輪っか
街に並ぶ木々は秋の趣を呈しているのに、夏の暑さはまだ未練たらしく肌にまとわりつく。その暑さにげんなりとしながら首筋を伝う汗を掌で拭い、楊の工房の戸を叩くと中から楊が首を傾げながら出てきた。
「あらどうしたの長林。あんたがこっち来るなんて珍しいじゃない」
「え?おばさんが呼んだんじゃなかったの?だって姑娘が…しまった」
すうっと背筋が凍りつき、長林は脇目も振らず自宅に向かって走り出した。
息を切らしながら玄関に上がると、細かい針を刺されているような嫌な静けさの中でぎっぎっと気が軋む音が聞こえた。青い顔でヒュッと喉を鳴らした長林は棚にしまったていた軍事用ナイフを手に取り鶴望兰の寝室へ駆け込む。
そこには予想通り、今にも鶴望兰が天井から吊り下げた紐に首を通さんとしていた。それを見た長林は迷うことなくナイフで紐を断ち切った。
呆然と切られた紐を見る鶴望兰の肩を強く掴むと長林は初めて鶴望兰に対して声を荒げた。
「っなんでまたこんなことをした鶴望兰!?」
「長林、ご存知でしょう?自分の存在は長林にとって邪魔であると。なのになぜ自分にそうも優しくするのです?天与礼者は道具であるならば感情を無視して道具として扱えばよろしいでしょう?どうしてわざわざ人として生きれる希望を見せるのですか?こんなの、あんまりではありませんか…!はっきり仰ってください、長林。自分には、H862には人殺しの道具と慰み者としての価値しかないのだと!」
ダンっと背後に敷かれたままの乱れた布団の上に組み敷かれた鶴望兰は、垂れた長い黒髪に縁取られた青筋の浮かんだ額に皺を寄せて自分を睨みつける長林に顔を強張らせる。
「俺がいつそんなことを言った?君がその程度の価値だといつ言った!?物として扱えだって?ならばお望みどおりにしようか!?」
叫んだ後、息が切れて荒く呼吸を繰り返す長林は鶴望兰の怯えた目を見て我に返ると素早く鶴望兰から離れた。
「っ…済まない、頭を冷やしてくる」
床に落としたナイフを拾い上げ、足早に部屋から出ていってしまった長林はふとゴミ箱の手紙のことを思い出し、震える手でそっと拾い上げる。
『軍令
5番隊 伍長。劉 長林に告ぐ。 10番隊所属、第一級天与礼者H862を◯月◯日までに軍へ速やかに引き渡すように。
第一級天与礼者を匿うことは軍法12条に反しており、この軍令を無視した場合は貴様も処分対象になるため、必ず従え。
天与礼者管理部 第一人者。 孫 盟雲』
きっと鶴望兰はこれを読んでしまったのだろう。長林は普段より重く感じる頭がめまいでクラクラするのを掌に爪を立てて堪えながら家から出て扉に寄りかかる。
30分ほどした後、控えめにノックがされたのに気付いた鶴望兰はドアを開けると長林は二歩引いたところに立って目を伏せていた。
「先程は本当に済まない、許されないことだってことはわかってる。姑娘にとって一番してはいけないことをしてしまったし、」
そう言いかけたところで鶴望兰は長林の手を取った。驚いて手をひこうとした長林は鶴望兰の泣きそうな顔を見て手の力をそっと抜いた。




