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第六十話 ついに「表」舞台へ

1918年(大正7年)4月初頭


Side:近衛高麿


帰国後に全権委任団は解散し、俺には穏やかな時間が少し戻ってきたので、オリガさんに結果報告を兼ねてデートを申し込んだ。

近所の公園に来ているのだが、桜が満開でとても美しい。


オリガさんのほうが美しいけれど。


「新しいロシアが国際的に認められましたので、以前のロシア帝国の東半分を統治する新たな帝国が誕生できそうです」


と報告したら、彼女はとても嬉しそうに言った。


「日本の皆様と、コノエ様には本当に感謝しかございませんわ。

これであの恐ろしいボリシェビキから国民の皆さんをお救いすることが出来ます」


まあそうなんだけどな。しかしそんなふうに言われると、確認しておきたいことがある。


「それについては少しお聞きし辛いのですが、あなた方ご一家が日本に来ざるを得なくなったきっかけは、ロシアの民衆が暴動を起こしたせいであると思うのですが、それについてはどうお考えなのですか?」


これはちょっと答え辛いかな?意地悪をするつもりは全くないが。

でも確認しておきたい。


「それについては、認めるのはとても辛いのですが、父の方針に問題があったのと、何より戦争のせいですわ。国民の皆さんの生活が安定していたら、そうはならなかったでしょうから。

私たちは、そんな皆さんの苦しい生活も知らずに安穏と暮らしていましたから、とても申し訳なく思っています」


そう感じるわけか。やっぱり優しいし民衆思いのプリンセスなんだな。

しかし、彼女達のお母さんのアレクサンドラ皇后が決めた、子供達への教育方針はとても厳しく、可能な限り質素な生活を子供達に求めたそうだが。


ベッドメイキングは勿論、身の回りの事はほとんど自分でやらせたし、子供たちは自分たちが入る風呂の水汲みまで各々でやっていたそうだ。


前世でそんな史料を読んだ時の印象としては、「禅寺か、修道院みたいだな」と思った記憶がある程だから、贅沢や豪奢な生活とは対極にある清貧に近い生活をしていたはずだが、それでもそう感じるのか。

俺なんかじゃ想像つかない、本当の意味での究極の上流階級なんだろうな。


ここで気をつけねばならないことは、ロシア革命の原因は共産主義者たちが主張するような、皇族や貴族たちが国民の窮乏を無視した贅沢な生活を送っていた。というのは事実なのか?という点だろう。

少なくとも、皇帝一家の生活はこのようなものだったのだから。

だがまあしかし、過去はともかく未来に進まなければならないな。


「確かにそうかもしれませんね。しかし、今度はアレクセイ殿下が違う形で再び統治なさることで、ロシア国内は安定するのではないでしょうか?」


ここでオリガさんの表情が曇った。


「そうかもしれませんし、そうするしかないのでしょうが、アレクセイは病気を抱えていますので、本当に皇帝の役目を果たすことが出来るのか少し心配です。

私としては、あの子には静かに暮らして欲しいと願っていましたし、それが叶わないのであれば、せめてどなたかアレクセイが心から信頼することが出来る方が、お側についていて下されば安心出来るのですが」


なるほど。確かにそうだな…しかし信頼できる人物か。


難しいな。


確かアレクセイ皇太子が幼いころから馴染んできて、信頼していた人物たちが、ロシア革命時には皇太子に対して虐待行為を働いたはずだから、彼の心の傷は深いだろうしな。

最初会った時にアレクセイ君に元気がないと感じたのは、おそらくそれが原因だろう。


「現在のお付きの方々では、その任に堪えませんか?」


「皆さん本当に頑張ってくださっているのは理解していますが、アレクセイが生まれてから育んできた人間関係は壊れてしまいました。

もしかしたら、ロシア国内の方ではもう難しいのかもしれません…」


トラウマと言う奴か。難題だ……オリガさんが長女として、彼を支える責任を果たすしかないのだろうか…


「ではオリガさんも、アレクセイ殿下を支えるために一緒にロシアに戻られるおつもりなのですか?」


帰らないで欲しいのだが……


「そこは少し悩んでいます…お恥ずかしい話なのですが…実は……私は母とは少し折り合いが悪いということもございまして…あの祈祷僧の方が、母に近付いて以降は、意見が合わなくなる場面が多くなってしまいました」


…アレクサンドラ皇后と、ラスプーチンの関係のことか。

様々な噂が100年経っても消えていなかったし、普通の日本人でも知っていたくらい有名だが、実際の真偽のほどは不明だ。


しかし、オリガさんが直接母親に意見して以降は、お互いすれ違うようになってしまったという史実は知っている。


「・・・」


雰囲気が暗くなってしまった…オリガさんはハッとした表情になって、務めて明るい表情を見せて言った。


「それに、この国は本当に美しい国ですわ!

日本に来るまでは、ヨーロッパが一番だと思っておりましたが、季節が移り替わるごとに違った表情を見せてくれるこの国の景色は素晴らしいと思います。

そしてこのサクラの、儚いながらも強く美しい姿には心が奪われます。

まるでコノエ様のお優しい心のようですわ」


何て嬉しいことを言ってくれるのだろう。

ロシアに戻ってしまう前に、何とかオリガさんに思いを打ち明けることが出来ればいいな。

もしかしたら俺のことは受け入れてくれる可能性はあるかもしれない。俺の勘違いかも知れないが、そうだったら素直にうれしい。




さて、そろそろスペインかぜ対策を本格的に考えようと思っていたら、ある日帰宅した父が神妙な表情で俺に相談があると言って来た。


何事かと思って内容を聞いたのだが、それは予想外の話だった。


「今日、西園寺さんから、内閣総理大臣を引き継いで欲しいと言われた」


素晴らしいじゃないか!

今まで「裏」で国政を操っていたが、そろそろ「表」で勝負すべき時期だ。

それは俺も同様で、いつまでも父を頼るという訳にはいかないから、ちょうど良い機会だ。


「どうされるのですか?」


「正直、私はやりたくないのだが…」


「いや、受けるべきです。私も微力ながらお手伝いしますので」


父は腕組みをしながら言った。


「…うーん。しかしな……」


あまり表に出たくないのだろうな。気持ちは分かるぞ。

何故ならこの時代、「表」に出ると暗殺の危険度が増すからな。

いや本当に大正時代の日本人は元気で活動的だ。


言い方を変えると、極めて凶暴で怖い。


史実において暗殺された政治家として名前を挙げると、現役首相だと原敬や濱口雄幸、更に首相経験者で言えば犬養毅に高橋是清、齋藤實。

そこへ暗殺未遂事件を加えたら、それこそ枚挙にいとまがない。


そしてそれは何も「左」だけ気を付ければ良いって話じゃない。


期待したのに裏切られた、との考えに至った「右」は、もっと危険だ。

よって、華族筆頭の近衛公爵家だから安心などと言えないし「だからこそ危険」とも言える。


それからもちろん軍部も危険だ。

軍隊が国内においての最強最悪の暴力装置であるのは厳然とした事実であって、これをどう制御するかがポイントだ。


憲法の弱点は修正したが、五・一五事件や二・二六事件その物は起きなくても、似た事件が起こらない保証は無い。

なんと言っても「屁理屈と湿布は何処にでも貼れる」のだから。

それに最も危険な陸海軍の統合にも手をつけていないが、父が首相になればいよいよ実行しよう。

故に法体系と組織形態を見直すのはもちろん、可及的速やかに明石大将にご登場願おう。


それに「表」は俺も今までは避けてきたが、ここまで来れば逆に「表」で堂々と勝負したほうが都合の良い事も増えて来たから、丁度いい時期だろう。


「これから国内はもちろん、国際関係も激動の時期を迎えるでしょう。

この国を支えるためには父上のお力が必要ですし、後継ぎとして私も経験を積んでおきたいのです」


この俺の一言で父も覚悟を決めたみたいだ。

それによく考えたら、生き残っている元老で総理経験のない人物は父だけだったから、年貢の納め時といったところかもしれない。


年齢的にも55歳だし、早過ぎるということはないだろう。


そうして西園寺公望の後を継ぎ、国民の大きな期待を受けた近衛内閣が発足した。


いやいや!期待するなって!


むしろ「2代続けてお公家さんなんて、庶民の暮らしも分からんだろうし冗談じゃない」と言ってくれ。

その方が失敗した時の落胆が少なくて済むだろう?


主要閣僚としては


・外務大臣 石井菊次郎


・大蔵大臣 高橋是清


・内務大臣 犬養毅


・陸軍大臣 秋山好古 


・海軍大臣 山本権兵衛 


・司法大臣 原敬


以上のような強力なメンバーで、現時点で望みうる最高の顔ぶれだろう。

なんか暗殺された人物が3名も混じっているが、フラグじゃ無いことを祈ろう。


今まであまり触れてこなかったが、史実と違って日本の政治体制は安定していると言っていいだろう。

要因として一番大きいのは経済状態が良好であることだ。

経済と人心が安定しているという事は、直接的に政治の安定につながるのは古今東西どこも同じだろう。

ただし食えなくなったら、人は簡単に獣になるから気を付けねばならないが。


そんなタイミングで、嬉しい報告が飛び込んできた。

北里柴三郎がアレの開発に成功したのだ。もちろん抗生物質(ペニシリン)だ。

あの日以来ずっと研究を続けてくれていたのだが、志賀潔をはじめとする優秀なスタッフにも恵まれて遂に完成したわけだ。


ご存じのように感染症の特効薬となるし、ほかにも様々な病気にも有効な、21世紀でも無くてはならない薬だ。

北里博士から直接報告を受けた俺は、その労をねぎらうとともに直ちに全世界へ向けて情報発信した。


この抗生物質発見のニュースはたちまち世界を駆け巡り、特に医療関係者を大いに喜ばせた。

更に抗生物質の量産化に成功すると、これまで助けられなかった人々を救えるようになった。


鈴木梅太郎博士の功績も大きいが、人類に対する貢献という意味では、こちらの方がより巨大だろうし、これで北里博士のノーベル賞は完全に決まりだ。


俺はこの絶好の機会を利用してスペインかぜ対策を父に献策した。

そして総理となった父が、まず最初に手を付けたのがそのスペインかぜ対策で、ヨーロッパかアメリカで患者が出たとの情報が入り次第、直ぐに防疫体制を取ることを密かに決定した。


ここは非常に難しいところで、「何でそんな疫病が流行るのが分かるのか?」と思われないように、強力な薬が完成したこの機会に、コレラやペストに天然痘といった外国由来の病気に対して、防疫対策がこれまで無かったことを逆手に取って対策を行うよう俺が提案したのだ。


父は「冷静に考えてみたら非常に奇妙な俺の話」に慣れているので、特に気にしなかったようではあるが。


ただし地震は別だ。


これまでの事象は、人間が起こすことだったから「私が予想するには…」などと言いながら、何とか丸め込むことが出来たし、今回のスペインかぜも持ち出すタイミングが良かったから、ぎりぎりセーフかもしれないが、発生日時も規模も確定している自然災害に対しては言い訳が難しい。


だから関東大震災に対処するための献策はどうしようか?

当日の避難を事前にどう進言しようか?

今更「自分は転生者です」とは言い出せないし困ったぞ。


そんな事を悩みながらも、父が次に行ったのがロシア立憲君主国と東パレスチナ建国に向けた支援体制の構築と人材の派遣だ。

ウラジオストクと、ナホトカ両市の都市開発にも、日本と現地政府共同で着手するらしい。

商売繁盛になりそうだから大変すばらしい。


それから俺はアメリカの短期債権と株式を、積極的に購入するよう高橋蔵相と父に依頼しておいた。


理由?


これからアメリカ市場はバブルに向かうからだ。

世界恐慌の直前に売り抜けて儲けよう。

高橋蔵相は流石に勘が鋭く、俺の意図はすぐに理解してくれた。



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― 新着の感想 ―
[気になる点] 「ペニシリン」は結核には効きません。多くの病に効果ありますが、結核には効果ない。 抗生物質の中でも「ストレプトマイシン」が出来てから結核は治る病気になった。
[一言] いや結核はストレプトマイシンでしょ?
[一言] ペニシリンは結核には効きません。 この頃流通している薬で結核に効くのは1912年に抗うつ剤として開発されたイソニアジドだけです(結核に効くと判明したのは1951年)
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