第1話「光と闇の間で」
◇午前の光
四月の初め。春の陽光が校庭の桜を淡く照らす。
姉の澪は教室の窓際に座り、柔らかい光を顔に受けながらノートにペンを走らせる。人間らしい温かさを持つ彼女は、昼の世界の住人だ。
一方、弟の朔は、窓の外ではなく自分の席の影に沈み、視線を遠くの廊下や体育館の陰に向ける。昼の光は彼の肌を避け、心はすでに夜の闇に引かれていた。
澪はふと、眉をひそめる。
「朔……また、昼の教室にいるのに、外を見てばかりね」
彼女の声は小さいが、優しさに溢れている。
朔は反応せず、ただゆっくりと眉を上げるだけだった。だがその瞳は、光ではなく影を見つめていた。
◇学園の日常
午前の授業が進む。
生徒たちは窓の外に舞う桜の花びらを楽しみ、友人同士で談笑する。澪はその光景の中で自然に笑いを見せ、周囲との距離も近い。しかし、朔は一歩引いた存在だ。クラスメイトの会話が耳に入るときも、感情の振幅は小さく、まるで別の世界を歩くかのように振る舞う。
昼休み、教室の片隅で澪は弟を見つめる。
「あなた……本当に普通の生徒としてやっていけるのかしら」
心配と愛情が混ざり、微かに胸が痛む。
朔は答えず、机の上の影に手を置き、掌の冷たさに気づく。血の香りが、遠くの空気に混じるかのように彼の感覚を刺激した。
◇血と光の葛藤
放課後、学園の影は長く伸び、教室は薄暗くなる。
朔はそっと窓際に立ち、校庭の影を眺める。心の奥底から、闇の呼び声が聞こえる。
「夜……夜が、俺を呼んでいる」
その声は低く、震えている。誰にも届かない囁き。
澪はすぐに近づき、そっと手を伸ばす。
「やめて、朔……ここにいて。私が……いるから」
姉の光のような存在が、彼の闇を一瞬押し留める。
しかし、夜の誘惑は強い。窓の外の暗がり、校庭の陰影、遠くの木々のざわめき――すべてが朔の血を呼び覚ます。心の中で人間としての自分と吸血鬼としての本能がぶつかり合い、葛藤が生まれる。
◇夜への引力
夜の学園は静まり返る。廊下には人影はなく、足音だけが床に響く。
朔は無意識のうちに廊下の奥へ歩を進める。心の奥では、血の渇きと闇の呼び声が絡み合い、理性を揺さぶる。
澪はすぐに後ろから追う。
「朔! どこへ行くの!」
声は空気に吸い込まれ、答えは返ってこない。闇に覆われた学園は、二人の存在を小さく、孤独に浮かび上がらせる。
廊下の窓ガラスに、誰もいないはずの影が揺れる。
朔の背後、澪の後ろ……何かが確かに潜む気配。
「……何?」
二人は息を呑み、振り返るが、そこにはただの影しかなかった。それでも、胸の奥に緊張が走る。夜の学園には、未知の存在が潜んでいる――そんな予感が二人を包んだ。
◇姉弟の距離感
教室へ戻った二人は、互いに距離を取りながらも、存在を確かめ合う。
「ごめんね、澪……」
朔の声は小さく、心の奥に後悔が滲む。
「いいの。でも、私はあなたを見捨てない」
澪の瞳には揺るぎない光が宿り、闇に引かれる弟を包み込む。
二人は窓際に座り、外の夜空を見上げる。光と闇、血と命、姉弟の絆――複雑な感情が静かに流れる。
夜の学園は恐ろしいが、姉の光がかすかな希望を灯す。
朔の瞳から闇は少しずつ引かれたが、完全には消えない。
「また……夜が来る」
「ええ、でも、私があなたと一緒にいる」
澪の微笑みに、夜の冷たさは少しだけ和らいだ。
◇夜の余韻
学園の影はまだ揺れている。
だが、今日の夜は、姉弟の絆がかすかな光を灯した。
光と闇の狭間で、血と命、姉弟の運命の物語は、静かに幕を開けた。
――光と闇の間で、二人の夜は始まる。