2.日常
いつもの朝なら、ユリウスの小言で目を覚ます。
「また、本を読んだまま寝ましたね? あ、おはようございます」
でも、今朝は違う。
着替える時に立ち会うメイドが一人、カーテンを開けながら朝の挨拶。
違うと分かるのに、声には出さなかった。
朝食の席も、椅子の位置も、食器の配置も、何ひとつ変わっていない。なのに、隣にいるはずのユリウスが姿を見せない。
正面に座るお兄様が、カップに口を付けながら「……今日も、父上に呼ばれているよね」と、言う。
「はい。朝食の後、謁見の間へ行く予定です」
理由は、聞かされていない。
でも……胸の奥に、小さな予感が引っかかっていた。
昨日と同じように、静かな玉座の間に響くヒールの音。
昨日と同じように、お父様が私を見て微笑んだ。
「リサ、座りなさい」
促されるまま椅子に腰を下ろしながら、お兄様と目が合った気がした。
「ユリウスの件だ」
その名前を聞いた瞬間、指先が僅かに強張って、悟られないように必死に隠した。
「王命により、ユリウスは他国へ派遣されることになった」
「……派遣」
「向こうの王家より正式な要請があった。能力を見込まれてのことだ」
淡々と告げられる言葉の数々を、頭で処理しきれない。
「向こうでの評価次第では、そのまま仕えることになるだろう」
――戻らない。そう、最初から告げられているみたい。
「それと、先方の姫君が、ユリウスを大層気に入られてな。縁談の話も進んでいる」
「……そう、ですか」
自分の声が、ひどく他人事のように聞こえる。
「正式な婚約は、向こうで整い次第だ。お前も、もう知っておくべきだと思ってな」
「分かりました」
お父様の言葉に、無機質な返事を返した。それだけで、自分を褒めたい気持ちでいっぱい。ちゃんと返事をして、会話して、自分の足で部屋に帰ってこれたんだから上出来でしょ?
部屋に戻ると、ユリウスが気掛ける場所ばかり目に入ってしまう。綺麗に積まれた本に、揃えられたカップ――
「本日より、お仕えいたします。どうぞ、よろしくお願いいたします」
いつ入室を許可したのか、聞きなれない声が耳を突いた。
「……そう」素っ気ない返事をした私は思った。
あぁ、ユリウスのいない日々は、こうして、何事もなかったように始まっていくのだと。
***
推薦して下さったトルメニ宰相へ挨拶を済ませ、息つく暇もなく謁見の間へ来た。
「其方が、エルフェリアから派遣されたユリウスか?」
「お初にお目にかかります。ユリウス・アーベルラインと申します」
「ほう。アーベルライン卿よ、官僚が首を長くしてまっておる。存分に能力を発揮してくれ」
「……承知致しました」
ただただ熟すだけ。
威圧感の裏に隠された狙いを、知る術もない。
「ユリウス様っ」
「……お久しぶりです、エリシア様」
「様なんて付けないでって、何度も言ってるじゃない。エリシアって呼んで」
「派遣された、ただの官僚です」
「これは、王女命令よ」
その言葉は拒めないのに、従いたくもなかった。
ここで生きていくためには、必要な術……なのか。
「承知しました、エリシア……」
「お父様にお願いして、良かったわ。これから宜しくね、ユリウス」
漸く客間に入れた途端、柄にもなく腰が抜けて、ドアにもたれ掛かった。
自分は、こんなに弱かったんだろうか……。
あの方の側にいた方が何倍も疲れたし、何倍も忙しかった。それなのに、こんな簡単なことで立ち上がれなくなるなんて。
「ユリウス」そう、名前を呼ぶ声が、頭の奥で反響した。
「――リサお嬢様……」




