第二十九話 ポーツマス講和条約①
Side:近衛高麿
日露戦争の帰趨が決すると、日本は講和に向けた本格的な動きを開始する。
史実よりも3ヶ月早い、1905年(明治38年)5月18日、アメリカのセオドア・ルーズベルト大統領を仲介者とした講和会議が始まる。
日本側出席者は、外務大臣小村寿太郎。そして俺の父である貴族院議長の近衛篤麿が、なんと全権代表となった。
これは俺もちょっと驚いた。でもよく考えると適任かな?
俺は出国前の父に対して「徹頭徹尾、強気の交渉をしてください」とお願いしておいた。
満州や大陸に興味はないけれど、何とか樺太は全島頂きたいし、出来るなら賠償金も欲しいと伝えた。
相手があることだし上手くいくかはわからないが。
史実では賠償金は一切取れず、南樺太と南満州を手に入れただけで妥協しているのだ。
勝敗の結果は今回の方が優勢だし、ロシア国内の情勢も俺の知っている史実より悪いから、可能性はあるとは思う。
父が全権であることを知った世界の人々は、天皇の最側近として知られ、日本の国政を実質的に牛耳っている父が出てくるのは、日本側の並々ならぬ決意の表れであり、激しいやり取りが行われるとの予測が拡がったことで講和会議の行方に注目が集まった。
実は政府内での当初の見込みは伊藤博文を全権とする案があったのだが、伊藤本人が全権となることを固辞した。
つまり成功の見込みが薄いと思われていた講和会議で、全権を任されるリスクを避けたのだ。
おいおい…成功率はそんなに低くないと思うが?
ロシア側全権はセルゲイ・ウィッテであり、ロシア皇帝ニコライ2世は当初ウィッテに対して「一握りの土地も1ルーブルの賠償金も与えてはならない」との厳命を下すつもりであったが、戦況は著しくロシア側に不利であり、日本陸軍は更に北上して奉天を伺う勢いで、現地には続々と日本軍部隊が集結しつつあり、交渉が決裂すれば一気に攻勢に出てくる事は火を見るより明らかであった。
また捕虜も既に20万人をはるかに超えており、ロシア国内の民衆の動揺を抑えるためにも、日本に対して妥協してでも早期の講和が必要とのウィッテの強い要望に折れて、領土の割譲と賠償金の支払いについてウィッテに一任する旨を告げた。
ところで今回(前回もか?)アメリカが仲介者となったのは次のような経緯だった。
世界の五大強国である英・露・独・仏・墺の中で、まずロシア自身と日露双方の同盟国である英仏が最初に除外されたのは当然だろう。
残った独墺も不適任であると日本側が強硬に反対した。
そもそもドイツは三国干渉の真犯人であり、これまでの経緯を考えれば信用するに値しない事は明白だからだ。
それに加えてオーストリアなどドイツのパシリと化しているのだから、仲介の資格などないと主張したのだ。
当然だが”パシリ”の表現は使っていないので念のため。
結果として日露双方が指名したのが、五大国以外ではあるが、国力の伸長著しいアメリカであったわけだ。
アメリカとすれば、大国が絡む戦争の仲介者となるのはメリットが大きい。
アメリカ自身が大国として世界に認められるきっかけになるからだ。
セオドア・ルーズベルト大統領は、概ね日本側の主張を受け入れて、ロシアとの講和の折衝を行ってくれた。
これにはハーバード大学以来の知人である金子堅太郎が働きかけたことが大きい。
しかしだからといって、単純な好意だけで日本側の主張を受け入れたわけではない。
戦後の中国大陸への利権参入という目的があった。
というのも、アメリカは欧州列強に比べて中国大陸への進出が遅れており、講和会議を成功させることで日本に恩を売り、「機会均等」を大義名分として利権を獲得したいという狙いがあった。
アメリカに到着した父と小村外相は、現地のマスコミに対してにこやかに対応し、余裕の表情を見せつつも日本の置かれた立場を説明し、日本は平和を希求したがロシアの圧迫により開戦せざるを得なかったと、海外世論の同情を得ることも忘れなかった。
アメリカのニューハンプシャー州ポーツマスで始まった講和会議は、冒頭から日本側の強気の要求が目立った。
日本側全権である父は、小村外務大臣と協議の上で徹底的な強気戦術で会議に臨んだのだ。
ロシアに対する要求内容は次の通りだ。
1、南北満州全域の日本への割譲。
2、樺太全島の日本への割譲。
3、ウラジオストクを含む、沿海州一帯の日本への割譲。
4、朝鮮半島へのロシアによる干渉の完全停止。
5、賠償金50億円。
以上5点を要求して譲らなかった。
ロシアの譲歩を引き出すために、最大限多めに吹っかけたのだ。
実際の戦闘状況と陸軍の現状を考慮すれば、強気に出ても全く問題が無かった点も追い風になった。
一方でウィッテは父の態度に驚いただろう。
このコノエという男は日本でも筆頭の貴族ではなかったのか?
貴族なのになんでこんなに戦闘的でイケイケなのか?
日本の貴族はみんなこうなのか?
なぜ目を逸らすことなく、堂々とこんな強気な事が言えるのだ?と。
しかし怯むことなく、ロシア側の講和条件を日本側に伝えた。
1、一片の土地も割譲しない。
2、賠償金は1ルーブルたりとも支払わない。
3、交渉が決裂すれば直ちにロシア本国から大軍を送り込む。
ニコライ2世の承認は得てはいるが、ウィッテは最初から日本側に譲歩するつもりは毛頭無かった。
ルーズベルトの親日的な態度は気に入らなかったが、ロシアのメンツにかけても、簡単に日本側の要求は呑めないと気合を入れなおした。
このまま双方の主張は歩み寄りを見せぬまま、時間だけが過ぎていった。