消えた声
⚠️この物語はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。
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最初は、ただの機械の不具合だと思った。
僕はその日、スマホの録音アプリで音読の練習をしていた。
国語の授業で発表があるからだ。
録音したのは吃って読んだ箇所や聞きづらかった箇所を修正するためだった。
自分の声を聞くのは少し恥ずかしかったけれど、慣れれば平気になると先生が言っていた。
録音ボタンを押して、教科書の文章をゆっくり読む。
噛まずに読めた手応えがあって、少し嬉しくなった。
確認するために再生ボタンを押す。
知らない声が流れた。
『きょうは……くもりです……』
低くてかすれた声。
まるで年配の男の人みたいな声だった。
「え?」
思わずスマホを見つめる。
今、僕が読んだはずの文章だ。
でも、その声はどう聞いても僕じゃない。
もう一度再生する。同じ声だった。
録音し直す。
「今日は、曇りです」
今度ははっきりと自分の声で言った。
録音を止める。
少しドキドキしながら再生する。
『きょうは、くもりです』
また、あの声だった。
背中にじわっと冷たいものが広がった。
その日は気味が悪くて、それ以上録音するのをやめた。
きっとアプリのバグだろう。
そう思い込むことにした。
夜になり、やっぱり気になった僕はもう一度録音を試すことにした。
「テスト、テスト」
録音を終え、再生する。
『……………』
沈黙。
スマホからは何も聞こえない。
「あれ?」
音量を上げる。
イヤホンをつける。
それでも、何も聞こえない。
「……え?」
さっきは別人の声が入っていたのに、今度は無音だ。
胸の奥がざわざわする。
(ちゃんと喋ったはずだよな?)
一瞬自信がなくなったけど、気にしないようにした。
次の日、学校で友だちに話してみた。
「それ、ただのバグじゃね?」
笑いながらそう言われて、少し安心する。
「だよな」
自分でもそう思う。
けれど、心のどこかで違う気がしていた。
「それじゃあ、この段落を読んでください」
授業中、先生に当てられた。
席を立って、教科書を持つ。
(あれ?)
何を読めばいいんだっけ?
音読しようと口を開くと、さっきまで見ていたはずの文字が急に遠く感じた。
言葉が出てこない。
「……どうしました?」
先生が不思議そうに見る。
クラスの視線が僕に集まる。
「っ」
慌てて読むと今度はちゃんと声が出た。
みんなも普通に聞いている。
なのに、―――自分の声がどこか違って聞こえた。
「今日は、いい天気だ」
放課後、教室で録音する。
『きょうは、いいてんきだ』
再生すると、知らない声。
今度は子どもの声だった。
高くて、笑っているような声。
『きょうは、いいてんきだ』
僕が喋ったのと同じ言葉。
でも、僕の声じゃない。
『きょうは、いいてんきだ』
何度録音して、再生すると違う声になる。
『きょうは、いいてんきだ』
老人のような声。
『きょうは、いいてんきだ』
女のような高い声。
『きょうは、いいてんきだ』
知らない誰かの声ばかりが増えていく。
そして、思った。
(僕はさっき、なんでこの言葉を言ったんだっけ?)
思い出せない。
自分で言ったはずなのに、記憶がぼやけている。
まるで、誰かに上書きされたみたいに。
怖くなって、録音をやめた。
「ごはんよー」
夜、母さんに呼ばれた。
返事をしようとして、口を開く。
……声が出ない。
喉が詰まったみたいに、音が出なかった。
何度も口を動かす。
「……は、い」
やっと出た声は、ひどくかすれていた。
その瞬間、頭の中にあの録音の声がよみがえった。
低くて、かすれた声。
(まさか、自分の声がそっちに変わっている……?)
怖くて、急いで部屋に戻った。
スマホを手に取り、録音する。
「………」
声を出そうとする。
でも、何を言えばいいのか分からない。
言葉が、思い浮かばない。
「僕は……」
しばらくして、やっと一言言えた。
再生する。
『…………』
無音。
そのとき、はっきり分かった。
僕の声は、消えている。
正確には、奪われている。
録音に残っている知らない声たち。
それはただのノイズじゃない。
僕が話したはずの言葉を、誰かが代わりに話している。
そして、そのたびに僕の中から何かが消えていく。
言葉の記憶。
話した感覚。
声の存在。
全部、少しずつ消えていくのだ。
次の日、学校に行ってもうまく話せなかった。
友だちの名前が出てこない。
簡単な言葉も詰まる。
「どうしたの?」
そう聞かれても、答えられない。
みんなが不思議そうな顔をして、僕を見ていた。
昼休み、トイレの鏡の前に立つ。
口を開く。
「………」
何も音が出ない。
代わりに、スマホの中から声が聞こえた気がした。
『……ここにいるよ』
振り返る。
でも、誰もいない。
スマホを取り出す。
確認すると、勝手に再生が始まっていた。
いくつもの声が重なっていた。
老人の声。
子どもの声。
女の人の声。
その中に、かすかに混じっていた。
聞き覚えのある声。
僕の声だった。
だけど、それは録音の中でしか存在していない。
『返して……』
誰の声か分からない声が、そう言った。
その瞬間、スマホの画面が真っ暗になった。
「………?」
僕は、何をしていたんだっけ。
手に持っているものは何だろう。
どうしてここにいるんだろう。
周りの音が遠い。
自分の中が、空っぽになっていく。
最後にひとつだけ思った。
僕は―――どんな声だっけ。
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