第七話 父を教育する②
ここで、「地政学」という言葉は使わない方がいい。
何せアメリカ海軍のマハン大佐が、海上権力論という説を発表し、シーパワーという概念を提示したが、それが3年ほど前のはずで、地政学という言葉が使われ始め、大陸中央部や、大陸辺縁部の概念が提唱されるのは、まだまだ先の話だ。
だから俺は常識的な話でごまかす。
「それはロシアの歴史を見ればわかります。
あの国は東へ東へと拡大を続け、アラスカまで一時は領有していました。
当時のカナダはイギリス領であり、イギリスと領土を接するのは不利になるので、当時イギリスと敵対していたアメリカに売りましたが。
これを我が日本に当てはめると、朝鮮半島を取ったら、次は朝鮮半島を守るために南満州を攻め、その次は南満州を守るために北満州を欲するようになり、止まらなくなります。
それ以前にロシアが動きます」
それを聞き、父は真剣な顔で考え込んでいる。
いい感じだが、父の思考を更に拡げるため、続けて俺は言った。
「最近になって『露仏同盟』の存在が明らかになりましたよね?
露仏同盟が成立して困るのは、どこの国かわかりますか?」と。
父は困った顔で言った。
「今度はいったいなんだ?どこの国が困るのだ?理解できん」
まあそうだわな。
この時代に地球儀を見て、全体を考えることができる日本人は極めて少ないだろう。
何せ目先のことで精一杯なのだから。
だが、未来と結果を知っている俺から見ると、これは難しい話じゃない。
「ドイツです。地理的にも露仏に挟まれていて、挟撃される事態を昔から宰相のビスマルクは恐れており、露仏の結びつきを阻止しようとしていました。
ですが、彼を罷免してしまった今のドイツ皇帝はそれが分かっておらず、露仏同盟が成立してしまいました。
今頃ドイツ皇帝はものすごく焦っている筈で、何とか露仏同盟の強い方であるロシアの目を、ドイツ以外に向けさせようとするでしょう。
その矛先は日本で、時期は日清の戦争が終わった直後と予想します」
21世紀でも誤解している日本人が殆どだが、史実の三国干渉における本当の犯人は、ドイツなのだ。
日本はドイツによってロシアの餌食になりかけたわけだ。
父は更に困った顔になり言った。
「話が大きいな。ちょっと理解が追いつかない。では、お前はどうすれば良いと言うのだ?」
と聞いてくれたので、ここが本番とばかり力を入れて言った。
「はい。ロシアが朝鮮半島への野心を剥き出しにすれば、最終的に我が国とロシアとの戦争は回避出来ないでしょうが、ロシアとの争いが終わったら、勢いのまま大陸へ進出してはいけません。
さっき言ったように、北へ北へと大陸進出が止まらなくなり泥沼にはまります。
よって海洋国家である日本は、同じ海洋国家である英米と歩調を合わせなくてはいけません」
父は、もうわけがわからないといった顔になって言った。
「イギリスとか?あの凶暴で貪欲で狡猾な国が、我が国に目を向けて歩調を合わせるようになるかな?」
「それは利害関係が合えば十分にありえる話とは考えられませんか?」
「…それはそうかもしれんが……イギリスから見て、我が国は組むに足る国なのだろうか?
我が国との不平等条約の解消に、最も消極的なのはイギリスなのだが」
そう。不平等条約解消に最も強く難色を示したのはイギリスだ。
日清戦争開戦前に陸奥宗光に脅されて、一部解消に応じたが。
「清との戦争で勝利すれば、イギリスの我が国への見方は変わります。イギリスが清国に持つ権益は決して小さくありませんから、ロシアの南下に対して自国の権益を守るためも、日本は必要とされるようになるでしょう。
後はロシアを追い払うことできれば、日本の心配事は消える筈です」
「もっともではあるな…しかし今は考えがまとまらないから少し考えさせてくれ」
と父が言うので、この話はこれで終わりにしよう。
父の考え方に一石を投じることができれば今は十分なのだから。
しかしここで俺は思う。
もし、父を通じて国の進路をコントロール出来るなら、何も自分が矢面に立たなくても良いのでは?と。