第十六話 国内経済の実態
Side:近衛高麿
海外にばかり目を向けていないで、しっかり足元を見つめよう。
そこで父にお願いして、現状での日本の経済力の確認資料を取り寄せてもらい分析中だ。
この時代の輸出の柱は、何といっても繊維産業が中心で、金額にして実に約四割を占めている。
今は輸出産業を育てて、少しでも外貨を稼ごうとしている段階だ。
では繊維以外の産品にはどんな物があるかといえば、燐寸、花莚、米、緑茶、樟脳、麦稈真田、陶器・磁器などなど。
それはなんじゃ?なんて読むんだ?というような物品ばかりだ。
俺も実際に現物を見た事がないモノも多いからよくわからん。
・燐寸 マッチと読む。火をつけるアレだ。
・花莚 はなむしろ 念のために説明すると、ムシロとは座る時に敷くやつだ。
・樟脳 しょうのうとは虫除けに使う。それ以外の用途は知らんが。
・麦稈真田 ばっかんさなだは麦わら帽子の原料か。
見事に発展途上国の品揃えだ。
知ってはいたけど、改めて見ると不思議な感じがする。
しかし何としてでも外貨を稼ぎ、ロシアを叩いて見せるぞとの気概は数値からも伝わってくる。
先人達は極めて悪い環境の中に置かれて、それでもなお『臥薪嘗胆』を合言葉に頑張っていたのだ。
全てはロシアを倒すために。
リアル「坂の上の雲」の世界なのだ。
感謝しかない。
その他にも輸出向けのみならず、重・軽工業も史実通り急速に発展している状況だ。
一万円札の渋沢栄一や、岩崎弥太郎といった企業人が頑張ってくれている。
現段階では特に俺が関与するような状況ではないな。
植民地政策が修正され、国内投資が増えているし、政府援助金も史実より多少ではあるが増えている。
ただし、効果が目に見えるようになるのは、まだまだ先だろう。
ここで一見すると関係のない話をしておく。
いや関係あるか。『お金』、と『金銀』の話だ。
俺は子供のころ、外国人は日本のことを『黄金の国ジパング』と呼び、大昔は日本=黄金のイメージを持っていたと教えられた。
しかし、明治時代において海外の人にそう言われることは皆無だ。
実際に黄金の国ジパング伝説は、外国では珍しかった金箔を柱や仏像に使っていたために、これはきっと金の塊に違いない。日本の金保有量はとてつもないのだろうと誤認しただけだったみたいだが。
それにしても、豊臣時代の金の保有量を過少に見積もっても、現在の保有量との間に大きな差がある。
現在が少なすぎるのだ。
明治初期は金の準備高が少なすぎて金本位制を採用できず、日清戦争で得られた賠償金3800万ポンドを準備金として、ようやく金本位制を採用できた。
しかし豊臣秀吉は当時世界一の大金持ちだったのだ。
金ではないが、現実に世界の銀の三分の一を所有していた。
黄金の茶室に天正大判や慶長大判など、ド派手な話がてんこ盛りだった。
それにも関わらず、だ。
いったい大量の金はいつ、どうして消えたのか?
事実としては知っていたが、父の取り寄せた資料で確定した。
原因は江戸末期だ。
江戸時代、江戸は『金本位制』で大坂は『銀本位制』だった。
この二つの為替レートが「金一に対して銀四」だったのだが、これは十七世紀の基準だった。
しかしその後、メキシコにおいて大規模な銀山が発見され、大量に供給されたことで銀の価値が下がった。
ペリー来航時には、およそ「金一に対して銀十六」が世界基準の正しいレートとなっていた。
にも関わらず、幕府は従来のレートを変更しなかったために、外国人は安い銀を大量に持ち込んで金と交換していった。
気付いた時には手遅れで、たちまち国内の金が枯渇し、これが江戸幕府にトドメを刺すこととなった。
だからロマンとしては面白いが、徳川埋蔵金などないとみるのが正解だろう。
その流出額は証拠がないが、概ね20万両から50万両。一説には100万両。
金の含有量を計算に入れると実に2トンから4トン以上の金が流出してしまった。
実にもったいない話で、日本は佐渡金山に代表される有力な金山を保有し、更に保有量を増やしていたのにこの時に失ってしまった。
それだけでなく貨幣価値の大幅な下落が起こった。
結果大インフレになったのだ。
書いていていやな気持になるが事実だ。
もし金がもっと今の日本に有れば。
もしレートを速やかに変更しておけば。
もし、ればばっかり言っても仕方ない。
現実を見てできることを着実にやっていこう。