自己紹介
「これから2ヶ月半の間は寮ではなく、自身の家に戻ることを許す。彼女に関するすべての責任と権利を君に一任する」
言い終わるやいなや、王は劉とH862を部屋から追い出し、ぱたんとドアを閉じてしまう。
閉ざされたドアに対して抗議することも出来なかった劉は仕方なく俯いているH862の手の拘束を解きつつ自己紹介を始めた。
「えーっと、まずは自己紹介をしようか。私は劉長林。よかったら姑娘の名前も教えてくれるかな」
「…それは、ご命令でしょうか」
「あ、いやいや、そんなんじゃなくてね…ほら解けたよ。これから一緒に生活するわけだからお互いの名前を知っておいたほうが良いだろう?」
H862は拘束が解かれた手首を撫でつつ長林に深く一礼する。
「では、先ほど王大佐さまのようにH862と呼んでください」
そう言った後歩き出したH862は足がもつれ、危うく転びかけたところを長林が支えて事なきを得た。
「そうは言ってもね…そうだった、包帯も外そうか。このままじゃ歩くのも億劫だろう?」
「っお待ち下さい、」
H862の制止も虚しく、長林はすでに少女の目に巻かれた包帯を外していた。しかし包帯を外されても尚、H862は目を開けようとはしない。
「どうしたんだい?もう目を開けても大丈夫だよ。あ、それとも明るすぎるのが気になる?安心して、私の影にいるから眩しくないはずだ」
長林が目を開けるように促すものの少女は再び顔を伏せ、静かに首を振った。
「出来ません。劉伍長さまも御存知の通り自分の天与礼物は、」
「目を合わせた者に死に様を言えばその通りになる、だっけ?たとえば目を合わせた相手に『心臓停止』って言えばその通りに死ぬ。だよね?報告書が分かりづらかったからもしかしたら間違えてるかもしれないけど」
「いいえ、その通りです。ですから軍の中で犠牲を出さないために常に目に遮蔽物をつけております。そうするようにとの命令ですので」
なんともはた迷惑な礼物だ。天も礼をするならもっとこの子が幸せになれる礼物を送れば良いものを。そう思いながら長林は眉をしかめた。
頭を軽く振って表情を改めると少し屈み、H862と目線を合わせる。
「いいかい、姑娘の天与礼物は条件付きだ。相手と目を合わせること、相手がこちらの言う事を理解していること、声が聞こえていること、それが死因になるような言葉であること。こんなにも条件があるのに、ついうっかりで発動して死人が出ることはない。それに今は姑娘に対する責任や世話なんか全て私に一任されている。だから目を開けてくれるかい?」
優しい声で諭されたH862は1度強く目をつぶってからゆっくりと、ゆっくりと目を開けた。現れた瞳は透き通った鮮やかなオレンジ色と深い青緑色で、それはまるで海に沈みゆく夕日を思わせた。
長林はこっそり息を呑み、夕日の瞳に目を奪われる。なるほど、神というのは人間のことをよく分かっているようだ。今こそぼんやりとしていて意志なき人形を彷彿とさせるが、この目が生き生きと意志を得ればより美しくなるだろうと想像できるが故にこの目が恐ろしい力を持つことにもったいなくも感じられる。
そう思わせるほど、この瞳にはなにか魔法じみた魅力がある。この瞳を向けられれば必ず見ざるを得ない。そんな絶対的な支配力を持つ危険な魅力が。
「劉伍長さま?」
H862が首を傾げるのを見て長林ははっと我に返り慌てた。
「っごめん!ちょっとボーっとしてた!えーっと…まあ、こういうことだからさ、これからは私と居るときだけでも安心して包帯を外してくれると嬉しいかな」
長林は恥ずかしそうに頬をポリポリと掻き、笑う。H862は分かっているのか分かっていないのか、ぼんやりとした目を少し伏せて頷いた。
その後、H862は長林に連れられて軍を出て彼の自宅へと向かった。
劉長林 5番隊伍長。現在28歳、5年前から軍に所属している。
身長181cm、体重約71kg
H862 10番隊隊員。現在16歳、生まれも育ちも軍。
身長145cm、体重約37kg