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【外伝】近衛篤麿 ⑥日露開戦

1903年(明治36年)9月


高麿と高橋是清は無事に日本へ帰って来た。 

結果はジェイコブ・シフなるアメリカの銀行家が1億5000万円もの戦時外債購入に応じてくれたのだという。

政府として最初に予定していた額が1億円であり、シフはまず半分に当たる5000万円の債権を買ってくれたのだが、これによって残りの半額も直ぐに完売できたという。

シフはこれに留まらず、更に追加で1億円の債権を買ってくれたのだ。

つまり最初に予定していた債券に対して2倍の金額を戦費として用意する見込みが立ったという事で、これによって当初予定していた英独からの武器弾薬の購入数も大幅に増やすことが出来るし、国内製造にも弾みがつくという効果もあって大騒ぎになった。


どのような方法を使ったのかは知らぬが、高橋是清という人物はとんでもなく優秀で、これからの日本にとって必要不可欠な人材であろう。

ただ気になったのは、高橋是清が私に「今回の功績は自分自身には無く、近衛様のご長男に帰すべきものであります」と言ったのだ。


この男は何を言っているのであろう?


いかに優秀であるとはいえ、高麿はまだ齢十七なのだぞ。

そんな未成年者が海千山千で鳴るアメリカ有数の銀行家、しかも聞けば相手は金にうるさく、契約にも厳格だと評判のユダヤ人だというではないか。

そんな人物を相手にして、しかも倍額のカネを引き出すなど高麿ではとても出来まいし、私でも無理だ。


ただ、高橋是清が彼方此方でそんな風に吹聴しているからか、我が家の長男は“麒麟児”だとの風説が広まっているらしい。

まあ良からぬ噂が広まるよりは余程ましだが、高麿は迷惑そうだ。


そうそう。

帰国後に高麿が驚いていたのが、私が地政学の本を出版していた事だ。

以前から陛下や政府、財界要人には教えてはいたが、陛下から質問攻めにあって対応していたら、陛下に出版を勧められたのだ。

この10年ほどはずっと高麿に驚かせられてばかりであったが、これで一矢報いた格好だ。


してやったり!


さすがに体系立てて理論にするのは苦労したが、国別の特徴をまとめ上げ、なんとか出版にこぎ着けたのだ。

歴史的事実として見た場合、私が海洋国家と定義した国、具体的には日英米西蘭だが、これらの国家は大陸国家、こちらは露仏独墺清といった国々に対して優位を保つ。


歴史的には「大航海時代」に端を発する海上航路の整備と発展という背景があり、徐々に古典的大陸国家に対して海洋国家の優位性が顕になった。

理由は簡単で、「チョークポイント」と高麿が呼んでいた地理的重要拠点を押さえた物流の効率性と、船舶を用いた輸送コストの安さで海上交通に勝るものはないからだ。


シルクロードのように砂漠地帯をラクダで運ぶのと、船で運ぶのでは時間も輸送量もどちらが効率的かは言うまでもないだろうし、最近だと大陸でも鉄道による輸送が増えてきつつあるが、一方で大型の船舶も増えており、速度も速くなって来ているから、結局のところ船が優位なのは変わらない。


そして高麿は100年後でもそれは変わらないだろうと言っていたが、おそらくそうであろう。


戦争における兵站においてそれが顕著となるのは間違い無く、今後は益々両者の差は拡がるであろう。

高麿によれば、ロシアとの戦争もそれほど心配しなくても良いだろうと断言していた。


理由はこの兵站にあり、ロシアはウラル山脈から東側は極寒の地シベリアで人口も少なく、結果として有力な策源地を持たない故に、近頃開通したシベリア鉄道と東清鉄道を使ったウラル西側からの兵站が生命線だが、効率は決して良くない。


一方で主戦場と想定している満州は日本から近く、結果として地の利は日本に有るのだ。

注意せねばならぬのが制海権であり、もしもこれを失えば、日本が一気に不利となる。


そういった意味でも戦争が終わったら、我が国の未来は海洋国家同士の結び付きを強める以外に道は無いのだ。


今後はこの理論を基にして政府や議会はもとより、国民に対しても広く認知されるよう、新聞社にも協力させよう。

それによって半島に進出するのでは無く、海洋国家同士の貿易による国家運営方針を認知させるのだ。


その際に障害となり得るのが陸軍だ。

活躍の場が減るからな。

長州閥の山縣さんともよく話し合わねばなるまい。

ただでさえ私の母上は薩摩の島津との縁が深いのだから、用心せねばならないのだ。


1904年(明治37年)1月2日


今日は朝から高麿が私のもとに顔を出し、何か言いたそうにしていた。

何か用か?と訊けば「ご無事だったか…」と謎の言葉を残して去っていった。


んん??


何が無事なのだ?私なら元気そのものだし、夏頃にはまた子が産まれそうだが。


2月8日


いよいよロシアとの戦争が始まった。

枢密顧問官として私も出席した御前会議において、陛下は本当は戦争をしたく無いとの意味の和歌を詠まれた。

何故みんな仲良くしないのか?と。

陛下の御心を騒がすなど臣下として非礼・不忠の極みであるものの、戦わねば日本は滅びてしまう。


2月8日夜に旅順港外に停泊中のロシア艦隊を攻撃し、翌9日に朝鮮仁川沖でロシア軍艦2隻を攻撃した。

日本がロシアに宣戦布告したのは、その翌日の2月10日だった。

だからロシアは宣戦布告前に攻撃したのは国際法違反だと強く訴えた。


しかし、大きな問題とはならずに済んだ。


これ迄も大半の戦争が宣戦布告なしに始まっていたし、宣戦布告前の攻撃は違法であるとは確定していない為だ。

ロシア軍は日本軍の実力を過小評価して舐めていたのであろうが、今更何を言い出すのやら。


日清戦争劈頭における高陞号事件もそうだが、列強を味方につけるというのは大変有利に働くものだな。


そこから先は破竹の勢いで進撃を継続中だが、以前から高麿が恐れていたのが新聞社や雑誌社だ。

何故なら開戦前の日本には恐露病という言葉があったほど、超大国ロシアに対して恐れを抱く風潮があった。

三国干渉後は臥薪嘗胆という言葉が流行り、いつかロシアをやっつけてやるとの民意が形成されていって恐露病は影を潜めていったが、完全には消えておらぬだろう。


それが戦争に突入した途端に連戦連勝して行けば、新聞や雑誌の論調と、それらの報に接した一般大衆の意識はどうなるか?


高麿の予想では以下の通りだ。


・第一段階として、一般大衆は狂喜乱舞して全国各地で提灯行列が行われるだろう。


・第二段階に進めば人間は「慣れ」が出てくる。


するとどうなるか?


勝ちに慣れると今度はロシアの事を見下すようになるのだ。


思ったほど大した事がないじゃないかと。

恐れていて損をしたと。


・第三段階へと進むと「欲」が出てくる。


「どんどんやれ!もっと北に進撃しろ!」

「こんなものじゃまだ足りない」と言い出す。


・最終段階として、弱気な講和条約を結んだら騒ぎ出す。

「なぜ領土をもっと取らなかった」

「なぜ賠償金はこれほど少ないのか」と騒ぎ出す。


・最悪は暴動の発生へと至るというのだ。


民意とはその時々の空気によって移ろいゆく無責任なものであり、しかも日本人には強度の同調圧力という伝統まであって冷静になれる者は少ない。

さらに報道各社は自分たちの新聞や雑誌が売れれば何でもよいとばかりに大衆をあおり、政府を責め立てるだろう。

今回ロシアに勝った結果、得られた領土が樺太だけで、南満州も取れないし、更に朝鮮半島はイギリスに渡すと知った大衆は当然騒ぐであろう。


桂内閣は総辞職の憂き目にあい、私も責任は逃れられないだろう。

いくら政府・議会・宮廷の同意を得られていようが民意はまた別の話だからだ。


高麿はそのような事態にならないよう、新聞各社を回って事前誘導をするよう私に進言していた。

私は新聞社と雑誌社に積極的に情報を流して強大なロシアの力を伝えて回った。

具体的には「相手は強大で傲慢で、いくら日本が勝利を重ねても自分の戦況不利を決して認めない。どれほど勝ち進んでも賠償金など一切引き出せないし、一片の領土も得られないだろう」と盛んに喧伝しておいた。


これで結果としてほんの僅かでも得る物が有れば「十分な勝利だ」と大衆は満足する事になるだろう。


そもそも忘れてはいけないのは、ロシアとの戦争は日本にとって防衛戦争だという点だ。

勝てば得られる物が有って、負けて失う物の事など想定していないロシアとは違う。


日本は負けたら全てを失うのだ。


だからロシアの南下政策を挫けば戦争目的は達成されるから、領土や賠償金といった得るものが何もなくても納得させやすいという素地がもともとある。

これを利用しようというのだ。


何という深謀遠慮な策であろうか。

我が息子ながら恐ろしい。

まるで”今孔明“とでも呼ぶべきではないか。


もしかしたら高橋是清の言は事実なのか?



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