第二十四話 戦争準備
1903年(明治36年)9月
Side:近衛高麿
俺たちは無事に日本へ帰ってくることが出来た。
出迎えてくれた父や政府関係者は、高橋是清が予定よりも多額の資金を日本に持ち帰ってきたことに狂喜し、大歓迎してくれた。
彼の将来はバラ色だな。
しかし、彼は俺に対して相当な疑念を抱いただろう。
公債引き受け額が上がったこともそうだが、それ以前に何故シフが債券引き受けをする事が分かっていたのかとの当然の疑念だ。
ピンポイントでシフの名を出したからな。
今回はいろいろやらかしてしまったので、次回から気をつけよう。
まあしかし彼は日本の金融のカギとなる人物だから、お近づきになれたのだし良しとしておこう!
帰国後に俺が驚いたのが、父が地政学の本を出版していたことだ。
以前から陛下や要人には教えてはいたが、どうも陛下から質問攻めにあって対応していたら、陛下に出版を勧められたそうだ。
さすがに体系立てて理論にするのはハードルが高かったみたいだが、なんとかクリアして出版にこぎ着けたみたいだ。
これで父は後世「地政学の巨人」とでも呼ばれることになるだろう。
ハルフォード・マッキンダーがハートランドの概念を唱えたのが1904年だが、父は先んじたわけだ。
どうでもいい話で恐縮だが、実は地政学といってもいくつかの系統があって、それぞれ見解が異なるのも事実だ。
そのうちの一つがドイツのフリードリヒ・ラッツェルが提唱した生存圏理論。これをさらに発展させたカール・ハウスフォーファー。大日本帝国陸軍が利用した理論でもある。どちらかといえば大陸国家優位論だ。
しかし俺はこの学説には共鳴しない。
俺が好むのがマッキンダー、そしてアルフレッド・セイヤー・マハンの海洋国家優位論で、21世紀ではこちらが主流の考え方となっていた。
歴史的事実として海洋国家は大陸国家に対して優位を保つ。
理由は簡単で、チョークポイントを押さえた物流の効率性と、コストの安さで海上交通に勝るものはないからだ。
戦争における兵站においてそれが顕著となる。象徴的な例としては1990年代の湾岸戦争だ。
しかし、海洋国家はいつでもどこでも優位に立てるわけではない。
世界では海洋国家の優位性が通用しない場所もある。具体的国名を出せばアフガニスタンだ。
内陸部に位置するこの国は道路事情も悪く、海洋国家お得意の物量作戦が実施できない。
イギリスもアメリカもここでコケた。
では大陸国家はアフガンで優位に立てるかといえばそれも違う。
山岳地帯が主であるこの国は、大陸国家お得意の戦車戦が行えない。
結果、ソ連もここで大コケして滅びる要因となった。
こういった大国を誘引して失敗させる罠のような場所は世界に点在するのも事実だ。
それはともかく、あと半年で日露戦争が始まる。
シフによる予想外の外債引き受けにより、武器弾薬の購買も史実以上に進んでいるようだ。
弾薬でいえば日清戦争の戦争期間は9カ月で、砲弾使用量は全期間を通じて3万4000発だった。
しかし、日露戦争において開戦3か月後に行われた「南山の戦い」において、僅か一日で3万4000発の砲弾を使用してしまった。
その後は常に弾薬不足に苦しみ、最後の大規模戦闘となった奉天会戦において特に顕著となっていた。
そのため決定的な勝利を得られず、敵の撤退を許す場面も度々発生した。
またポーツマスでの講和会議において、日本側がロシアに対して妥協した内容で調印せざるを得なくなった原因にもなった。
この砲弾不足に悩まされた話。これは確かに史実ではあるのだが、やや誤認がある。
確かに最前線では砲弾は不足していた。
しかし日本本土にはあったのだ。
イギリスやドイツからも積極的に購入したし、後半になれば日本国内での増産体制も整い、決して潤沢とまでは言えないものの、巷間言われるほどひどい欠乏状況ではなかった。
ではなぜ最前線に砲弾が無かったのか?
敵を休ませないため戦い続けたからというのもあるだろう。
それが需給のバランスが崩れたきっかけになったわけだが、最も大きな要因は別にある。
そもそもの補給が滞ったのだ。
これには脚気の問題が深くかかわっていた。
開戦後、戦域は北へ北へと拡がっていった。当然のことながら補給線は長くなる。
当時は鉄道と馬車による運搬が主流だったが、ロシアに比べて運搬効率は悪かった。
また遼東半島周辺で予想外の大雨に逢い、道路がぬかるんで補給が遅延したこともあった。
しかしもっと大きな要因は人員不足に陥ったことで、その根本的な原因として脚気の問題が取り上げられる。
日露戦争で日本が動員した陸軍兵力は約105万人。
そして戦争中に戦死者4万6000人、傷病死者3万7000人、傷病者35万人と、合計して4割以上の損害を受けた。
しかし傷病者35万人のうち、なんと脚気患者が25万人だ。
更に傷病死者3万7000人のうち、脚気による死者は2万8000人にものぼる。
これほどの死者・傷病者が発生したため人員不足に陥った。
しかし、敵と対峙している最前線の兵力は減らせない。
結果として補給部隊の人員が削られて補給が滞り、砲弾不足に陥ったというわけだ。
ここまで傷病者が増えれば、当然のことながら前線は混乱するし、傷病者を後送する負担も大きかった。
何しろ3人に1人が傷病者だ。
日本以外の普通の国なら、この時点で継戦能力を喪失しただろう。
踏みとどまることができたのは、やはり「負ければすべてを失う」との強い危機感が将兵の間で共有されていたからだ。
以前も述べたように、海軍での脚気による死者は日清戦争で0人、日露戦争でも3人だ。
これは既に日清戦争後に判明していた事実だったのだから、陸軍軍医総監は恥を忍んで海軍に教えを請えばここまでの惨禍に至らなかっただろう。
森鴎外の罪は大きい。
しかも森鴎外による錯誤の事実は、1981年まで公にされていなかった。東大閥仲間がかばったのだ。
まったく…
その一方で、ロシア軍は壊血病で苦しみ1万人以上の死者を出す。
壊血病とはビタミンC 不足により発生する病気で、古くから船乗りを苦しめてきた。
これの対策としてイギリス人は「ライム」を選択し、ドイツ人はキャベツの漬物である「ザワークラウト」を摂取した。
双方がお互いを罵倒するスラングとして、これらを用いたものがあるのは、本筋ではないのでこれで終わりにしておく。
とにかく日露戦争は脚気と壊血病との戦いでもあったのだ。
しかしこれから始まる日露戦争では、父の献策により脚気患者は出ない。
史実に比べて実に30万人近い兵力が上積みされるのだ。
武器も揃いつつあるし、弾薬の国内生産も予想以上に順調だ。
実際の戦争では何が起こるかわからないが、史実より楽に戦えるのではないだろうか?
間違いなく言えるのは、ここから先は俺の知識も役にたたなくなる場面が増えるだろうということだ。
気を引き締めないと。