服についていたのかな
アリシアとラピスの旅路は五日に及んだ。
十分な食料を準備していて、野宿の知識と経験に自信があったアリシアでも、疲労の色を隠せなかった。
目印となる大きな川を見つけた時には、今来た道が合っていたのだと心底安心したものだ。
天候にも恵まれ、遠景に灰色の町の外壁が見える。
あそこが目的地――と思ったその時だ。
「着いたか?」
「あっ、おじさん!」
白髪交じりの灰色の髪に、同じく灰色の無精ひげ。
顔は大きな眼帯に覆われていて、右目どころか顔の右半分を隠しているような形だ。
服装は獣革を鞣したローブ――見るからに怪しい格好だが、彼こそアリシアの生活を手伝っていた商人のグレイである。
「迎えに行けなくて悪かったな。さすがに離れるわけにいかなくてよ」
「いえ、グレイおじさんも仕事が忙しいでしょう?」
「それだがな。お前がここに来るって分かってたから日程を調整して、この時期はここに停泊することにしたんだ。歩き疲れただろう。宿をとってあるから、話はそこでしよう」
「行商人ってそんなに自由なんですか?」
「バカ。俺が有能なんだよ」
そんな軽口をたたき合いながら、グレイに案内された宿へ到着した。
大きな町へ来るのは本当に久しぶりで、自分がこれからここで生活するのだと思うと、気持ちの高ぶりを抑えられない。
まるで世界の端からやってきたかのような気分にもなる。
「ラピスもそう思うよね?」
同意を求めるも、ラピスの興味は窓枠を歩く小さなクモに注がれていた。
「ルミナイト・ピーパー? 町中にもいるんだね」
夜行性の小さな黒いクモは、夜になると月明かりのように目が光って見える。
森にいたころはよく見かけた。
だいたいはもう少し大きな他の昆虫に食べられてしまう、かわいい森の狩人だ。
森での懐かしい記憶を振り払うように、アリシアは気を引き締める。
観光でここへ来たわけではない。
テイマー養成のための国立学院『グリフォネア』へ通うために遠路はるばるやってきたのだ。
しかし、行き交う人々の賑やかな声や、どこからか香る焼けたパンの匂い。
飛び出していきたい気持ちを抑えながら窓から通りを眺めていると、個室の扉をノックされる。
「アリシア、着替え終わったか?」
「はい。入っていいですよ」
アリシアが持ってきた服はグレイに用意してもらったものだ。
淡い灰がかった青色をした綿布のワンピースに細い革ベルト。
その上には薄いウールのケープ。
そして革製の茶色いショートブーツ。
これらは全てアリシアには良し悪しのわからないものだったが、グレイの選んでくれたものなのなら、きっと良いものなのだろう。
「おう、似合っているな」
「ありがとうございます。とても素敵な服だと思います」
グレイはアリシアの格好を一通り観察したあと、小さな疑問を漏らす。
「ラピスは?」
「それならここに」
首元からするっと、ラピスが顔を出す。
「ちゃんと隠れてますよね?」
アリシアが不安になってグレイに聞くと彼は苦笑して頷いた。
「大丈夫だ。スライムが小型で良かったな」
「そう思います。ラピスを檻に入れたり町の外で待たせるのは嫌ですし。魔物を連れて町の中を歩くのは違法なんですよね?」
「無資格のうちはな。テイマーの資格を得た後なら堂々と連れ歩ける。そのうち見かけるだろう。それより、そろそろ座ってもいいか? ――そうだ、飯を食えるところに行くか? 長旅で腹減ってんだろ? それとも今日は休むか?」
その提案にアリシアの顔がぱぁっと明るく輝く。
休むなんて勿体ない。
「はい! お腹すいてます!」
「普通は休むんだけどな……。そんなに腹が減ってたのか」
「こういう町に来たら、食べたいじゃないですか。何が名物なんですか?」
「川魚の香草焼きをよく見るな。俺も喰ったけど、うまかったぞ。それでいいか?」
「案内お願いします!」
グレイが連れて行ってくれたのは、寂れた雰囲気の酒場のようなところだった。
店内は薄暗く、入り口から中の様子はうかがえない。
ひとりならそう簡単に入る覚悟の生まれないような店構えだ。
「このお店に来たこと、あるんですか?」
「ここ数日は入り浸ってるよ」
そう言いながら、グレイは中へ入っていく。
アリシアも置いて行かれないようについて入る。
「おう、マスター。奥の席いいか?」
カウンターの中にいるマスターにグレイが声をかけると、どうぞと頷く。
じろり、と視線がアリシアに向いたので、身をぎゅっと硬くした。
ラピスが心配そうに頬を撫でた。
「その子が、例の?」
「ああ、これからこいつを学院に入れる」
アリシアは気にしないよう、少し遠くを見るようにしていたが、会話を盗み聞きしていたであろう店内の他の客たちの視線が、一気にこちらを向いたのを感じた。
そそくさと席に着いて、グレイに耳打ちするように、小声で言う。
「あの、どうしてこんなに見られてるんですか?」
「そりゃお前、グリフォネア学院に入るって言えば、興味も引くだろ」
「え、だって、グレイおじさんはテイマーになるための学校だとしか……」
アリシアが知っているのは、将来魔物――ラピスと共につける仕事として有名なのは『テイマー』だということ。
そのためには国家資格が必要で、専門の学校へ通う必要があるということ。
そして、一番近くにある学校が『国立グリフォネア学院』だということ。
たったそれだけのことしか知らない。
世間におけるグリフォネア学院の立ち位置など、知らない。
「この国一番の難関校。言ってなかったか?」
「そんなことひと言も!」
声が大きくなりかけるも、アリシアはぐっと口をつぐむ。
「……私でも、行けるんですか?」
「色々手を回したからな。ただ、入学の時期から一ヶ月ほどズレての編入だから、信じられないほどアウェイだろうな。当たり前だが、普通に入学試験を受けたやつからは面白くないだろう」
「なんでハードル上げるんですか?」
「それに、基礎学習も始まってる。独学で追いつくのは大変だろうな」
「そういうのは先に言ってくれませんか?」
「あと、当然実技もある。まあ、こっちは心配しなくてもいいだろ。言われたことをこなせばいい」
「……いっぱい文句言いたいんですけど、とにかく、グレイさんは私がそこでもやっていけるって思ってるんですよね?」
「…………思ってるよ」
「変な間やめてください」
アリシアは小さくため息をつく。
まず、ひとり暮らしの期間が長すぎて対人関係の経験値はほとんどない。
他人を怖いとは思わないが、未知に対する不安がある。
座学に関しては、魔物に関する本を読みあさっていたから、知識不足ではないと考えている。
実技に関しては、言うまでもない。
幼い頃からずっと一緒に過ごしてきたラピスとならできないことなんてない、と思っている。
グレイが注文してくれた川魚の香草蒸しがテーブルに運ばれてくると、アリシアが頭の中で考えていた色々なことは全て吹き飛んだ。
大きな葉で包まれたヤマメはハーブとレモンの薫り高い湯気を発し、ふんわりと白い身を僅かに皮の隙間から覗かせている。
ヤマメの下には様々なキノコをスライスしたものが広げられており、彼らもまた、嗅いだだけで口の中がよだれでいっぱいになる。
「こ、こんな豪華な食事……」
「この町は川魚が特産品で、こういう飯を出してる店がたくさんある。で、その中でもここは絶品だ。期待していいぞ」
フォークで一口分だけ口に運ぶ。
――瞬間、脳裏によぎる、様々な食材たちの香りと味。
ただし今舌の上にいる彼らは、アリシアの知るものよりも、格段に味を感じる。
アリシアも山で手に入るものでなら簡単な料理を作れるが、人に振る舞うものはまた少し違うのだと思い知らされた。
技術が違うのか、種類の差なのか。
今わかることは、この料理がとてもおいしいということだけだ。
感想を言うのももったいなく感じるほど、アリシアは次々に口に運ぶ。
「その顔を見るに相当うまかったんだな。紹介した甲斐がある」
「……あ、あの、これって、ここだと普通、なんですか?」
「話聞いてないのかよ。俺は絶品の店を紹介したって言っただろ。他の店はそうでもねえよ」
「いや、確かに。そうでした。おいしいお店なんですね。わかりました……」
「なんか頭バカになってねえか?」
「そうですね。今はこのヤマメのことしか考えられません……」
食べ終わったあとも、口に残った匂いのことしか考えられない。
しばらくうっとりと呆けていると、グレイが一枚の封筒を取り出した。
「この中に推薦状が入ってる。学校へ出さないといけない書類も合わせてだ。――おい、開けるなよ。お前は封蝋が何のためにしてあるのか、考えた方がいい」
大鷲の絵が刻印された封蝋をしげしげと眺めて、アリシアは封筒をカバンにしまう。
「グレイおじさんは一緒に来てくれないのですか?」
「俺は行けない。この後すぐに出発の予定だ。お前を待っていたせいで遅れ気味だからな。本業を蔑ろにするわけにもいかないだろう」
「そうですよね。ごめんなさい。ここまで準備してくださって、ありがとうございました」
「お礼は卒業で返してくれ。あと、ある程度の金も必要だろ。渡しておく」
グレイの取り出した握りこぶしほどの大きさの小袋には銀貨が詰められていた。
「え、でも、こんなにもらえませんよ」
「お前がラピスと作った回復薬で得た収益の一部だ。あそこに住んでいたら金が必要なかったから現物と交換していたが、その都度差額を計算してとっておいたんだよ。つまり、これはお前の貯金だ」
「えっ、ちゃんとしてる……」
「徴税の怖さを知らないやつの顔だな。帳簿を改ざんするリスクはお前が考えているよりも大きいんだよ。――それじゃ、俺は先に出る。学校へは明日中には出しに行けよ。今日は休むなり町を見て回るなり、好きに過ごして良い。部屋はさっきのを一晩だけ借りてるから、明日の朝には荷物全部持って出て行けよ。忘れ物しないようにな」
グレイが椅子を引いて立ち上がる。
アリシアは咄嗟に手を掴んだ。
ここまで支えてくれたことや、手回しをしてくれたことなど、言いたいことがたくさんある。
しかし、今はまだ、それは早いと思った。
「本当に、本当にありがとうございます。私、絶対、学校で成功してみせます」
「おう。がんばれよ」
去りゆくグレイの背中を見つめながら、アリシアは自分の中に、不安と期待の入り混じった気持ちが満ちていくのを感じていた。
ちゃんと自分の足だけで立てるようになることが、彼への最大の恩返しだ。
だから、ちゃんとしたお礼はその時だ。
そう決めて、気合いを入れ直していたところで、ラピスが妙な反応をしていたことに気がつく。
「どうしたの? 床に何かあるの?」
アリシアの首元からするっと床へ降りたラピスは何か小さな虫の死骸を見つけたようだ。
ラピス――スライムはその特性として、生き物へ過敏な反応を示す。
目や鼻がない分、音や匂いだけでなく、振動も重要な情報として捉える。
だから、ラピスがそわそわしている時は、たいてい他の動物や魔物が傍にいる。
しかし、ここは森ではなく町だ。
それも、魔物を連れて歩くことが当たり前のテイマーの町。
ラピスが反応しているからといって、危険であるかどうかは別の問題だ。
ラピスが体内に取り込んだ虫の死骸は、さっき部屋で見つけたルミナイト・ピーパーと同じ個体だった。
「服についていたのかな……?」
まさか自分の後を追ってきたわけではあるまい。
そう思った矢先――突然、カウンターで食事をしていた男性が椅子ごとひっくり返り、大きな音を立てて倒れた。




