町全体の“共通の夢”
⚠️この物語はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。
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町の人が同じ夢を見たと言い出したのは、春のはじめのまだ空気の冷たい朝だった。
最初は冗談のように聞こえた。
パン屋の前で立ち話をしていた主婦が言った。
「ねえ、昨日の夢見た?」
それを聞いた肉屋の主人が笑った。
「ああ、あの夢だろ?」
二人は当然のことのように頷き合った。
私はその横を通り過ぎながら、少しだけ不思議に思った。
だが、町は小さい。
共通の話題が一つや二つあることは珍しくない。
ところが、その日の昼には様子が変わっていた。
郵便局の窓口でも、商店街の魚屋でも、小学校の前でも、誰もが同じ話をしていた。
“昨日の夢”についてだ。
しかも、奇妙なことに皆が同じことを言うのだ。
『町のみんなが出てくる夢だった』
最初は噂が広がっているだけだと思った。
だが、話を聞けば聞くほど妙だった。
誰に聞いても、夢の内容が細部まで一致している。
町の広場。
白い霧。
静まり返った通り。
そして、町の住人たち。
全員がそこにいたらしい。
「不思議だよなあ」
八百屋の老人が頭を掻きながら言った。
「まるで本当に集まってたみたいでさ」
私は笑って答えた。
「面白い偶然ですね」
老人は少し首を傾げた。
「……あれ?」
「どうしました?」
「お前は見なかったのか?」
「え?」
「夢だよ」
私は正直に言った。
「覚えてないですね」
そのとき、老人の顔にほんの一瞬、妙な影が落ちた。
「そうか……」
それだけ言って、彼は店の奥へ引っ込んでしまった。
その日の夕方、私はさらに奇妙なことに気づいた。
町の人が私を見ると少し黙るのだ。
話していた夢の内容を途中でやめる。
まるで、聞かれたくない話題のように。
私は不安になり、幼なじみの佐藤に聞いた。
「なあ、夢の話ってなんなんだ?」
佐藤は少し困った顔をした。
「お前、本当に覚えてないのか?」
「うん」
彼はしばらく黙ったあと、小さく言った。
「……変な夢だったんだよ」
「どんな?」
「町のみんなが広場に集まってるんだ」
それは、他の人と同じ説明だった。
「で?」
佐藤は言葉を探すように視線を泳がせた。
「それで……」
そして、ぽつりと言った。
「お前がいないんだ」
「え?」
「夢の中の町には、お前がいなかった」
私は笑った。
「なんだよそれ」
だが、佐藤は笑わなかった。
「誰一人、お前のことを覚えてないんだ」
私の喉が鳴った。
「夢の中ではさ」
彼は続けた。
「この町には最初からお前なんて存在してないって、みんな普通に思ってるんだ」
私は冗談だと思った。
だが、次の日。
町の様子はさらにおかしくなっていた。
コンビニの店員が私の顔を見て少し考え込んだ。
「……いらっしゃいませ」
声に迷いがあった。
その帰り道、近所のおばさんが私を見て言った。
「あなた……どこの子?」
私は笑って答えた。
「ここに住んでますよ」
おばさんは首を傾げた。
「そうだったかしら」
妙な胸騒ぎがした。
家に帰り、鏡を見た。
私は確かにそこにいる。
触れば体温もある。
息もしている。
なのに、頭の奥に嫌な考えが浮かんだ。
もし、もしあの夢が―――本当の世界だったら?
私は佐藤の家へ走った。
ドアを叩く。
しばらくして彼が出てきた。
だが、その目はどこかよそよそしかった。
「……誰?」
背筋が寒くなった。
「冗談だろ?」
佐藤は困った顔をした。
「ごめん、本当に誰だ?」
私は言葉を失った。
「俺だよ。小学生のころ、川で溺れかけたとき助けただろ」
佐藤は首を傾げた。
「……そんなことあったか?」
「覚えてないのか?」
「うん」
その瞬間、私は奇妙なことに気づいた。
玄関の壁に貼られた写真。
そこには、佐藤と数人の友だちが写っていた。
夏祭りの写真だ。
私もその場にいたはずだった。
だが、写真には私がいなかった。
まるで最初から存在しなかったかのように。
私は家へ戻り、押し入れから古いアルバムを引っ張り出した。
ページをめくる。
小学校の運動会。
遠足。
卒業式。
どの写真にも、私は写っていなかった。
いや、よく見ると妙な空間があった。
人が一人立てるくらいの少しだけ不自然な隙間。
まるで、そこに誰かがいたのを消したみたいに。
また背筋が冷たくなった。
外から子どもたちの声が聞こえる。
「昨日の夢さ!」
「俺も見た!」
「広場のやつだろ!」
私は窓から通りを見た。
子どもたちが笑いながら話している。
その中の一人が言った。
「でもさー」
「なに?」
「広場の真ん中、変じゃなかった?」
「変って?」
「なんか……」
子どもは言葉を探した。
「誰か立ってた気がするんだよ」
「でも顔が思い出せないんだ」
「影みたいでさ」
その言葉を聞いた瞬間、胸が締めつけられた。
私は振り返って鏡を見た。
そこには、確かに私がいる。
だが、ふと疑問が浮かんだ。
この町で、私のことを覚えている人はいるのだろうか。
私は不安になって家を飛び出した。
広場へ向かった。
夢の中で、町の人たちが集まっていた場所だ。
夕方の光の中、広場は静まり返っていた。
誰もいない。
私は中央まで歩いた。
その瞬間、強い既視感に襲われた。
ここだ。夢の中で皆が見ていた場所。
私はそこに立った。
風が吹いた。
そのとき、不意に理解した。
町の人たちの夢。
白い霧の広場。
全員が同じ方向を見ている。
彼らが見ていたのは―――私だった。
だが夢の中の彼らは、私を認識できなかった。
存在しているのに、存在しない。
記憶できない。
名前も思い出せない。
だから夢の中の世界は“私がいない世界”になった。
その夜、私は初めて夢を見た。
白い霧の広場。
町の人たちが立っている。
全員が同じ方向を見ている。
そして、ゆっくりと私の方を向いた。
だが、誰の目も私を捉えていない。
視線は私を通り抜けている。
私はそこに立っているのに。誰の世界にも存在していない。
そのとき、遠くで誰かが言った。
「やっぱり変だよ」
「何が?」
「この町」
少しの沈黙。
そして、小さな声。
「……誰か足りない気がする」
その言葉を聞いた瞬間、胸が締めつけられた。
私は必死に声を出した。
「ここにいる!」
だが、誰も振り向かなかった。
霧が濃くなっていく。
町の人たちの輪郭がぼやけていく。
最後に見えたのは、誰かが首を傾げる姿だった。
「……誰だったっけ」
その瞬間、私は目を覚ました。
朝だった。
窓の外から町の声が聞こえる。
人々が話している。
いつもの日常の音。
私は安心して外に出た。
通りには人がいた。
だが、誰も私を見なかった。
私はそこに立っている。
息もしている。
影もある。
それでもこの町の世界にはもう、―――私など存在していなかった。
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