【外伝】近衛篤麿 ⑬求不得苦(ぐふとくく)
1914年(大正3年)6月28日
オーストリアのフランツ・フェルディナント大公夫妻がセルビアの首都サラエボを訪問し、暗殺されてしまった。
夫妻の殺害を知ったオーストリアは激怒し、セルビアに対して最後通牒を突き付ける。
進退極まったセルビアはスラブの盟主たるロシアに助けを求め、頼られたロシアは動かざるを得なくなってオーストリアに対抗すべく動員を開始する。
それに対してドイツ政府の最後通牒がロシアに突き付けられるという事態になってしまった。
こうなってしまうと、ロシアの同盟国であるフランスは1対1の戦争では無いから、露仏同盟の条約内容に基づいて国内に総動員令を掛けて動き始めるし、露仏との協商関係にあるイギリス、イギリスの同盟国日本へと玉突きで飛び火して大きな戦争となりそうだ。
列強各国が複雑に結んだ同盟関係は戦争を起こさない目的であったのに、逆に戦争を呼び込む方向に作用するとは…これでは高麿が以前に予想していた通りになってしまうではないか!
だが、もう誰にも止められぬし、誰も望まないのに戦争が始まってしまった。
それもかつてのバルカン戦争のような小国同士ではない。
大国同士が全面的にぶつかる大戦争であり、平和を求めても最早それは叶わぬ夢となってしまった。
日本でも御前会議が開催され、日英同盟と四国協商に基づいて独墺へ宣戦を布告する運びとなった。
そして、8月7日にフランスが、次いで10日にはロシアが「日英同盟に加入したい」と言ってきた。
政府ではこれに対して大きな驚きをもって受け止められたが、まずフランスとしては東南アジア、特に仏印と呼ばれる地域の利権を日本に守って欲しいのであろうし、ロシアは日本陸海軍の強さを嫌というほど知っている当事者だ。
逆に味方と出来ればこれほど頼もしい相手はいないと考えただろう。
一方でイギリスも四国協商を四国同盟へ昇格させる事に対して異論は全くなく、むしろ積極的に日本への働きかけを行ってきた。
共に戦い、ドイツを降そうというのか。
そして四国協商は露仏同盟と日英同盟に矛盾しない範囲で四国同盟へと昇格し、共に戦う事となった。
欧州のみならずアジアにおいても戦いは開始されたのだ。
8月末
イギリスから要請を受けた日本は膠州湾に進出して、ドイツの青島要塞を攻略するため進軍したイギリス軍を海上から護衛した。
その後、日本海軍は南方諸島へも同時に展開して、瞬く間に中部太平洋方面に点在するドイツ植民地の占領を完了した。
この方面に展開していたドイツ艦隊は、バルチック艦隊を撃滅した実績を持つ日本艦隊と戦う事を恐れ、戦うことなく逃亡するという予想外のことまで起こった。
その後、日本海軍はイギリス、アメリカ、メキシコの要請によって、北米西海岸のドイツ勢力駆逐に乗り出す。
参戦4か月後の1914年の末には、アメリカ西海岸から最南端のホーン岬、更にはアラビア海からアフリカ南端の喜望峰までの広大な地域の警備任務に就く。
これはオーストラリアとニュージーランドの要望でもあった。
つまり地球の半分以上に相当する太平洋全域とインド洋全域の守りを担当するようになったわけだ。
その頃、青島要塞攻略にようやく成功したイギリスは、アジアには治安維持程度の部隊を残してヨーロッパへ全力を集中させようとしており、日本に対しても本格的な出兵要請が来た。
短期で終わると予想された戦争は東西の戦線が膠着し、長引く気配を見せ始めたのだ。
また、両陣営の犠牲者もあり得ぬほどの数となりつつある。
開戦前はロシアは強く、フランスは弱いと思われていたが、これは完全に逆転していてフランスは粘り強く堪えているが、ロシアは予想以上に弱く脆い。
また両陣営ともに自国民の徴兵だけでは追い付かず、植民地から大量に徴発して戦線に送り込んでいるが、数だけおれば良いというものでは無く、文字も読めず訓練すら満足にできていないような植民地兵までおるそうだ。
もうなりふり構っていられないという訳で、追い込まれているな。
しかし、ここから日本国内において意見が割れ、迷走を始めることになる。
同盟国に頼られるのは誇らしい。
ただし、そうは言ってもヨーロッパへ大軍を送った経験など無いし、日本の立場としては、ヨーロッパへの陸海軍の即時派兵は準備が整っておらぬこともあってすぐの実行など出来ぬというのが理由だ。
元老の間でも意見が分かれている。
味方してくれたであろう桂さんは昨年亡くなってしまったから、積極的に欧州へ参戦すべきと主張するのは私と伊藤さんだけで、反対派が山縣さん、井上さん、松方さん、大山さんの4名だ。
松方さんが反対なのはカネの問題であり、他の3名はそもそも見返りの期待できない欧州における戦争に対する参戦に否定的なのだ。
よって日本周辺のドイツ軍の掃討をイギリスと共同で行えば義理は果たせるとの態度だが、何を言っておるのだ!
高麿によればこの戦争に対して積極的に関与し、勝利に貢献することによって初めて講和会議における発言権を得られるのだと主張していたが、その通りであろう。
アジア太平洋地域における活動だけでは勝利に貢献したとまでは言えず、講和会議でも主導できる立場にはなり得ない。
一方で内閣は西園寺首相をはじめとして、英露仏との関係を重視する人たちは参戦へ積極的であり、石井外務大臣は我々と意見を同じくしている同志だ。
しかし部下の官僚たちは板挟みで困っているらしい。
ここは私が何とかせねばならぬな。。。
だが困った。
高麿が休暇で帰宅しているから相談してみよう。
「高麿よ。欧州に参戦せねばならぬのに反対派が多くて困っている。
頭の固い連中を説き伏せて参戦せねばならぬが、なんぞ良い知恵はないか?」
高麿はしばし考えていたが、自信たっぷりに言った
「反対派が欧州に参戦しないと言っている理由は、見返りが期待できないからでしょう?」
「そうだ」
「であれば簡単です。英露仏と個別交渉して現状を正直に伝え“困っています”と言えば良いのです。
三国共に日本へ参戦してもらわねば困るでしょうから、日本国内の反対派を抑えつける条件を提示せよと言えば応じるでしょう」
「…それだけか?」
「それだけで十分でしょう。短期で終わると楽観視していた戦争は長引く様相を呈していますから、英露仏ともに是が非でも日本に参戦してもらわねば困るのですから、その弱みに付け込むべきでしょう」
「……」
「我が国が今後必要とするのは、領土では無く地下資源と原油であり、それらを日本に運ぶためには独自の海上交通路が必須ですから、例えば港の利用については日本がいつでも自由に使えるような拠点を複数箇所欲しいですね」
目から鱗だな。そうか、困っているのは同盟国なのだな!
よし、強気で交渉するか!
早速私は石井外相と相談して英露仏の駐日全権大使を個別に呼んで交渉を始めたが、その結果は私が予想すらしなかったものだった。
まずロシアは全く手つかずで放置していたカムチャツカ半島の森林資源の利用権と、地下資源の採掘権を日本に譲渡すると言ってきた。
しかも無期限だ。
イギリスはシンガポール港とセイロン島コロンボ港のこれまた無期限の港湾使用権と、ソコトラ島の永久割譲、更には戦争期間中における海軍艦艇や輸送船に対する燃料や水、食糧の無償提供を申し出てきた。
フランスは地中海コルシカ島の港湾使用権と、イギリスと同じく戦争期間中の無償補給だった。
これは望外の結果だと言えよう。
日本は念願の海上交通路を手に入れて、列強に伍していけるだけの国力を持てるのだ。
だが、高麿はこれでも足らないという。
「今後は中東の原油が必要ですから、この機会に採掘権を含めて譲渡してもらうべきです。
無論、原油の全てとはいかないでしょうから交渉次第ですが」
少々欲深いのではないかとも思ったのだが、確かに今しか言い出す機会はないから石井外相を通じて交渉してもらったところ、何と中東で産出する原油の半分を日本のものとすることで交渉がまとまりそうだ。
これでソコトラ島を起点に地政学上のチョークポイントの一つである、バブ・エル・マンデブ海峡を抑え、更にホルムズ海峡という別のチョークポイントを抑えることによって、海上交通路と石油ルートの防衛が可能となった。
その代わりにイギリスが求めてきたことは二点で、一つは欧州戦線への早期派兵。
もう一つが軍需物資の安定供給を行う事だ。
ロシアも同様で、ウラジオストクからハバロフスク経由で、また旅順からの南満州鉄道を使用したシベリア鉄道経由で軍需物資、武器弾薬の供給を積極的に行っている。
日本国内の状況としては好景気に沸くのは良いけれど、生産現場の人員が不足気味となっており、女性を動員して対応しているが、彼女たちには戦後に何らかの見返りが必要になるだろうとは高麿の言だが、そのようなことが必要なのかな?
1916年(大正5年)を迎えた。
欧州における戦争は、どの戦線も相変わらず一進一退のままで、死傷者と戦病者と捕虜の数だけが増えていくという、ひたすら無意味な消耗戦を継続中で、ロシアにおいては国内情勢が不安定となっている。
損害が大きすぎるのだ。それに対してロシア国民が耐え切れなくなりつつある。
しかしそんな状態でも双方ともに停戦の意志は全くなく、アメリカによる仲裁も不発に終わる。
日本国内においては欧州派兵に反対していた元老のうち、井上さんは昨年亡くなったが、他の山縣、大山の両名は同盟国から得られた見返りに満足した結果、派兵に賛同してくれた。
最後に残った松方さんは…カネが無くなると騒いでいたが。
私はこの時点で以前から高麿と計画していた案を元老たちに説明した。
ロシアで革命が起きるというのが現実のものとして感じられるようになってきたからであり、その際にはロマノフ王朝は倒されるであろうから、皇帝一家と周辺の人々を救出して護らねばならないと説明した。
同時に日本海沿岸にユダヤ人国家を作ることも併せて報告した。
元老の反応は全員が半信半疑といった趣だったが、承認はしてくれた。
ともかく日本の参戦準備が整い、本格的な介入を行う事となった。
基本的に海軍はイギリス周辺の北大西洋と北海に展開し、ドイツ海軍を主敵として戦う事となる。
最新鋭の金剛型巡洋戦艦8隻は全艦、ヨーロッパに投入される事となったから当然高麿も出征する。
また陸軍はシベリア鉄道を利用してのロシア側から東部戦線への参戦だ。
東部戦線への投入予定兵力は40万人。
ここには陸軍大学を出て参謀となった文麿も含まれている。
陸軍兵力としては、これとは別に輸送船を使用して西部戦線にも投入される。
こちらは10万人の兵力となる予定だ。
合計50万人の陸軍兵力を投入する事となり、日本の負担も大きい。
1月
日露戦争においてロシアの反体制派を扇動し、後方撹乱に功績のあった明石元次郎中将にロシア皇帝救出作戦の依頼を行った。
明石中将はもの凄く個性の強い人物だったが、これくらいの個性が無ければ任務は全う出来ないだろう。
彼は現在別の職責に就いているが、正式に辞令が降り次第、すぐに現地に赴く準備を始めてくれるそうだ。
そして2月初旬、日本海軍は従来の連合艦隊とは別に、加藤友三郎中将を総司令官とする遣欧艦隊を正式に組織して欧州へ向けて出港した。
派遣される兵力は金剛型巡洋戦艦8隻、巡洋艦・駆逐艦は計25隻、輸送艦、タンカー、石炭運搬艦など7隻の合計40隻に上る大艦隊で、陸軍兵力10万人を載せた大輸送船団も同行する。
天皇陛下を筆頭に我々元老たちも見送りに行ったのだが、これほど遠くにこれ程の大兵力を送り出すのは日本の歴史上初めての経験だ。
頑張ってほしいし、無事に帰ってきて欲しい。