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【外伝】近衛篤麿 ⑩驚天動地

1907年(明治40年)


高麿は海軍主計練習所を卒業し、正式に海軍軍人となった。

予想通り国民からは好意的に受け止められたし、陛下からもお褒めの言葉をいただいた。

これによって摂家筆頭としての範は示すことができ、陛下よりお褒めいただいた状況を見た他の摂家や清華家、大臣家といった公卿衆も、子弟を陸海軍へ入れる動きが出始めている。


これで長州閥からの陰口も減るだろう。

あやつらは、我らのことを「優雅にお茶ばかり飲んでいる、気楽な身分の人たちだ」と密かに謗っているらしいが、これでもう悪口は言えまい?


溜飲が下がる思いだ。


次男の文麿は16歳になり、現在は学習院中等科に在籍しているが、最近は兄に続いて軍人を目指すと言い出した。

色々と先進的な学問に興味があると言っていたが、どうしたのかと思って確認すると、その先進的な学問とはマルクスのことだったという。


あの「邪教」か!


あの時の高麿の表現も過激だったが、高麿が言ったような事態が本当に起こり得るのであれば、とてもでは無いが認められるものではない!


しかし、あれから確認してみたのだが、どうも学者たちはマルクスの理論について褒め、良いことしか言わない。

それに私に憚ってか明確には言わぬが、どうも身分による差別や貧富の差が出ない理想世界が達成されるのだと信じている節がある。


しかし、この世に理想世界などあるはずがない。


utopia(ユートピア)という言葉があって、イギリスの思想家トマス・モアが16世紀に発表した小説に出てくる世界だが、古代中国の概念としてあった「桃源郷」とほぼ同意で「理想郷」を指す。


だがトマス・モア本人の意思としては、utopiaとはギリシャ語が語源で、英語風に表記したらno(無い) topos(場所)であって、つまりそんな理想世界は「どこにも無い」と言いたかったらしい。


人の世とは綺麗事で済むような甘い世界ではない。


人脂のべとつくような手練手管が必要で、それは「より良いもの」を追い求めることが出来るばかりではなく、実際には「より悪くないもの」を選択するしかない場合も多いのだ。


私は苦労知らずでここまで来たと思われており、誤解されているであろうが、海外留学のお陰で人間社会の裏面もある程度は知っていつもりだ。


また、現代の人間が「理想郷」として思い描くユートピアとは違い、トマス・モアらによる「ユートピア」世界は、格差がない代わりに人間の自由と個性を否定した管理社会の色彩が強いそうだから、現代風に言えば社会主義や共産主義によってもたらされる世界に最も近いのだろう。


高麿の話では、共産主義の下では、確かに身分の差は解消されるとのことだが、その代わりに序列による区別が始まり、それは固定化しやすいのだと云う。


何のことはない。


現状で持たざる者が、己の欲得を革命という方便を使って達成しようとするだけではないか。

現状との違いがあるとすれば、血統による地位の継承が行われないという差くらいなものであり、それも時代が進めばどうなるか定かではないらしいし、共産主義を選んだ国家が、全て血統を否定するものでもないらしい。


文麿がそんな物に興味があったとは知らなかったが、次男とはいえども、伝統を重んじなくてはならぬ近衛家の者が、そのような邪教に関与していると知られたら大変な事態になるところであったが、高麿と話すうちに目が覚めたらしい。


これで一安心だな。


1907年(明治40年)6月


最近では日本を取り巻く国際関係に動きがある。

日英同盟と露仏同盟が結びつこうとしているのだが、こんな事態は数年前までは予想すら出来ないことだ。


そもそも英仏には長い対立の歴史があり、有名な百年戦争はもとより、近頃では第二次百年戦争と呼ばれてもいる争いまであった。


これは同じような時期に発展を遂げ、いずれも重商主義経済政策をとって植民地獲得に乗り出した両国による、世界を舞台に角逐した戦争だった。


江戸時代の初め頃から、両国の東インド会社は抗争を開始し、18世紀になるとアメリカ新大陸とインドにおいてたびたび戦闘を展開した。


ヨーロッパにおいてもファルツ戦争、スペイン継承戦争、オーストリア継承戦争、七年戦争はフランスのブルボン王朝とオーストリアのハプスブルク家の勢力争い、新興勢力たるプロイセンの進出などを軸として同盟関係は複雑に変化したが、イギリスとフランスは一貫して敵対した対立関係であった。


ナポレオンの時代は言うに及ばずだ。


それは、この両国が植民地において利害が対立していたためだ。


イギリスとフランスは、北米新大陸では、現在のアメリカとカナダにおよぶ広い範囲で、アン女王戦争、ジョージ王戦争、フレンチ=インディアン戦争が繰り返された。

この一連の植民地での戦争は、イギリスの優位のうちに進んだ。

 

インドでの戦闘も最終的にはイギリスが勝利を占め、インドはイギリスの最も重要な植民地となっていく。


そしてアフリカを植民地化する争いにおいては、遂に全面対決寸前まで行ったが戦争にはならなかった。


これはドイツの急速な勃興の影響によって、英仏両国は共通の新たな敵と認定したためだ。


これ以降、フランスはロシアと、イギリスは日本と結びついたわけだが、ドイツの発展と軍事的影響力が無視できない程の高まりを見せると、特にドイツと国境を接するフランスは警戒心を高め、イギリスとロシアの対立を終わらせて団結する必要に迫られた。


そこで問題になるのが日英同盟の存在であり、講和を結んだとはいえ、戦争終結から2年しか経っていない日露の関係を修復し、日英露仏による協商関係を構築しようとして動き出した。


その結果結ばれたのが日露協商、日仏協商、英露協商だ。

ドイツを包囲するために強大国が連携することになり、日本もこれに加わったのだ!


これは以前から高麿が言っていた通りになったではないか。

まさに驚天動地の出来事だ。


しかもだ。


ドイツの策謀を要因とする、「三国干渉」によって死地に追い込まれた日本は、10年以上の時間をかけて国力と影響力を強化したばかりか、ドイツに復讐を果たせる立場となったのだ。


日本だけ遠く安全な場所で。


仮にドイツに対して戦争になったとしても、その直接の戦火が日本に及ぶ事はなく、安全な場所で自らの方針を自由に選択できるのだ。


なんたる逆転劇であろうか!

この四国協商と呼ばれるようになり始めた結びつきは、日本が世界のひのき舞台に立ったことを意味する画期的な出来事で、もはや日本に対して害をもたらす勢力は周辺には存在しなくなった。


それはそうと、ハリマンはイギリスと予想通り揉めていたらしい。


ハリマンが申し出た南満州鉄道への資本参加と、共同経営案は、イギリスには一顧だにされず、怒ったハリマンがアメリカ政府を動かして更に交渉しようとしたが、最終的に物別れに終わった。


それでもしつこく食い下がり、最近だとアメリカ国務長官ノックスが、日・英・露・仏・独・清6カ国に南満州鉄道を含む清国の鉄道に対する管理案を提示してきた。


それはアメリカが満州に進出するための策であり、満州内の全鉄道を一旦は清国に返還し、次いでアメリカを含む列国の管理下に置こうとするものだったが、四国協商の意向が発揮され、日・英・露・仏はいずれも反対したことで実現しなかった。


これで英米の間に溝ができ、対立関係となっていくだろうとは高麿の予想だが、その通りになりそうだ。


とにかく日本としては、何とか安寧な日々を送る体制が整ったわけで、ようやく心配事が消えつつある状況だ。


今日も宮中に参内して陛下のお側に侍り、二人で午後のお茶を楽しんでいる。

しかし、このお茶もまた高麿に言わせれば外国の影響が大きく、日本独自の文化として昇華は出来たが、その発達の由来は諸外国とは違うのだという。


何故なら私も記憶にあるが、ヨーロッパに限らず日本以外の水は美味くないうえに何故か飲みにくい。

また飲み過ぎると、いかなるわけか知らぬが腹を壊す。


そのため世界の人々は、まずい水を美味くするために様々な工夫をし続けた。

その結果がお茶であり、紅茶であり、コーヒーなのだ。

各民族はそれぞれ自分たちに合った選択をしたのだが、日本にはもともとお茶が存在せず、最初に中国から持ち帰ったのが、おそらくは遣唐使や遣隋使だったのだろうが、本格的な物は鎌倉時代に臨済宗の開祖である明菴栄西が持ち帰って広めた。


栄西が朝廷に茶を献上した際に言ったことは、「これは薬です」、「体に大変良いのです」だった。

つまり、現在のような嗜好品ではなかった。


日本は世界有数の山紫水明の国であり、水は別に工夫をしなくても美味いものだったから、普通では広まらなかったので、売り込み方を変えたのが成功した秘訣らしい。


私の先祖は茶葉の産地を当てるという、いわゆる「闘茶」を嗜んだとも言われているが、茶会などの作法が伝わり、次第に場の華やかさよりも、主人と客の精神的交流を重視した日本独自の茶の湯から「茶道」へと発展した。


このように外国から入ってきたものに対して、そのまま受け入れるのではなく、独自に手を加え、完全に自分たちのものとして、日本独自の文化として昇華してきた。


それが可能だったのは日本が陛下を頂点とする独立国であったからであり、地政学的な見地で言えば「攻めにくいが交流は可能」という絶妙な距離と、急激で複雑な海流に護られていたことであろう。

イギリスとフランス間のドーバー海峡は泳いで渡ることも決して不可能ではない距離と、穏やかな海流だが、対馬近辺の海流はそうはいかぬからな。


茶道の他には、香道、華道のように「道」というのは、つまりは「みち」のことで、どこかへたどり着くまでの過程であり、仏教の精神と同じく、探求し極めるまでの過程のことだ。


そして同時に「道」とは探求し続けるもの。


極めて終わりではなく、人として成長し続けることを目指しているのだが、このような概念は白人たちには理解できまい。

それも文化だけに留まるものではなく、最近では武術の世界においてすら、柔術や剣術が「柔道」や「剣道」などと呼ばれ始めているらしい。

つまりは「道」を追求するのは、日本人の性質や感覚に合うのであろうし、西洋の文物もそのまま受け入れては良い結果とならないであろう。


おっと。陛下の御前であったのを失念していた。


「それにしても、世界は小関白が言っておった通りに動いているな」


「恐れいります」


「次はどうなると言っておるのだ?」


「今回は日英露仏でドイツを包囲する策が完成しましたので、これ以上のドイツの進出は抑えられるかもしれませんが、高麿によりますと予測は難しいものの、欧州各国が結んでいる同盟や不戦の条約が有効に機能している間は平和は保たれるだろうという話でした」


「では戦争など起こらぬ平和な世界が訪れるのか?」


「それが…その同盟関係そのものが、足枷になるやもしれぬとの話でございました」


「何と!?それはどういうわけなのだ?」


「はい。日英同盟を例にしますと、条約の内容は一国対一国の争いの場合は中立を守り、相手側にもう一カ国が加われば参戦の義務が生じます。

これは露仏同盟も同様で、先のロシアとの戦争においては、モンテネグロという第三国がロシア側にたって参戦しようとして、これにより危うく日英同盟 対 露仏同盟の全面戦争に陥るところでした」


「………うむ…」


「結果としては、日露両国の賢明な判断によって寸前で回避されましたが、あのような事が再び起きますと、ビスマルクの外交政策を要因として欧州各国に張り巡らされている条約が、戦争を呼び込むという事態に繋がりかねず、何人を以てしても止めることの能わない、大きな戦争に発展してしまうかもしれないとの話でございました」


「……人間とは愚かなものだな。

仕方なきことであったかもしれぬが、現在の同盟関係などは己の我欲を通し過ぎたせいであろうな」


「まことに…」


全くその通りだな。だが複雑な国境と歴史を有する白人たちの争いは終わらぬであろうし、日本も「道」を誤れば同じ轍を踏むかも知れぬ。


私としては、陛下とのこのような時間を大切にしたいものだが、陛下におかれては近年、糖尿病の所見が認められるから私としては気が気でない。


このお茶によってせめて緩和していただければ良いのだが…



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