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【外伝】近衛篤麿 ⑳軍部への介入

1922年(大正11年)2月


東京で開催中の海軍軍縮会議は、何度も中断し、事務方が折衝した後に再開というのを繰り返しているが、長引いておる理由はイギリスが原因だ。


保有枠についてイギリスは当初、アメリカと同等を主張して譲らなかったが、日英同盟を理由としてアメリカがこれを拒否したのだ。


このままでは埒があかないと見たイギリスのロイド・ジョージ首相は、やむなく次善の策として米英比10:7まで譲歩する姿勢を見せたが、この理由は竣工間近とされていた「キング・ジョージ5世」級戦艦6隻は何としても完成したものとして認めてもらい、保有枠内で旧型艦と置き換えた上で対米7割を維持する作戦を取ったのだ。


アメリカ側はこれに対して、その場合はアメリカ側も同様に旧型艦と新型艦を入れ替えて保有すると通告した。


アメリカは、イギリスの「キング・ジョージ5世」級を潰しに掛かるとの石井外相の読みは当たったな。


そうなってしまうと、新型艦まで対米7割となってしまう為に、意味が無くなると判断したイギリスは譲歩せざるを得なくなった。


最終的にイギリスは対米8割とする代わりに、「キング・ジョージ5世」級戦艦6隻を全艦廃棄する内容で妥結した。


その後も仏伊を交えて会議は揉めに揉めたが、最終的な落としどころとしては、1万トン以上の戦艦、巡洋戦艦、空母の合計保有枠は下記のように決着した。


アメリカ 60万トン。


イギリス 48万トン。


日本   36万トン。


フランス 18万トン。


イタリア 18万トン。


以上のような条件で1922年2月28日、東京海軍軍縮条約は批准された。


今回の米:英:日:仏:伊の比率は10:8:6:3:3と定められ、今後保有枠を埋めたり、旧型艦と置き換えるため新規で建造される艦の1隻当たりの上限排水量は3万5000トン、主砲口径は16インチ(約40センチ)までと決着した。


結果として、アメリカは建造中の戦艦と巡洋戦艦を大幅に廃棄しなくてはならなくなったし、イギリスも道連れにされて「キング・ジョージ5世」級戦艦6隻を涙を呑んで廃棄したのだった。


日本としては対米6割の主力艦比率は確保できたし、日英同盟が有効であるのが本当に大きく、両国を合わせればアメリカを凌駕する戦力を確保できた事になる。


航空戦力についても同様だ。

英米両国は空母についての有効性には気付いておらぬか、例え気付いたとしても、もはや保有枠が一杯で建造できぬのだ。

これで大型空母は日本しか保有しておらぬ状態が将来も継続するし、陸軍において扱いが問題となっている大型輸送艦を空母に改装したら航空戦力は飛躍的に増大するであろう。


会議終了後に、改めてロイド・ジョージ首相が会談を申し込んできたので会ったのだが、会議前と比べて態度が違うように見えるが何故だ?


「コノエ首相。ようやく会議が終わりましたな。

アメリカのヒューズ氏は忍耐力が無く、飽きっぽい新大陸人としては珍しい粘り強さでした」


会議が長引いたのは誰の責任だ。

それになんだ?何が言いたい??


「そうかもしれませんな。

ですが、さすがのアメリカ人でも日英同盟を突き崩せませんでしたな。

我が国は当初の見込み通り、対米6割を堅持できましたから、会議は概ね満足できるものでした」


「そこですな。我が大英帝国においてもそこに意義を見出したのであります。

われらが国王陛下におかれては、エンペラーヨシヒト陛下と今まで以上に深い友誼(ゆうぎ)を交わす事を希望されておいでです」


深い友誼とな?この国の首相がそのような事を下心も無く言い出すとは思えないのだが…

これまでイギリス人が、有色人種に対して行ってきた所業を思えばなおさらだ。

インドや清に対する行為は鬼畜そのものだし、大戦中の二枚舌外交の事実は、いかに同盟国とはいえ忘れてはならぬのだ。


「深い友誼とは、具体的には何を指しておいででしょう?」


具体的に言って貰わねば下手に返答出来ん。

いったい何を望んでいるのか?


「そうですな…例えば貴国が興味を持たれそうな物であれば、対潜聴音器というべき技術もありますし、航空機用発動機の図面もお渡し出来るでしょう。

更には、我が国が誇る、先進的な精密工作を可能とする機材や、設備も提供できますし、技術者を派遣しての実地指導も喜んで行いましょう」


……質問の答えになっておらぬが…

何のつもりだ。

要するにあれか?単独ではアメリカに対抗できないのが明確になったから、何としても日英同盟を堅持し、四カ国同盟を基盤とする、多国間による集団防衛を強化しようという誘いだな?


「…分かりました。そういったお話であれば、天皇陛下も大変喜ばれるでしょう。

ジョージ5世陛下には、よろしくお伝えください」


しかし、この男の真意は奈辺(なへん)にあるのか、最後まで分からずじまいだったな。


ロイド・ジョージとの会談後に、この件を高麿に教えたのだが、高麿の答えは明快なものだった。


「日本との同盟関係が無くなれば、大英帝国の破滅に繋がるという事実に、いまさらながら彼らも初めて気付いたのでしょう。

日本にとって、これまではイギリスの力を借りることは大いに有効な手段でしたが、今やイギリスは日本の協力が無ければ、アジア方面においての活動が不可能となったのです。

もう少し言えば、インド洋方面において、我が国がイギリスを助けるという内容が、先日の第三次日英同盟の更新条文に盛り込まれたのも影響したはずです。

要するに、日英同盟とはイギリス側にとってこれまで以上に利益が生じる枠組みとなった為、堅持することに躍起となっているのです。

しかし、それを正直に父上へ伝えるのは、彼らの誇りが邪魔して出来なかったのでしょう」


そうか!なるほどな。イギリス人なら有り得ることだ。

しかし、あの三国干渉において、独露両国に振り回されて以来、ここまで約30年か。

今度は大英帝国を振り回す立場となったとは…随分遠い場所まで来た感じがするな。


私が遠い目をしたからだろうか?高麿が注意を促す発言をした。


「父上。まだまだ安心はできませんよ。

軍部の統制という、重い課題が残っている事をお忘れなく」


おっとそうだった。


「…これからどうするべきだと思う?」


「国際的な海軍の軍縮計画が決定され、野放図な軍拡が起こらないのであれば、次に必要なことは軍部への指揮命令系統の整備です」


いよいよか。いつかはやらねばならぬのは間違いないからな


「改めて聞くが具体的にはどういった体制を考えておるのだ?」


「まず一点目に必要な事は陸海軍の統合です。

指揮命令系統を一本化し、軍への予算編成も大蔵省が陸海軍へ個別に渡すのでは無く、統合部門において国防全体を視野に入れたものとすべきです」


そうだな。無駄も省けるであろうし、抵抗は大きかろうがやらねばならぬ。


「二点目は人事権の明文化です。

現在の陸海軍大臣は双方共に現役武官では有りませんが、それぞれの軍の意向を代弁している傾向は明白ですから、統合部門の大臣は軍の代弁者では無く、利害関係を持たない完全な文民でなくてはなりません。

その人物を父上が任命する事によって軍部の意見は父上には直接届かなくなりますから、結果として統制が可能となります。

更に統合した大臣の下に制服組の頂点となるべき役職を設け、この人事権にも内閣が介入出来るものとすれば、とりあえずは諸問題を解決できるでしょう」


なるほどな。よし、名称変更も含め軍部の改革に取り組もう。


だが陸海軍共に当初より激しい抵抗を見せた。

これは当然だが予想された事であり、高麿は対応策も持っていた。


それは臣下としてはいささか心苦しくは有るが、昨年末に摂政として陛下の代理を務められるようになった皇太子殿下に命令していただく事であり、陸海軍の要人を集めた会議にご臨席賜ったのだ。


摂政とは、日本の歴史においては天皇陛下の勅命を受け、陛下に代わって政務を執る職を指す。

古くは推古女帝の御代における聖徳太子(厩戸皇子(うまやどのみこ))が最初とされ、平安時代には臣下として初めて私の先祖が摂政・関白に就いて以来、一時期の例外はあってもずっと朝廷にてそのお役目を継続してきた。

いつしかその役職に就ける者は我が家を筆頭に、五摂家とも称される近衛・九条・二条・一条・鷹司に限定されると定められた。


その状態が明治に至るまで実に800年余り続いたのだが、現在は(いにしえ)の慣習に立ち返って皇太子殿下が務めておいでなのだ。


殿下とは高麿を交えて三人で何度も打ち合わせを行い、意義を十分にご理解いただいた上でご臨席を賜ったからな。ここで決めてしまいたい。

さて、ご発言いただこう。


「忙しい中を皆に集まってもらったが、近衛首相より奏上あった件について話し合いたいと考えている。せっかくの機会であるから忌憚(きたん)のない意見を各自述べるが良かろう」


一堂に会したお歴々は当然だが、全員居心地が悪そうだな。

この機を逃さず私から発言を始めよう。


「先日より陸海軍の組織変更について個別に打診しているが、ここで改めてその概要と意義について説明したい。

まず、陸海軍の各大臣を廃し、新たに国防大臣という役職を置き、統合された国防方針のもとに有効且つ効率的な組織運営を行いたいと考えている。

この件について意見の有る者は発言願いたい」


さて、誰が反対するかな?

お?陸軍参謀総長の長谷川大将か。

この人物は長州閥出身だからな。何と発言するかな?


「近衛首相にお尋ねする。陸海軍を統合するとのお話だが、それは大臣だけですかな?我々参謀はどうなされるおつもりでしょうか?」


「陸軍参謀本部は海軍軍令部と統合し、新たに統合作戦本部として再編する予定である」


「それでは栄光ある我々帝国陸軍軍人は、海軍と共に行動せよと仰るか!?」


不満そうであるな。

そこで殿下がすかさずご発言なされた。


「その通りだが何か問題があるのか?

長谷川は不服か?」


「あっ…いえ…その…か、海軍とは考え方が違います故に、首相の案ではかなり…心配であります」


長谷川大将はしどろもどろだが、この人にしては珍しい光景だ。

もっとも、皇太子殿下に直接「不満があるのか?」と詰問されれば私も同様になるであろうがな。


「そうか。しかし考え方が違うと言ったな?

それこそが問題だとは思わんのか?

国防方針とは一つでなくてはならぬのだ。それは陸海軍が別個に考えて良いものではあるまい?

近衛首相が心配しておるのは将来における国防方針が陸海軍において乖離(かいり)してしまう事だ。

長谷川が居ればその点も安心であろうが、お前も齢70を超えているのだから、あと50年生きることは叶うまい?

お前亡き後はどうするつもりだ?」


「………ははっ…」


20歳を超えたばかりの若い殿下に老齢を指摘されては「ぐうの音」も出ないか?

長谷川大将の顔からは汗が滝のように流れ落ちておるが大丈夫か?


殿下は周囲を見渡しつつ宣言された。


「他の皆も同じである。我が国が幾多の困難を乗り越え、今日ここにあるは皆の努力と忠義のゆえであると私も深く理解するところであるし、感謝してもいる。

()りとて皆が現役を去りし後の事をよく考え、大局を見据えて貰いたいのだ。

私としてはこの先も皇国の栄光が持続する事を切に願っている」


みな神妙な面持ちだな。当然か。


「近衛首相が心配しておるのはまさにその点だ。

明治大帝の御代においては組織も小さく、陸海軍で別個の方針が存在していても問題は表面化しなかったであろう。

しかし現在のように、世界においても強国と認められるようになった時代においてはそうはいかぬし、未来永劫にわたって維持出来るとも思えぬ。

故に1日も早く統合し、国家と国民を護るという本分に立ち返って貰いたい」


決まったな。

ここまで明確に宣言いただいたのだから正面から反対出来る臣下はおるまい。

身内でいがみ合う事なく職責を全うせよと言われたも同然なのだからな。


その後も何度か協議したうえで新しい組織として再編成される事になった。

予定通りに陸軍大臣と海軍大臣という役職を廃し、新たに「国防大臣」の役職を新設した上で、国防大臣の資格は文民に限るとした制限を付けた。

当然だが陸軍省と海軍省は廃止され、統合した上で「国防省」へと組織が改められた。


この国防大臣の職責は高麿の発案だが、江戸時代の側用人(そばようにん)という役職に倣ったものらしい。


側用人とは江戸幕府における征夷大将軍の側近であり 、将軍の命令を老中らに伝え、また、老中の上申を将軍に取り次ぐ役目を担った職だが、最も効果的に使用したのは五代将軍綱吉であるという。

側用人として自分の意中の人物である柳沢吉保を任命し、老中からの上申に対して「この案のままでは上様におかれては御承認いただけぬものと存じます」と突き返すことにより、将軍の意向を反映させた結果、老中の飾り物に過ぎなかった実態から脱却させ、将軍自らが行いたい政治が可能となったのだ。


その代わりに柳沢吉保は幕閣から激しく憎まれ、大悪人の扱いとなったがな。


今回の案では側用人に相当するのが国防大臣であって、軍部の意見は直接私には届かない仕組みになった。

これで長年願ってきた文民による統帥が無理やりだが完成したのだ。


恐らくこの国防大臣は柳沢吉保の如く陸海軍から嫌われる事であろうから、反乱には注意が必要であるな。


更には国防大臣は、陸軍参謀本部と海軍軍令部から選抜した人員で構成され、新設された「統合作戦本部」を管轄して、陸海軍を統帥するものと定められた。

そして陸海軍の責任者は作戦部長へと名称が変更された。


人事権については統合作戦本部長の人事権は国防大臣にあり、国防大臣の人事権は総理大臣にあると確定した。

つまり内閣の意向に添った人物を統合作戦本部長に任命できるから、ますます軍部の意見は私まで届かなくなる。


同時に陸軍においては長州による「軍閥」と化していた人事制度も改め、出身地を考慮しない考課制度に改めた。


更に陸海軍に対する監視・警察組織として憲兵隊を刷新し、憲兵総監を長とする警備組織も整備して権威的には陸海軍に並ぶものとした。

これにより日本帝国陸海軍の組織図は、下記の通りとなった。


   内閣総理大臣

      ↓

   国防大臣(文民)

      ↓

   統合作戦本部長(軍人)

      ↓

   陸・海軍作戦部長・並びに憲兵総監

      ↓

   陸・海軍実戦部隊


という命令系統が確定した。


ここで問題になるのは初代国防大臣の人事だが、これに相応しいのは高麿しかおらぬな。


あやつが言い出したのだから責任は取ってもらおう。

また、初代統合作戦本部長は薩長の藩閥出身でない岡田啓介大将が良かろう。


紆余曲折はあったものの、何とか軍の改革は上手くいったが、これも摂政殿下のお力添えの賜物だ。

私としては深く感謝するほかない。


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