理由をうまく説明できない
耳が痛くなるほどの静寂だと思った。
実際には、周囲はどよめいていたのだが、アリシアの耳には入らなかった。
倒れた客へマスターが顔面蒼白にして駆け寄る。
その間、アリシアは目を丸くしていることしかできなかった。
グレイに助けを求めることを思いついて外へ飛び出した時には、すでにそこには彼の姿はなかった。
「おい! しっかりしろ!」
そんな声が聞こえる。
アリシアは店内に戻って様子を伺う。
倒れた男は中年で、無精ひげが生えている恰幅のいい男だ。
テーブルの上には食べかけのスープとひと切れのパン、それ以外に彼の荷物らしきものもなかった。
男は息をしていないようで、マスターの呼びかけにも反応していない。
アリシアはその様子を見て脳裏にひとつの可能性がよぎった。
「ちょっと見せてください」
倒れた男の額に手を当てると多量の汗があり、アリシアは眉をひそめる。
「ごめんなさい。ラピス、中へ」
「お前グレイの連れだろ。何を――」
「説明は後でします」
ラピスが男の口の中へずるっと入る。
傷口があれば外からでも調べられるが今回は仕方がない。
数秒でラピスは戻ってくる。
「うん。やっぱり、毒みたいです。すぐに解毒を行います」
ラピスが体内で分析した成分を中和する解毒薬をすぐに精製する。
毒の正体まではわからないが、成分を読んで真逆の効果を生む薬を作るのは得意分野だ。
男が自力での呼吸すらままならない以上、全てをラピスに任せるしかない。
薬を体内へ届け、内側から横隔膜を刺激して呼吸を手伝わせる。
アリシアにとって、こういった処置は初めてのことではない。
山や森の中に迷い込んだ人を助けたことは何度かある。
しばらくすると、彼は咳き込み始め、やがて意識を取り戻した。
ラピスは役目を終えて、アリシアの手の中へ戻ってくる。
よしよしと撫でると、ラピスは体を小さく震わせたあと、小さく跳ねて、またアリシアの襟元へと入っていった。
「たぶんもう大丈夫だと思うんですけど、一応お医者さんを呼んでください」
「ああ。裏方の若いやつを走らせている。もうじき連れてくるだろう。お嬢さん、いったい何者なんだ?」
マスターが聞く。
アリシアは曖昧に笑い、そんなことより、と話を遮る。
「この辺りに毒ヘビっていますか?」
「……いや、聞いたことはないな」
「テイマーで、連れている人を見かけたことは?」
「見かけたら覚えているだろうから、いないはずだ。今日もまだ魔物を連れている人間はお嬢さんだけしか見ていない」
「そうですか。だったら、店に入る直前、どこかで噛まれてきたのでしょうか」
アリシアの疑問に彼は首を振る。
「こいつは今日の朝からずっとここにいた。朝飯を食って、適当に常連と話して、今は昼飯を食っている最中だった。途中で外に出てるところは見なかったぞ」
「この方も常連ですか?」
「そうだ。いつもこのテーブルに座っている。……もしかして、これが誰かの仕業だと考えているのか?」
「はい。じゃないと、説明つきませんよ。彼が食べていた食事も勝手に調べさせていただきましたが、毒物の混入は発見できませんでした」
ラピスなら触れただけで毒物の有無はすぐに判断できる。
そうしているうちに医者が到着し、マスターは倒れた男を他の従業員に預け、アリシアの方へ歩み寄った。
「俺もこの店で食あたりの噂を流されちゃ困る。毒入りスープなんて言われた日には潰れちまう。お嬢さん、あのうさんくさい旅商人の関係者なんだろう? 何か知ってることがあるんじゃないか?」
グレイのことをうさんくさいと言われたことに少しだけもやっとする。
恐らく、彼はグレイのことを疑っているのだろう。
しかしこのままだと犯人に仕立て上げられても仕方のない状況だ。
彼らも町中に悪い人間がいるとは思いたくないだろう。
ここは自分が問題を解決するしかない、とアリシアは考えて答える。
「……いや、グレイさんとはこの町に来る前に合流しただけなので、ここで何をしていたかは知らないんです。私も今日来たばかりですし……。でも、犯人を探すことはできますよ。納得させられるかはわかりませんが」
「納得?」
「私のやり方で探せば見つけられますけど、理由をうまく説明できないので……」
「わかった。責任を持って俺が立ち会う。衛兵を待ってる間に犯人に逃げられるかもしれない。やってみてくれないか」
「わかりました。ラピス」
名前を呼ぶと、再びラピスは姿を見せる。
アリシアの声色で何をすべきか理解している様子が見て取れる。
ラピスはするりと床へ降りて、ゆっくりと水たまりのように広がる。
周囲の人も驚いて少し距離を開けた。
ラピスは痕跡を記憶して追える。
匂いなのか魔力なのか、どの成分を追っているのかは知らないため、理屈はわからない。
ただ、できると知っているだけだ。
被害者の体から読み取った毒、その痕跡がどこから来たものなのかラピスが調べると、その注意が壁や天井へ向けられたことに気がついた。
この時点で人間の仕業ではないことがわかる。
アリシアは最初から毒ヘビだと予想していたから、そこまでは容易に想像ができる。
しかし、店内で噛まれたとすると、そこで騒ぎが起きないのは変だ。
人間に害を与えるには相応のサイズのヘビであるはずで、噛まれた時にも痛みがあるに違いない。
では、ラピスの感じた痕跡の気配は、誰のものなのか。
「あっ……? いやでもありえない」
さっき足下で見かけた小さなクモ――ルミナイト・ピーパーの死骸。
たしかにクモの毒は神経毒のはずだが、あの小さなクモに人間を殺す毒が出せるとは思えないし、実際に今まで見かけても噛まれたことはない。
しかし野生の魔物とテイマーの魔物には大きな違いがあると聞く。
生物としての能力の変化が、毒性の強さにも現れるとしたら。
「ラピス、クモの糸を探して」
指示に従って、ラピスは店内で奥の席に座っていたひとりの痩せた男へ向かう。
巣を張らないクモでも移動にはそれを使う。
僅かな糸の切れ端は、まだ残っている。
「チッ! 邪魔だ雑魚スライム!」
こちらの動きを見守っていたであろう男は、足にまとわりつくラピスを蹴り飛ばそうとした。
だが、ほぼ水のような性質のスライムの体を捉えることはできず、足は虚しく空を切る。
その一連の行動に、アリシアの感情が大きく振れ、瞳孔が開く。
まっすぐにつかつかと歩み寄ると、男はたじろいだ。
「――今、ラピスのことを蹴ろうとしました?」
「っ! 邪魔すんなガキ! 行けルミナイト!」
男が無数の小さなクモを袖口から出撃させる。
不気味ではあるが驚くほどではなかった。
アリシアは少し眉をひそめただけで、ラピスがその全てを腕ごと包み込む。
「俺のルミナイトは強力な毒がある! 死んでも消えることはない!」
「さっきまで何を見ていたんですか? 毒はもう解明して……」
――足下がふらついて、アリシアは膝をついた。
ラピスは男の出したクモの毒を吸収したが、その成分が一種類ではないことに気がついたのが遅かった。
「素人だな! テイマーの使う毒物が複数あるのは当たり前だろ! バカみたいに食いやがって……! 俺の手持ちは失ったが、お前も道連れにしてやるよ!」
毒はラピスとアリシアの間を繋いでいる魔力に作用している。
そもそもこれが本当に毒物なのかどうかもわからない。
ラピスも懸命に解毒しようとしているが、このままでは意識が飛ぶ方が早い。
「――反魔法」
戸口の方から声が聞こえて、アリシアの全身を暖かい感覚が包み、気分の悪さが消える。
「麻痺毒じゃない。麻痺魔法ね」
「誰……ですか」
息も絶え絶えに聞くと、その人は優しく微笑む。
「学生よ。ただの」
長い金髪を揺らし、オリーヴ色の瞳をした彼女は堂々とそう言った。
体の不調が消えると同時に、アリシアはラピスに男を縛り上げらせる。
何やら口汚く罵っているが、アリシアは無視した。
「ありがとうございます。危ないところでした」
「あなた、犯罪者?」
金髪の少女はじろりと威圧的な視線を向ける。年齢はアリシアと同じくらいに見えるが、自信が全身からあふれ出ている。
それに何より、学生服がよく似合っている。
「いえ、私は……」
アリシアが自分のことを説明しようとした時、店内からもうひとり、別の男が走って逃げようとした。
勢いで押しのけられたアリシアは少女とぶつかり、もつれながら通りに転がり出る。
「いったい!」
「ごめんなさ――」
倒れたふたりの横を、焦った顔をした男が走り抜けようとした。
「ラピス!」
「追え、ガルム!」
ふたりの声はほとんど同時だった。
ラピスが逃げる男の足を捕まえるが、少し間に合わず、完全には止められない。
次の瞬間、黒いオオカミが男の背中に飛びかかり、完全に抑えつけた。
「次に逃げようとしたら、その首噛み砕くわよ」
少女の脅しはそれが本気であると感じるほどに、威圧感に満ちていた。
「……あなた、やるわね。私より早いなんて」
少女はアリシアに手を伸ばして、引っ張り上げてくれた。
「ありがとうございます。あの、私はアリシアっていいます。今日この町に来ました」
「今日? だから見かけない顔だったのね。私はセリス。こっちのオオカミは私のパートナーのガルム。見ての通りグリフォネア学院の生徒よ。まだフレッジリング級だけどね」
「フレッジリング?」
「ああ、一年生ってこと。あなたは? 私と年は近そうだけど、もしかして、プロのテイマー?」
「いえ、まだ。これからグリフォネア学院に入るところです」
「……は? もうとっくに入試の時期は過ぎてるわよ? っていうか、それじゃあなた、無免許じゃないの?」
そう言われては否定できず、どう言い訳しようかとまごついていると、騒ぎを聞きつけた衛兵たちの声が遠くから聞こえてきた。
「ここは私が場を納めるから、あなたはそのスライムを連れて逃げなさい! 入学したいのなら捕まるわけにいかないでしょ!」
「え、あ、そうですね! すみません!」
「学院で会いましょう!」
セリスの勢いに負けて、アリシアはラピスを拾い上げながら路地裏へと走り込む。
大通りを避けて宿へ戻っている間、ずっと頭の中で『無免許』という単語がぐるぐると浮かび続けていた。




