第六部六幕:女吸血鬼の訪問
僕はニセモノの大マヌケ。
古きイギリスの時代にいて、シャーロック・ホームズと名乗っている。
それでも、やらなきゃいけない意味がある。
ねえ、君。この時代の空気を嗅ぎ取っているかい?
【第六部六幕】
やあ、君。僕はホームズだ。そして、ホームズを愛するシャーロキアンの一人だ。
なのにーー
シャーロック・ホームズと名乗っている。
第五幕では、グレグソン警部補とレストレード刑事の権力闘争に巻き込まれることになった。
グレグソンは僕を探偵として利用したがる。
レストレードは僕をマスコットとして利用したがる。
僕らの活動。
やる事なす事、すべて裏目に出た。
情けない裏方扱い。
レストレード刑事の観察にしても、僕は特に得たものはなかった。確証がない。そう何度もハッタリを使いたくない。
僕は彼の事を知らないんだ。
虚実荘221Bの三階、この狭いが落ち着く居間。なのに僕の気分は落ち着けなかった。
レストレード刑事が部屋から去った後、僕はソファに横たわった。
「やれやれ。グレグソンに、レストレードの件を伝えるにしても、考えなきゃならないね」とワトソンに言っておいた。
“口にする前に考えろ”と、
僕から彼へのメッセージだ。
たぶん、伝わらない。
でもーー言わなきゃ気がすまない。
「依頼人が増えたね、ホームズ」
ワトソンは妙に穏やかに微笑んだ。
彼の脳内では、僕とはまったく違う整理のされ方をしている気配がした。
「依頼人はグレグソンとレストレードだ。
この二人のライバルを、僕はサポートしなきゃいけない。とんだダブルスタンダードだ。どっちにもいい顔をしなきゃいけないんだぜ」
溜息が、思ったより重く落ちた。
「どっと疲れたよーーでも、僕にはクスリやバイオリンすらない。
クスリはーーあっても、君は使わせてくれないだろうけどーー」
「クスリで気を紛らす?
やめてくれ!
おススメしない。あんなのに依存されて、君が壊れたらーー、絶対やめてくれ」
ワトソンは酒瓶を抱きしめるように持ちながら言った。依存してるのは、君の方だ。ワトソンの腕の中にいる酒瓶は意思を持ってるかのように、チャポンと音を鳴らしてきた。まるで笑っているみたいだ。
「君には酒。僕には、気を紛らわせるものがない。酒を飲むとしても、君は嫌がる。まるで毛布を取られたくない子どもだ。
まったくーーお手上げだよ」
僕は不満をこぼし続けた。
「メイベル・アダムズのやつ……僕らのことを初対面にでもベラベラ話す。
あれはどうにかしなきゃいけない。
絶対になんでもバラすぞ、あの口は。
グレグソンのミスだ。あれを寄越したのが間違いだった」
その時、またノックもなしにハウスメイドが入ってきた。
晩飯を運んできたらしい。
「ワトソンさん。お食事をお持ちしましたわ。」
彼女はーーいつものように僕を完全に無視して、皿を置いていく。
「アダムズさん。言いたくはないがね。
僕らのことを吹聴するのはやめてほしい。
この先、秘密にすべきことが増える。
君の大きな耳に入るのは止められないが……その恥知らずの口だけは閉じてくれれば、僕らはもう少しマシな関係になれる」
「おっしゃる意味がわかりませんわ。それでは、ワタシはこれで」
そう言って、彼女はスタスタと部屋から出ていった。
ワトソンは僕に小声で言った。
「アダムズ“夫人”というべきだったよ......」
僕は並べられた料理の量を見比べた。
見事に二分の一。
胸の奥で小さく何かが沈んだ。
食事のあと、僕は天井を眺めながら思考を整理した。
過去を呼び寄せずに、未来だけを考えようとした。
ワトソンは酒をチビチビ飲んでいる。
「僕はメイベル・アダムズのだらしない口の軽さをグレグソンに言うつもりさ」
自分でも呆れるほど愚痴っぽい声が出た。
「諦めなよ、ホームズ。ハウスメイドを替える権限はボクらにはないよ。
折れるしかないさ」とワトソンは顔を赤くさせていた。
ワトソンは顔を赤くしながら言った。
「それより……酒を頼もう。もう底が見えてきた」
彼は立ち上がり、暖炉近くの真鍮のベルコードを引いた。恐る恐るね。
「奈落の底から、悪魔を呼び出すごとくだな」と僕は茶々を入れた。
「誰のせいだと思ってるんだ」とワトソンは応えた。
「さて、今回は何分かかるかな」と言って、僕らは扉を眺めた。
扉の奥ーー階段の方から、ゆっくりと足音がした。
「早いな。僕が呼びつけた時と大違いだ」と僕は嘆いた。
「君が嫌がらせで何度も呼びつけるからさ」
「ーーささやかなもんさ」
すると、とんでもない事が起きた。
ーー扉の部屋が軽くノックされたんだ。いつもなら、ズカズカと入ってくるはずなのに。
僕らは呆然として、扉を眺めていた。
まるで吸血鬼が、僕らの血を吸うために扉の外で入室の許可でも待っているかのようだ。バカらしい話さ。
もう建物の中に侵入されているのにさ。
再び、扉がノックされた。
僕らはゆっくりと近づいた。
それから扉を押し開けた。
そこには、背の高い堂々とした雰囲気の女性が立っていた。
扉を開けた僕らを見て、怪訝そうな顔をした。
「あなた......シャーロキアンのホームズ?」と彼女は聞いた。
艶やかでウェーブがかったブルネットの髪を持ち、大きな瞳はヘーゼル色をして、神秘的だった。彫りの深い顔をして、すごく整っていた。少しだけ派手なドレスを身につけている。
その胸は豊かで、強調されていた。
ワトソンの方に視線を向けると彼は、ヒゲを震わせていた。
僕は彼女の目を見つめた。
茶色と緑色が混じり合った瞳は、それだけで催眠術にかけてくるように思えた。
「そうだ。僕はシャーロキアンのホームズ。そして、シャーロック・ホームズだ。君は?」
「私もシャーロキアンよ。アイリーン・アドラーを名乗ってるわ」と彼女は微笑んだ。
(こうして、第六幕は夜の訪問者によって幕を閉じる。)




