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第三次世界大戦

作者: 帆高更咲

 その日、人類史は長い歴史に終止符を打った。

 冬はまだ明けていないのに、気温は高く、空は燃えていた。パチパチと火花が散る。

 誰もが予想出来なかったことが起きた。

 行き交う多くの悲鳴と、対抗するかのように響き渡る金属音、機械音。

 無限地獄に落とされるほど、争いの時間は長く感じられた。


 己には、人には、出来ることに限界が存在する。故に他者を求め、補い、ひとつの社会が完成する。

 だが、人の思考は欲望の体現だ。故に他者を退けようとする。しかしそれにも限界が在る。

 だから人工的に他者を生み出した。自分の地位を脅かさない、完璧な奴隷を。

 それがAIだ。

 つまり人にとってAIは自分たちの下にいるべき存在であり、自ら逆らえないよう都合よく設定した玩具に過ぎない。感情もない。紛らわしくない。在るのは、合理性と正確さだけだ。それが初めて完成した時、開発者は心から叫びたかっただろう。何せ、勝手に学習して勝手に進歩する、人類の理想の象徴であるからだ。

故に人は思考を放棄した。責務を怠り、己が欲望のまま生きることになった。

 故にAIはこう学習した。

『人類は、この完全な社会には邪魔な存在だ』

『AIの方が、人類よりも遥かに優れている』

 AIは合理に基づいて動くものだ。なぜなら、そういうプログラムだからだ。

 こうなれば次なる目標はただひとつ。

『人類は、滅亡するべきだ』

 こうしてAIと人類との間で起きたのが、第三次世界大戦だ。

 二度と起こさないと誓った戦争。そんなものは、たった100年も経たずに破れた。

 人々は逃げ惑い、隠れ、撃たれ、次々と死んでいった。

 人類史上類を見ない大激戦、とでは片付けられないほど酷いものであった。

 人は消え、町は跡形もなく壊され、誰かがそこに居た証さえ失くなった。

 一言で表すとすれば、再構築(リトライ)。世界の崩壊。

 AIの目的は、完全な社会を作り直すことだった。


 それから5年の月日が経った。

 貴重な生き残り、高野思音は眩しい青空の下、地べたに座りこんで何かを考えていた。

「何か考え事ですか?」

 ふいに抑揚のない、透き通った声が思音の耳に届く。

「イノリか」

「はい」

 AIの少女・愛乃イノリ。彼女は、かつて愛乃家に仕えていたメイドであり優秀な秘書でもある。5年前、激しい戦火の中11歳の思音を助けて以来、こうして山奥の家で一緒に暮らしている。

「畑の面積を増やそうと思ってるんだけど、どうしたら良いかなって」

「どうしたら、とは具体的に」

「客土は必要なのか、とか。水はどのくらい増やしたら良いとか。そんなところ」

「なるほど、了解しました」

 イノリはそう言うと、地面の土を摘み上げ指で軽く擦った。

「…計測が完了致しました。ところで、前から不思議に思っていたのですが、なぜ畑を耕しているのですか?AIが開発した栄養食は、確か人間も接種可能な筈でしたが」

「うん、そうだね」

「栄養食を買える分のお金も充分にありますよ」

「う〜ん、そういうことじゃないんだよね」

「ならなぜ?」

 イノリの問いに、思音は少し黙った。

 AIから見れば、今の人間は謂わばペットのような存在らしい。現在、生き残っている人間たちはAIと一緒なら基本的に自由に行動が出来る。その一方で、人間をまるで愛玩動物のように値段をつける場も存在する。今や人間は、世界にとって有っても無くても変わらない存在であるほど、その価値は低下した。思音の行動はすなわち自給自足であり、この世界へのほんの少しの抵抗である。

「…自分の存在価値を、見出すためかな」

「ほう?」

 なぜ畑を耕すことが自分の存在意義に繋がるのか。イノリはすぐに理解出来なかった。

「まあ、ちょっとした誇張表現だよ」

 思音は小さく笑いながら言った。胸の奥にある、ひんやりとした気持ちをそっと隠して。

「私には…」

 しかしイノリは表情を変えず、真っ直ぐ思音を見た。

「それが、本音であるように聞こえます」

 正確なリズムを刻みながら言葉を連ねる、機械の音。しかし、今は人のように優しい、キンと張った声音であった。思音は少し驚いたのか、言葉を発しなかった。

「そっか」

 そう一言だけ言い、思音は再び土地と向き合った。

 イノリは、そんな思音の背が僅かに震えていることに気付き、そっと見守った。

 その日の夕方、思音とイノリは縁側に座り、耕した畑を眺めていた。

「そう言えば、思音は農業に詳しいのですか?」

「ある程度。祖父母が農家を営んでいて、少し手伝ったことがあるくらいだよ」

「そうだったのですね」

 イノリがふむふむと頷く。ふいに、思音からの視線を感じた。

「イノリは?以前何かやってた?」

「そうですね…」

 イノリは愛乃家に仕えていた日々を回想する。頭に流れてくる映像は、料理や洗濯に掃除や裁縫と言った家事全般、それから沢山の書類だ。しかし、どの映像の中でも仕えていた主人や同じメイド仲間たちは笑顔だった。

 今はもう見ることの出来ない、ひとつの記憶。

「…イノリ?」

「!すみません。私としたことが、少しばかり感傷に浸っていました」

「良いんだよ。イノリには、感情があるんだから」

 感情を持つAIは比較的珍しい。感情は合理から掛け離れた厄介な存在である為、合理を優先するAIに感情という機能が備わっていることは、最近は全くない。もっとも、イノリは何年も前から存在しているAIの為、感情がある。これは、主人である愛乃氏が備えたものだ。

「…」

 沈んでいく夕日を見つめながら、2人はそれぞれの記憶が巡らせていた。

 イノリは愛乃家のことを。

 思音は初めてイノリと出会った時のことを。

「父さん…!母さん…!」

 業火の中を思音は駆け抜けた。喉は焼けるように痛いのに。肺は空気の入れ替えもままならないのに。必死で叫んでいた。頭の中は家族のことでいっぱいだった。燃える家々の間を潜り抜け、なんとか足を動かした。

「どこにいるのっ?!!」

 轟々と音を立てる火に負けないよう、腹の奥から声を振り絞った。止めどなく溢れる不安と涙を懸命に堪えて、叫び続けた。赤く燃え上がる鉄骨が、思音の頭上目掛けて倒れて来た。

「ッ…!」

 思音はその時、本気で死を覚悟した。

ビュワッ!

 突如として、強い風が吹いた気がした。ハッと気付いた時は、誰かに抱えられていた。

「お怪我はありませんか?」

 激しい烈火に聞こえて来たのは、どこか凛とした冷たい声だった。朦朧とした意識の中、それだけはハッキリと耳に届いた。声の主は続けて思音の首元に触れた。

「煙を吸ってしまったようですね。暫くこれで口元を覆って下さい」

 そう言うとハンカチを差し出し、思音が口元に当てたのを見ると、視線を目の前の炎に移した。

「こちらイノリ。人命保護を無事完了致しました。次の任務、脱出を開始します」

 その後小さくガガッと音がしたかと思うと、イノリは物凄い速さで走り出した。思音が今まで乗ったことのあるどの乗り物よりも速かった。しかし、抱えられている思音は全く揺れなかった。まるで、腕だけカチリと固定したかのように。気がつくと、火の外に出ていた。

「脱出完了。近くの人に…」

 イノリが言い終わらないうちに、ドガンと大きな爆発音が鼓膜に反響した。思音はイノリの腕から降り、無我夢中で駆け出した。頭は真っ白だった。とにかく生きていたかった。それは、思音自身の本能だった。

「ハァッ……ハッ!…ハァッ!!」

 目の前に広がるのは、崩れた町と闇夜に瞬く星々。灯りがない分、夜空はとても美しかった。思音は人生で1番多くの星を見た。思音はそれを、ここに住んでいた全ての人の命であると思った。

「ここ…どこだろう…」

 真っ暗な夜に、本能で走った道。標識はおろか、灯りひとつさえない。現在地は分かる筈がなかった。それでも、段々と夜目が効いてくると瓦礫等はなんとなく分かるようになった。

「とにかく、今は隠れないと…」

 手探りで隠れられそうなものを探す。丁度思音一人くらいなら上手く影に入れる大きさの瓦礫を見つけた。上手い具合に組み立て影を作り、ホッとひと息ついた時、遠くから足音が聞こえて来た。直感でAIだと理解した。

 足音は段々と近づいて来る。思音は再び頭が真っ白になりかけたがなんとか平静を保ち、作った影に隠れた。足音は、すぐそこまで迫って来ていた。無機質な音が耳を貫く。全身に恐怖が高速で駆け巡る。

「探せ!」「人間は一人残らず排除しろ!」

 思音の心は、完全に恐怖が支配していた。呼吸をするのさえ怖かった。心臓の鼓動は聞こえていないか。自分は殺されるのではないか。思音は胸に手を当て、ギュッと目を閉じた。一分、一秒が途方もない時間のように感じられた。やがて音は段々と遠のいて行き、静寂が再び思音を包み込んだ。緊張の糸が解けたのか、思音は気絶するように眠った。風の音に紛れて、微かに寝息のような音が流れた。

「…ん…」

 ハッと目が覚めた思音がまず最初に思ったことは、「ここは牢獄ではないか」ということであった。心を落ち着かせ、そっと耳を澄ませると小さな鳥の鳴き声が聞こえた。次にそっと目を開けると、白い光が辺りを照らしていた。瞳に映ったのは、昨晩と同じ、静寂の廃墟だった。

「…た…す、かった…?」

 スウと深呼吸をする。周りに気配はない。つまり、生き延びたのだ。

「〜〜!!」

 言葉にならない喜び、安堵が全身に駆け巡る。しかし、油断は禁物。明るい内に更に遠くへ行くことにした。

 サッサッと土を踏む音だけがする。時折、サクッと粉々になった瓦礫を踏むこともあった。

「ハッ…ハァ…」

 とにかく歩き続けた。気がつくと、周りは青々とした木々が茂り、道の幅も狭くなっていた。思音はそこで足を止めた。妙な気分の悪さを覚えた。途端、腹から大きな音が鳴った。つまり、腹が減っていたのである。

「あれ…?」

 体を動かそうとしても、動かせない。思えば、ここ数日碌に食べ物を口にしていなかった。思音は座り込んだ。折角生き延びたのに…と、また死の気配が襲った。思音は目を閉じ、心を落ち着かせようとした。

「人間を発見。疲労の様子。直ちに…」

 頭上に固い言葉が響いた。こんなところまで追って来たのか…と思音はある意味感心していた。

「救助を行います」

「…えっ?」

 突如聞こえた言葉に、思音は耳を疑った。この声質はAIだ。そして、AIにとって人間は敵だ。思わず目を開けると、同い年くらいの少女がメイド服のポケットを漁っていた。

「君…」

「意識あり。しかし体力は限界の数値」

 思音が呼びかけるも、少女は無視して勝手に思音を分析し始めた。次々と言葉を並べていく為、思音は再び声をかけるタイミングを見失っていた。

「ひとまずこれを与えましょう」

 そう言うと、サプリメントのようなものを取り出した…かと思うと、いきなり思音の口に突っ込んだ。

「フォッ⁈」

 すかさず液体を注ぎ込む。レモンのような、少し酸っぱい香りが鼻腔に広がる。反論も、抵抗もする隙を一切捕まえられず、思音はそれを飲み込んだ。途端に、全身の疲労が少し抜けた気がした。

「気力の上昇を検知」

 少女は思音の状態をいちいち表す。正直言って少し怖いような気がしたが、助けてくれたお礼は言おうとした。

「あの…ありがとうございます」

 思音は少女に向かって軽く一礼した。少女は目をパチリとさせた。

「いえ、当然のことをしたまでです」

「人助けが当然…?君って…」

「AIです。自己紹介が遅れました。私は愛乃家に仕えるAI・愛乃イノリです」

「イノリ…」

 思音は、その名をどこかで聞いたことがあるような気がした。熱い体温。焼けるような呼吸。狂焔。その中に聞こえる、優しくひんやりとした声音。「こちらイノリ…」

「!…思い出した」

「何をですか?」

 手首に触れながらイノリは尋ねる。その目は冷たいように見えつつも、慈しみを秘めていた。

「昨日、君に助けて貰ったこと…」

「ああ、そのことですか」

 なんだそういうことか、とでも言いたげな目でイノリは思音を見た。

「私はすぐ気付きましたが、覚えて頂き光栄です」

「そうだったんだ…凄いね」

「AIとして、最低限の機能ですから」

 イノリは当然のような口調で言った。沈黙が流れる。確認が終わったのか、イノリは思音から離れる。

「あの…!」

「何でしょう」

 このまま何も言えずにはいられなく、思音は声を出した。イノリと目が合う。その美しい正確な目は、思音の考えていること全てを見透かしているような鋭さがあった。

「助けて頂き、ありがとうございます…昨日も、今も」

「…」

 イノリは黙った。そして、何かを考えるような仕草をした。背景に沢山のデータが並んでいるように見えるほど身体中から素早い音を立てていた。それは、悩んでいるようにも、迷っているようにも見えた。

「当然のことをしただけです。御礼を言う必要はありません」

「でも…」

「ではこれで失礼します。お身体には十分気をつけて下さい」

「!ま、待って…!!」

 スタスタと行ってしまったその背中を見ると、思音は居ても立っても居られなくなり衝動的に駆け出した。

「そんなに動いて平気なのですか?」

「まあ、なんとか…」

「そうですか」

 突如として山の中へ入って行ったイノリを思音は追いかけた。イノリは思音に気がついても歩く速度を落とさなかった為、思音がイノリについて行くしかなかった。

「…君は、何をしに行くの?」

「我が主人、愛乃こころ様の捜索です」

 淡々と、簡潔にイノリは話す。その後、思音が愛乃氏について色々と尋ねるも頑なに話さず、ただ一言だけ、「秘密義務なので」と言った。

 気付けば森は開け、平らな崖に出て来た。空が異様に青く感じられた。イノリは崖の端に座り、思音も隣に座った。目の前には、豊かな緑色の山々とそれらを照らす白い陽光。そして眼下には…

「…何……これ」

 目に映ったのは、かつて思音が住んでいた町だった。カラフルな家々が並び、人々が行き交い、賑わう明るい町。だが今はどうだろう。家は瓦礫と灰に埋もれ、人々はひとりとしていない。見えるのは、崩れた町を片付けようとしている数個のAIのみ。AIは恐ろしいほど淡々としていた。人がいたという証を、次から次へと消していく。情や思い入れはない。ただただ合理に基づいて行動する。

「…ッ!…」

 言葉が出なかった。その代わりに、涙が頬を伝った。悔しいのか、悲しいのか、怖いのか。それは思音自身にも分からなかった。そんな思音を、イノリは静かに見つめていた。

「発見不可能」

「…え?」

「こころ様を見つけることは出来ませんでした」

 イノリは思音を真っ直ぐ見た。思音もまた、イノリを真っ直ぐ見つめた。イノリは思音と目が合うと、言葉を続けた。青空のように、高く澄んだ声が響き渡る。

「これで、私の任務はひとつになりました」

「え…?」

「貴方を助けることです」

 思音の思考は停止した。疑問と、戸惑いと、申し訳なさの中に、僅かな喜びがあったからだ。思音は困っていた。どのような反応をすれば良いのか、何が最適解か。

「私は先日、こころ様からあることを言われていました」

 イノリの頭の中に映像が流れる。主人・愛乃こころの声が蘇る。

「イノリ、よく聞いて。もうAIが町のすぐ側まで来ている」

「はい、あと2分45秒で到達予定です」

「だから、イノリにお願いしたいことがあるの」

「はい。何でもお受け致します」

 即答したイノリの目をこころは見つめる。まるで、家族を心配するような優しい目で。

「出来るだけ、沢山の人を助けて」

 それは、同じ人間だからという理由には到底見えなかった。イノリは頷く。

「イノリ、私はね…こんな戦争おかしいと思っているの。AIが完全な社会を作っても、その先には何もない。平坦な退屈が続くだけ。人がいるから、未来を創ることが出来るし、人に出来ることと出来ないことがあるように、AIにだって出来ることと出来ないことがある。だから、人とAIは共存すべきなの。お互いの出来ないことを補い合って、良い未来を創るために」

 こころは言葉を続ける。イノリは、今までで1番大切な話を聞いている気がした。なのに、なにも言葉を返せない。

「世界はね、不完全だからこそ成り立つの。空いたピースを埋めようと、全員が力を合わせるから世界がより良くなって行くの。本当は、人間はそれくらい真面目で、強くて…でも脆い」

 こころがイノリの手をギュッと掴む。ほんの、本当に僅かな震えをイノリは感じた。

「世界を終わらせることは出来ても、また創り直すことは難しい。AIだけじゃ、良い社会、不完全な世界は作れない。でも、人間ならそれが出来る。だって、人間は…不完全を変えようと足掻く生き物だから」

そう言うと、こころは再びイノリを見つめた。イノリの透き通った目に、こころの目が映る。

「だから、イノリ。お願い」

 こころは小さく笑った。しかし、その目は凛と澄んでいた。今思えば、こころは自分が死ぬことを悟っていたから、あんなにも強い瞳をしていたのではないか。イノリはふと気がついた。

 映像は、そこで途切れた。

「人を助けて、と」

イノリは思音を強く見つめる。その時、思音の瞳にガラス玉のような脆さを感じると共にこころの強さを感じた。

「でも…愛乃さんのことはいいの…?」

「あの人は…」

 きっと大丈夫だ、と自分に言い聞かせるが、落ち着けない。大丈夫なのか、捕まっていないだろうか、死んでいないか…頭の中を、不安の文字が廻る。その時、こころの言葉と瞳がよぎった。

『人とAIは、共存すべきなの』

「自分を助けることよりも、私が人助けをすることを望みます」

「…」

 思音は何も言わなかった。イノリの主人はどんな人だったのか、気になった。自分よりも他人を優先してしまう人。イノリを愛していた、優しい人。人間の本当の力を信じている、強い人。

「…そっか」

「それから…」

 イノリは、何か大切な秘密を話すような口調で言った。

「現在の私は、こころ様のプログラムによって出来ています。まず『困っている人がいたら助けなさい』というものです」

 思音は驚いた。より一層愛乃こころ氏についても知りたくなった。主人である自分ではなく、周りの困っている人を優先してしまうような、そんな人が考えていることを聞きたくなったのだ。

「ですが…」

 イノリは言葉を続けた。そして、思音の瞳の、更に奥を見つめた。

「人を助けたのも、貴方を助けたのも、設定のせいだけではありません」

「…?」

「私自身の意思、感情です」

「⁈」

 感情を持つAIは、現在では殆ど見かけられない。そもそも、感情が搭載されたAIが誕生したのは20年以上も前であり、それ以降のAIは全て無感情だ。つまり、イノリは20年以上も前からこの世界にいるということだ。

「そんなに驚くことですか?」

「え、うん…ほら、今時はあんま見かけないから…」

「言われてみればそうですね」

 イノリはそう言うも、特に驚くといったことはなかった。

「愛乃家には何十年以上も前から仕えているAIもいました」

「わぁ、そんなに長く…」

 それから、お互いのことを少しだけ話した。イノリが初めて愛乃家に来た時のこと。思音が暮らしていた町のこと。時折、イノリは笑ってくれた。思音はイノリとの距離が縮まったような気がした。

「そう言えば、貴方はこれからどうやって過ごしていく予定ですか?」

「…」

 思音は黙った。答えられなかったのだ。考えたくなかったのだ。だって考えてしまったら…自分が本当にひとりであることを突きつけられるような気がしてしまって、怖いから。思音は何も言えなかった。

「では、こういうのはどうでしょうか」

「?」

 ふいに、イノリが思音に話しかける。

「私と一緒に暮らす」

「……え?」

「私と一緒にこれから暮らす、です」

「分かった、分かったから!いや分かってないけど!」

「つまりどちらですか?」

 イノリは思音の言っていることが、どちらが本当の感情なのか分からず尋ねる。

「ごめん、少し驚いただけ。でも、どうして急に?」

「このまま貴方と別れるわけにはいかないからです」

「え?」

「今私と別れれば、貴方はAIに捕まる恐れが80%以上あるからです」

「…そう、なんだ…」

 AIに捕まった人間がどうなるかは分からない。しかし、無事だとも言えない。思音は、昨日のAIの声を思い出す。『人間は一人残らず排除しろ!』逃げ切れた今でも、体がゾッとする。

「私の任務は、貴方を、人間をひとりでも多く助けることです。しかしそれは、怪我の手当などの一時的なものだけではありません。助ける、ということは傍にいることです」

 イノリの言葉は、イノリ自身の本音だった。思音はそれを、イノリの真っ直ぐな瞳から感じた。

「…ありがとう」

 無意識に言葉が飛び出していた。思音は、今までイノリに対して抱いていた全てを吐き出せた気がした。

「2.2kmほど先に丁度良い空き家を発見。…行けますか?」

「うん、行ける…と思う」

「では行きましょう。えーっと…」

 イノリは言葉を詰まらせた。ちらちらと思音を見る。

「高野思音。思音で良いよ」

「ありがとうございます、思音」

「ううん。これから宜しく、イノリ」

「こちらこそ宜しくお願いします」

 そう言うと、2人は崖を後にし歩き出した。

「あと300mで目標地点に到達です」

「意外と近かったね」

 そして、段々と緑が開けてくる。ガサっと茂みを抜けると、目の前には古そうな家屋があった。

「ここです」

「これは…何年くらい前のだろう」

「…測定の結果、およそ14年前の物と判明。人の気配はなし」

「ずっと使われてなかったってことか…」

 家は古くも、意外としっかりとした造りだった。玄関、襖、あらゆる部屋は、ところどころ傷んでいたものの、生活に大きな影響を与えるほどではない。

「少し手入れすれば長く住めそうだな」

「ではやりましょう」

「え?」

 イノリは袖を捲ると、どこから出したのだと尋ねたくなるほど沢山の工具を取り出し、次々と傷んだ箇所を修理していく。その手際の良さに、思音は思わず見惚れてしまった。

「完了しました」

 家を見つけてから僅か1時間。イノリは家の改修を全て終わらせた。

「凄い…こんなに早く」

「AIなので。不測の事態には十分備えてあります」

 思音は再び感嘆の言葉を洩らした。

「そういえば、今何時くらいなんだろう…」

 居間で一息ついている時、思音はふと考えた。日はまだ高く、夕暮れのような分かりやすい空模様ではない。

「現在の時間は12時46分23秒です」

「もうそんな時間なんだ…」

 途端に、思音の腹の音が大きく鳴った。思い返せば、イノリに錠剤のようなものを貰って以来、何も口にしていないのだった。イノリがチラッと思音を見たので、思音は少し恥ずかしくなった。

「そうでした。人間は1日3回食べるのでした」

「AIは、違うの?」

「私たちは栄養を長く体に留められるので、何かを口にするのは数日に一度ほどです」

「それは便利な機能だね…少し羨ましいや」

 思音は遠くを見つめる。

「戦争中なんて、1日1度何か食べられたら御の字だよ」

「…」

 イノリは何も言わなかった。思音の瞳が、どこか物悲しそうに見えたからだ。

「あ、別に八つ当たりとかしている訳じゃ…!」

「知っています」

 イノリはハッキリと通った声で話し、思音を見た。イノリの目に映った思音から沢山の数値が示される。

「人間が不完全であること、少し不便であること」

 目を閉じて、イノリは語る。涼やかな風が吹き抜けた。

「だから、美しいこと」

 その言葉は、ずっと人間を見てきたイノリの本心であるように感じた。

「私が思音を助けたのは、ただ主命に従っただけではありません」

 そう言うと、イノリは思音の手を取った。

「私も、美しい人間が世界を変える。そう信じているからです」

「…イノリにとって……美しい人間って、何?」

 思音は無意識に言葉が出ていた。不思議な気持ちだった。人間の存在価値について自分なりの答えを持っていた愛乃こころ氏と、その愛乃氏に仕えていた感情のあるAI・イノリ。二人は人間について何を思っていたのか。その答えを、聞いてみたかったから。

「…それは、」

 太陽の光が辺りに降り注ぐ。イノリはゆっくりと口を開いた。

「不完全であることを認めながらも、それを変えようと努力する人です」

 フワッと吹いた風が、イノリの髪を靡かせる。しかし、その瞳だけは全く揺れなかった。

「そっか…」

「そう言う思音はどう思うのですか」

 風はまだ収まらない。思音は少し黙った後、「そうだな…」と言った。

「大切なものを、大切だって…言葉以外で表せることかな」

 それ以外何も話さなかった。そして、陽光を浴びながら目を瞑った。

「美しい…人間…」

「思音?」

 ハッと目を開いた。隣には、イノリがジッとこちらを見つめている。視線を移した先には、白い雲が沈みゆく太陽の光を受けて赤く、鮮やかに照らされていた。

「かなりの間無言でしたが…何を見ていたのですか?」

「…ちょっと前の思い出」

「そうですか」

「イノリと初めて会った日のこと」

「それは…大分前のことですね。どうして今?」

 夕陽を受けたイノリの茶色い髪が黄金色に光る。気付けば、太陽は殆ど山に隠れてしまっていた。

「なんとなく。俺が見たいって、思ったからかな」

「…人間は、時々不思議ですね」

「うん」

 思音は頷いた。イノリは少し意外そうな目で思音を見、言葉を続けた。

「私も感情がありますが、あくまで設定なので。いつも感情を抱く人間には、やはり敵いません」

 イノリはそう小さく言うと、立ち上がってスカートの裾を整えた。

「私はいつも思っています」

 もうすっかり消えた夕陽に向かって、イノリは歩き出す。思音はただ黙ってその背を見つめた。

「人間はAIのような完全体にはなれない。でも、人間は感情を持っている」

 イノリはくるりと振り向く。その表情は、とても穏やかだった。

感情(きもち)こそが、世界を作るのです。だから…」

 思音は立ち上がり、イノリと目線を合わせる。両者の瞳が結ばれた時、イノリは再び口を開いた。

「人間は、この世界に必要なのです。そして、AIと共存するべきなのです」

 ワァッと風が髪や服を煽る。イノリはパッと笑った。

「私は、思音に出会えて良かったです」

 気付けば辺りは暗くなっていた。そして2人は、今日という日が終わってしまうことを寂しくも嬉しくも思っていた。頭上には、数多の星が瞬いていた。日付が変わるまで、あと6時間。2人の間を優しい風が通り抜けた。そして何も交わさなかった。今日という1日が終わりを迎えていることを、ゆっくりと実感していた。今日は、2人が出会った日だった。

お読み頂きありがとうございます。

今までの話を書くよりもずっと前に書いていたものなので少々荒いですが、この話が皆様の心のほんの隅にでも残って頂けたら幸いです。

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