第六十六話 東京海軍軍縮条約①
Side:近衛高麿
1922年(大正11年)1月を迎えた。
第一次世界大戦がようやく終わったが、落ち着く間も無く、今度は英米間の建艦競争が再燃し始めたので、日本が主導して海軍軍縮に向けた話し合いをすることになった。
各国の関係性を補足すると、英米間の争いは激化しているものの、日米間には日系移民の数も史実ほど大きなものではないから、決して友好的な雰囲気ではないが、それほど心配される懸案事項は発生していない。
この「英米」と何気なく表現したし、これまでもそう書いてきたが、史実でもこの時代は「英米」の表現がメインだが、これから10数年経つと「鬼畜米英」のように、「米英」が優勢となっていく。
日英同盟がなくなってしまい、日本人の意識が変化して「米英」に順番が変化したというわけだ。
それがどうした?と言われると困るが、無意識の表現だから、却って国際関係を知る上で貴重だと言えるだろう。
ともかく、最近の英米関係はもう修復不能なところまで亀裂が深まっていて、世界中にそれが知れ渡る状況となっている。
その原因は言うまでもなく、朝鮮半島を起点とした満州と中国に対する利権の争いだった。
鉄道王ハリマンが熱望した、南満州鉄道の経営をめぐっての諍いから始まり、最初は小さなボタンの掛け違い程度だったのが、どんどん亀裂が拡がって、修復不能の段階へと進んでいったように見える。
ハリマン問題に続いて、アメリカが欲した中国大陸での利権交渉でも、イギリスは一切の譲歩をする事なく完全にアメリカの要求を拒絶したから、アメリカ側の不満がこの辺りからどんどん表面化して国際的に不仲が知られるようになった。
一方でアメリカは、この段階においては、イギリス側の態度に対しても一定の理解というか遠慮は示していたから、他国からはそれほど大きな問題とは見られていなかった。
しかし、第一次世界大戦において、アメリカは、モンロー主義の影響もあって傍観者のままだったから、今度は逆にイギリスのアメリカに対する見方が極めて厳しいものへと変化していった。
個人の関係でもそうだと思うが、自分が苦しいときに助けてくれたのは誰か?
助けてくれなかったのは誰か?
という記憶は、長く残るものだからだ。
ましてや、かつて植民地として治めた国が取る態度としては、尊大なものにイギリス人には映った。
この大戦において、アメリカは日本と並んで軍需物資の供給を行う一大拠点だったが、その事実がまたイギリス人の神経を逆なでした。
「あいつらは、我々を助けることもしなかったくせに、人一倍儲けやがった!」となるわけだ。
日本もアメリカに負けないくらい、同じように儲けた。
今はまだ大きな声で言えないが、関東大震災からの復興費を軽々と捻出して尚、お釣りがくるくらいの巨額の利益があったし、英仏両政府に対する債権も巨額であったのだけれど、共に戦い血を流した上に、勝利に決定的な貢献をしたという事実は極めて重く、日本を非難するイギリス人など皆無だった。
更に大戦において、アメリカはイギリスに対して巨額の債権を持つに至ったことも、イギリス人のプライドを刺激した。
そして、大戦終結後の英米関係は、もはや修復不能な段階へと進んでいったが、これはまるで熟年離婚に至る夫婦関係みたいなものか?
最初から離婚するつもりで結婚する男女は、まずいないとは思うが、しかし離婚が不可避となったとき、人は振り返るのだ。
ターニングポイントはどこだったのか?と。
英米関係に於いて、それは間違いなく南満州鉄道がきっかけだった。
それを仕掛けたのは誰あろう俺だから、少しは心が痛むものの、だからと言って俺が「犯人は俺だぞ!」と全世界に向けて白状しても、そんなのは誰も信じないだろうから、気にするだけ無駄だ。
この時すでに、アメリカは日英を仮想敵に設定した戦略を構築していて、日英海軍に対抗するための大規模な建艦計画、史実における「ダニエルズ・プラン」をもっと強化した計画を実行中だった。
史実では「ダニエルズ・プラン」とは、日本の「八八艦隊計画」と比較されやすい計画だったが、強固な日英同盟を突き崩せなかったことによって、圧倒的に過激な内容で実行されつつある。
具体的には、新たに戦艦・巡洋戦艦を20隻追加建造して、既存艦と併せて36隻体制とし、その他の中・小型艦を300隻以上大量建造したうえで、太平洋と大西洋に分散配置し、日英と対峙しようとするものだった。
しかし、どれ程アメリカの経済力と工業力の発展が目覚ましいものであったとしても、この計画は明らかに過大で、計画は議会をなんとか通過したものの、なおアメリカ政府内には懐疑派が多く、軍縮会議開催の機運が高まっていた。
そもそも、第一次世界大戦前に英独が建艦競争を繰り広げた時代よりも、一隻あたりの基準排水量が4割から5割以上増えており、より莫大なカネが掛かっているから当然の反応だろう。
新規計画艦の基準排水量は3万5000トン~4万トンといった数値なので、全艦完成して海に浮かぶと、既存艦と併せた合計排水量は100万トンを楽に超えるだろう。
一方でイギリスは、既に新規で戦艦を建造するだけの余裕が無くなりつつあり、現時点では既存艦の数においてはアメリカを上回っているものの、これ以上アメリカ海軍の拡大を許せば、かつての植民地国の後塵を拝する事態となって、大英帝国の威信に関わる大問題となる事は明白だった。
そこで、なけなしのカネを使い、海洋国家の威信をかけて基準排水量3万5000トンの「キング・ジョージ5世級」戦艦を6隻計画して、一斉に建造に着手し、もうすぐ全艦完成という段階まで来ていた。
この英米両国の動きに比べて、日本側では戦艦の新規建造に対する動きは鈍い。
と言うより無い。
むしろ一般国民の方が、「このままで大丈夫なのか?」とか、「カネはかかってもいいから、戦艦の建艦競争に参加すべきだ」という意見が多数出るくらいだ。
これに押されて議会も、近衛内閣に対して、戦艦建造の予算を積極的に計上して議会に提出すべきだとの意見書が出る始末だったが、対する内閣総理大臣近衛篤麿の回答は明確だった。
「我が国が優先して着手すべきは、新たに手に入れた海上通商路の防衛である」と。
従来の日本の版図であった、樺太北端から台湾南端までの直線距離が4000km。
ここにカムチャツカ半島の資源採掘権と、森林利用権が加わって航路防衛の範囲が拡がり、更にシンガポール、コロンボ、ソコトラ島とホルムズ海峡を通じた海上交通路まで防衛せねばならなくなった。
それと、結局のところドイツ領だった南洋諸島も、日本の版図に加わったから、南洋庁の設置と併せてこちらの面倒も見なければならず、担当面積がさらに拡がってしまった。
もっと言えば、日本海沿岸のロシアと、東パレスチナ領海内の防衛も、当面は日本海軍の任務に加わったのは事実だったから、日本にとってまず必要な軍艦は戦艦ではなく、巡洋艦と駆逐艦であり、これらを引き続き大量建造し続ける事だった。
それに加え、今後において有効性が増すことが見込まれるとして、大戦時に10万人の陸軍兵力をヨーロッパへ運ぶために使用された大型輸送艦50隻を、全て船団護衛用の航空母艦(空母)へと改造する計画を立てた。
これは、実際1930年代序盤に実行され、後世「宗谷」型護衛空母(更に後には強襲揚陸艦へと改装)として知られることになる。
これらは輸送艦としては大型でも、空母としては超小型に分類される、基準排水量1万トンに達しない大きさで、速力は20ノット程度しか出ないし、搭載可能な航空機は最大でも30機に満たない程だが、それでも敵の巡洋艦や潜水艦を追い払うのは可能だ。
これは俺が推し進めたことだし、本当は将来もっと大きな戦力として認知されるはずなのだが、今はまだ誰にも言わない方がいいだろう。
国防委員として、日本の国防方針を決定する立場にあった俺は、戦艦は時代遅れであるとして建艦計画を承認せず、大型空母と潜水艦の建造を積極的に行わせている。
この時代の常識から見たら、破天荒でズレた軍備に見られただろうが、ユトランド沖海戦において日本の戦艦が発射した主砲弾の命中率と、対する駆逐艦が発射した魚雷の命中率、及び敵艦に与えた損害を比較したデータを見せたら、反対派も黙るしかなかったし、ドイツのUボートに苦しんだのもまた事実であったから、不承不承と言った感じで従ってくれた。
そもそも、戦艦の主砲弾命中率なんて、現時点でも演習はともかく実戦環境では5%に届かないし、今後はますます砲戦距離が伸びるだろうから、命中率は更に下がるだろう。
それに主砲弾が一発当たったからといって、敵戦艦の戦闘力を即時に奪えるとは限らない。
ユトランド沖海戦時における、イギリス巡洋戦艦の爆沈はあくまで例外だ。
しかし、魚雷は当たり所によっては、戦闘力を一気に奪える可能性があるし、当たれば確実に浸水をもたらすから効果が大きい。
そして魚雷は、航空機によって運ぶことが出来るようになるから、射程距離を長くするのと同等の効果が得られる。
この「射程距離」は、今後ますます長くなっていって、戦艦の主砲弾では絶対に届かない距離から攻撃機を発進出来るようになっていくだろう。
航空機と、魚雷そのものの性能が飛躍的に向上していく未来において、この差はもっと大きくなり、戦艦が活躍する場面は、観艦式における納税者へのデモンストレーションと、上陸支援時の艦砲射撃くらいなものでしか無くなってしまう。
更にその先の未来では、ミサイルの登場によって、その存在価値が完全に否定されるだろう。
もっと悪いことに、戦艦というデカブツは、普段何もせずに、ただ浮かんでいるだけでもカネが掛かるという厄介な代物だ。
早い話が、建造と維持に関する費用対効果が、極端に悪いのだ。
そういったことだから、日本海軍は戦艦を金剛型以降は一隻も建造していないが、その反面、大型の正規空母は続々と竣工させている。
それはこの時代では、驚くほど巨大に見える基準排水量3万8000トン級の「伊勢型」4隻で、「伊勢」「日向」「山城」「和泉」の各艦だ。
最大速力は30ノット以上の俊足で、航空機も80機以上、余裕で搭載可能だ。
史実において、空母というものはまだ黎明期であり、日英米においてこれから試行錯誤を繰り返しながら急速に発展していくことになる艦種だ。
当時の英米では、基準排水量1万トン未満の船体を使用したテスト艦が建造され、今後の可能性と方向性を探る段階だった。
日本も史実においては、小型のテスト艦と言える空母が存在したし、近い将来に三段空母が出来たが、使い物にならなくて失敗作の烙印を押された。
それから、他の艦種ではあまり問題にならない、煙突からの排煙問題があった。
熱い排煙が、空母後方の気流を乱し、艦載機の着艦に悪影響を与えるので忌避されたが、原子力空母じゃあるまいし、煙突を付けない選択肢など存在せず、如何に悪影響を少なくするか各国が悩みに悩んだ。
アメリカのレキシントン級では、驚くような大きさと高さの煙突を採用して、まるで煙突が走っているかのような印象を受ける外観となったし、「赤城」や「加賀」においては、初期段階では艦尾まで煙突を延々と伸ばして設置したものの、逆に気流が乱れてしまう原因となり、搭乗員からの評判は悪かった上に、排煙の熱で炙られて艦内温度が上昇し、これまた兵からの評判は悪かった。
最後には舷側に付けて下を向かせ、海水を掛けて排煙を冷やすことで、ようやく解決したが、苦労の連続だった。
艦橋位置も、右舷に設置したり左舷に置いたりと様々なチャレンジをしたが、日本の航空機はプロペラの回転方向の関係で、着艦後にどうしても左へ走ってしまう傾向があり、左舷に艦上構造物があると、搭乗員にプレッシャーを与えてよろしくないとの結果が出て以降は右舷設置がデフォルトになったが、後方の気流を乱さないために、敢えて小さな構造物にしたりと試行錯誤の連続だった。
しかし、理想のデザインを知っている俺の発案で、最初から完成形に近づいている。
といっても、いきなりの斜め飛行甲板じゃないが、被弾時の爆風を横に逃がす目的で、開放式格納庫としたし、舷側エレベーターは既に採用している。
見た目は史実の「隼鷹」の巨大版と言った外観だ。
もっとも、搭載機は今のところ複葉機だし、定数を満たすほど載せる機体数も無い。
更に航空魚雷も完成されていないから、爆弾を積むだけで、宝の持ち腐れに近いが・・・
何故、空母が巨大に見えるかといえば、結局のところ軍艦の大きさは排水量、すなわち重さで表現されるが、戦艦に比して、空母は船体装甲が薄くても問題無いから、戦艦と同じ排水量であったとしても、船体そのものが大きいというわけだ。
逆に言えば、船体が戦艦と同じくらいでも排水量が小さい。
史実の日本海軍の空母は、戦艦や巡洋戦艦から改装されたパターンが多かったから、本当の意味で効率的ではなく、結果として、無駄な装甲板に覆われていたと言う話だ。
ただ船体装甲は薄いが、これら4隻は飛行甲板主要部に装甲を施し、爆弾防御がある程度出来ている。
余談だが、船の大きさを計る基準は、船の目的によってバラバラで、貨物船やタンカーは重量トンという単位を用いる。
つまりどの位の物資を積めるか?という基準で決まる。
客船は、総トン数といって、全体の容積の大きさで決まる。
だから厳密に比較できないし、21世紀で最大級のクルーズ客船は、25万トン前後だったが、基準排水量8万トン前後(基準排水量が未公表のため、勝手な想像)のフォード級原子力空母と、どちらが大きく見えるか?と言えば、実際並べてみたわけではないが、客船の方がやや大きく見える程度なのではないか?
少なくとも、25万トンの客船が8万トンの空母より3倍以上大きく見えるなんてないはずだ。
それはともかく、現場からは空母ばかり建造している現状に対して、相当な疑義が上がっているみたいだが、とりあえず無視だ。
なんでも…「海軍の実態をよく知らないお公卿さんが、現場に口を出している」と言われているらしい。
実は、俺も過去には海軍軍人だったんだがな・・・
しかし、俺みたいに未来を知っている人間じゃないと絶対採用できない建艦方針だから、誤解されるのは仕方ないと思う。
ここは鋼のメンタルでしのぐしかない。
現時点での、日本海軍における一線級の主要戦力は下記の通りだ。
・金剛型巡洋戦艦8隻 約2万6000トン×8隻=約21万トン。
・伊勢型航空母艦4隻 約3万8000トン×4隻=約15万トン。
合計36万トンという内容だ。
海軍主要三か国の戦力は、以上のような状況だった。
この条件下において、海軍の軍拡を抑えるよう話し合いが持たれることになった。
会議は東京で開催されることになり、各国が代表団を送り込んで来ている。
開催地が東京になったのは、英米双方が相手国へ行って話し合うのを嫌がったからだ。
対立が根深いな…
俺と父の考えでは、英米の誰もソ連の脅威について語っていないのが苛立たしいが、余裕が無いのだろうな。
最善策は、日英米露仏の五カ国が、内部対立しながらもソ連と対峙する構図にしたかったが、英米がこれではとても無理だ。
そういえば、史実でもそうだった。
日英米の誰も、ソ連の脅威に気付かなかったのが不思議だったが、お互いの対立構図がこれじゃ、外に目を向ける余裕がないな。
やはり、アメリカを仲間にするのは無理な感じだから、いっそのこと・・・
参加国は、史実のワシントン海軍軍縮会議と同じく、日・英・米・仏・伊の海軍五大国で、各国の主力艦保有排水量の割り当てと、制限すべき対象艦種の決定が主な議題だ。
アメリカとしては、日英同盟の廃棄を何としても達成したかったみたいだが、史実と違って両国の同盟関係が強固でつけ入る隙がなく、早々に諦めたみたいだ。
ただし、その代わりに、どの国よりも大きな主力艦保有枠を主張して譲らなかった。
以前のパリ講和会議の席上で、『軍縮をしましょう』と言い出したのは、どこの国だったかな?
もっとも、アメリカの大統領は民主党のウィルソンから、共和党のハーディングに交代しているけれど。
俺の独断と偏見と、一方的解釈に満ちた見方としては、共和党の外交・軍備政策は伝統的に、一見するとタカ派的思考で、はっきりモノを言いながらも、相手の動向は見定めようとするから、決定的な対立関係には陥らず、結果として戦争には繋がりにくいし、なんだかんだと言いながら、相手国の立場も理解しようとはする。
一方の民主党は、表面的には美しい理想を言い、リベラルなハト派に見えて協調路線を取ろうとはするけれど、優柔不断になりやすいから、相手がどう捉えるかによっては逆に戦争につながりやすく、偶然かもしれ
ないが、史実においてアメリカが経験した大きな戦争は、だいたいが民主党政権時に起きているという点は見逃せない。
ウッドロウ・ウィルソンも、綺麗ごとを言うヤバい男だったが、これから出現するだろうフランクリン・ルーズベルトも、「ええ加減にせいや!」と言いたくなる綺麗ごとと、詐術の達人だ。
そういえば、ジミー・カーターは腰抜けと呼ばれたし、ビル・クリントンもかなりヤバめな政策だった。
ジョン・F・ケネディも、日本人は美化し過ぎだろう。
キューバ危機を招いたり、ベトナム戦争を宣戦布告なしに実質的に始めたのはどなただったか。
しかも、その後を継いだリンドン・ジョンソンは、ベトナムにおいてケネディが負うべき責任を、全て擦り付けられた可哀そうな人だ。
更に日本人としては、原爆投下を許可したハリー・S・トルーマンは、戦争犯罪人(C級犯罪人=人道に対する罪)として記憶すべきだろうし、彼らが空母の名前にこの人物名を付けるのは勝手だが、日本に寄港するのは願い下げだ。
そんな中にあって、オバマだけは、ややマシだったかもしれない。
しかし、この軍縮会議でのアメリカの主張はだいたい予想通りだな。
随分以前になるが、俺が理想とした各国の配分比は米:英:日で10:8:6だったから、アメリカが最大保有量を主張するのは、まあ想定の範囲内だ。
問題となるのは、日本が対米6割を維持できるかどうかだな。
これは主力艦とは何ぞや?という前提条件が、どう定まるかにもよる。
史実では、戦艦と巡洋戦艦が主な規制対象で、空母は対象とされたけれども、別枠交渉だったと記憶している。
別枠で交渉すると、戦艦と同じ比率になるよな。
また、巡洋艦以下の規制は行われなかったから、後年改めてロンドンにて海軍軍縮条約が開かれることになった。
今回は話し合われている内容は、規制すべき対象を基準排水量1万トン以上の全ての艦種を一つの枠で交渉することと、1万トン未満は全艦種制限なしという方向性だけは決まったが、国別保有枠については、日本が現時点で保有する排水量に合わせた36万トンを上限とする案が出たものの、当然ながら、なかなかまとまらず会議は長期化した。