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【外伝】近衛篤麿 ⑮会議は踊…らない

1917年(大正6年)11月10日


これからの世界の歴史に大きな影響を与えるであろう大戦は終わり、今日からパリにて講和会議が行われる。

私は日本の全権代表として会議に臨むことになり、高麿も随員として同行している。


だがこの会議は、単に戦争を終わらせるための会議ではなく、次の戦争を起こさないためにも極めて重要であるとの高麿の主張を受け入れ、国際的な紛争の調停機関の設立と、我々有色人種の地位向上を目指したものと位置付けたうえで、内閣や元老の諸氏とも事前に協議して臨むことになった。

また、私たちが関与したロシアとユダヤ人の新たな国家も、この会議にて国際的な承認を得なければならない。


まとめると次のようになる。


①立憲君主制ロシアの承認


②東パレスチナの承認


③国際紛争調停機関設立の提唱と承認


④人種差別撤廃提案の発議と承認


以上4点で、事前の予想では①と②は承認される見込みが高い。

まずはロシアだが、欧州の皇室や王室は昔から婚姻を通じた結びつきが強く、どこもかしこも親戚といった趣がある。

日本の戦国時代のように、大名同士の政略結婚に感覚的には近いとみて良いだろうが、今回は敵味方に分かれたとはいえ、戦争は終わったのだし、親戚なのだから承認は得られやすいだろう。


そして次のユダヤ人国家の件だが、これも承認は難しくない。

なぜならカトリック系、プロテスタント系問わず、欧州はキリスト教国が殆どなのだ。

その中で暮らすユダヤ教徒たちの地位が高かろうはずはなく、これまでも迫害されてきた。


ウィリアム・シェイクスピアが16世紀末に書いたとされている戯曲の『ヴェニスの商人』の中に出てくる「人肉抵当裁判」においても、悪徳金融業者が借金のカタに主人公の身体から肉を切ろうとした際に「肉は切り取っても良いが、契約書にない血を1滴でも流せば、契約違反として全財産を没収する」との判決が出て諦めたという話になっているが、この中に出てくる悪徳金融業者シャイロックはユダヤ人なのだ。

当時のキリスト教徒たちがユダヤ教徒をどう見ていたか、分かろうというものだ。


よってヨーロッパから遠く離れた、ユーラシア大陸東端にユダヤ人国家を作ろうとする提案は、大きな反対もなく承認されると予想する。


だが、次の二つには注意が必要だと高麿が言っておった。


③国際紛争調停機関設立の提唱と承認


④人種差別撤廃提案の発議と承認


まず、③だが、これまで主権国家同士が戦争を起こした際の、公平で中立的な紛争調停機関が存在せず、この度の大戦争においても各国が結んだ同盟関係が引き金となってしまった。

サラエボでオーストリアの皇位継承者夫妻が殺害された直後に、国際機関による調停が出来ておれば戦争にはならなかったのだから、この教訓は活かさねばならないのだ。


だが、高麿によれば今回の講和会議の議長国として選ばれたアメリカのウィルソン大統領には要注意らしい。

何故なのかといえば人種差別主義者であるからとのことだ。


…人種差別。


それは白人では珍しくはないものの、程度問題だと言えるだろう。

そしてこのウィルソンは極めて過激な人種差別主義者なのだという。

そのくせ、表向きは綺麗ごとを並べるから厄介らしい。


ただし、今回の大戦にアメリカは参戦しておらぬという点は明るい材料であろう。

連合国の戦勝に対して貢献できていないのだ。

それどころか英米の関係は極めて冷え込んでいると表現して差し支えないだろう。

鉄道王ハリマンが望んだ南満州鉄道への経営参画は、イギリスによって門前払いに近い扱いで、にべも無く断られたことを契機として、英米の不仲が国際的に知られつつあるし、戦費の調達を目的とした外債発行においてもイギリスはアメリカに対して債務国となってしまっておる。

要するにかつて自国の植民地であったアメリカに借金をしているから、これはイギリス人の誇りを傷つけているだろう。


この大戦は表向きは英仏の勝利だが、本当にそうなのかは大いに疑問で、これからどうなっていくかは予断を許さぬが、英米関係は更に悪化する方向に行くのではないかとは高麿の予測だ。


よってこの国際機関設立もアメリカを通さず、戦争当事国同士でまとめるべきであるし、人種差別撤廃提案の発議と承認も戦勝国間における事前の調整、根回しが必須だと主張していた。

何度も言うが、どこからその情報を得たのか?


しかし、これまでも高麿の見立てが外れたことはないし、アメリカが議長となるのは何を目的としているかを見定めねばならぬ。

モンロー主義などを国是としているあの国が、見返り無しに仲裁などしないのはポーツマスでも体験済みだし、経済的な野望と平和の守護者を気取る自己満足か?


よって国際機関設立は事前の根回しを十分にしておけば達成は難しくないし、アメリカに横取りされるわけにはいかぬ。


だが、人種差別撤廃提案を各国、特に英仏に認めさせるのは至難の業といってよい。


当初の予想と違って戦争が長引いてしまったからな。

イギリスはカナダやオーストラリア、ニュージーランドといったイギリス連邦諸国や、インドをはじめとする世界各地の植民地からも大量の兵士を集めて戦線に投入し続けたから、戦後処置としてそれらの国々へも一定の配慮が必要となる事態になってしまった。

従って、もうこれまでのように傍若無人な態度で接するわけにもいかないだろう。

日本で行った事前の協議においては、イギリスはオーストラリアとニュージーランドへの配慮として、人種差別撤廃提案などは受け入れられない立場だから、とてもではないが日本の提案に賛成しないだろうという結論に至った。


英仏が人種差別撤廃提案に賛同するのは絶望的なのだ。


だから一時は提案そのものも暗礁に乗り上げてしまったのだが、次に高麿が提案した内容を英仏にぶつけて譲歩を引き出すことになった。


それは「民族自決」という奥の手だ。


実はウィルソン大統領は綺麗ごとを並べるのが常だが、今回の講和会議においても「民族自決」を持ち出して、自分が平和と人類愛の守護者であるとの願望、妄想を実現させるはずだと予想し、ウィルソンが持ち出す前に、英仏に対して「人種差別撤廃提案を吞まないのであれば、より過激な民族自決を提案するぞ」と脅すというものだった。


高麿の考えは悪辣ではあるな……


だがどちらを取るかといえば人種差別撤廃提案のほうだろう。

英仏から見ればより穏健だからな。

もしも民族自決などが決議されてしまったら…英仏は植民地を即時に全て手放さなくてはならなくなる。

であればオーストラリアやニュージーランドに多少恨まれたとしても、人種差別撤廃提案のほうを選ぶだろう。


実はこちらが決議されても、結局は同じことになるであろうが、それに至る時間経過はゆっくりしたものだろうから、その意味でも英仏は受け入れやすいと思われる。


要するに彼らにとっては即効性の毒か、遅効性の毒かの違いだけだ。


そして講和会議に臨んだのだが、結果は予想通りのものであった。

勝利に大きく貢献すると、言いたい事が遠慮なしに言えるので本当に有難い。

ただし人種差別撤廃提案が一番問題で、特にイギリスとフランスは予想通り、当初は否定的だった。

よって、国連憲章前文への盛り込みという妥協案を示し、民族自決をちらつかせながら交渉した結果、受け入れられた。


こうして最大の懸案事項だった人種差別撤廃提案問題も解決して日本側の目的は達成したものの、ヨーロッパの国境問題を含む戦後処置は大いに揉め、2ヶ月近くかかって何とかパリ講和会議は妥結にこぎつけた。


フランス革命とナポレオン戦争終結後における、ヨーロッパの秩序再建と領土分割を目的として開催されたウィーン会議では「会議は踊る、されど進まず」と言われて、半年以上もの期間がかかったが、それに比べれば戦争の規模も大きく、関与した国も多かった割に今回は短く済んだと言えるだろう。


会議は踊らなかったのだ。


そして年が明けて1918年(大正7年)1月18日。

ベルサイユ講和条約は締結された。

今回の戦争により欧州の列強は、これまで育んできた戦力や人材はもとより、産業基盤や経済基盤といったものまで破壊され、借金に(まみ)れることになった。


イギリスがもっとまずかったのは、経済的に追い詰められたことを要因として、外交政策を誤った事であろう。

戦争中の1915年に締結したフサイン=マクマホン協定に加え、翌年にはサイクス・ピコ協定と言われている秘密の取り決めを行っていたことが発覚した。

国際的な信頼度はこれで地に堕ちてしまったと表現してもいいだろう。


自業自得ではあるが、今後は英仏独に代わって日米が勃興し、覇を唱えることになるのであろう。


そういった意味においても、アジアの大陸や半島においてアメリカと角逐する暇は日本にはない。

やはりイギリスを半島と大陸に誘引して、その力を削ぐと同時に、アメリカと対峙させたのは正解なのだ。

それが効力を発揮してアメリカはイギリスと協力することを忌避して欧州の戦争に関与しなかったし、イギリスもアメリカから軍需物資を買うのを嫌がった結果、日本により多くの発注があったのだ。


戦争によって日本も少なからぬ兵士の犠牲が出てしまったが、国際的な地位と経済力の向上を果たすことが出来たし、英仏との同盟関係もより盤石なものと出来そうだ。

もっと言えばロシアも復活できそうであるし、四国同盟も継続できるだろう。

それに石井外相の尽力もあって、国際的な調停機関の本部は日本に置かれることになった。

私としては文句の付けようがないほどの満額回答だと感じていた。


だが、高麿の見方は全く違っていて、珍しく深く落ち込んでいた。


理由は今回の欧州大戦の戦争責任がすべてドイツにあると定められ、ドイツ国民にとって死刑判決に等しい賠償条件が突きつけられてしまったからだという。


これによってドイツは悲惨な経済状況になり、失業者があふれ、国政が乱れ、最終的には強力な指導者を求めた結果、独裁者の台頭を許すことになって、新たな大戦の要因となるのではないかとの危惧を抱いたためらしい。


可能性はあるかもしれないが、人間の欲と憎しみが生んだ結果であるし、難しいものだな。


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