【外伝】近衛彦麿 ③
父上の政策は、日本国民の圧倒的な支持を受けている。
もはや父上は歴史上、とても重要な人物として記憶されるのでは?と思うし、父上に適切な助言が出来る高麿兄様はとても優れた参謀なのだと思う。
その後、僕達は遠いロシアに渡る準備をしていたのだけれど、ロシアといっても、実際に住むのはウラジオストクという街なんだと知った。
それってどこにあるんだろう?
地図で確認すると…え?日本海に面しているじゃないか!
もしかして近いの?
地図って見やすくする為に、メルカトル図法っていう方法で描かれているらしいけど、北に行けば行くほど実際の大きさがズレていくらしい。
それは極地で最大となるから、ロシアに行ったら注意しなくてはいけないな。
それはともかく、東京とウラジオストクって1000km程度の距離らしいから、これって東京からだと沖縄や樺太より近いし、鹿児島や稚内と大差ないな。
なんだ。もっと遠くの街に住むのかと思っていたから拍子抜けだ。
アレクセイは高麿兄様から政治や、五箇条の御誓文、大日本帝国憲法のこととか教わっていたみたいだし、僕もあれから江戸時代の政治を調べた上で、兄様に聞いてみたんだけど、なんか学校で教わった内容と違う事を言われて混乱した。
「田沼意次という人について、調べてみたかい?」
「はい。今で言えば、総理大臣にあたる老中という役職だった人ですよね。
たしか学校の先生は"賄賂ばっかり取る極悪人の代表だ!“みたいな言い方をしていました」
すると、高麿兄様は笑い始めたんだ。
「ははは…そういう感じで評価されているよね。
でもこの人は、幕府の財政再建をするために、インフレ政策というものを採用したんだけど、これは市場に流通する貨幣の量を増やすことで、産品の生産量の増加を促す政策だったんだ。
今でも、学者の中には物価の上昇を招く、まずいものと言う人が多いけれど、実際にはそれに合わせて産品の生産量の増加が連動すれば、物価の急激な上昇は起こらない」
難しいな…今で言えば、じゃんじゃんお札を刷ったという話かな?
「この時代は、農業一辺倒の重農主義政策。つまり米しか意識していない考え方から、商業を盛んにし、それまでは視界に入れていなかった商人からも、税金をとる重商主義政策を進めた。
具体的に言うと、商品流通に携わる「株仲間」といわれる商工業者の組合に課税した。
「株仲間」に仕入れや販売の独占権を与える代わりに、冥加金という名の税金を徴収することにしたんだけれど、これは画期的な事だった」
なんか凄いけれど、どうしてそれまで商業に目を向けなかったんだろう??
「この人は、ただ単に課税しただけではなくて、問屋・株仲間の育成強化、商品作物の栽培奨励、蝦夷地の開発計画、外国貿易の奨励、印旛沼の開拓、銅座などの専売制の実施、鉱山の開発などの諸改革を実施した。
だけど、商人から税金を取った事実が曲解されて"賄賂“って話になった」
兄様は「なぜ意次が悪く言われるかは、人間の心理をもっと研究すればわかるよ」と言っていたので調べたんだけど、意次の父親は、紀州藩の足軽という最下級の武士の家出身だったけれど、意次自身は老中にまで上り詰めた人だった。
江戸時代は血統が全ての社会で、身分が固定化されていたから、本来はあり得ないような気がするけど、時の将軍に引き立てられて出世した。
だけど、それまでの血統や序列を無視した方法によって権力の座についたのだから、もしかしたら、それを妬んだ人々に足元をすくわれたり、ありもしない噂を流されたりしたのかな?
そして血統や序列、伝統を重視する松平定信や周囲の人に嫌われたのかな?
だとしたら、僕もアレクセイの側近になるのだから、妬まれないように気をつけなきゃ!
僕なりに調べた限りだと、意次の後に松平定信が行った寛政の改革と呼ばれる政治改革も、水野忠邦が行った天保の改革も、全て質素倹約を強いたり、民衆を抑えつける政策ばっかりで、世の中を盛り上げようとした考えじゃないんだよね。
それどころか、娯楽や風俗の取り締まりをした結果、人々の幕府に対する反感を生むことになり、息苦しい世の中にしてしまった。
結局のところ節約・倹約だけじゃ何も出来ないばかりか、景気に冷や水を浴びせて先細りさせてしまう結果につながりそうだ。
だから失敗したのかな?
高麿兄様の言うように、田沼意次みたいなやり方だったら、もっと上手くいっていたのかもしれないな。
それから徳川綱吉の時代は、元禄文化が花開いた時代だったらしいから、政策は正しかったんだと思うし、高麿兄様が綱吉を絶賛する理由が、少しは分かった気がする。
あと少しだけ不思議なことがあって、「兄様が高く評価されている人物で、世間での評価が低かったり誤解されている人は最近だと誰ですか?」
って聞いたら「最近であれば乃木大将だね」って言ったんだけど、よくわからなかった。
だって乃木元帥は、ロシアとの戦争で決定的な勝利をおさめた沙河会戦における、国民的な英雄だよ?
しかも元帥だったのに、なぜ階級が下の大将だなんて言ったんだろう?
僕が不思議そうな顔をしたからか、兄様は「しまった…史実と違うんだった」とか言ってたけど、よくわからないままだった。
父上によれば、たまに意味不明なことを言う癖があるらしい。
完璧な人間っていないんだね。少し安心したよ。
でも、兄様の次の言葉は僕の心に刺さってきた。
「彦麿は、歴史というものを過去のもの、カビの生えた古臭いもので、自分には関係ないし、覚えても意味がないと思っていただろう?
それは教育が悪いせいだけれど、本当の意味で歴史を学ぶというのは、過去の良い事も、悪い事もきちんと習って、当時の人は何故そうしたのかを知り、自分だったらどうするか考えて、将来に備える力を身につけることなんだよ」
と言っていたんだ。
凄いな。
過去に学べば、未来が見える場合があるなんて本当に凄い!
それから日本だけじゃなくて、外国の政治家や王様についても知っておいた方がいいって言われたから、必死になって学んでいるんだ。
兄様の言い方だと、日本だけを見ていたら日本の良さや凄さが見えないけれど、外国と比較してみるとよくわかるそうだ。
それは秀麿兄さんが「良い楽器だけしか扱っていないと、その凄さや価値が分からないけれど、粗悪な楽器を使うことで初めて良い楽器の本当の良さが分かるし、大切にしようと思うようになる。
また、その逆もそうだね」って言っていたことと同じなのかな?
それで調べ始めたんだけれど、ヨーロッパの王様はあだ名で呼ばれることが多いみたいだ。
なぜかと言うと、似たような名前の人が多くて混乱するからって理由らしい。
それと、今みたいに明確な国としての基準が無かった。
イギリスの王様は、フランス王の家来だった時代もあったり、今のイギリスの王家はドイツ出身らしい。
更にフランスとドイツとイタリアも、一つの国だった時代があるみたいだ。
だからフランスではシャルルマーニュって呼ばれる王様が、ドイツではカール大帝って名前で呼ばれたりしている。
ちなみにこの人は、トランプのハートのキングに描かれている図柄の元になった人らしい。
この話の続きをすると、スペードのキングの由来となったのは古代イスラエルのダビデ王で、クラブのキングのモデルとなったのはマケドニアのアレキサンダー大王。
そしてダイヤのキングのモデルはローマのユリウス・カエサルなんだそうだ。
それは余談だけど、もっとも驚いたのが暴君が多く存在していたって事で、それは日本ではちょっと考えられないくらい酷い印象だ。
特に酷いのが、イングランドのジョン王っていう人だ。
これ、書いてあることがどこまで本当のことか分からないけれど、日本にはこんな天皇陛下や将軍はいないと断言できるくらいの暴君、というか暗愚な人だ。
数々の失政を重ねた結果として、付いたあだ名が「欠地王」っていって、最初の意味は違っていたけれど、最終的には領土を失ったから付いた不名誉な名前らしい。
ロビンフットの伝説に出てくる「悪い王」とは、このジョンのことなんだって。
最後は自分の国の貴族たちからも「ええ加減にせんかい!」って怒られて、王様が勝手なことをしないように、大憲章を受け入れざるを得なくなった。
これは世界初の憲法らしいけど、そもそも憲法っていうのは、権力者が勝手なことをしないよう縛るために存在するんだけど、それはこの人の行為をきっかけにして始められたのだから、逆の意味で功績として認めてあげればいいじゃない!
でも、この人は「欠地王」以外にも、「甥の殺害者」、「腰抜け王」、「ノルマンディの喪失者」などのあだ名でも呼ばれているって話だけど、どこまで悪く言われるんだろう?
以来、イギリスではジョンって名前は王家において忌避されているそうだ。
もっと嫌なあだ名が「血まみれ女王」だよね。
イングランド女王だったメアリー1世は、多くの異端者を処刑したから、このあだ名が付いたらしい。
兄様によれば、この人の名前を付けたお酒があるそうで、ウォッカをベースとする、トマトジュースを用いたカクテルという種類のお酒らしく、名前はそのまんま「ブラッディー・マリー」っていうらしい。
なんか嫌だな。大人になっても飲まないようにしよう。
フランスも酷いあだ名の王様が多い。
禿頭王、肥満王、吃音王、単純王。ここまででも十分酷いけど、ルイ11世という人のあだ名に至っては「遍在する蜘蛛」…って…もはや人間ですらない……
いったいなんなんだろう?
太陽王って人もいて、これは凄い実績のある人だからそう呼ばれたのだと思ったけれど、演劇で太陽神アポロンの役をしたからそう呼ばれるようになったんだって…
こりゃ山賊王とか、海賊王なんて人がいても不思議じゃないな。
それからロシアもだ。
伝統的に暴君ぞろいって感じだけれども、特にお友達にはなりたくないと感じたのが、日本では「雷帝」とも言われるイヴァン4世。
ロシア語では「グロズヌイ」って言われるんだけれど、これは「恐怖を覚えさせる」とか「厳めしい」といった意味を持つ言葉だから、本当は「雷」って意味は無いんだよね。
でも日本では「イワン雷帝」って言われている。
幼い頃に犬や猫を高い場所から落として虐待していたっていう伝説がある怖い人で、無抵抗の息子夫婦を殴り殺したらしい。
絶対に近付きたくないし、アレクセイも忌避してた。
でもこの人が最初のお妃の実家であるロマノフ家を優遇したから、現在の王朝に繋がったという話だった。
一方で偉大だと評価された統治者もいた。
それが「大帝」と言われる、皇帝の中でも大きな業績を残して後世まで賞賛される存在の人たちで、世界各地にいるけれども、ロシアでは次の三人だった。
・イヴァン3世 モスクワ大公
・ピョートル1世 最初のロシア皇帝
・エカチェリーナ2世 女帝
まずイヴァン3世は弱小国だった地域を「タタールのくびき」という遊牧民族に支配されていた状態から解放し、ロシアとなる前にモスクワ大公国と呼ばれた支配領域を東西に大きく広げて、強力な統一国家を建設した名君と評価されている。
次のピョートル1世はインペーラトルの称号を贈られたので、国家体制を「帝国」だと宣言した。
同時に対外的な国号を「ロシア帝国」と称すると、ツァーリとして内外から認められるようになった。
最後のエカチェリーナ帝はロシア皇帝なのに、なんとロシア人じゃ無いんだ。
この人は生粋のドイツ人で、ロシア人の血が一滴も入っていないのに、ロシア皇帝になったんだよね。
なんでかって言えば、夫だったロシア皇帝があまりにも駄目な人だったから、周囲の人に泣きつかれて皇帝になったらしい。
ロシアに漂着してしまった大黒屋光太夫と面会したという記録があるから、日本との関係が始まった皇帝とも言えるだろう。
外国人が皇帝になれるんだね?
日本で言えばアメリカ人が天皇陛下になるみたいな感じかな?
ありえない!
それからフランスでは、ブルボン王朝の発展と繁栄のために大活躍をして、近代フランスの礎を築いた大政治家と評価されているリシュリュー枢機卿、通称は黒衣の宰相っていう人がいて、その人が自分の後継として選んだのが、イタリア人のジュリオ・マザリーニという人だった。
後世ではフランス語読みでジュール・マザランとして知られ、フランスの発展に尽力した大宰相だけれど、ヨーロッパでは外国人が一国の総理大臣になっても問題ないんだね。
外国生まれの人でも、その国の発展に尽力すれば受け入れてもらえるという話なんだと思う。
これも日本では考えられないけれど、ヨーロッパみたいに国境線が入り乱れていたり、民族が入り混じっていると不思議なことでは無いらしい。
各国の歴史を調べると、人間の営みって国が違ってもあまり変わらない感じだけれど、日本よりもはるかに悪王や暴君が多いなって思うし、結論としては日本人に生まれて幸せだと思った。
それからしばらくしてロシアに渡る日が近付いた頃、高麿兄様がなんとアナスタシアさんの姉君であるオリガ様と結婚するって知った!
相手はロシアの皇族だし、身分の差とか大丈夫なのかな?と思ったんだけど、先方としては問題ないらしいし、日本でも天皇陛下はじめ皆さん祝福して下さっているみたいだ。
これってもしかしたら、僕にも希望があるってことかな?
だとしたらロシアに行っても頑張って仕事ができそうだ!
よし!やるぞ!!