逃避行②
まだ日も上がりきっていない薄暗い部屋の中で長林はむくりと起き上がり大きな欠伸を一つした後、鶴望兰を一瞥する。疲れからきたのか目の下には薄っすらと隈があり、呼吸するたびに顔にかかった癖のある髪の毛が揺れる。
顔から髪の毛を指でそっと退けてやりながら長林は鶴望兰を軽く揺する。
「姑娘、起きて、そろそろ出発しなければね」
顔がくしゃりと顰められたかと思うとゆっくりと目を開け起き上がる。まだ眠そうに目を擦る鶴望兰はぼんやりとした声で小さく挨拶をする。それに返事をしつつ、長林は鶴望兰の寝癖を軽く整えてやると自分も三つ編みを手慣れた様子で編み始めた。
支度を終えた2人は物音を立てないようにそっと階段を降りると既に女将が起きて掃除を始めていた。
「あらぁお二人はん朝早いねんな。かんにんえ、まだ朝ごはんの用意できてへんのやで」
「いえ、大丈夫です。道の途中で何か買っていきますから。こちらお代です、突然のことだったのに妹共々泊めていただきありがとうございます」
「ああもうお代はいらへんって言うたやん。そら妹はんに美味しいものでも買うときに使うたらええのに」
「いえいえ、私の気持ちですから受け取ってください」
「まあ頑固な、受け取るさかい少し待っとき」
女将は呆れたようにため息をつくと一度奥へ引っ込み、小さな包みを持って再び現れた。
「これ持っていったらええ、昨日の残り物で申し訳あらへんけどちゃんと美味しいさかい」
包みを渡された鶴望兰は戸惑ったように長林を見上げる。長林は笑って肩をすくめ女将にお礼を言った。それに倣って鶴望兰も女将に頭を下げる。
「ええのええの、気にせんと。あんたらの旅無事に終わるように願うてるわな」
女将は軽く手を振って2人を見送った。
宿から出てのどかで人とまばらにすれ違う街道を歩く。時々言葉を交わしたり飲み物を飲む為休憩を取ったりしつつ2人は進み続ける。
「鶴望兰、足は大丈夫かい。靴擦れとか」
「問題ありません」
鶴望兰はゆっくりと首を振る。
この旅が始まってから長林は鶴望兰を名前で呼ぶようになった。呼び方が変わっただけの些細な違いではあるがどうにも慣れないのか、名前を呼ぶたびに鶴望兰は反応するのが少し遅い。
「この先少しずつすれ違う人も多くなる、だからその...足首に布を巻いておいて方がいい。もし見られてしまったらすぐにバレてしまうからね」
「...あ、足首の刺青のことですね」
「うん。結構特徴的だし、そろそろ手配書も用意されるかも知れない」
長林の言葉に頷いた鶴望兰は差し出された包帯を足首をぐるりと囲むように彫り込まれた、足かせのようにも見えるその刺青を隠すように巻き始めた。
「へぇ、巻くのなかなかに上手だね。救護隊じゃなかったと思うんだけど」
「多少の傷は自分で手当出来るようにならねばいけませんでしたから」
「どうして?救護隊に見てもらえるだろう?」
長林が首を傾げると鶴望兰はかすかに口の端を上げて微笑んだ。
「長林、自分は天与礼者です。もっと言えば、半鬼ですよ。人間であれば高待遇を受けれたのでしょうが…ちょっとやそっとの傷では治療を受けることは出来ません。それこそ、自分の目をえぐり出すだとかしなければの話ですが」
「…なんとも反応しづらいな。それは」
長林は本当に反応に困り笑っているような、悲しんでいるような微妙な顔になる。それに相槌を打つかのように鶴望兰は少し頷く。
「自分も困りました。目を抉り出せばもう礼物が使えなくなるかと思ったのに救護隊所属の礼者に一片の瑕疵もなく治されるとは思っていませんでした。いくら期待通りではなかったとはいえ、あの人を責めるべきではなかったですね…あの人も命じられただけなのですから」




