第三十八話 その頃の極東情勢
1908年(明治41年)を迎えた。
日露協商も無事に成立したので、俺は父母や6歳になる末弟の彦麿を含めた家族全員に、ロシア語の教育を受けてもらうことにした。
もちろん俺も受けている。
なんでかって?ロシアはもう敵ではない。友好国だからだ。
というのは建前で、本当の狙いは別のところにあるがまだ先の話だ。
俺はとっくに海軍軍人となっているし、少尉の肩書を持つ主計士官なのだが、実戦部隊への配属が決まらず海軍本部で暇を持て余す状態だ。
う~んこれでいいのか??
第一次世界大戦まではこのまま待機かな?
教えられた軍務を忘れそうなんだが。
3月になって、昔から気になっていた、有栖川宮栽仁王を訪ねて、江田島の海軍兵学校へ行ってきた。
史実では3月初めに虫垂炎を発症し、一月後に亡くなってしまうのだ。
だから発症したら、すぐに大きな病院で診察させないといけない。
俺が訪ねた時に、まさに痛みが襲ってきた直後だったので、俺は慌てて患部を冷やしつつ、広島市内まで移動して入院させた。
周囲は「少し大げさではないか?」といった表情だったが、そんなことを言ってる場合じゃないと無理に移動させたのだ。
危ないところだった。
何とか手術も無事に終了し、10日後には元気な顔で退院することができた。
良かった。数少ない友を失うところだった。
俺はその後、東京に戻ったのだが、状況も落ち着いたし取り敢えず暇なので、国際関係の再チェックをしてみよう。
まずは近隣の状況だ。
■朝鮮半島
イギリスは日本との協議に基づいて、朝鮮半島の領有権を確保し、朝鮮総督を派遣して管理し始めたのだが、早速というかやはりというか、朝鮮民衆による蜂起に悩まされることになっている。
日本は結局のところ、最後まで朝鮮半島には1円たりとも投入していないから、現状は日本の江戸時代よりも遅れているし、インフラなど無いに等しく民衆は貧しい。
イギリス人も現地の実態と、李氏朝鮮の王宮内における権力争いの現実を知って愕然としているだろう。
特にあの権力闘争は目を背けたくなるほどで、国王と王妃、そして国王の父による三つ巴の泥沼だ。
また両班と呼ばれる特権階級の腐敗も凄まじい。
イギリスはどう対応するだろうか?
インドみたいに、東インド会社を通じた間接統治をしたいのだろうが、こんな状況だからちょっと無理かな?
この国について語るとき、「儒教と朱子学」の影響を無視することは出来ない。
朱子学は、中華帝国の一つである南宋の朱熹によって構築された、儒教の学問体系の一つだが、ほぼ宗教といってよいだろう。
儒教の特徴はいろいろあるが、その一つに「王道」と「覇道」、あるいは「王者」と「覇者」を区別することが挙げられる。
徳をもって世の中を治めるのが「王道」、「王者」であると定義して、これは善であり、一方で力でもって押さえつけるのは「覇道」、「覇者」であり、こちらは悪いことだと定義する。
よって21世紀の日本で、特にスポーツの世界でよく用いられていた「◯◯の覇者」という表現は、本来は良い意味ではない。
ともかくも儒教・朱子学は、李氏朝鮮にも大きな影響を与え、中華帝国の清を「王者」、西洋に追いつき力をつけた日本を「覇者」に分類する考え方につながった。
覇者に従うのは、我慢できぬという反応につながるわけだ。
また中華帝国の主は「皇帝」で、その支配下にある国は一段下の「王」を呼称させられるが、朝鮮から見ると日本の天皇が「皇」の文字を使うのは、中華様に対して不敬で許せないから「日王」と表現せよとなる。
もっと言えば、「俺は中華様を親とする長男だ」という謎の意識に至り、日本なんて「次男以下」なんだからエラそうに振る舞うな、となる。
確かこれを「大義名分論」と言っていたはずだ。
長幼の序、つまり年寄り優先に繋がる考え方だろう。
そんな「弟」だと思っていた日本が、ある日を境に突然「兄」を支配しようとすれば、相当な反発をしただろうというのは、個人の関係に置き換えた時に容易に想像できるだろう。
もっとも、「弟」に大きな顔をされるのが嫌なら、自身も努力して「兄」としての意地を見せれば、結果もまた違ったのだろうが、実際には妬んだだけだった。
なお、中華自身は、日本の「天皇」の呼称について、問題としたことは無い。
とにかく…朱熹の生きた時代の南宋や、彼が生まれる直前に滅びた北宋は、歴代支那帝国の中でも華やかなイメージがある。
陶磁器とか書画などは、どの時代の品と比較しても一級品だろう。
つまりは「文化レベルが高い」のだ。
そして、文化レベルが高いという事実は、社会が安定していて人々の暮らしも豊かだった証拠だ。
しかしその反面、武力は弱く、蒙古に圧迫されて滅びに瀕していたからこそ、自らの立場を強化するために生まれた考え方が朱子学だから、まあ方便のようなものか?
南宋を大義名分上の「王者」、そして蒙古を「覇者」と定義したかったわけだ。
発展した南宋が王道で、遅れた蒙古の行動なんて邪悪な覇道なんだと言いたかったのだろう。
そんな南宋を滅ぼした蒙古は、以前も触れたが「蒙古」の文字の意味を知って以降は、「元」へと国号を変えたが。
本筋ではないが、歴代支那帝国の国号は漢・唐・明など「1文字」が常識で、周辺の蛮族は鮮卑・朝鮮・匈奴など「2文字」で表現した。
「倭」は例外だろうが。
元寇に際して、攻め込む前に日本へ送りつけた脅迫状の差出人が「大蒙古帝国皇帝」と書いてあったので、これを見た朝廷の面々は大笑いしたという逸話は有名だろう。
ギャグ漫画風に表現したら、目玉が飛び出す感じか?
話が逸れてしまったが、とりあえず他人の宗教観・イデオロギー観のことでもあるし、コメントはしないでおこう。
と言いつつ、他人事ではなく日本も朱子学の悪影響を受けた。
この朱子学の考えを基に、後醍醐天皇は自分が武士から実権を取り戻さなければならないと考え、幕末の攘夷論、すなわち『ガイジンを追い出せ』という考えのもとにもなった。
明治時代の教育勅語にある「忠孝一致」の考えは、まさに朱子学対策だろう。
儒教では「孝」、つまり親に対する孝行が最も尊いとされる。
これは、例え戦争中でも、親が病気になったら子供は軍務を捨てて家に帰らなければならないのだが、それでは近代的な軍隊は維持できない。
だから明治政府の建前としての天皇、本音では国家に対する「忠」と、親に対する「孝」は一致しているのだと、わざわざ言わなければならないほど根深かったことを意味する。
本当に頭が痛い。
このように明治以降は、近代化のために朱子学は排除される方向に動き、なんとか日本は朱子学の影響を解毒できたように見えるが、令和でも完全には消えていないと思う。
現実の話に戻るが、イギリスもまずは朝鮮の社会インフラを整備しないと、どうにもならないと気付いたようで、そのための資材の発注が日本に来始めている。
史実の日本ほどは積極的な資本投資をしないだろうが、それでも日本にとって良いお客様になりつつある感じだ。
■満州一帯
こちらは以前にも触れたとおり、イギリスが日本に代わって進出してきている。
いや進出せざるを得ない感じか。
というのも、北洋軍閥の伸長が著しいからだ。
北洋軍閥の総帥は張作霖。
息子の張学良と共に、満州において勢力を拡大しつつある状況で、このままいけば清から独立するか、北京に攻め込みかねないので、イギリスとしても放置できなくなったというわけだ。
この地域には、もともと『馬賊』と呼ばれる暴力集団が多く存在する土地だったが、張作霖が彼らを取りまとめることで力をつけているのだ。
イギリスは南満州鉄道をはじめとした利権を守るためにも、遼東半島や満州への進出を行いつつある。
結果的にイギリスは、アメリカの唱える「門戸開放」、「機会均等」、「アンフェアの解消」を無視する形となっており、獲物を取り損ねたアメリカのイギリスに対する怨嗟の声は日増しに大きくなっているみたいだ。
なんか泥沼に足を突っ込み始めてないか?
まあ俺の狙い通りで、このまま英米関係がこじれるのが日本にとって理想だ。
■清
漢民族ではなく、満州族が作ったこの国は…もはや断末魔の状態で、国家の体裁をなしていないといってもよいだろう。
日清戦争に敗れて以降、若く有望な人材が見切りをつけて国外に出ているのがその証拠だ。
史実と同様か、それ以上早くに崩壊しても驚かない。
現在は映画「ラストエンペラー」の状態かな。
史実の辛亥革命は、今から3年後の1911年に発生する共和革命だ。
アジアにおいて、史上初の独立した共和制国家である「中華民国」が誕生した。
それが素晴らしいことかどうかは知らないが。
ただし以前も触れたが、これから史実通りに事態が進むかどうかはわからない。
清のすぐ隣には、最強(最恐?最凶?)国家イギリスがいるのだ。
その影響力とインパクトは、清にとって測り知れないものとなるだろう。
間違いなく言えるのは、これからこの地は大変混とんとした時代となるという点だ。
いずれにしても、支那大陸の歴史はまたリセットされて、ゼロからスタートすることになるだろう。
「中国4000年の歴史」などと、嘘八百を並べるプロパガンダ国家が誕生することだけは避けたいところだ。
果たして最後に生き残るのは、蒋介石か?毛沢東か?それとも?
■沿海州一帯
●中心都市はウラジオストクだが、その意味は「東方を征服せよ」という、物騒な名前だ。
もともとは清帝国の版図だった土地を奪い、1860年にロシア軍の前哨基地として設立された。
日本海に面したロシア最大の港であり、現在の人口は大体3万人程度だが、極東におけるロシア最大の都市でもある。
東清鉄道を通り、中国の長春を経由してモスクワに至る、有名なシベリア鉄道の東の玄関口でもある。
俺はまだ行ったことはないが、現地を知る人によれば、非常にのどかで素晴らしい場所らしいが、冬の寒さはとても厳しいとのことだ。
●ナホトカは、ウラジオストクから約80km東に行った場所にあり、ナホトカ湾という天然の良港に面する場所だ。
現時点で、人はほとんど住んでいないが、8世紀に「渤海」という国家の中心地となった。
沿海州の2都市に通商代表部を置いても、この人口規模だと現時点でビジネスにはつながっていないけれど、将来に期待だ。
これから極東方面の勢力図も大きく変わることだろう。
特に朝鮮半島の支配権が、日本からイギリスにわたったのは影響が大変大きい。
これからは、イギリスがアメリカや中華とのいざこざに巻き込まれるか、若しくは自ら揉め事を起こす可能性が高い。
日本がどう立ち回るかがカギになるな。