ハニートラッパー前田の聖なる予言
とある風俗店で立てられた情けない親指に、取り憑かれたような意図を感じ取った若造がお金をまき散らして店を飛び出した。彼の名前は前田啓司。つまらない世界に暮らすつまらない男だった。
不死を信じていた前田啓司は、スピリチュアルに傾倒した生活を送っていたが、彼女ができてからその生活は一変した。ありもしないプライドをひけらかし豪遊に次ぐ豪遊。彼女についての自慢に次ぐ自慢。仲の良かった友達とも疎遠になっていった。簡単にいうと、人に嫌われていった。そして、ついには彼女にも見放される。
彼女との別れを経て、前田啓司は自堕落な生活を送ることになった。
前田啓司は意味もなく風俗街をぶらつくことを好んだ。それは一種の習性のようなものであった。
前田啓司の口から発せられる暴言の数々は、虫をも脅かせた。
あの巨人の漫画が流行った時も、あの鬼の漫画が流行った時も、前田啓司の口から出るのは無理のない範囲での暴言だった。「ありきたり」「守りに入っている」「なんだかんだダサい」「純粋に面白くない」「伏線回収が全てだと思いやがって」「ストーリーを気にしすぎ」「キャラ立てとかどうでもいいわ」
くだらない劇場公演の帰り、前田啓司は劇場の前を歩いていた美女に金を無心した。美女は尻を突き出し、胸を見せびらかし、非常に性的な魅力を醸し出しながら、前田啓司の話を聞いた。聞き終えると、 美女は胸の谷間から千円札二枚を抜き出し、差し出した。前田啓司は鼻息を荒げてそれを受け取ると、スキップで帰路についた。
家には泥棒が侵入していて、服やなんかを荒らされていた。お気に入りのジーンズはズタズタに切り裂かれて、彼女との思い出だった指輪は盗まれていた。憤慨した前田啓司は、家中を鬼のような顔でうろつきまわり、家具にひとつひとつ丁寧に傷をつけていった。その傷には法則性があるようでなかった。
泥棒と自分の手によってめちゃくちゃに破壊された自宅に立ちすくむ前田啓司は、心の中ではなぜか安心しきっていた。自分の内的世界と外部世界が、見た目こそ醜悪でありつつも、完璧につながる気配を感じていた。前田啓司は景気付けに、空き地に乗り捨てられたワゴンに乗り込み、練炭自殺を試みる。それは失敗に終わるのだが、それは不死を信じていることによる効果なのかは分からなかった。
駅前のそろそろ耐用年数を迎えそうなデパートの中、空きテナントに並べられたパイプ椅子。座っているのは顔に全く覇気のない者たちばかり。それぞれが面白みのない人生観を語らい、苦笑しては、矢継ぎ早にくだらない相槌を繰り出す。その一連の会話は全て録音されているし、喋る口の中の銀歯の数も数えられるくらいの高性能カメラで録画もされている。それがなんのためなのか、この中にいる誰も知らないだろうし、そもそも監視されていることすらも知らない。〈愚か者ギルド〉と表現されたこの集団は、ある程度社会に馴染めている者たちのストレス発散の道具として利用されていた。そして、その支配する者・される者という関係性のちょうど中間に位置しているのが、前田啓司だった。
前田啓司は支配したかった。女性を、金を、社会を支配したい欲を持っていた。ひとまず前田啓司は少し街から離れた広い公園の駐車場に向かう。そこに座り込む数人の女性たち。女性に話しかけ、そのままお金を払いホテルへと歩き出す。もちろん前田啓司は車道側を歩くが、女性の方は心の中で何回も舌打ちを繰り返す。それを察知する余裕すらない前田啓司は、ホテルにたどり着いた瞬間、走り去る。女性は呆気に取られた風に、動きを止める。前田啓司はそのような無意味な行為をひたすら繰り返した。無意味の追求に心をうずめていた。
ぐちゃぐちゃになった家の修復に努めていた前田啓司のもとへ、一人の女性が言い寄ってくる。いきなりインターホンが鳴り、ドアを開けたら、全裸の女性が立っていて、今すぐ家の中に入れてくれ、と言ってきた。そのまま前田啓司と女性はひとしきり行為を行い、その後で、連絡先を交換した。
世界が何巡かした後のような爽やかな陽気の中、前田啓司は付き合うことになった女性と一緒に並木道を歩いていた。世界は美しく、幸せに満ちていて、このまま一生、無限に続く並木道を歩いていたいと思った。突如、世界が暗転しても、僕たちはずっと手を繋いで近くにいることができる、と高を括っていた。渦巻く邪悪な欲望が眼前に現れたとしても、僕たちは大切なことをずっと心の中で忘れずにいつでも思い出すことができる、時代は刻一刻と変化していけども大切なものだけはずっと変わらず抱きしめていることができる、宇宙の果てへと飛ばされてしまっても会話を続けて笑い合うことができる、その宇宙にはもちろん空気がなく呼吸ができなければ音を聞くこともできないがそれでも繋がった心で直接コミュニケーションをとることができる、それほど、二人は愛し合っているかのように見えた。ミ・エ・タ。
それがハニートラップだと気づいたのはいつだっただろうか。前田啓司はその日もそんなことを知る由もなく気ままにワールドワイドに時代を生き抜いていたが、そんなバナナのように甘い生活は突如として崩れ去ることになる。それはある来客から始まるのだが、その客というのが顔を持たない人間だった。のっぺらぼうだ。その時点で現実味がなく、前田啓司は自分を往復ビンタしようと試みたが制止される。
のっぺらぼうは前田啓司が付き合っている女性に顔のパーツを全て剥ぎ取られたと主張する。前田啓司の今の状況はいわゆるハニートラップで(これは色仕掛けによる工作という意味でのハニートラップではなく、そのままの意味での、女を利用したトラップである)、このままだと自分と同じく顔を剥ぎ取られるという。うるさい、うるさい、うるさい! ビシ! バシ! どかどか! どこどこ!
のっぺらぼうを車を少し走らせた先にある森に埋めた前田啓司は一仕事を終えたような美麗な汗を垂らした。その汗が土に吸い込まれ、のっぺらぼうを保湿する。死んでるのにね。
ところで場面は変わり、前田啓司は彼女に首を絞められている。ついに、ハニートラップが始動した。前田啓司の足は巨大ネズミとりで固定されている。どうしようもなく、もがく前田啓司。万事休すかと思われた瞬間、ホテルのドアが蹴破られ、警察が入ってくる。そこまでだ!
前田啓司はしわしわになった〈愚か者ギルド〉のチラシを右手に握りしめ、アパートの入り口に立ち尽くしていた。
前田啓司は血だらけの左手から異様な悪臭を放ちながら、山奥に立ち尽くしていた。
前田啓司は明らかに気が狂ったような顔をして子供に風船を配っていた。
前田啓司は予言をネットに書き込んで、安心していた。
前田啓司は神妙な面持ちで駅のプラットフォームに立ち尽くしていた。
前田啓司は突如、人混みの中で予言を放った。しかし、もちろん誰の耳にも届かない。
「世界は終わる! そして世界は巡る! 何巡もするんだ! それはとてつもなく長い時間をかけて行われる世界の浄化だ! みんな気づかない間に死んで生まれてまた死ぬ! 僕についてこればそれを知覚することが可能になる! 時間はないぞ! 今にも世界は終わるんだ! 知覚すると、世界の移り変わりを眺めることができる! 美味しいご飯はいくらでも作れるし、楽しいゲームにも没頭できる! もちろん働く必要もない! 金なんてないんだ! さあ、みんな目を開け! 頭を開け! 股を開け! 早く、誰か俺と結婚してくれーーーーー!」




