第六十三話 ロシア&東パレスチナ建国と結婚
1918年12月11日
Side:近衛高麿
ロシア立憲君主国と、東パレスチナ両国の建国が同時に宣言された。
ロシアの建国は、主にヨーロッパ諸国から歓迎された。
理由は単純で、帝政時代からの対外債務をそのまま引き継ぐと宣言したからだ。
一方のソ連は、この債務を踏み倒すと権力奪取早々に宣言していたから、共産主義の危険性とあわせて、諸外国の受け止め方の違いは明白だった。
とはいっても、東半分に国土が縮小し、まともな産業基盤をこれまでこの地域で整備してこなかったロシアが、いきなり借金返済を開始出来ようはずもなく、利払い停止や、返済期間延長などの優遇措置は要求していたが、債権者側の立場とすれば、債権が焦げついてしまったと諦めていたところだったので、予想外の嬉しい話だったから全員が承認したし、建国に尽力した日本は特に感謝された。
ロシアの新首都はウラジオストク、東パレスチナの首都はナホトカで、同じピョートル大帝湾内に位置しており、双方は直線距離で80km程度しか離れておらず、道路が整備されたら車を使用して3時間以内といった近さだ。
この2都市には、既に日露戦争後のポーツマス講和条約によって、日本の通商代表部が設置されており、ここを拠点に日本大使館が併設されることになった。
もっとも、この状況になるのを見越していたから、最初からここに拠点を置いたのだが。
ロシア立憲君主国は、国家の基本となる憲法制定と、議会の設置が急いで行われている。
まずは帝政時代に国会議員だった人物や、それを支えた官僚たちを積極的に登用して、国家体制の形成を急いでいる。
国会は、帝政時代においては名ばかりの政治機構だったが、今後は機能していくだろう。
初代首相は、帝政ロシア最後の首相だったニコライ・ゴリツィン公爵が暫定で就任し、落ち着いたら初の総選挙が行われるだろう。
国民の総人口は、これまで開発が進んでいなかった事もあり、だいたい400万人と現時点ではささやかだが、ソ連内での秘密警察の暗躍と、赤色テロ、共産主義へのアレルギー、既に始まっていた収容所送りなどの恐怖政治から逃れた人々の脱出が続いており、人口は急速に増えていくだろう。
特に1932年から始まるだろう、「ホロドモール」と呼ばれることになる予定の、スターリンによる弾圧によって、脱出者は一気に増えるだろうし、日本はNHKに内情を探らせ、積極的にプロパガンダに利用させてもらったうえで、民衆の脱出に協力しよう。
なにせこの蛮行によって最低400万人、最大で1500万人が死に追いやられたと言われている。
主な被害地域はウクライナだ。
また国境付近のクラスノヤルスクには、日本陸軍第七師団が駐留し、ロシアの国家体制が固まって常備軍が編成されるまでは、ソ連に対して睨みを効かせる任務に就いている。
その常備軍だが、史実においてソ連の赤軍と戦い続けた、いわゆる『白軍』の将兵も続々と集結しており、こちらも史実通りアレクサンドル・コルチャーク、アントーン・デニーキン、グリゴリー・セミョーノフらによって再編、強化されつつある。
この状況において、史実ではもうこの世に存在しなかったロマノフ皇帝という、旗印というか、国家の核となるものが健在である事実は本当に大きいと感じる部分だ。
海軍は、帝政ロシアの太平洋艦隊が小規模ながら存在していたので、このまま新国家へ移管されるみたいだ。
ウラジオストク港には、修理設備はあっても本格的な工廠施設は無いし、鉄鋼生産工場なども存在していないが今後は充実させていくだろう。
繋ぎとして、日本に軍艦の発注はあるかもしれない。
まあ地政学的環境を考えると、海軍は極端な言い方をすれば、無くても問題ないくらいだから、優先すべきはやはり陸軍だな。
その陸軍における主要な装備は、帝政ロシア時代のものが多いが、日本から供与した武器も行き渡りつつある。
今後は国境付近において、ソ連との小競り合いは頻発するだろうから、日本製の各種新型兵器の良い実験場になるだろう。
また、ロシアと東パレスチナの国境付近には、万が一の紛争に対応する目的で、イギリス陸軍から一個中隊が派遣されて警備に当たっている。
新たなロシア立憲君主国の初代皇帝は、アレクセイ君、いやアレクセイ2世陛下で、父親のニコライさんが当面の間は後見することになった。
そして近衛家からは末子の彦麿が、アレクセイ2世陛下の側近として共にロシアに赴くことになった。
これは、アレクセイ陛下のたっての願いでもあり、ニコライさん夫妻からも懇願されたからだ。
アレクセイ陛下と彦麿は、無二の親友として友誼を結んでいたみたいだ。
以前からオリガさんが心配していた、アレクセイ陛下から見て「信頼に値する人物」がいないという問題は、意外に身近なところに解決策があったわけで、オリガさんは涙を流して喜んでくれたし、心配事が消えて安堵しているみたいだ。
確かにアレクセイ陛下には、信頼できる友人が必要だし、建国に当たってはソ連との違いを明確にするためにも、大衆に対して善政を敷く必要があり、それには自由と平和、そして伝統の重みというバランスを知っている彦麿のような外国人の意見も必要だろう。
俺としては少し寂しくなるが仕方ない。
陛下をよく支えるよう頑張れ彦麿!
まあ、お祝いというわけではないが、ロシアに眠る地下資源については、大まかな場所を覚えている範囲で教えておいたので、これらを活用してロシアの体制構築に役立てて欲しい。
日本にとっても利益があることだしな。
特に金、石炭、鉄鉱石は有望だし、現在はソ連領だが、シベリア西部にはサモトロール油田という、世界的に見ても大変有望な油田が眠っているのだ。
将来、これらを活用する時代が来るかもしれない。
そしてアレクセイ陛下は、早々にお妃選びをするみたいだ。
少し早いような気がするが、陛下の抱えている病気が病気だけに、国家の命運がかかるから仕方ないと思う。
国際関係では、露仏同盟は継続されたし、ウラジオストク西方で国境を接するイギリスとも合わせて、四カ国同盟は、第一次世界大戦開始時と同様の条件で継続された。
今回の仮想敵は、もちろんソ連だ。
ロシアにとってソ連は不倶戴天の敵であり、ペトログラードやモスクワといった、父祖の地を奪還するのが最終目標となる。
とは言うものの、世界から見たら、実質的な日本の傀儡国と映るかもしれないのが悩ましい所ではある。
だが、史実の満州国のように、清朝最後の皇帝を無理やり連れてきて即位させたわけではないし、大韓帝国のように併合したわけでもないから、気にする必要はないのかもしれない。
何れにしても、ロシアとしては国民のため、借金返済のために、これまで視界に入らずに放置してきたシベリアの開発と産業育成、日本海を通じた交易と重工業への投資を主体として、人口の増大と国力の増強を図っていくだろう。
また一方の東パレスチナだが、初期の人口はナホトカを中心に30万人程の規模でスタートした。
国土の面積はナホトカを起点として、東北方面の日本海沿いに拡がる9万平方キロメートル弱と、北海道よりは少し広いくらいの大きさで、ささやかなものだ。
既に海沿いに点在する平野部では入植が始まっていて、農地開拓からスタートしている。
国土は山脈がその大部分を占めていて、居住可能面積はそれほど多くないのも特徴だ。
一方で海沿いの街が山岳地帯のすぐ側にあるという点は、西と北からの侵略に備える必要性が低い事を意味し、ナホトカ周辺さえ防衛できれば、後は海からの備えをすれば良いとなる。
だから軍備は最小限で済ませるみたいだが、こちらへは取り敢えず日本の中古巡洋艦と駆逐艦を供与している。
国交的には「ポグロム」の記憶が生々しく、隣国となったロシアとはいきなり友好関係を築くのは無理だろうが、お互い協力しないと今度はソ連に蹂躙され、より悲惨な状況に追いやられるだろうから、背に腹はかえられないだろうし、日本としてもそのように誘導するつもりだ。
確かにこの場所は、本当の意味で「イスラエル」だとは言えないだろう。
彼らが有する歴史や聖書の中において、この地は一切登場しないし、何の縁もゆかりもないから、ユダヤ人の中でも原理にこだわる人たちは、東パレスチナを認めないかもしれない。
しかし、この地に集まった人たちは、遥か昔からヨーロッパにおいてユダヤ人を集めて閉じ込めていた「ゲットー」に住まわされることはもう無いし、表向きは誰よりも敬虔なキリスト教徒を装いながらも、心の中ではユダヤ教徒として生きる、「内なるゲットー」を選択せねばならないこともない。
ましてや「ポグロム」のような虐待を受ける心配など皆無だ。
「外も内」も、ユダヤ人として堂々と生きていけるのだから、その一点だけ見ても価値はあると見てくれる人が多いのも事実だろう。
こちらも憲法制定と議会の設置から動き出し、指導者としてはダヴィド・ベン=グリオンという、俺と同い年、32歳の人物が担う事になった。
この人は史実において、初代と第3代のイスラエル首相を務めた人物だ。
そしてアンソニー・ド・ロスチャイルドも、東パレスチナに移住するみたいで、大蔵大臣を引き受けるそうだ。
俺とは距離が近くなるから嬉しいが、家業は大丈夫なのか心配になって確認したのだが、長男がそもそも健在だし、次兄のイヴリン・アシル・ド・ロスチャイルドは第一次世界大戦を生き抜いたので、こちらに家業は任せて、三男のアンソニーはユダヤの未来を開拓することに賭けたみたいだ。
しかし、ビジネス面では同じユダヤ人から金利は取れないから、外国への融資や投資活動が主になるだろう。
この他に、現時点で東パレスチナに移住してきた人の中で、史実の未来で著名となる人物がどれほどいるか興味があったから調べたところ、見落としはあるかもしれないが、有力な政治家になりそうな人物が多数いた。
現時点の年齢と、史実における肩書も併記する。
・モシェ・シャレット 24歳 イスラエル第2代首相。
・レヴィ・エシュコル 23歳 イスラエル第4代首相。
・ゴルダ・メイア 20歳 イスラエル第5代首相。
・メナヘム・ベギン 5歳 イスラエル第7代首相。
・ハイム・ヴァイツマン 44歳 イスラエル初代大統領。
・イツハク・ベンツビ 34歳 イスラエル第2代大統領。
・ザルマン・シャザール 19歳 イスラエル第3代大統領。
・ヨセフ・スプリンザック 33歳
その他にも目についたのは以下の人物だった。
生化学者、作家のアイザック・アシモフは0歳。
日ユ同祖論のヨセフ・アイデルバーグは2歳。
イスラエル軍将官のモシェ・ダヤンは3歳。
といったところで、もしかしたら将来ウクライナ大統領となるゼレンスキー氏の先祖も混じっているかもしれない。
同姓同名の可能性はあるし、運命が変わるのだから、全員が世界的に有名になるわけじゃないだろうが、それぞれ素質はあるのだから注意して見ることにしよう。
これでお分かりのように、史実のイスラエルにおいて、初期の政治の主体を担ったのは、今回東パレスチナに移住したロシア、ベラルーシ、ウクライナといった地域出身者が殆どを占めた。
これはもちろん、ドイツ占領地で発生したホロコーストの影響は無視できないだろう。
600万人以上のユダヤ人が虐殺されたからだ。
史実と違って、もし今後ホロコーストが起きなかったり、あるいは殺される前に東パレスチナに亡命できれば、もっと多くの人物が政治家や科学者となって後世に名を残すことが出来るだろう。
また、現在ドイツ方面に居るアインシュタインや、ノイマンといった著名な科学者はアメリカには渡らず、東パレスチナに来る可能性がある。
しかし来ないのであれば、日本に呼ぶつもりだ。
でないと、ナチスの勢力圏に留まったままだったり、アメリカに行ってしまうと色んな意味で危険だ。
ああ、その際はアメリカ在住ユダヤ人のオッペンハイマーにも声を掛けてみよう。
一方で、ロシアと対立するソ連にも実はユダヤ人が多くいる。
代表的な人物としては…
グリゴリー・ジノヴィエフ45歳。
レフ・トロツキー40歳。
などが挙げられる。
二人とも著名な政治家で、今後スターリンと対立することになるから、動静には要注意だ。
もっとも、彼らが主義を変えて資本主義に身を置くとは考えづらいが。
こうして日本海は、交通と交易ネットワークの中心となった。
イギリス領朝鮮に加えて、ロシア立憲君主国と東パレスチナが、日本の上得意の顧客として新たに加わり、日本海を囲む経済ネットワークが完成したわけだ。
そして俺は、ニコライさん一家が建国のためにロシアへ帰る直前となった10月の終わりに、オリガさんに対して俺の思いを打ち明けることにした。
本当に怖くて震えたのだが、ユトランド沖海戦の時のように、命の危険があるわけじゃないと勇気を振り絞って言った。
「オリガさん。ロシアには帰らず、ここにずっといてくれませんか?」
と。
オリガさんは戸惑ったように言った。
「コノエ様。それはどういう意味なのでしょうか?」
ああ…失敗した。これじゃ伝わらない!
「私はオリガさんのことが好きです。結婚していただけませんでしょうか!?」
言えた!言えたぞ!!
「本当ですか?とても嬉しいですわ。末永くお側に置いてください・・・」
まじか!?夢じゃないだろうな?大事にするぞ!もう二度と、危険な目には絶対に遭わせない。絶対にだ!
狂喜乱舞した俺は、一旦落ち着くよう自らに言い聞かせて、自分の両親とニコライさん夫妻に報告した。
それに対して、俺の両親やきょうだいも祝ってくれたし、ニコライさん夫妻やオリガさんのきょうだいも大変喜んでくれた。
どうやら以前から似合いの二人だから、結婚させてはどうかと両家で話し合っていたらしい。
だったら早く言ってくれよ!
ただ、オリガさんの家族は、建国に合わせてウラジオストクに戻らねばならないという日程の都合もあったから、急ぎ両家だけが参列した結婚式を挙げることになった。
結婚式はちょっと遠いが、横浜の春日神社にて行った。
弟の一人忠麿が近衛家の氏神でもある、奈良の春日大社宮司を務める水谷川家に養子に行っていた縁で、「系列」神社であり、海も見たいし紅葉がきれいな季節だからここにした。
妻となったオリガさん、いやオリガは、見慣れぬ日本の風習に戸惑いを感じていたみたいだが、懸命にこちらに合わせてくれたのはとても有り難かったし、白無垢姿の彼女はとても神々しくて美しく、両家の参列者は皆、感嘆の声をあげた。
結婚式の後はそのまま熱海や箱根を観光したので、これが新婚旅行のようなものだと言えるだろう。
周囲は紅葉の季節を迎えて本当にきれいだ。
妻となったオリガも、日本の四季の美しさに感動してくれているみたいなので、取りあえずは一安心かな。
帰京後の自宅は警備の関係上、実家のある新宿のままで、両親や残った弟の直麿との同居となる。
ま、家は広いから全く問題はないんだけど。
俺たちの結婚に対しては、陛下をはじめ、皇室の方々も歓迎していただいたし、国民の評価もすこぶる上々だ。
しかし一部の親戚には、「由緒ある家系に外国人の血が入るなんて許せない」とか、「国家機密が外国に漏れる」などと言いだす古い考えの人物が少数いたので、そういった人には俺が直接出向いて行って、「近衛家は隣国との友好のために体を張っている。今回の結婚もそうだし、末弟彦麿をアレクセイ2世陛下に差し出してもいるが、あなたは日本のために何をしたのか?」と問い詰めたら、全員が黙ってしまった。
まあそんなものだろう。気にするだけ無駄だ。
しばらくして、ウラジオストクへと旅立つニコライさん一家と、同行する彦麿を見送るために新潟まで行ったのだが、遠いとはいっても日本海を挟んで対岸だし、直線距離で新潟とウラジオストク間は800km少々で、東京からだと福岡までの距離と変わらない数値だから、会おうと思えばいつでも会えるだろう。
アレクセイ君と彦麿は、とにかく元気で頑張って欲しいものだ。