逆に聞きます
事件のあった翌日。
町は何事もなかったかのように、日常へと戻っていた。
アリシアは予定通りに学院へ向かう。
町の外縁に位置する国立グリフォネア学院は、その名に恥じない広大な敷地を持つ。
石造で三階建ての校舎の他に、礼拝堂や寮もある。
アリシアはその寮に入る予定であったため、宿もきちんと引き払って出てきた。
学院については、宿の主人に聞いて少しだけ理解した。
三年制で、卒業後は国のために軍に入る人が多いらしいが、全員ではないとのことだ。
アリシアもその気はないため、テイマーの資格を使って普通に暮らせたらそれでいい。
だから良い成績や順位も必要なく、卒業さえできればいいくらいの目標しか持っていない。
しかしエリートでしか入れない難関校との噂は本当らしく、アリシアも入学の予定だと言うと、どこの貴族かと確認され、曖昧に笑って誤魔化した。
学院の敷地の前には年老いた警備員が一人いて、アリシアが中へ入ろうとすると呼び止めた。
「これ、お嬢さん。ここは部外者の立ち入りは禁止だよ」
「あの、私、ここに編入しにきました。これが紹介状です」
大鷲の封蝋がされた封筒を渡すと、警備員は訝しげに封筒を眺め、剥がされた跡がないか確認して、アリシアに少し待っているように言って学内へと歩いて行った。
十五分ほど待つと、大柄な男の人を連れて帰ってきた。
立派な白髪と清潔そうな見た目、高級そうなローブから察するに、偉い人なのだろう。
彼は警備員に礼を言って持ち場へ帰らせ、アリシアに語りかける。
「はじめまして。私はこの国立グリフォネア学院の学院長ローディウスです。あなたがアリシアさんですね。話は聞いていますよ」
「は、はじめまして。グレイおじさんからの紹介で、ここに来ました」
自分では知らない人とも緊張せずに話せると思っていたのだが、きちんとしようとすればするほど、言葉が出てこなくなる。
それを見透かしているかのように、ローディウスはくすりと笑った。
「大丈夫ですよ。あなたの緊張もわかります。まずは中で話しましょう。応接室を準備させてあります」
彼について学校の敷地内を歩いたが、他の学生とすれ違わなかった。
朝ではあるが、それほど早い時間ではないため、アリシアが不思議に思っていると、ローディウスの方から話を切り出した。
「他の学生はあと十分ほどしたら寮から出てきますよ」
「時間が決まっているんですか?」
「いいえ。今日はそうだというだけです」
「……どういう意味ですか?」
「あとで教えますよ。あなたも他の学生と鉢合わせになるのは気まずいでしょう?」
気遣いは嬉しいのだが、それとは別に何か得体のしれないものを感じて複雑な気持ちになりながら石造の校舎へ入ると、そんな小さな疑問は吹き飛んだ。
どこか現実味のない外観からはうまく想像できなかった、石特有の冷たさや心地よい安心感とある程度の閉塞感。
日常が非日常へ変わっていく。
考えてみれば、ずっと木々に囲まれて生活してきたのだから、その差は普通の人よりも感じるはずだ。
赤い絨毯の敷かれた応接室のソファに座ると、体が少し沈み込んで、その柔らかさが気持ち良かった。
「さて、まず初めに。あなたがこの学校に来てくれて嬉しく思います」
「ありがとうございます。私のことは聞いていたんですか?」
「ええ。実はあなたのおじさんとは古い仲でして。あなたを預けたいと相談された時には驚きましたよ」
「なぜです?」
「あの人が子供の面倒を見られるとは思っていませんでしたから。どんな不良少女が来るかと心配していました」
彼はそう冗談めかして言う。
グレイの知り合いだと聞いて、肩の力が抜けた。
それと同時に、ラピスも気が緩んだようで、首元からずるっと姿を現した。
「それがあなたの子ですか。名前は?」
「ラピスって言います。私が小さいころから一緒に暮らしている、家族なんです」
机の上に乗ったラピスは、興味深そうにローディウスを眺めている。
「家族ですか。いい関係ですね。この学校に来る子の中でも珍しいですよ」
「そうなんですか? てっきりみんなそうだと……」
「ここでは入学して、テイマーとして最低限の訓練をしてから、魔物の召喚を行います。人によっては半年ほど訓練だけなんてこともあるんですよ。自分の相棒も決まらないままね」
「半年!? 入学できたのにですか!?」
「入学するまでにかなりの努力を必要とすることは学校側でも認めています。しかし、やっていないことはできないのも事実なのですよ。もちろん、それに耐えられずに辞める者もいます」
「そんなもったいないことを、どうしてするんですか?」
「それはあなたにすでにパートナーがいるからそう思うんですよ。外では言わないようにしなさいね」
「はい……」
想像もしていなかった。
普通はテイマーになるまでに相当の準備が必要なのだろう。
アリシアとはまるで順序が違っている。
「あなたとラピスの関係を見ていれば、あなたに優れたテイマーの素質があることはよくわかります。ただし、この学校に入る以上、特別扱いはしませんよ。皆が等しくテイマーの卵。それはよく理解しておいてくださいね」
「はい。ですが、その……」
「編入という形をとるので、ここまで努力を積み重ねてきた周囲の学生にパートナーがいるという事実をどう説明するか、不安になったのでしょう?」
図星だった。
アリシアはばつが悪くなり下を向く。
「逆に聞きます。どうすれば納得させられると思いますか?」
そもそも相棒となる魔物がいるだけで周囲からの好感は得られないだろう。
編入と合わせた特別待遇に印象の値はマイナスを振り切り、嫉妬の対象になることなど容易に考えられる。
どうしてもそこを楽観的には考えられない。
その不安を解消させることを、ローディス学院長は『納得』と言った。
「……パートナーがいて当然だと思わせること、ですか?」
「その通り。あなたの才能や努力が羨むべきものではないと知れば、自然と納得します。さらにそれがスライムであると思えば、より説得力が増すでしょう」
「あの、ずっと気になっていたんですけど、テイマーの人たちからして、スライムってどうなんですか?」
「どう、とは?」
「スライムといえば弱い魔物の代表だと本に書いてありました。テイマーでもスライムを相棒に選ぶ人はいないんじゃないですか?」
ローディウスは少し間を置いて答える。
「単体であれば、そうでしょうね。学校としてもよほど理由がなければ相棒の選び直しを薦めるでしょう。――ですが、物事には相性があります。テイマーと魔物も、相性が合えばお互いの能力を何倍にも高められます。私の見立てでも、すでにラピスは平均的なスライムの枠は超えており、あなたもまた、平均的な学生の枠は超えていますよ。少なくとも、口頭での命令なしにここまで大人しくしていられる魔物は非常に少ない。会話を聞いているのでしょうか?」
ローディウスがラピスをひと撫ですると、以前から知っていたかのように、嬉しそうに体を震わせる。
ローディウスは今のうちに聞いておきたいことはないか、とアリシアに問う。
アリシアはテイマーに関することや、魔物に関すること、他の生徒たちがどういった家柄なのかなど、思いつく限りのことを質問した。
的確な解答をしてもらえることが嬉しくなり、つい止まらなくなっていたところを、ローディウスから遮る。
「――あとは、授業で解決しましょう。そろそろ時間です」
「すみません、調子に乗ってしまって……」
「いえ、あなたはもう学生なのですから、質問をすることは当然の権利です。こちらには答える義務もあります。ですが、今日は先に片付けなければならないことがありますよね?」
「えっと、何ですか?」
「おや、もう忘れましたか? 周囲を納得させるんですよ」
「……今から?」
「そう、今からです。いつでも同じでしょう」
「それは、そうですけど……」
心の準備だってあるだろう、と言いかけてやめた。
現実では準備ができない場面だってある。
本番はいつだっていきなりやってくるものなのだ。
「あなたの入学に関しては、公開型の編入試験を行うということにしてあります。ここで遅れをとるようなことはないでしょう?」
「そんな強引な……」
「そうですか。できないなら仕方ありませんね」
「できないなんて言ってません!」
「そうでしょう、そうでしょう。さあ、校庭へ向かいますよ。今日はそのために授業を休みにしてあるのです」
心待ちにしていたものを見るかのようなローディウス学院長のことを、アリシアは何を考えているのかわからないと思わずにはいられなかった。




