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【外伝】近衛篤麿 ⑧埋伏の毒

1905年(明治38年)8月


大任を終えて無事に日本へと帰ってくることができた。

私と小村外相の両名は直ちに宮中へ参内し、陛下に今回の結果を報告したのちに、内閣にも同様に報告した。

陛下はことのほかお喜びになられ、私と小村外相の両名に対して叙勲と、更に私は位階の昇進を賜ることになった。

これまでの従一位から正一位に昇進したわけだ。

もうこれより上の位は無いから、名実ともに人臣最高位となり、素直にうれしい。


また小村家と近衛家の周囲は、連日にわたって群衆に取り囲まれて大変なことになっている。

大成功の結果であるのだから歓迎せねばならないだろうが、もしも講和が満足できる結果に終わらなかったら、この人達は暴徒になっただろうと考えると少し寒気がする。


同年10月


ロシアから賠償金を得た日本は早速資金を活用して新領土の開発に着手した。

新たに入手した樺太北部では驚く出来事があった。

なんと、かなり規模の大きな油田があったのだ。


これは「オハ油田」という名前が付きそうだが、現在日本が必要とする量をまかなうに十分とのことで、概算では順調に開発できれば年間250万トン程度なら軌道に乗せるのは難しくないらしい。

更には天然ガスまで豊富に埋蔵しているらしく、産業の発展には欠かせない財産となりそうだ。

しかし高麿はあまり驚いているようには見えないが、まさかこれを予想していたのではあるまいな?

それはともかく、樺太南部は豊原と命名された場所の街づくりが計画されている。

こちらは製紙業と炭鉱産業が大きな柱となるだろう。


北海道や沖縄、台湾も本土に合せて開発が始まっているから経済的な発展も行えるだろうし、私が政府に働きかけて作らせた「開発省」は、傘下に「北海道・樺太開発庁」と「沖縄・台湾開発庁」を抱える組織となって活動を始めている。


ロシアからカネを奪ったのは大正解だったのだ。


ただし、高麿としては国土の開発や産業の振興にあたり、一部の資本家しか参加できていない現状は、将来において問題が発生するかもしれないとの危機感を持っているらしい。

それはどういうことか?と聞いたら「一部の資本家が寡占状態となっている」点にあり、これらの資本家たちが今回の投資をきっかけとして力を付け、様々な分野で事業展開を始めるようになると、最終的には財閥化を招き、その独占的・排他的な力によって、日本全体の健全な成長が阻害されるという問題が表面化し、様々な弊害が起こるだろうという。


その弊害とは具体的に次の通りだ。


・複数の財閥が談合によって競争を排除し、購買側にとっては選択肢が限られ、価格が上昇し品質が低下する危険性がある。


・また、政治家や官僚に賄賂を渡すことで、有利な法律や規制を作成させたり、競合他社を排除することにも繋がる。


・最終的には既得権益化し、財閥に財産や権力が集中してしまい、貧富の差が拡大することで社会的不平等が生じる。


「これは大問題に発展してしまうではないか!財閥を抑え込む何か良い対策はないのか?」


と聞けば高麿が答えて言った。


「財閥を規制する手っ取り早い方法がありますよ。カール・マルクスという人が唱えている共産主義というものを導入するのです」


マルクスか。学者の誰かが言っていたな。


「共産主義とは最近聞くようになった言葉だが、学者に聞いてもよく理解できない。結局それはどういったものであるのか?」


すると高麿は断定的な口調で言った。


「貧富の差を無くすことを目的に、土地も財産も全て国家の物にするという考え方です」


「……それは飛鳥~奈良時代の"公地公民制”のようなものか?

その為に明治の初めに行った、それまで藩主が治めていた土地と農民を陛下に返還させた"版籍奉還”のようなことを行うのか?」


すると高麿はため息をつき、深刻な表情を作ると続けた。


「いいえ全く違います。この体制を導入すると全ての資本家は強制収容所に送られますし、天皇陛下の存在は真っ先に否定されるでしょう。

国家体制は少数の為政者によって独占され、異論は認められず、反対意見は抹殺されたうえに密告を奨励され、人民は自由を奪われた末に革命の名で国が滅びます」


なんだと!


「馬鹿なことを言うな!!それでは『邪教』そのものではないか!絶対に認められぬ!」


思わず叫んでしまった。陛下の存在が否定される?あり得ぬわ!


「おっしゃる通りです。ですからそのような極端な考え方に繋がらないよう、対策を講じていくほかに手段はありません。

極端な財閥化と、その反動とも言える共産化は避けねばならないのです」


「…そうならないように、常に為政者の正しい判断が必要という話だな?」


「はい。以前にご紹介した“文明の生態史観”によれば、これら資本家ともいえる商人が明治以前に一定程度存在していたからこそ、今日の発展に繋がっているわけであり、これが無ければ開発などおぼつかず、また外国資本によって日本の富が奪われてしまったでしょうから、財閥も初期段階では効率的な発展には有益な場合もあるために必ずしも間違いではありませんが、何らかの手段で規制する必要が出る時期が来るだろうというのが結論です」


…現在は良いとしても、この先に何の規制も行わず、野放図な活動を許せば財閥が力を持ち過ぎて貧富の差が拡大し、下層に位置付けられる人々の生活が苦しくなってしまうと、その隙に付け込んで邪教が拡がるという結果に繋がってしまうのか。

それでも日本の発展のため、外国資本と戦うためには財閥の力も必要か。


「……なるほど、財閥と言えども無駄なものなど存在してはいないし、時と場合によって薬になったり毒になったりするということだな?」


全ては均衡の上に成り立っているのだな。

これが崩れてしまうと共産主義などというものに国と国民が惑わされてしまう。

それは絶対に認められない!


1906年(明治39年)1月


高麿が二十歳に達したので、陛下へまたご挨拶するため共に参内し拝謁した。

そして高麿はその場で陛下より従五位の位階をたまわった。


陛下は「近衛からいろいろ聞いておるぞ」とお声がけされていたが、少し顔が引きつっていたな。


同年 3月末


日露戦争遂行のために必要とした外債購入を、積極的に行ってくれたアメリカの銀行家ジェイコブ・シフをはじめとする一行が来日した。


シフは陛下から招待され、戦勝記念祝賀会に出席したのだが、日本の最高位勲章である「勲一等旭日大綬章」を外国人として初めて授与された。

今後の関係に期待する意味も込めた叙勲であり、この当時にしては外国人への叙勲自体が珍しいものであったため、彼ら一行は国賓待遇を受けることになった。


その際に驚いたのが、ジェイコブ・シフと高麿が十年来の友人の如く談笑している姿を見たことだろう。

僅かな時間のうちに友誼を結んでいたみたいだが、いったいどのような経緯だったのか?

これは高橋是清も知らないようで、私と一緒に驚くしかなかったみたいだ。

更にはイギリスのロスチャイルド家も同席しているというではないか!


ますますわからん!

一体どのような手段で交友関係を築いたのだ?

ロスチャイルドとは何があるというのだ!?

政府関係者からも執拗に確認を受けたのだが、本当に知らないのだから返答に困る。


更には先方の希望で高麿が国内を案内して回るとのことだ。

これは相手からの高麿に対する信頼は尋常ではないほど厚いと見るべきだし、余計な手出しをせずに任せてしまった方が良いな。

良い結果につながるよう期待しようではないか。


それとは別に今回来日した人物の中に、エドワード・ヘンリー・ハリマンというアメリカの著名な鉄道事業者がいた。

”アメリカの鉄道王“として知られる人物との話だったが、彼も外債購入に協力してくれたから陛下に招待されたのだが、シフやロスチャイルドと違って、あまり日本に興味が無いみたいで、それよりも遼東半島の鉄道に興味があるらしい。


↓1905年時点での鉄道図。ハバロフスクから西のチタまでのシベリア鉄道は完成していない。

挿絵(By みてみん)


ハリマンと話をしたのだが、どうやら旅順と長春を結ぶ南満州鉄道の経営権を奪取し、ウラジオストクを発してチタまで伸びている東清鉄道とハルビンで接続させて、更にそこから先はシベリア鉄道とも結ぶことによって一大物流網を構築させたいらしい。

今後はハバロフスクからチタまでのシベリア鉄道が完成するだろうから、それまでに地歩を固めたいのだな。


しかし、そんな物に興味を持たれても、日本としては便宜の図りようがない。

イギリスの考え次第だが、満州を不干渉地帯とするとの講和条約を結んだのは日露両国であり、イギリスにとっては関係のない話だから、日本の代わりに遼東半島へ進出するだろう。

もはや清には統治能力が無いから、力の空白地帯が出来てしまい、どの国も困るからだ。


よってイギリスと交渉して欲しいとしか言いようがなかったが、何というか私がこれまで接したことのない型の人物で、敢えて日本人で近い人物を無理に挙げるとすれば、三菱の岩崎弥太郎あたりか?


精力的と言えば聞こえは良いが、我が強く他人の話を聞かなそうだ。


いや、これは岩崎弥太郎に失礼だな。


もっと下品で、自分の事しか考えていない人物だったと評価しておこう。

欧米の資本家とはこのような人物ばかりなのだろうか?

だとしたら民衆は搾取される一方だな。

近江商人は売り手と買い手、そして世間までを含めた「三方良し」を大義としているそうだが、彼らのような道徳観をハリマンのような人物に求めても無駄なのであろうな。


だが、高麿によればこのハリマンなる人物こそ、日本にとっては今後の世界情勢を動かす最重要人物なのだそうだ。


一体それはどういう意味だ?と聞けば、「ハリマンのあの性格こそが決定的に重要で、アメリカ政府に働きかけ、強引と評価するしかないような態度でイギリスと交渉することで、英米が衝突する契機となるでしょう」

と言うのだ。


アメリカは米西戦争でスペインと戦っていたために中国進出が遅れたが、最近ではフィリピンを足掛かりに中国大陸へも食い込もうとしている。

セオドア・ルーズベルト大統領は、列強各国による中国大陸の権益争奪に乗り遅れている現状に焦っており、日露の講和を取り持ち、日本へ恩を売って、アメリカが中国大陸へ進出する足掛かりとすることを欲していた。

だから、ハリマンが望めば積極的に応援してイギリスと交渉させるだろう。

しかし、イギリスが受入れるとは思えない。


挿絵(By みてみん)


↑ ↑ ↑ 中国を分割する列強の風刺画。

ヴィクトリア女王が描かれている為、1901年以前の作と思われる。

左から英・独(ヴィルヘルム2世)・露(ニコライ2世)・マリアンヌサムライ    

背後に立っている辮髪の人物は慌てる清(中国)。

※アメリカは出遅れており、描かれていない点に注意。

※英独の対立と露仏の関係性、まだ武器は手にしていないが、この中で最も強力な武器を手元に置いている日本の様子も興味深い。



うん?つまりあれか?

日本が半島や大陸に進出していたら、ハリマンと揉めるのは日本で、それによってアメリカとの間で争いが発生するのか?

更には対応を間違えると、イギリスにまで領土的野心を疑われ、せっかく結んだ同盟関係を解消されてしまう結末に至ったと?


これからは日本の代わりに、イギリスがアメリカと角逐してくれるというのか?

そうなる事態を高麿は最初から狙っていたとしたら?


まさかな。いやしかし…


ハリマン自身は意識してはいないだろうが、結果として彼を使って英米の離間を狙う「埋伏の毒」として利用するつもりなのか?

そうなれば即効性はなくとも、遅効性の毒として英米の紐帯を蝕んでいくだろう。


またもや言うが深謀遠慮、それどころか神算鬼謀と評価するのが最も相応しい言葉ではないだろうか?

ここまで緻密な(はかりごと)を巡らせる人物だと、頼りにするよりも前に恐ろしさが先に来て、我が子で無ければ遠ざけたやもしれぬな。


いや本当に頼もしい!


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― 新着の感想 ―
家族に対して全幅の信頼を向ける人だなぁ… そう言う人は好ましいゾ!
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