第三十四話 ド級の衝撃
Side:近衛高麿
1906年(明治39年)12月2日。
この日、世界の海軍関係者に衝撃が走った。
新たに就役したイギリス戦艦。
その名をドレッドノート。
この船は、単なるフネというよりも、それからの戦争のあり方を根本的に変えた、画期的な戦艦だった。
この当時の世界における戦艦の位置付けは、21世紀だと戦略核ミサイルに匹敵するようなインパクトを与える存在だった。
今後、ますます戦艦の性能と保有数が、そのまま国力として反映されるような、圧倒的な存在になっていく時代だ。一般に大艦巨砲主義と言われる時代で、日露戦争から第二次世界大戦までの約40年間にわたって続いた。
この考え方に至ったのは、日露戦争の影響が極めて大きい。
黄海海戦と、それに続く日本海海戦の結果を見た世界の海軍関係者は、大型の戦艦を揃えて敵艦隊を撃滅するという思想に傾いていった。
ドレッドノートが革命的なのが、その巧みな主砲配置により『ドレッドノート1隻で従来型戦艦2隻分』の攻撃力に相当し、さらに艦橋に設置した射撃方位盤で統一して照準することができたので、命中率が飛躍的に向上した点にあった。
またイギリスの従来型戦艦が、レシプロ機関搭載で18ノット程度の速力なのに対して、蒸気タービン機関の採用によって21ノットという、当時では驚異的な高速航行が可能であった。
このような高い性能によって、在来戦艦と遠距離砲戦をおこなっても、相手より先に命中弾を得ることができた。
また、従来の戦艦より高速であったことは、海戦において重要な「距離の支配権」を確保できるということを意味した。
本艦は敵艦との間合いを常に自艦にとって最も有利な砲戦距離に保つことができ、不利であれば逃げることも可能だったが、在来戦艦側は不利になっても本艦からは逃げられずに撃沈される確率が高かった。
このようにドレッドノートの登場は、「ドレッドノート革命」と呼ばれ、近代軍艦としての戦艦の設計に革新的な影響をもたらし、本艦以前の戦艦をすべて一気に旧式と認識させる一大変化を起こした。
本艦は日本では省略してド級、あるいは弩級戦艦という単語で象徴され、その後に建造された類似艦をド級艦と呼んだ。
数年後にはド級艦を凌駕する超ド級艦を誕生させ、世界各国の大建艦競争時代、ひいては第一次世界大戦を経てひたすら巨大化し、そのことがワシントン海軍軍縮条約によって始まる「海軍休日」の原因にもなったのは史実の通りだ。
その影響で、ドレッドノート就役以前に、就役・建造中だった世界中の全ての戦艦が一気に旧式化してしまった。
事態は深刻であり、その例としては当時建造中だった日本海軍の最新鋭艦「薩摩型」や、イギリス海軍の「ネルソン級」、フランス海軍の「ダントン級」などが、全て就役前に旧式艦の烙印を押される結果になってしまった。
当時のインパクトの強さは21世紀の日本でも、例えば「超弩級のホームラン」のような言い回しが使われていることでも証明されるだろう。
この言葉はこの戦艦ドレッドノートに由来するわけだ。
しかし結果として、世界で最有力だった他のイギリス戦艦群も一気に陳腐化してしまい、ほかならぬイギリス海軍こそ、世界で最も多くの旧式戦艦を保有する国になってしまった。
そして各国の建艦競争は「ド級艦」という新たな局面に舞台を移し、一度同じスタートラインで仕切り直される形で続くこととなった。
算盤でいえば、「ご破算で願いましては」状態だ。
21世紀のビジネスの世界でも、こういったことはよくある。
例えばカメラだが、フィルム式からデジタルに移行する過程で、市場シェアに変化が生じたはずだ。
カメラに限らず、このような変化を自ら仕掛けたのなら良いが、そうでない場合はトップシェアの会社のほうが不利となる。
それまでの成功体験に縛られているし、組織も大きく考え方も固定化している可能性が高いためだ。
何より、影響を受ける商品アイテム数が多い可能性が高い。
この段階で技術革新ができれば、そのままトップシェアを維持できるだろうが、技術で遅れをとった企業は退場宣告を受ける。
一方で、シェアは低くても、技術的に自信のある企業から見たら前提条件が変わることは大歓迎だろう。
一気にシェアを奪取できる可能性があるからだ。
話がそれたが、最終的にイギリス海軍の優位こそ揺らぐことはなかったものの、その優位を維持するために、ドイツのティルピッツ海軍大臣の戦略により、大洋艦隊の拡大をはかるドイツ帝国と熾烈な建艦競争をひた走ることになり、第一次世界大戦の原因の一つとなった。
さらには、イギリスがそれまで掲げていた「二国標準主義」の継続が難しくなった。
二国標準主義とは、世界一の海軍国家であるイギリスは、世界二位、三位の海軍力を合わせたものより優位な海軍力を維持するというものだ。
後年ワシントン海軍軍縮条約においては、英米日の戦艦保有率は10:10:6と定められたが、イギリスから見れば10:5:4が理想だったわけで、この条約は屈辱ものだったのだ。
史実において、今後発生するのがイギリスとドイツ、更に日本とアメリカの間で発生した建艦競争だが、日本とアメリカの場合は、前提として日本が「仮想敵」の設定をアメリカとすることから始まる。
仮想敵とは軍事戦略・作戦用兵計画の作成上、軍事的な衝突が発生すると想定される相手のことだ。
仮想敵国イコール敵国との誤解も存在するが、あくまでも想定だ。
相手の戦力を見て、こちら側もそれに対応できる戦力を備えるという意味だ。
ロシアに勝利した日本の仮想敵は、現在いない状態で、史実だとこれが今後アメリカに設定されるわけだが、そうなってしまうと無駄な建艦競争に巻き込まれてしまう。
それは「八八艦隊計画」というものだ。
あまり詳しくは述べないが、新造戦艦八隻と、より高速の巡洋戦艦八隻を基幹とした大艦隊建造計画のことだ。
しかも「建造から八年以内の艦」というおまけまでつく。
八八艦隊計画の全艦が完成して海に浮かぶと、建造費だけで5億6000万円。
維持費としての海軍予算は毎年7億円。
大正期の国家予算が15億円程度なのに、海軍予算だけで半分近くを消費してしまう。
これにはもちろん陸軍予算は含まれない。
これから驚異的な発展を見せる予定の日本においても、これは明らかに過大だ。
さらに、初年度から9年後には更にもう16隻作り始めようという。
とんでもなく恐ろしい計画だ。
史実では実際にこの計画は実行されて、1923年の時点で16隻のうち6隻は起工されて全艦進水し(長門・陸奥・加賀・土佐・赤城・天城)、2隻は完成済み、あるいは完成目前だった。
どうでもいい話で恐縮だが、この場合の「陸奥」は青森県だけを指すものではない。
福島県以北の東北地方(出羽を除く)全体を指す。
大和言葉で言えば「みちのく」だ。
ややこしいが、明治元年から明治11年までに存在した「陸奥」国は、概ね現在の青森県周辺を指すが、この場合の読みは、それまでと区別するため「りくおう」と発音せねばならない。
同様に先ほど述べた「出羽」国も、同じタイミングで「羽前」と「羽後」に分割された。
これらは明治新政府に反抗した、「奥羽列藩同盟」に対する処分の色彩が濃いと言えるだろう。
ともかく、このタイミングで5か国条約、通称「ワシントン海軍軍縮条約」締結となったが、八八艦隊計画は今から考えるまでもなく無茶な計画だ。
こんなことになる前に、アメリカの動きにかかわらず早急に仮想敵を設定し直さなくてはいけない。
目標は日英同盟を基本として、日本単独で設定するのではなく日英共同で仮想敵を設定する方向にもっていくことだ。
実現できれば日英共にお互い負担は少なくなるし、より強固な同盟関係を構築できるだろう。
21世紀の日米安全保障条約では、アメリカが「矛」で、日本が「盾」で棲み分けたが、この世界では少し違う。
・太平洋方面では日本が主攻で、イギリスが助攻。
・大西洋方面では逆にイギリスが主攻で、日本が助攻。
この基本枠組みで動くべきだ。
強力な艦隊は保持すべきだが、それはアメリカを極度に刺激するような規模にすべきではない。
建艦競争を始めたら工業力のまだ弱い日本は不利だからだ。
英独建艦競争は既に始まっており、これは仕方ないけれど、第一次世界大戦が終わった後は日英:米の比率で10:6くらいで着地させるのが理想だ。
個別に見れば米:英:日で10:8:6といったところか。
絶妙のバランスだろう。
日米の比率は、偶然だがワシントン海軍軍縮条約の比率だ。
第一次世界大戦後は、イギリスも借金まみれで余裕はないだろうから、このくらいの比率で抑えさせることは可能と思われる。
アメリカが個別では最大の海軍国となるが、日英に挟まれるとかなり分が悪い。
そして、日本の経済的負担は少なくて済むし、日本には伝統的に「個艦優勢」がある。
数よりも質で勝負という伝統だ。
史実のワシントン軍縮条約においては、日英に挟まれることを恐れたアメリカの策謀によって日英同盟を破棄されてしまい、そのことによって日本はイギリスを憎み、イギリスは同盟を捨てざるを得なくさせたアメリカに腹を立て、アメリカは日本の軍事力に不信を抱くという「負の三すくみ」状態だったが、これなら「正の三すくみ」と出来る。
アメリカは日英と正面切って戦えず、日本もイギリスの協力がなければアメリカと戦えず、イギリスもまた日本の協力がなければアメリカと戦えない。
この状態に持って来る前提として、英米が対立状況となることが必要になる。
そのための英米がモメる材料が中国大陸における利権争いなのだ。
日英同盟を簡単に破棄させないためにも、俺はイギリスを引きずり込んだわけだ。
何とかうまくいってもらいたいものだが。
まずはハリマンさんからだね。よろしくお願いします。