第四十一話 ノーベル賞
Side:近衛高麿
1909年(明治42年)4月となった。
俺はもう23歳だ。
だが、相変わらず前線には配属されずに、本部詰めのヒマな身のままだ。
そして学習院中等科を卒業し、18歳となっていた文麿は史実とは違って、陸軍士官学校へ進んだ。
何も俺の真似をしなくてもとは思ったが、本人の進路だ。何も言うまい。
それにしても、史実だと第一高等学校(一高)から東京帝大、次いで京都帝大に進むはずが、随分と変化したなと思ったら、文麿曰く「マルクスに興味がありましたが、兄上の話をお聞きして、そんなに素晴らしいものではないと分かりましたので」と言っていた。
そう言えば、何回か聞かれたことがあったな。
無理にマルクスを否定するつもりはなかったが、正直に「資本論」の問題点と矛盾点を話しただけだが。
マルクス本人は、解決案を出すと宣言しておきながら、結局うやむやになったし。
しかしこれで一安心だ。
と言うのも、史実の近衛文麿の周囲には、謎の人物の影が多く付きまとうからだ。
近衛文麿が共産主義に対して、一種のシンパシーを抱いていたのは間違いないだろう。
史実では父と12歳で死別しているので、相談できる親族も少なかっただろう。
また、この時代において共産主義を学ぶことは、一部のインテリの間では一種のファッションというか、最先端の考えと受け止める層もいたことは事実だ。
何しろ、カール・マルクス著の「資本論」は、聖書の次に発行部数が多いと言われている書物なのだ。
一高と東京帝大、京都帝大で親しくなった人達の中にも共産主義に傾倒した人物はいたし、もしかしたらある種の「誘導」のようなものを受けていたのではないかと推理している。
それに「誘導」するほうも、若き近衛家当主が自ら学びに来るのだ。将来を見越してやりがいはあっただろう。
証拠はないが、後日発足した近衛内閣の情報は、コミンテルンに筒抜けだった可能性すらある。
第一次近衛内閣における内閣書記官長(令和では官房長官に相当)だった人物など…
俺が以前から触れているように、「日米はお互い憎しみ合い戦争に至るように操作された疑い」というのは、日本側においては、まさに近衛文麿を中心とした動きなのだ。
だから、文麿の兄として転生した時には本当に驚いたし、何とか史実通りにならないよう気を配ってきた。
コミンテルンによる干渉は、同時期のアメリカでも同様に行われ、21世紀では多数の人物がコミンテルンのスパイであったと認定されている。
個人名を具体的にあげるなら、ハル・ノートを実際に起草したハリー・デクスター・ホワイトなどだ。
今さらりと触れたが、日本に対する最後通牒に等しい内容のハル・ノートを、ソ連のスパイが起草したという事実は、俺がこれまで指摘してきたことの証明でもあるだろう。
日本側ではスパイ認定された人物は少ないが、裏で相当数の人物が暗躍していたことは間違いないだろう。
アメリカと違って、日本で白人がスパイ行為のために活動するのは大変目立つし、直接的に「接触」は難しい側面があるだろう。
実際にゾルゲは、「私は日本の同盟国であるドイツ人です」と言って何とか誤魔化していたはずだし。
だから少数の日本人を洗脳したら、あとはその日本人によって拡散させた方が効率は良かっただろう。
それを、当の日本人がスパイ行為だと自覚していたかどうかは分からないし、もしかしたらこれは日本にとって良いことだと思い込まされ、完全な善意で行っていたかもしれない。
今後の研究が待たれる。
当時のソ連が、なぜ日米を争わせる方向に動いたのかは別の機会、第一次世界大戦が終了し、スターリンが実権を掌握する事態になったら詳しく説明したい。
・・・待てよ、そうなると、この世界線ではコミンテルンのターゲットは俺じゃないか。
いや父もその対象だろう。
さっきも触れたように、スターリンが実権を握った辺りからは近付いてくる人間に注意しよう。
もっとも俺は共産主義の「理念」自体は、否定しない。ある意味で理想的な洗脳じゃないかと思う部分もある。
これから暗い戦争の時代を迎え、世界恐慌まで発生して、まだレベル的に完成の域に達していない資本主義の矛盾点が吹き出すのだから、頼りたくなる気持ちはわかる。
だからこそ、インテリがハマったのだとも言える。
しかし人間とは結局「欲」がある動物だという点は、どんな主義でも変わらない。
欲とは頭に権力、金銭、出世などと付くが、最終的には権力者の都合の良いように利用された結果が、20世紀末における共産主義の終焉であったし、共産主義は「階級が消えた平等社会」を看板に掲げたが、どの国の共産党も「特権階級」だけが贅沢な生活に浸り、国民の幸せなど歯牙にも掛けなかった。
そんなことを考えるよりも、俺はいま北里柴三郎に会いに来ている。
彼は現在56歳で、あの近代細菌学の開祖と称されるロベルト・コッホの弟子だった。
1889年(明治22年)には破傷風菌の純粋培養に成功、翌年に血清療法を開発、さらに、1894年(明治27年)にペスト菌を発見し、「感染症学の巨星」と呼ばれる。
1901年(明治34年)の第1回ノーベル生理学・医学賞では、最終候補者にまで残ったが、この時は受賞を逃している。
彼は大きな実績を積んできたが、東大閥に妬まれて研究環境は万全ではなかった。
福澤諭吉はこれを憂いて多大な資金援助を行い、私立伝染病研究所を設立して、彼をその初代所長とした。この場所は芝公園内、俺の通っていた主計官練習所の近くにあった。
1906年(明治39年)11月には、白金に伝染病研究所、血清薬院、痘苗製造所の3機関の入る国立伝染病研究所が出来て、現在彼はここに所属している。
まだ肉体年齢23歳の俺から見ると、かなり威厳がある人に見える。いろいろと妨害にあって苦労を強いられる研究環境だったから、精神的にも鍛えられたのだろう。
「本日はお忙しいところ、お時間を頂きありがとうございます」
と言いつつ彼の反応を見る。
何でこんな若造が訪ねてきたのか、不思議に思っているかもしれないが、相手はあの近衛篤麿の長男であり、将来は篤麿同様に国政への影響力は大きいと見ているだろうから、扱いは丁重だ。
「いえいえ。御父上のことは、私のような世間に疎い人間の耳にも入ってきております。
ところで…本日はどういった御用でしょうか?」
と聞かれたので、早速用件を告げる。
このタイプの人物は、長々とした社交辞令や前置きは嫌うだろう。
「実は是非先生にご覧いただきたいものがあるのです」
と言いながら、カバンからあるものを取り出して彼に渡す。
シャーレだ。実験に使うガラス製の皿だ。全体的に表面が白いが、一部が半透明になった状態だ。
「これは何でしょう?」
あまり真相は言えないので、ここは慎重に言おう。高橋是清の時みたいにヤブヘビになる。
「出どころは言えないんですが、ある実験で培養していたブドウ球菌に、カビが混入してカビの周囲のブドウ球菌が溶解しているようです」
彼は不思議そうな顔をしつつ言った。
「カビですか?」
と聞いてくる。ここからが肝心だ。
「そうです。これはブドウ球菌を殺す。つまり殺菌作用のあるカビらしく、先生のところで研究をいただき、病気の治療薬を開発するのに活用できませんか?例えば結核などの治療に役立ちませんか?費用は父に言って協力させていただきますので」
本当は今から19年後の1928年にアレクサンダー・フレミングによって、全く同じ状況で偶然ペニシリンが発見され、1940年代から量産されることにより、様々な感染症の特効薬となる抗生物質とつながっていくのだが、俺はそこまで待っていられないからズルをした。
ブドウ球菌はこの時代でも知られているから問題ないだろう。
彼は大変驚いた様子で言った。
「これは本当のことなのですか?
私はそんなことが出来るとは全く気付かなかった。是非お手伝いさせてください!」
良かった。これで資金援助も堂々とできるから、史実でこれから更に降りかかる東大閥からの嫌がらせから守ることが出来るし、これが発展すればいずれ結核対策も劇的に早く進むだろう。
ペスト菌の発見でも十分な成果だし、特にペストに対するトラウマがある白人には、絶大なインパクトがあったはずなのにノーベル賞の受賞には至らなかった。
抗生物質の開発に成功すれば、ペスト菌の発見以上にノーベル賞に相応しい実績だし、白人じゃないと受賞出来ないようなら、日本の国威を使ってでもねじ込んでやる。
ただ、現在の科学技術レベルでは細菌までが研究対象と出来る限界で、電子顕微鏡が開発されないとウィルスの発見にはつながらない。
そして電子顕微鏡が開発されるのは、今から20年以上先の話であり、俺にはどうすることも出来ない。
だからH1N1鳥インフルエンザウィルスの変異体を原因とするスペインかぜには対処できないが、せめて蔓延対策だけでも準備しておきたい。
そういえばスペインかぜは、なぜ体力のある若年層が多く死亡した一方で、壮年以上の死者は比較的少なく済んだのだろう?
普通逆だろうと思うし、何かそこに秘密があるように思えてならないが、もはや調べる手段がない。
それはともかく、この研究が実を結べば人類に対して素晴らしい功績を残せるだろう。
父を通じて脚気を根絶させたように。
脚気で思い出したが、来年には鈴木梅太郎が「米ぬか」に含まれている新しい栄養成分を取りだすことに成功するはずだ。
21世紀では「ビタミンB1」と呼ばれている栄養素で、まさにこれが不足するから脚気になる。
そんな歴史的な大発見をするのだが、鈴木博士は医者ではなく学者だった。
史実において鈴木博士は、この栄養成分を「オリザニン」と名づけ、未知の栄養素として発表するのだが、小さな学会でしか発表せず、英語での論文発表もしなかったばかりに、翌年ユダヤ系ポーランド人の化学者カシミール・フンクが同じ栄養成分を発見し「ビタミン」と名づけて発表して、こちらのほうが世界的に有名になってしまうのだ。
この後に改めて英文で発表するのだが、この時の白人たちの反応は冷ややかで、鈴木博士の発見をフンクの「猿真似」と評したことは、人種差別の本音が見える。
こちらは原因が判明しているから、先回りして鈴木博士に接触しよう。
上手くいけば、こちらもノーベル賞が狙えるぞ!