表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

26/200

第十九話 新たな世紀を迎えて


Side:近衛高麿


西暦1901年(明治34年)を迎えた。


現在俺のきょうだいは、10歳の文麿と5歳の武子、3歳の秀麿と1歳の直麿だ。

更に来年には忠麿が生まれる予想だ。


俺は15歳になり、去年から学習院中等科に進学している。

同級生に著名人は少ないが、一歳歳下に有栖川宮(ありすがわのみや)栽仁王( たねひとおう)北白川宮(きたしらかわのみや)成久王( なるひさおう)朝香宮(あさかのみや)鳩彦王( やすひこおう)の3人の皇族がいる。


学業は相変わらず俺にとって退屈だ。

特に科学系は間違った内容を教えられて辟易している。

これも科学が未発達な時代だし、仕方ないとは思う。


だから、もっぱら人材発掘というか交流を重視している。

特に先に挙げた皇族三名とは積極的に交わっており、親しくなることができた。

本来なら相手は皇族だし、いくら俺の身分が高いとはいえ、そうそう気軽に話していい相手じゃない。

しかし皆さん「あの近衛篤麿公の嫡男」に対して興味津々らしい。

今の父は陛下の信任が篤い、いやそんな言葉では足りないくらい極めてアツい。


何せ国民病と言える脚気を退治し。

石高を上げて経済を良くし、更に餓死者を減らし。

対外政策を積極的に導いたうえに。

憲法の欠陥にまで気付くという働きぶりだ。


位階も史実より早く従一位に進んでいる。


当然皇族の皆さんも、父はどんな人なのか?今は何に関心を持っているのか?

とても興味を持っておられるのだ。

お陰で退屈せずに済んでいるし、未来への布石も実行出来つつある。


三人の中で一番やんちゃなのが北白川宮 成久王だ。

皇族にしては珍しく、市井のことにも興味を持ち街歩きも好きな人物だ。

また美少年としても有名で、とても人気がある。

この人は将来は陸軍に進むことになる。

俺とは大変ウマが合うから長生きして欲しいが、残念ながらこの人は30代で亡くなる。


自動車事故だ。


それもフランスで自らクルマを運転し、スピードを出し過ぎて事故を起こしているはずだ。

そうならないように教育というか指導しよう。

特にクルマとか機械に興味を持つようになったら要注意だ。


もう一人、有栖川宮 栽仁王も20歳で亡くなってしまう。

こちらは確か虫垂炎だったと思う。

そんな病気で皇族が亡くなるのか?と思われるかもしれないが、それが明治時代の現実だ。

この人については、発症したら早めに良い医者に連れていくくらいしか対策はないな。

物凄く気立の良い人で、歳下だが尊敬できる人だ。

また、この人の父君は明治のイケメンランキングみたいなものがあれば、必ず上位に入ると思われる有名なイケメンだが、そんな父親譲りのイケメンだ。

この人は海軍軍人となっていた。


最後の一人である朝香宮 鳩彦王は長生きする。

この人も陸軍に進むが、北白川成久王のクルマに同乗し交通事故に巻き込まれて重傷を負う。

性格的には可もなく不可もなくといったら失礼に当たるか。

まあ皇族らしい人だ。


もしかしたら、ここまで読んで皇族が、なぜ軍人になるのか不思議に思うかもしれないが、これは「ノブリス・オブリージュ」というフランスの考え方によるものだ。


人の上に立つ者には、それに見合う責任が必要だという考え方で、国民を戦場に送り出す王室のメンバーには、国民の範となって戦場で自分の命を危険にさらす責任が必要とされた。


その考えを取り入れたイギリスの王族と貴族は、国民を守るために戦うのが本分とされ、21世紀でもこの伝統は守られている。

日本もこれに倣って、少なくとも皇族男子は全員が軍人になることを始めた。

近いニュアンスの言葉だと「指揮官先頭」といったところか。


俺も今後の進路をそろそろ考えないといけないな。

文麿は史実では東京帝大、次いで京都帝大へ進んだが、俺はどうしようか。


それから4月に皇太子殿下に待望の男子が誕生した。

将来は昭和の天皇になられる裕仁親王殿下だ。

その一方、イギリスではビクトリア女王が亡くなり、時代が変わった印象だ。


中国大陸では昨年、史実通り「義和団事件」が発生し「北清事変」へと至る。


義和団というのは、簡単に言えば外国排斥を唱える一種のカルト教団だ。

幕末日本の「尊皇攘夷」を、もっと過激にしたものと表現すれば、お分かりいただけるだろうか。


その義和団に清政府が便乗して、外国居留民と外交官を襲った。

それに対して英・露・独・仏・墺の五大国と、日・米・伊が八カ国連合軍を組織して対抗した。

この中で最大動員を行ったのは距離の近い日本であり、連合軍の主力として戦った。


そしてこの時の日本の振る舞いに好感を持ったのがイギリスで、「光栄ある孤立」政策を捨て日本との同盟論が出ている頃だ。

最大強国イギリスが、久しぶりに同盟国を持つという意味は大きい。


しかも相手はアジアの小国日本だ。


イギリスとしては、中国大陸への野心を隠そうともしないロシアに対して警戒感を露わにしている。


イギリスはこれまでにも、ロシアが度々不凍港を求めて行動した際に、すべて邪魔してきたのだ。

その代表例がクリミア戦争だ。

地政学的に言えば、海洋国家は大陸中央(ハートランド)の大陸国家が、大陸沿岸(リムランド)に来たら本能的に叩くという習性に基づいての行動だ。


さらに言えばロシアの行動はかなり露骨だ。

何しろ日本には「世界平和の為に遼東半島から手を引け」と言っておきながら、ちゃっかり自分のモノにしたし、北清事変に際しては最後まで軍を引かなかったために、日英両国が疑心を深めた。


ロシアって、日英同盟を結びつける愛のキューピッドみたいなものか?


イギリスと同盟を結んだら、日本は世界中からイギリスのイヌと言われることになるだろうが、そんなのは気にする必要ない。

とりあえずはね。

生き残れば勝ちなんだよ。

時間をかけて、ゆっくりと彼我の関係性を逆転させていけばいいだろう。


それからドイツも油断ならない。


またまた日本にちょっかいを出してきた。

ロシアの状況を見て”使える“と思ったドイツ皇帝は、日本とイギリスに同盟の打診をしてきた。

そしてこの先、日英が興味を示して接近して来たら自分は手を引くのだ。


なぜ?


日英同盟と露仏同盟を戦わせて自分が漁夫の利を得るためだ。


それにこの皇帝は、日本が日清戦争に勝利した際に三国干渉を画策したが、それだけでは飽き足らず黄禍論(こうかろん)を声高に主張し、ロシアの目をアジアに釘付けにしようとした。

黄禍論とは、黄色人種をあからさまに目のカタキにする差別的思想のことだ。

最終的にこの黄禍論は後年、アメリカで日系移民排斥へとつながり、日米の火種となった。


だが、最初に考案し拡散したのはドイツ人だ。


イギリス人はこれを無視したが。

汚い愚か者が!このジャガイモ野郎!


うん。

俺の知る世界史と全く変わらん。

今の日本の国力じゃ、少々日本の歴史をいじったところで、世界に全く影響は与えないのがはっきりしたな。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ