第三十二話 国内産業振興
Side:近衛高麿
さて、新領土に対する当面の施策は固まったが、次は本土に目を向けていこう。
その前に日本の「本土」って何?という話をさせてもらいたい。
辞書を引くと様々な定義が記載されているが、歴史的にみると概ね本州・四国・九州を指す。
日本人の意識の中に今回の樺太はもちろん、少し前に版図に含まれた台湾についても同じ日本であるとの認識はまだ薄い。
それどころか、北海道と沖縄についても同じくらいなじみが薄い。
なぜなら、これらの地域は、江戸時代以前は日本の領域に含まれるとの意識がなかったからだ。
沖縄(琉球)は、薩摩藩と清に両属しているような状態だったし、北海道も松前藩が南端の一部を領有しているだけだった。
寒くて米が採れなかったからだ。
よって双方ともに旧令制国の対象ではなかった。
令制国とは武蔵とか越後とかいうアレのことだ。
令和でも市町村名とか駅名とかで残っていたし、聞いたことが無いという人はいないだろう。
奈良時代にほぼ確定したこの制度は、明治11年に廃藩置県によって廃止されるまで、実に1000年以上にわたって維持され、日本人に染みついてきた認識だ。
まだ廃止されて30年に満たないのだから、その古い意識は濃厚に残っている。
また令制国はその地域によって「五畿」と、「七道」にまとめて編成されていた。
五畿とは大和、山城、摂津、河内、和泉の五カ国で、別名「畿内」とも呼ばれた。令和の感覚で言えば首都圏に近い。
天気予報でよく使われていた用語に「近畿」があるが、あれはその名残だ。
令和の都道府県でいえば奈良県全域、大阪府全域、京都府京都市以南(一部丹波含む)、兵庫県神戸市(ただし全域ではない)以東だ。
一方で七道は東海道、西海道、南海道、東山道、山陰道、山陽道、北陸道の七つに分類された。
山陽道とか北陸道とかは、高速道路の用語で使用していると思うが、この場合は当然そうではない。
東海道も、後に東海道五十三次が有名になるが、これとも違って、伊賀から常陸までが範囲だ。
あくまでも行政区画としての「道」だ。
中華だと「県」の上に「省」があるが、それと同じようなものだと思ってくれていい。
五畿七道は、最後の最後になって北海道が加わり、五畿八道になったが、この期間は極めて短く、北海道だけ「道」として残った。
また、北海道内は11の令制国に分割されていたが、これは廃止された。
だから「九州」という表現があるように、北海道のことを「十一州」と呼ぶ場合もある。
石北峠、日勝峠、狩勝峠、塩狩峠、根北峠、根釧台地などは、その令制国の名残だが、令和では廃れている。
そんなわけで、「本土」と「新領土」の間には結構深い認識の溝があるということはご理解いただきたい。
人的交流が進むことが一番だが、少々時間はかかるだろう。
そして産業を発展させる計画についてだが、テーマごとに並べてみよう。
・第一次産業
米と麦が中心だが、土地に合った作物を選定して推奨していくらしい。
ここで問題となるのが地主と小作人の関係だ。
武士が土地を所有する時代から、1873年(明治6年)地租改正を端緒として、日本でも地主が小作人に対して土地を貸し与えるという仕組みとなったが、問題点も多い。
つまり小作人は貧しく、地主が肥え太る傾向が強まっているのだ。
これは敗戦後のGHQのように、強権的に変えない限り制度はなくならないだろうが、俺の見通しとしては特に制度をいじらなくても、第二次、第三次産業が発展していく過程で緩やかに解消出来るだろう。
この土地の話については、もっと内容が長くなるので別の機会に述べることにしたい。
・第二次産業
これからの日本のメインは、この分野であるのは疑いない。
現在は国営の製鉄所だったり、造船所や繊維産業があるくらいだが、この分野に資金を集中投資していきたい。
必然的に都市部に人口が集中するという、史実における戦後の高度経済成長をこの時代に実現させたいし、資金面からも十分可能だろう。
これが実現していく過程で、先ほど触れた小作人の問題は徐々に解消できるだろう。
また特にアメリカで問題視され、迫害されるに至った日本人の海外移民も減少するはずだ。
双方は密接に絡み合っている。
都市部での生活が実現できるようになり、安定した職が得られるならば、何も地方の小作農にこだわって貧しい生活を続ける必要はないし、わざわざ外国で苦労する必要もないからだ。
小作農が減ってしまったら、土地の地主は当然困るだろう。
そうなれば土地を手放すか、小作農の待遇を上げるかという選択しかなくなる。
緩やかに解消とはそういう意味だ。
日本の人口は、江戸時代には概ね三千万人程度で推移していたが、明治維新以降は急速に増大し、1920年代末には六千万人を超えた。
海外移民は、それに伴って唱えられた「人口過剰論」に慌てた政府が、国策として行ったのだが、移民総数は1945年までに百数十万人を数えるという。
過剰であると判断された原因としては、財閥支配と、地主制に伴う労働市場の流動性の低さが挙げられるとの説があるが、後世この「人口過剰論」は間違いであったことが明らかとなる。
国内市場の拡大と、それに伴う雇用の増大によって解消されたためだ。
これからの日本も、史実より早い時期にこの問題は解消されるだろうし、逆に人手不足になる事態も十分予想される。
・第三次産業
この分野では特に金融業から力を入れていきたいと俺は考えている。
カネは産業のコメだからだ。
政府とも協議して推進するように父に相談済みだ。
また例のユダヤ人達の協力が得られれば、なお素晴らしいと考えている。
沿海州一帯との貿易も、通商代表部を朝鮮半島とロシアに置いたことで将来的には期待できるが、現時点では人口が少なかったり購買力が無かったりと、あまり戦力とはなっていない。
・関東大震災の事前対策
東京が発展する前にこの対策を事前に行っておかねばならない。
発展してから手を付けるのでは余計なカネがかかるし手遅れだ。
そこで震災後の東京において大胆な都市計画を実行した後藤新平は今どこにいるのだろうかと気になり密かに探してもらった。
あの人は台湾総督府で局長として働いた後、南満洲鉄道の総裁を経て逓信大臣になるのだが、台湾総督府は俺のせいで最初から全く違う名ばかりものになっているのだ。
史実では児玉源太郎の知己を得て台湾総督府で働くことになるのだが、この世界では児玉源太郎は台湾総督に就任しておらず、結果として後藤新平は未だに中国地方在住のヒラ官僚のままだった。
もっと言えば、既に日本は大陸側に利権はないので、当然南満州鉄道は日本と関係ないから、彼が世の中に知られるようになるかどうかわからない。
能力はあるだろうが、実績のない人間にいきなり東京の都市計画を任せるのは、流石に無理がある。
いやそれだけでなく、後藤新平以外にも本当はこれから名を上げていく予定の人々の経歴が相当変わることになるだろう。
ますます俺の歴史知識が役立たなくなりそうだ。
しかし街作りは待ってくれないから、まずは都心から放射状に伸びる道路と環状道路の双方を建設したい。南北軸としての昭和通り、東西軸としての靖国通り、環状線の基本となる明治通り(環状5号線)など、早めに整備してもらおう。主要街路の幅員は広い歩道を含め70mから90m、中央または車道・歩道間に緑地帯を持つものとしたい。
令和だと世田谷もそうだが、杉並辺りは道路も狭く密集していたから火災に対してぜい弱だ。
この地域は最初から広めの道路を確保したい。
更には大きな公園や緑地帯が必要だ。
特にそれは上野駅から東側に不足していたから、この辺りに重点的に整備してもらおう。
更には電線の地中化からガス、電信、上下水道の完全整備、道路の拡幅と舗装に、浄水施設、下水処理場、ゴミ処理施設、更には鉄道用地の確保に学校など教育場所の整備から病院の充実に港湾施設の拡充。
やることは山ほどある。
関東大震災まであと18年しかないぞ。東京の未来のためにも頑張ろう。
それと自然な形での住民避難の方法も考えなければ。
また全国の主な河川の堤防強化も必要だ。
これから4年後に発生する明治43年の大水害には間に合わないかもしれないが、優先順位の高い危険な河川から堤防の強化に着手しよう。
どこが優先というより、どれも全て優先だ。
カネがある時にやっておかないと、こういった事業はできないから。
国内の土木工事は空前の忙しさになるだろう。
工業化以前に人手不足が発生しそうだ。
早速いつも通り父に進言してみよう。