【外伝】近衛篤麿 ⑱とても忙しい!
1918年(大正7年)7月
私の政策は成功したと言っても良いだろう。
世の中は戦争特需が終わったにもかかわらず、好景気を維持出来ているし人々の暮らしも向上しつつある。
現在私が悩んでいることは陸海軍の統帥にかかわる難問についてだ。
陸軍と海軍を統合させたいのだが、いきなりこれを実行するのは危険で、軍部の支持も得られないだろう。
そこで、準備段階とするため「国防委員」というものを新設する事にした。
これは陸海軍の今後の戦力構成と軍備について、総合的に検討して指導・決定する強力な権限を持った役職として設定したもので、立場的には陸海軍の上位に位置するものとした。
ただし、反発を抑える為にも飛行機の機種選定や、軍艦の建造方針についてのみ決定するものとして、それ以上の軍政や軍令には関与しないものとした。
それでも強力な権限を有している事には違いないし、私たちは近い将来において本当に陸海軍の統合を考えているので、そのための布石とも言える。
今後は戦車、飛行機、軍艦の性能向上と陸海軍の近代化を図り、それを実行する為の研究予算申請も行わなくてはならない。
だが、まず何から始めるべきか…高麿に相談だな。
「最初に重要なのは飛行機です。
この研究に予算を注ぎ込み、早急に各種艦上機や爆弾・魚雷などの開発を行わねばなりませんし、陸軍と海軍の航空機は将来において統合して運用するべきと考えます」
個別に開発するのは効率的ではないからな。
良い方針だと思う。
だが…
「最初から統合するのは無理なのか?」
「現時点では無理です。発動機の出力が足りませんから、空母から発艦させるためには翼の面積を大きくする必要がありますが、陸上機においては逆にそれが空気の抵抗となって、最高速度や急降下性能に悪影響を及ぼすのです」
ふむ。現時点では二兎を追えぬというわけか。難しいものなのだな。
「次に戦車も重要です。
陸上において確実に占領地を確保し、前進するためには機動力と火力の充実は必須であり、先の大戦で実証された戦訓です。
しかも日本の国土ではなく、シベリアの大平原での使用を想定した諸元である必要があります。
見通しの良い平原における砲弾命中率と長射程、敵弾を受けた際の防御力、更には機動性という項目を高い次元で達成しなくてはなりません。
もう少し言えば、飛行機の性能と戦車の性能はどちらも大事で、両者の均衡の取れた戦力配分と発達が何より重要なのです」
まあそれは正しいものだろう。
そして海においても「制高点」を確保し、制空権を確保したうえで制海権を維持するためにも、飛行機はこれからの時代において必須のものだ。
よって航空母艦の建造を優先するのは決して間違っておらぬから、国防委員の高麿より提出された航空母艦建造計画を承認した。
これは我が国が建造した事のない4万トン近い巨艦となる予定で、一気に同型艦を4隻起工することになった。
だが、海軍関係者はこれが不満らしく、決定を知ると山本海軍大臣が面会を申し込んできた。
「近衛首相。航空母艦なるものを4隻も建造することを決定されたと聞いたが、事実であるか?」
かなり怒っていそうだな…
「山本さん。どのように聞いたかは知りませんが事実です」
すると山本海相は机を叩きながら言った。
「英米双方が戦艦の建造に躍起となっておるこの時に、何故我が国は戦艦を建造しないのだ!?
このままでは我が国の国防に対して自信をもって陛下にお約束できかねる!」
やれやれ…
「現状では日英同盟という重しもありますから、アメリカとの開戦は考えられないのはご理解いただいているものと思います。
我が国はこの状況を活かし、拡がった海上通商路を護るという国防方針を決定しました。
その為には巡洋艦と駆逐艦はもとより将来を見据え、航空母艦を用いた制空権の確保が何より重要なのです」
「…しかし戦艦も必要であろう?」
「既に我が国は8隻の金剛型巡洋戦艦を保有しておりますから、決して戦艦が少ないわけではありません。
それに…英米の建艦競争に巻き込まれては、国費がいくらあっても足らなくなってしまいます。
更にはドイツが領有していた南洋諸島を日本が奪う形になったのです。
これを守備するためには戦艦では無く、小回りが利いて多目的に使用できる巡洋艦が何より重要ですし、敵艦を追い払うためには航空機が大切なのです」
「いやしかし…」
「戦艦とは見た目が派手で分かりやすいため、これまでは国力の基準として世界中で重んじられてきたのは事実です。
ですが日本海海戦時と比較してユトランド沖海戦は戦艦の砲戦距離が1万メートル以上に伸びた事により、結果として主砲弾命中率の低下という現実が突き付けられました。
現在アメリカ戦艦が40センチ砲という巨砲を実戦配備しつつありますが、この場合の砲戦距離は2万メートル以上、場合によれば3万メートルを超えるかも知れません。
更に言えば、戦艦の速力も増大する一方です。
そうなってしまった場合の実戦を考慮しますと、今後は更に命中率が低下して戦艦の有用性が下がるでしょうし、何よりそんな実利の無い、言うなれば虚栄の為に資金投入は出来ないのです」
「………」
なんだ?黙ってしまったが、どうした?意気消沈か?
そう言えばこの人は名を権兵衛というのだが、正しい読みは何であろうか?
聞くところによると「ごんべえ」が正式らしいが、それでは格好が悪いからと「ごんのひょうえ」を称しておるらしいな。
ごんべえというのは、英語では名前がわからない人という意味のジョン・ドウ(John Doe)と同義になるから、そこは理解するが。
もっとも、そんなことを言い出せば我が家の次男文麿は「ふみまろ」と呼称しておるが、正しくは「あやまろ」だったのだ。しかし「謝まろう」に通ずるから現在の読みとした。
まだ「高まろう」なら何とかなったのだが。そう言えば私も「集まろう」だから微妙だな。
孫には「麿」と命名しないよう、息子たちに禁止令を発しなくてはいかんかな?
「……ううう。海軍部内でも今一度協議してみよう。では失礼する」
やれやれ。ようやく引き下がったか。
それからも様々な反対意見が出たのだが、何とか説得しつつ、次に取り組んだのが国防上の喫緊の問題だ。
それは無いに等しかった情報部門の強化策で、明石大将を総裁とする諜報・情報収集部門を設置した。
名称は内閣特命担当室。略してNTTだ。
私の直属となる諜報活動部門で、部門名も役職もそれと分からぬよう出来るだけ隠匿した名称にした。
諜報対象は多岐にわたるが、ソビエトを自称しておる邪教の集団とアメリカ、国内だと邪教の残党と右翼、秘密結社の類、そして陸海軍が対象だな。
また明石大将は日本国内において、ボリシェビキの魔の手を逃れて避難してきたロシア人だけで構成された同様の諜報機関も設立・掌握してもらった。
こちらの名称は内閣北方協会。略してNHKだ。
この組織はNTTよりも実戦的で、日本国内に滞在する外国人の動向調査、邪教集団とアメリカに対する諜報・謀略・破壊工作、そしてロシア国内に潜伏しているであろう邪教対策関連だ。
1919年(大正8年)3月18日
日本では「国際連盟」と訳される事になった国際的な平和維持組織が発足した。
発足当初から加盟した国家は46か国。
主要参加国としては英仏伊はじめ、ロシアと東パレスチナは建国早々に参加を表明したが、アメリカとソビエトはやはり参加していない。
アメリカは大きな事を言っていた割に自国議会の承認が得られなかったという理由で不参加だ。
無様であるし世界に恥を晒したな。
そしてソビエトはいまだに内容がよくわからない邪教に乗っ取られた集団だ。
そもそもロシアが健在である以上、あやつらを国家として承認する国は現時点では皆無だから無視して構わないであろう。
国際連盟の場所が東京なら、その顔ともいえる初代事務総長は新渡戸稲造だ。
完全に日本主体の組織ではあるが、調停せねばならない主な紛争対象はやはり先の大戦の影響が尾を引くヨーロッパが多いと予想されている。
これまでは主権国家同士の利害が対立した場合、弱肉強食・優勝劣敗の理屈で処理されてきた。
昔の三国干渉における露独両国の日本に対する態度そのままだ。
もしあの時に国際連盟が存在すれば、日本の有力な後ろ盾となってくれた可能性は有る。
いや、恐らくその場合は遼東半島は何者にも属さない土地として扱われたのではないか?
もし私が調停しなくてはならない立場なら、その裁定を下すよう追い込まれたやも知れぬな。
とにかくそのような難しい立場でもあるから、喜んでばかりもいられないのだ。
さて、国際連盟憲章が作成され、組織の意義を広く世界に伝えたのだが、その前文には「人種差別問題は人類に対する罪である」旨が明記された。
日本はこれを足がかりに奴隷問題にも取り組んで行かねばならないし、植民地もいずれは解放させねばならない。
時間は掛かるだろうが、英仏蘭といった白人国家を説得して植民地を解放していく使命が、新たに日本に加わったことになる。
また同時に台湾も近い将来には独立させねばなるまいな。
そして紛争当事国双方が納得せず、武力衝突の危機が迫った時、あるいは国連調停に従わなかった主権国家が現れた時に有効な手段として、高麿は「国連軍」の設置を構想しており、私も英露仏に相談してみたのだが、ロシアは賛同してくれたものの、英仏が反対した結果見送られてしまった。
このため最終的に国際連盟では紛争の調停と国際審判が主な役割となって、調停結果に実効性を持たせることが可能なのか少し不安がある船出となった。
常任理事国は日・英・露・仏の4か国で、こちらの任期は無期限、一方で非常任理事国は常任理事国と同数とすると定められ、その任期は2年と決まった。
そして国連総会は年に一度、定期的に開催されることも決定した。
また、国連本部周辺には常設国際司法裁判所が設置され、この初代所長は安達峰一郎が就任した。
そのほか労働機関や難民対応、アヘン・薬物問題、女性解放、奴隷問題、保健振興といった諸問題に対する常設機関がそれぞれ個別に設置されることになり、日比谷公園周辺から東京駅にかけては国際機関が林立する結果となったことで、東京が世界の首都になったのでは?と人々が噂していると聞いた。
国連公用語は英語・フランス語に加えて日本語の三か国語と定められ、多くの欧米人が慣れない日本語を必死になって学習しているさまは滑稽でもあり、胸の空く思いも同時に抱くものとなった。
どうやら英語圏の人間からは日本語の学習に対する障壁は高いとのことなので、精々苦労して日本語を覚えることだな。
我々も英語の習得で苦労したのだ。お互い様であろう。
我が家の話をすると、高麿とオリガは仲良く暮らしている。
しかし、23歳と若いながらも、いや若いからこそか。
国民から見た彼女の人気とその影響力は、私の想像を遥かに上回るもので、一種の流行をもたらすのものであったと言えよう。
何といっても新聞や雑誌にオリガの姿が頻繁に掲載されるのだが、その度にオリガの服装は瞬く間に若い日本女性の模倣の対象となるのだ。
この様な女性を世間ではモダンガールと言うらしいな。
これに気付いた新聞社や雑誌社は、オリガの写真を撮ろうと行く先々で待ち構えるので、特別な警備体制が必要となってしまった程で、状況はかなり加熱気味だ。
このような事はこれまで聞いた事もない現象で、私はただ呆然とするしかない状況だった。
なんだ?何が起こっている?
華族同士の間においてもそれは変わらない。
しかもオリガを模倣の対象とするのは、何も若い華族令嬢に限ったものではない。
私とさほど年齢の変わらぬご婦人、それも具体的に名前は出せないが、由緒正しき公爵や侯爵の令夫人までオリガの服装や髪形まで模倣し始めたので、流石に高麿は慌てておった。
何故なら高麿同様に私もあまり深く考えていなかったが、彼女はヨーロッパの皇族なのだ。
当然、テーブルマナーやダンスといった分野も非の打ち所の無い、「本物」という言葉でしか表現しようのない優雅で完璧な所作だったから、我が近衛公爵家の肩書きも手伝って、たちまち日本の華族社会に属する御婦人方の頂点に君臨する存在と認められるようになったのだ。
それだけでは無い。
オランダのベーレンブルック首相が来日した際の出来事は、私が終生忘れぬであろう光景だった。
この人物は石井外相との交渉の席でも、また私との首脳会談の席においても強気で傲慢な態度を崩すことは無く、白人特有の高飛車な態度そのままだったのだが、この男を歓迎するために催された晩餐会にオリガが姿を現すと、たちまち表情が豹変し、卑屈な笑みを浮かべ、まるで媚びるかのような態度を取ったのみならず、額に汗を浮かべておったのだ!
高麿によれば現在のオランダ女王の祖母に当たる人物がロマノフ家の出身であるらしく、つまりはオリガに頭が上がらないのであろう。
私としては溜飲の下がる思いであるし、石井外相をはじめ外務省の関係者もオリガの威光を改めて体感したようで、彼女の名声はさらに上がる結果となった。
その後も更に注意して見れば、欧州の首相や外相はもとより、例え王族であってもオリガと対面した際の態度は、オランダ首相とさほど変わらぬことが分かった。
ヨーロッパ各国の皇族や王族は網の目のような婚姻関係によって結びついておるからな。
それは私たちの感覚ではとても理解できない現実だ。
だからこそ、かつての超大国であり、由緒あるロシア皇帝の第一皇女である事実と「大公女」の肩書は有効なのであるし、我が国にとって外交上の強力な切り札を得たに等しいのだ。
しかし、オランダ首相の如き露骨な態度を取られるのは決して良い気分とはならぬ。
そうでは無く、もっと自然な形で我が国が尊敬されるような立場とならねばならぬのだ。
それこそが高麿が目指す理想の状態であろう。
そんな事もありつつ、遂に二人の間に子が産まれた!
男の子だ。名前は一高という。
幸いな事に現時点ではとても元気で、アレクセイ陛下のような血友病の症状は表面化していないが、例え発症したとしても我が家の跡継ぎなのだ。
立派に育って欲しい!