9.ハンカチ
「――だから! 遠慮しなくて良いって、さっきから言ってるじゃない!」
「で、ですから、自分で出来ますと何度も――」
「だって、やってあげたいんだもん……」
「……仕方……ありませんね……今回だけですよ」
……お世話なんて、許可するんじゃなかった。
「ジッとしててね」
風呂上がりに訪ねてきたお嬢様と、攻防の末、負けた。
シャツを持って背後に回るお嬢様に、袖を通してもらい、肌けた正面に立たれる。ぎこちない手で、一生懸命ボタンを閉める姿を、どんな顔で見ていればいいと言うのだ。
「出来た……! 次は、ここに座って」
そう言って椅子に触れた。ここまで来たら、何でも来いだ。
濡れた髪を、優しくタオルで包みこむ。自分でやるのとは随分違う、優しく柔らかい感触で拭っていく。
「くすぐったい?」
「そうですね……気持ち良いです」
「短い髪って、すぐ乾くから羨ましいな」
「では、短くされますか?」
「……そうね。王女じゃなかったら、出来たのかもね」
鏡越しに見る、少し寂しそうな顔。
背負っておられる業を理解しているからこその、顔だ。周囲からは、二人の姉に比べお気楽だと言われるが、そうじゃない。自分が、第三王女だと理解しての在り方を知ってる。
「もう、乾いてます。そろそろお休みにならないと」
「……分かってる。ユリウス……今日は、本当にありがとう。守ってくれて、嬉しかった」
「こちらこそ、ご無事でいて下さって、ありがとうございます。従者として、意味があったのなら本望です」
「従者……そうね。最後にピアスだけ外しても、良い?」
「……お願いします」
リサお嬢様の吐息が聞こえそうな距離に、ドキッとする。滑らかな指が耳に触れ、ピアスがカランッと置いた。
「お休み、ユリウス」
手を振って、お嬢様が護衛と共に去った。
ドア越しに聞こえるヒールが遠ざかるのを確認して、盛大な息を吐き出した。
「心臓に悪い……」
熱を帯びた耳に触れながら、目を閉じた。
……違う。これは、ただ恥ずかしかっただけだ。それ以外の何ものでもない。鼓動の理由を誤魔化す、言い訳だなんて、言われなくても分かってる。
「どうしろって言うんだよ――」
***
耳、柔らかかったな……。
後ろの護衛と部屋に向かいながら、頬に手を当てた。
近付き過ぎると、ユリウスは一歩引く。いつもそう。
だけど、今日は違った。ボタンを止めても、耳に触れても、そこに居てくれた。
「リサ王女様!」
前方から、昼間の騎士が走ってきた。
学生の頃に、護身術の練習に付き合ってもらって以来、気兼ねなく話し掛けられる騎士の一人になったのだ。
「アーサー、何か分かった?」
「……いえ、何も分かりませんでした。こちら、リサ王女様の落とし物だと預かって来ました。成果の報告が出来ず申し訳ありませんが、ハンカチは部屋にお持ち帰り下さい」
「あっ……え、えぇ。ありがとう」
「いえ、それでは失礼します」
来た道を戻るアーサーに「ありがとう」と手を振った。
自室に着いてすぐ、預かったハンカチを広げる。これは、私のハンカチじゃない……。私のは、血を抑えるためにユリウスに使ったし、ユリウスから借りたハンカチは落としてない。
「……やっぱり」
ハンカチの中から出てきた紙切れ。
昼間、医務室に行く前に、アーサーへ一つお願いをした。
"額縁を調べて"
何もないなら、それが一番良い。
だけど――
「故意的な固定具の破損と、用途不明の糸……」
――狙われたんだ。
あのタイミングで、私かユリウス……どちらかを意図的に狙ったに違いない。普通に考えたら、私が狙われたと思うはず。
けど、狙われる理由がどこにあるんだろう。
翌朝、ユリウスと共に食堂へ行く道すがら、絵画に目を配るけど、倒れそうな気配もなく食堂に着いた。
「――機会ですから。ユリウスのためにも、ヴァンノイン行きを打診します」
締まり切っていない扉から漏れた、お兄様の声。
「待って!」
堪らず、勢いのまま扉を開けて叫んだ。
「ユリウスをヴァンノインって、私なにも聞いてない。私の従者なのに、どうして何も聞かされないの? こんなの変だわ」
「リサ、ひとまず落ち着いて座りなさい」
諭すような言い方の、お父様の右手が上がった。
食堂にいた使用人が一斉に出て行き、当事者だけが残る。
「リサ。ユリウスは、リサの従者であると同時に、仕事を担う一人の男でもあるんだ。将来のために、成果を残すことだって必要だろう?」
「それは……」
「ユリウスは、どう思ってるんだ」
「……正式にお話しを頂いたわけでは、ありません。ですが……前向きに検討すべき話だと、思っています」
「それは、良かった。まだ説得の余地があるなら、良い」
……結局、未来は変わらない……の?
好きとも言えず、守るなんて言いながら守り方も知らない。私の知らないところで話しが進んでいく。
何も知らないユリウスまで『前向きに検討する』なんて……。
ねぇ、また同じ道を歩まなきゃいけないの?




