかそういう些細なこと。

 それが妙に気持ち悪くて、僕は自分の一日を記録することにした。


 今日あった出来事。

 自分が感じたこと。

 会話の内容。

 なるべく正確に書く。

 それが決めたルールで、僕はペンを走らせる。


【放課後、佐藤と帰る約束をした。でも、佐藤は先に帰っていた。少しむかついた】


 書き終えて、ふうと息をつく。

 ページを閉じて、鞄にしまった。

 そのときは、それで終わりのはずだった。



 翌朝。

 教室でノートを開いたとき、昨日のページに違和感があった。


【放課後、佐藤と帰った。途中でコンビニに寄って、アイスを食べた】


 自分の字だけど、書いてある内容が少し違った。

 僕は眉をひそめた。

 そんなことしてない。

 佐藤が先に帰っちゃったから、僕は一人で帰ったはずだ。


 ページを何度も見直す。

 書き直した跡はないし、インクのにじみもない。

 最初からそう書いてあったみたいだった。


「……まっ、いいか」


 小さな勘違いだと思った。

 自分の記憶の方が曖昧だったのかもしれない。


「昨日、アイスうまかったな」


 そのとき、後ろから声がした。


「え?」


 振り返ると、佐藤が笑っていた。


「また行こうぜ、あのコンビニ」


 僕は何も言えなかった。

 頭の中で、何かがずれる。

 昨日の記憶が、にじんでいく。


(……あれ? 昨日は佐藤と一緒に帰ったんだっけ?)



 それからだった。

 ノートの内容が少しずつ変わるようになったのは。


 【体育の授業で転んだ】と書いたはずが、翌日には【かっこよくシュートを決めた】に変わっていた。

 そして、周りの反応も変わる。


「昨日すごかったじゃん!」


「見直したわ!」


 そんなことしていないのに。

 だけど、何度も言われるうちに自分でもわからなくなってくる。

 本当に転んだのか、それともシュートを決めたのか。


 記憶がぐらぐらする。

 僕は怖くなって、あることを試してみることにした。



【明日、英語の小テストで満点を取る】


 その日の夜、ノートにこう書いた。

 本当は自信なんてなかった。

 むしろ赤点の方が近い。



 翌朝、ノートを開く。

 そこにはこう書かれていた。


【英語の小テストで満点を取った】


 ノートを持つ手が震えた。


 学校でテストが返される。

 恐る恐る点数を見る。


“100点”


 赤ペンで、はっきりと書かれていた。


 「今回は簡単だったからなー」


 先生の話を聞いて、周りも特に反応してなかった。

 でも、僕だけが知っている。

 昨日の自分はこんな点を取れる状態じゃなかった。


(ノートが現実を書き換えている……)


 そうとしか思えなかった。



 それに気づいてから、僕はノートを使い始めた。


【欲しかったゲームを手に入れた】


【クラスで人気者になった】


【先生に褒められた】


 書いたことは翌日にはそれが現実になった。


 最初は楽しかった。

 思い通りの毎日。

 失敗しない世界。

 だけど、だんだんとおかしなことが増えていった。


 ある日、僕はふざけてこう書いた。


【今日は特に何もなかった】


 翌日、ノートはこう変わっていた。


【今日は本当に何もなかった】


 その日を思い出そうとしても、何も出てこない。

 授業も、会話も、帰り道も。

 頭の中で何も浮かばなかった。


 僕はぞっとした。

 ノートは、ただ現実を良くするだけじゃない。

 “なかったこと”にもできた。



 怖くなって、僕はノートに書くのはやめようとした。

 だけど、やめられなかった。


 ノートに書かないと不安になった。

 今日がどうだったのか、自分で証明できないから。



 ある日、僕は決定的なミスをした。

 夜、眠る前にぼんやりした頭で、ノートにこう書いてしまった。


【今日は母さんとケンカした】


 本当は、そんなことしていない。

 ただ、少し言い合いになりそうだっただけだ。


 しまった、と思ったけど書き直さなかった。

 疲れていたから、そのまま寝てしまった。


 翌朝、ノートにはこう書かれていた。


【今日は母さんと激しくケンカして、もう口をきかないことにした】


 嫌な予感がした。

 急いでリビングに行く。

 母さんはいた。

 何故か、僕を見る目が冷たい。


「……おはよう」


 声をかけても、返事はない。


「母さん?」


「話しかけないで」


 その一言で、胸が締めつけられた。

 記憶が流れ込んでくる。


 昨日、怒鳴ったこと。

 ひどい言葉を言ったこと。

 母さんが泣いていたこと。

 ……そんなこと、していないはずなのに。


 僕にはもう区別がつかない。



 その夜、僕は震える手でノートを開いた。


 もうやめないといけない。

 全部元に戻さないと思って、ペンを握る。


【母さんと仲直りした】


 書こうとして、止まった。


(……本当にそれでいいのか?)


 今までのことも、全部書き換えられるのか?

 それとも……。


 ふと、最初のページを開いてみた。


【最近、物忘れが増えた気がする】


 たしか、そう書いたはずだ。

 読んでみると、そこにはこう書いてあった。


【昔から僕の記憶はあいまいだった】


 息を飲んだ。

 さらにページをめくる。


【だから、ノートに頼ることにした】


 違う。

 違うはずだ。

 こんな始まりじゃなかった。


 だけど、―――どこからが本当だった?


 ノートを書く前の自分を思い出せない。

 僕は、何を失ったんだ?

 ペン先が紙に触れる。

 そして、ゆっくりと書き始める。


【僕は、】


 その続きを、僕はまだ書けない。


.

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