4.涙の訳
慣れなきゃいけないと、迎える朝。
何度来ても、一向に当たり前にはならない。
それでも「もう慣れたこと」だと、自分に言い聞かせて食堂への廊下を進んだ。
普段なら、決してこんな場所で立ち話なんてしない人たちが、廊下の先に集まっている。それに、お兄様の姿も。
「……お兄様?」
こちらに気付いたお兄様が、はっとしたように顔を強張らせた。
「リサ……」
その声色で、胸の奥が嫌な音を立てる。
「どうしたの?」
「……いや、朝食へ――」
「ここでいいわ。何の話?」
手を取られそうになって、思わず一歩下がった。
「……ヴァルノインから、使者が来た」
「ヴァル……ノイン」
頭が、上手く言葉を理解しない。
「ユリウスの……件だ」
その名前を聞いた瞬間、心臓が大きく跳ねた。
「無事なのよね?」
自分でも驚くほど、冷静な声が出た。
だって、そうでしょう?
ただ派遣されただけで、危険があるならちゃんと説明があるはずで。それなのに……お兄様は、目を伏せた。
「……リサ。事故に、巻き込まれたそうだ」
「……え?」
「国境付近での任務中、崖から転落したと……」
淡々と告げられる言葉。
事故。転落。帰還は――叶わない。
「……嘘」
それだけ言うのが、精一杯だった。
頭の中に、ユリウスの声が浮かぶ。
『どこにも行かないわよね?』
『――私は、従者ですから』
あの時の、間。
曖昧な笑顔。
足元がぐらりと揺れて、そのまま床に膝をついてしまった。冷たい石の感触が、現実を突き付ける。
「……待って」
やっと、涙が溢れた。
「まだ、何も言ってないの」
好きだとも。
行かないで、とも。
「ちゃんと、言えば良かった……」
声が、震える。
「ユリウス……」
伸ばした手は、何も掴めない。どんなに呼んでも、もう――隣に来てくれない。
時間が、戻ればいいのに。言えなかった言葉を、言える場所へ戻りたい……手を離さなくていい場所へ戻りたい。
「……いや……」
心が悲鳴をあげて、胸を抑えた。
――ユリウスを返して。
それ以外は、何も要らないと。強く、強く、そう願った。
「……っ」
その場で意識を手放した私を、誰かが抱き留めたけど……
でも――
欲しかったのは、その腕じゃない。
ふわっと、心がゆれた。
「お嬢様、いつまで寝ておられるのですか?」
聞こえたその声に、胸が嫌なほど強く鳴った。
忘れるはずがない。
二度と聞けないと思っていた声。
「……おはようございます、リサお嬢様」
そこにいたのは――
まだ、生きているユリウスだった。
***
いつもと同じように、読んだままの本が置いてある。
口では小言を言うのに、心の内は、案外安心してる自分がいる。
それにしても、今日はやけに身体が重い。
昨日そんなに忙しかっただろうか……昨日――
「……ん」
可愛らしい声に、目線を向けてハッとした。
目元に涙の跡……?
「……おはようございます、リサお嬢様」
……いつもなら、すぐ返ってくるはずの返事がなかなか、ない。それどころか、僕をまっすぐ見つめたまま、何故か涙が流れた。
「お、お嬢様!?」
「……ユリ……ウス?」
呼ばれた名前が、ひどく不安定で胸がざわつく。
「何か、怖い夢でも見られたのですか? すぐ蒸しタオルを――」
いつものように対応すればいい。
そうすれば、落ち着いて下さるはずだと、身体が覚えてる。
「ごめ……なさい……」
意味が、分からない。
なぜ謝るのだろう。ただ分かるのは、その涙が自分に向けられているということ。
「……お嬢様」
自分は、従者だ。感情そのままに、動くわけにはいない。
それでも。
「……何か、私に出来ることはありませんか?」
しばらくして、リサお嬢様は小さく息を吸い、震える手でゆっくりとこちらに触れてきた。
袖を、指先で掴むだけ。
それなのに、あまりに必死で……胸が締め付けられる。
「……ここに、いる……」
囁くような声。
「はい。ここにおります」
そう答えた瞬間、リサお嬢様は、堪えていたものを全て吐き出すように泣き崩れた。
「良かった――」
何が、良かったのか。どうして、こんなにも安堵されているのか。何ひとつ、分からない。
分からないのに、この涙だけは決して軽く扱ってはいけないものだと、本能で理解していた。
「何か、ありましたか?」
「なんでもない……」
何故か、今のお嬢様を信じられない自分がいた。




