【外伝】近衛篤麿 ⑯内閣総理大臣!
1918年(大正7年)5月
大役を終えて帰国した私は、国際的な調停機関、おそらくは国際連盟と言われることになりそうな集まりの本部を、東京に置く準備を石井外相らと協力して始めた。
まず場所だが、これは華族会館が至当であろう。
ここはかつて鹿鳴館と呼ばれた建物で、不平等条約解消のため欧米の領事夫妻たちを接待した場所であり、外務卿だった井上さんによって推進されたが、好ましい外交成果が得られなかったことから取りやめとなり、現在は華族会館として使用されているのだ。
改めて思い返せば、当時の列強は日本に格下の特命全権「公使」は置いていても、特命全権「大使」は置いていなかったのだ。
文明国、いや一等国と認められていなかった証左であり、屈辱の時代だったと言えよう。
そんな建物が今度は国際連盟本部となって、世界の平和を維持する為に活動するなど…これまでは考えられない画期的な出来事だろう。
これを知った国内の雰囲気は「歓喜」という一言で表わせるだろう。
日本はイギリスが用いる地図に描かれるような世界の果て、「極東」の田舎者では無くなったのだ。
この事態は改めて言うが考えられない出来事だ。
だがもっと考えられないことは、私が首相となった事か。
私自身はなりたいとは考えていなかった。
それでも私が総理になったのは、これまで日本の舵取りをしてきた西園寺さんの意向が大きく、政治の主体を藩閥には戻したくないとの方針の結果であり、更には陛下の御意向と承認が得られたという点も大きかろう。
だからと言って無限の権限を与えられたわけでは無いし、現在の政府において特に上層部を構成するのは藩閥出身の者が多い故に、それらの者に一定の配慮は示しつつ徐々に体制を改めるつもりだ。
これで焦ったのか、あくまでも藩閥政治に拘る山縣さんは、皇太子殿下のご成婚に対し、婚約内定後に異議を唱えるという、考えられない暴挙に出た。
山縣さんたちの言い分としては、お后として内定された方の家系に、色覚異常という遺伝病の疑いが有るとか無いとかといった些末な話らしく、お二人の間に生まれた皇子が将来、皇族として軍人の勤めを果たせるのか否かといった下らぬ理由らしいが、何を言っておるのかよく分からん。
そんなつまらぬ事を言い出せば、皇太子殿下は既に近視であられるのを理由として、眼鏡を掛けておいでではないか!
そちらは問題とならぬのか?
つまり婚約を解消せねばならぬ正当な理由とはなり得ないし、病に臥せられることの多い陛下に対して余計なご心痛を与える不忠をどう考えるのだ?
更には臣下の身分でありながら皇室の婚姻にまで干渉するとは増長の極みだ。
要するにこれは、私と薩摩閥を潰す動機で行われたのは明らかだ。
何故なら皇太子殿下のお相手となられた久邇宮良子様は、母方が薩摩系だからなのだが、このような薩長の醜い争いを皇室のご成婚に持ち込むなど言語道断で、臣下として有り得ぬ愚行だ。
山縣さんという人はこれまで、自らの派閥、通称「山縣閥」を通じて絶対的な権力を手中にして国政を牛耳っていたからな。
感覚が麻痺したか、若しくは耄碌したか?
何れにしても策を誤った今こそ、藩閥が主体となっている政治を覆す千載一遇の好機とは言えるだろう。
そこで今回の件をどう扱うべきかを高麿と相談したのだが、この時に「宮中ぼう重大事件か…予定より早いな…」と、またよく分からぬ事を呟いていたが、いったいその“ぼう”とはなんだ?
どんな字を書く?亡か?暴か?謀?それとも呆なのか?
こやつは意味不明な事を言わねばもっと良いのだが…
それと聞き逃せないのが「予定より早い」とはどういう意味だ?山縣さんの動きを察知していたとも聞こえる部分だが…
だがまあ対策を話し合った結果、山縣さんの行為を隠蔽するのではなく、逆にこの事実を噂として広く市中に拡散して、山縣さんに対する反発に繋げるという策をとった。
結果として山縣さんは失脚し引退、いやほぼ蟄居に近いな。
表舞台から消えた。
この機会を逃すわけにはいかぬから、以前から高麿や有識者たちと協議し、骨子が完成していた政策を一気に行うことにした。
陛下と皇太子殿下の御承認を頂き、帝国議会の決議を経て改革を断行することにしたのだ。
高麿の表現を借りれば、それは「民主化」というらしい。
一部例外はあるものの、基本的に25歳以上の男女「全員」への参政権を認める決定を下した。
これは先の大戦に際して、欧州へ派兵された兵士の労苦に報いるのと同時に、女性の活躍による生産活動が顕著であり、連合国側への軍需物資や関連物資の生産に大いに貢献し、結果として戦勝に対する寄与が大きかったと判定されたことに対する処置だ。
いわゆる女性参政権の承認というわけで、現時点でこれを成している国はニュージーランド、オーストラリア、フィンランド、ノルウェー、デンマークの5カ国のみであり、いずれも人口が少ないという共通点を持っている。
つまり実行しやすいという事であり、大国ではあの英仏でも実現できていないのだ。
私としては一般男子はともかくとして、女性の権利を認める策についてはどうでも良いと考えていたのだが、高麿の強い押しによるものだったのは間違いない。
同時に選挙権だけでは無く、女性に課せられていた様々な制限、封建的というべきもの、それらも徐々に解除していく方針だ。
具体的には教育格差、就業格差、賃金格差、定年格差、そして容姿差別などだ。
意外にもこれが国民の受けが良かったのは間違いないであろう。
何れにせよ国民の支持があることは良いことだな。
これまでの国内経済は、半島や大陸へ予定していた投資を本土や新領土へ振り向けたこと、そして日清・日露戦争勝利によって得た賠償金を利用した産業や経済面での伸長が著しい。
また世界大戦への参戦と、それに伴って欧州への軍需物資の供給源となったことによる戦争特需、同盟国の戦時公債購入による受益、更には戦勝による国威発揚を背景として、更に好況に沸いている。
それが「光」であるなら、一方で「影」も有るのは当然だし、光が強ければ影もまた濃くなるのは防ぎようが無い。
時代に取り残された人も少数ながら存在し、社会問題になりつつあるのも事実だった。
特にそれは近年に都市に移り住むようになった、土地を持たない労働者階級においてより顕著だったと言えよう。
更には英米仏といった先進国の政治機構への認知度が上がって来て、日本の現状と比較するような風潮も形成されていた。
これに対して対策を施さねばならぬし、例の共産主義という名の邪教は何としても排除せねばならぬ!
しかし、ただ単に邪教を禁止するのではなく、邪教そのものが拡がらないような手立ても同時に行わねばならないし、そうでなければ効果も薄いだろう。
よってマルクスの浸透を助長する恐れのある社会的な不安材料は、これを徹底的に排除し、国民の目が共産主義に向かないような方策を用いていかねばならないのだ。
そのための順番としてはまず最初に、かねてより課題だった肥大化しつつある財閥の制御を行わねばならないだろう。
財閥が巨大化するのは、海外資本に対抗する意味においては決して悪い事ばかりではない。
弱小企業群が存在するだけの、まさに烏合の衆状態では海外へ雄飛することも叶わぬし、外国資本によって日本が経済的に占領されてしまうような事態にもなりかねない。
だが、現状はどうなのかと言えば、既に財閥による排他的で独占的な活動という欠点が表面化しつつある状況だから、これ以上の肥大化は防がねばならない。
そもそも財閥とは、創業家の一族による同族経営による純粋持株会社を指すことが多く、国内においては既に三井、八島、安田、鈴木、春日、川崎、三菱、住友、極東、揚羽という10の大財閥が力を持っているし、中でも八島、揚羽、三井、三菱、住友の5財閥は巨大だ。
その他にも20ほどの中小の財閥が勃興しつつある段階だから、近い将来に彼らは利益を最大化させる為に野合し、価格操作や談合を行うようになるであろうし、手をこまねいていれば政界への影響力も無視できない状況になってしまう。
これらを制御するため、こちらも高麿と相談して「独占禁止法」の制定を行った。
この法の目的と内容は以下の通りだ。
①私的独占、不当な取引制限、及び不公正な取引方法を禁止し、事業支配力の過度の集中を防止して、談合・協定等の方法による生産、販売、価格、技術等の不当な制限、その他一切の事業活動の不当な拘束を排除する。
②公正で自由な競争を促進し、各事業者の創意を発揮させ、事業活動を盛んにし、雇傭及び国民実所得の水準を高める。
③これにより一般消費者の利益を確保するとともに、国民経済の民主的で健全な発達を促進する。
以上のように、国民から見たら画期的なものと評価されるような施策となった。
また、この独占禁止法の効果を上げるために、次の禁止事項を設けた。
①財閥を財閥たらしめるのは、中核となる持株会社の存在だが、この設置は禁止とした。
これにより複数の業種において、市場において支配的地位を持つ企業を傘下に持ち、尚且つその会社が証券取引所に上場しない同族経営の財閥持株会社を設立することは不可能となった。
②同時に既存の会社がそのような会社になることも禁止した。
③金融事業者に対しては、金融機関以外の業種を営む事業会社の株式保有に上限を設けて、肥大化を抑制することにした。
今後はこの法律の実効性を高めるために、付随する様々な法律、一例としては不正競争防止法や景品表示法、下請法なども整備していかねばならないし、民法と商法も改正して労働者の権利を守っていかねばならない。
また言論と出版の自由も大日本帝国憲法で保障されていたが、改めて不敬罪を唯一の例外として、これを全面的に認める布告を行った。
追加処置として労働者階級へのスト権承認を行なった上で、最後に共産党の活動禁止と非合法化を布告すると同時に、共産党へ解散命令を出した。
これらの施策を実行し、不当に搾取されたと感じた労働者が、邪教を支持することによって日本国内に拡がることを抑える算段だ。
政治の世界においては政友会と、野党となった憲政会との二大政党制が固まった事も大きな出来事だった。
これによって私が長年志向してきた政党政治がようやく完全な形で実を結ぶことになり、本当の意味で日本の近代化が完成したと言えるのではないか?
その際に新たな選挙制度の下で総選挙も行われたのだが、高麿は貴族院ではなく敢えて衆議院議員として政友会から立候補して、圧倒的な得票率で当選を果たした。
これは私の政策が信任されたことを証明するから実にめでたい!
それから東北地方の開発も急務だ。
これまでは放置されていたに等しい扱いだったからな。
何故かと言えばこれまた藩閥政治の影響であり弊害だ。
歴史的に見てこれまでの藩閥政府は薩長土肥、つまり戊辰戦争における「官軍」の主戦力だった藩が主体となった政府であったのに対し、東北地方の諸藩は奥羽列藩同盟、つまり敗れた「賊軍」側が多かったのだ。
各県の県庁所在地の地名が県名と一致しないのは、元が「賊軍」であった場合が多いという説を聞いたことがある。
本当か否かは知らないし、また全てではないだろうが、仙台や盛岡といった例もあるから根も葉もない話ではないのであろう。
今後は西日本に比べて開発が遅れている東北地方への積極的な資本投下を行なって、殖産興業を促進せねばならぬし、その対象面積は広大だ。
これらの施策を実行する主要閣僚としては以下の通りだ。
外務大臣 石井菊次郎
大蔵大臣 高橋是清
内務大臣 犬養毅
陸軍大臣 秋山好古
海軍大臣 山本権兵衛
司法大臣 原敬
以上のように優秀な顔ぶれを揃えることに成功したから、強力な改革と近代化を推し進めていく所存だ。
私としてはこの安定した状況を活かして国際的な貢献も果たさねばならぬ。
まずはロシア立憲君主国と東パレスチナ建国に向けた支援体制の構築と人材の派遣だ。
これまでロシアの主要地域であったウラル山脈から西側は共産党が押さえてしまっている状態だが、ロシアを積極的に援助しないと邪教が拡がってしまう。
それは日本が防壁を失うのと同義だから、決して看過できぬ。
東パレスチナも同様だ。
健全な国家体制となってもらうことは日本の国益に資するのだ。
ウラジオストクとナホトカ両市の都市開発にも日本と現地政府共同で着手せねばならないだろうし、当面の活動資金も援助しなければならないだろう。
長い目で見れば商売繁盛になりそうだから大変すばらしいとは言えるな。