【外伝】戦後処置 後編
1947年(昭和22年)6月15日
Side:木村 篤太郎 (北米軍事裁判 裁判長)
於:ワシントンD.C. リンカーン記念堂
今日はいよいよロウズヴェルト元大統領が被告席に立たされる日だが、どんな態度を取るだろうか。
ただし、彼の現状は、数々の証拠と多くの証言の積み重ねによって既に厳しいものとなっている。
城に喩えるならば、外堀も内堀も埋められたうえに、塀まで撤去されて本丸は丸裸といったところかな。
さらにはスターリンの指示を受けたアメリカ共産党が、多くのスパイをロウズヴェルト政権とトルーマン政権に送り込んで要職を占め、ソビエト連邦にとって有利となる様々な政策、なかんずく対日政策を敵対的な方向へ誘導したことが裁判の過程で明らかとなっている。
自分の行動が、共産主義者のスパイによって操られていたと知ったロウズヴェルトとトルーマンは激しく動揺したらしいが。
いまさら悔やんでも、もう手遅れだな。
そういった事情だから、この人物は特に重要な被告人だし、なんといっても元大統領だった人物だ。
そのため、特に今日は入廷を希望する記者たちが多い。
今日の検察官は、インドから派遣されてきたラダ・ビノード・パールで、被告の弁護人はイギリス人のウィリアム・パトリックか。
パール検察官の質問から始まった。
「まず被告人の姓名と生年月日、年齢を教えてください」
ロウズヴェルトは車椅子から立ち上がり、まっすぐ検察官を見て答えた。
「フランクリン・デラノ・ロウズヴェルトです。
1882年1月30日生まれで現在66歳です」
よどみなく答えているが、既に諦めの境地なのだろうか。
「あなたの過去と現在の職業は何ですか?」
「現在は無職ですが、過去においては上院議員、海軍次官、ニューヨーク州知事、そしてアメリカ合衆国大統領を務めました」
ここで検察官は一拍おいて具体的な質問を開始した。
「では、まず最初に海軍次官時代について質問します。
あなたを海軍次官に任命したのは誰ですか?」
「当時大統領職にあったウィルソン氏です」
「あなたはウィルソン大統領のことをどのように感じていましたか?
具体的にはどの程度尊敬していましたか?」
「私はウィルソン大統領をとても信奉しており、大統領に就任した際には、彼の政策を踏襲したいと考えていました」
ウィルソンか…人種差別主義者として知られているな。
「ウィルソン大統領の下で行われた、有色人種に対する隔離政策について、あなたはどのような見解をお持ちでしたか?」
ここからが本番かな。
ロウズヴェルトは淡々と答え続けている。
「時代背景や状況から見た場合、決しておかしなものではなく、仕方がなかったと考えています」
「ウィルソン大統領はパリ講和会議後に体調を崩し、その後精神的な問題を抱えるようになったと、一般には言われているようですが、事実関係をどう思われますか?」
「その通りです。会議での失敗やその後の重圧が原因だったと考えています
もしあの時、日本人が干渉しなければ、戦後の和平がもっと円滑に進んだ可能性があるのです」
その主張は、論理の飛躍ではないかと感じるな。
検事が質問を続けた。
「ではアメリカ合衆国大統領時代について伺います。
あなたは日系移民3000名に対して隔離政策を行い、彼らの財産を没収しただけでなく、公職からも追放し、強制収容所に入れて迫害をおこなったという訴えが、被害者から出ています。
一方で、日本人よりもはるかに人数が多かった中国大陸や朝鮮半島からの移民に対しては、そのような政策は取っておられない。
この二重規範ともいうべき事実関係を明らかにしたいのですが、これに至った理由は何ですか?」
ここで初めて表情が変わったかな?
慎重に答えようとしている。
「…二重規範と指摘されればその通りかもしれませんが、当時はそこまで考慮しておりませんでした。
ただ、当時私は、日本人を過剰に警戒しており、それが偏見に基づいた判断だったことを今では否定できません。
従いまして特に弁解すべき点はありません。
指摘された事実関係そのものは認めます」
これは…この男の行為は戦争犯罪の中でも、C級の「人道に対する罪」に該当するだろう。
検察官は鋭い口調で言葉を発した。
「あなたの政策は独善的・差別的であり、多様な人種が暮らすアメリカ合衆国の指導者として失格であり、信じられないものです」
検察官は日本人に対しての差別感情や偏見、あるいは憎しみが動機であると印象付けたいみたいだな。
ここで検察官が質問を変えた。
「次の点に移ります。
あなたが大統領として在職中に、ドイツとソ連両国を訪問していますが、逮捕されたスターリンの自白によりますと、独ソが同盟側との戦争を開始した場合、アメリカ合衆国が同盟側の背後を襲うとの密約があったと証言しています。
同様にアメリカ側の被告人も、ほぼ全員がこれを認めています。
あなたはこれを認めますか?」
場内は大きなざわめきに包まれた。
この内容は裁判の関係者と、ごく一部の同盟側政治家しか知らなかった内容だからな。
特にアメリカ合衆国の関係者にとっては寝耳に水だろう。
ロウズヴェルトはしばらく考えた後で答えた。
「………認めます」
会場内はさらに大きなざわめきに支配され、記者たちの焚くカメラのフラッシュの光が眩しい。
それにしてもあっさり認めたな?
まあスターリンだけでなく、ヒトラーの周辺からも裏付けは取っているから言い逃れは出来ないが。
「では、なぜそのような行動を取ったのですか?
平和を脅かし、戦争を拡大させる重大な決断だとはお感じになりませんでしたか?」
こっちは「平和に対する罪」つまりA級が該当しそうだな。
だが、確かに何故そのような歪んだ政策をとった?
「当時は感じませんでした。
今にして思えば、私はスターリンの意を受けたスパイたちにまんまと利用されていた…そのことを思うと、悔しさとともに、事実を受け入れざるを得ません。
ですが、口うるさいイギリス人と、生意気な日本人は我が国がアジアに進出する際の障害であり、なんとか排除したかったのです」
このような表現を聞くと、日本人の私としては愉快な気持ちにはならんな。
もちろん私は裁判長だから、私的感情を持ち込むことは許されないが、裁判官としての心証が悪化する要素となりうる。
それに、アメリカ合衆国の覇権主義を強引に正当化しようとしているように感じられるな。
いわば「反省の傾向がみられない」との印象に結び付きかねないが、被告人は達観しているのだろうか?
事実としてインド人の検察官は呆れた表情を浮かべている。
「先ほどから否定されませんが、それは諦めの境地だからですか?」
「そういうわけではありませんが、私は昔から日本人に対する偏見意識を持っていたのは事実です。
それでも、私は後悔しておりませんし、日本人に対する見方は当時とさほど変わっておらず、いまでも快く思っていないのです」
被告の証言には独自の信念体系が見られるが、その妥当性については証拠と照らし合わせて判断する必要があるだろうし、大統領権限が憲法を上回るという実態がはっきりしたな。
やはり新憲法を作らないと危険だが、憲法は生き物だからな…
1949年(昭和24年)2月28日
あの一連の軍事裁判もようやく確定し、刑が執行された。
勝者側も例外ではなかった。
パリ解放時に、市民が女性たちに対して行った残虐行為も、C級犯罪として告発された。
特に問題とされたのが、ドゴールの演説で、国家指導者の立場から民間人による暴行・私刑・性差別的制裁を事実上「容認または扇動」したと、日英の女性人権活動家、さらにはロシア貴族の正義主義者などが公に糾弾した。
裁判の結果、大衆による集団私刑・性差別的暴力を公然と扇動した部分の録音記録が証拠として提出された結果、彼には責任があると認定され、公職からの永久追放に処された。
これによって強力な指導者を失ったフランスは、自国の保有する植民地を手放さざるを得ない方向に流されており、インドシナやアルジェリアでも早期の独立交渉が始まった。
これに関して言えば、妙な噂が出回ったことがあった。
これらの活動が日・英・露において一斉に始まったことから、何者かが背後にいて、糾弾活動を煽ったのではないのか?という噂だ。
列強が植民地を解放する動きを見せる中、フランスだけは最後まで植民地を手放そうとはしなかった。
その中心にいたのが他ならぬドゴールであり、彼を引き摺りおろすための陰謀ではないのか?と。
だが、日英露という強国を三国同時に動かせる人物など存在しないだろう。
これは単なる噂だと私は思う。
確証は無いけれど。
ともかく、次は敗者側だ。
処刑された者はソビエトにおいては、スターリンやベリヤなどの高官が合計30名。
その他にも虐殺に関わった末端の職員や軍人、秘密警察の連中が数百名。
その多くは命令されたから人殺しを実行したのではなく、一種の快楽殺人を実行したと認定された者たちらしい。
ドイツにおいてもヘス副総統、ボルマン官房長、リッベントロップ外相とゲッベルス宣伝相といったナチス最高幹部たち8名、親衛隊関連ではヒムラーやハイドリヒを始めとして、ホロコーストに手を染めた実行犯数百名が処刑された。
独ソともに、なお裁判は継続中だ。
アメリカ合衆国でも同様で、ロウズヴェルトやトルーマンが処刑され、ソビエトのスパイが確定した20名以上の政府高官は終身刑となった。
世界中でロウズヴェルトへの嘲笑が広まり、アメリカ合衆国全土で政府に対する暴動も頻発している。
各地からの報告では、街で星条旗を見る機会が激減したらしく、アメリカ合衆国国民のプライドはズタズタなのだろう。
トルーマンも同様に嘲笑と憎しみの対象となった。
彼はだまし討ちを行ったあげく、失敗してアメリカ合衆国を滅ぼしてしまったのだからな。
これでアメリカ人は卑怯者であるという印象が世界に定着した。
だが、その要因となったものは、実は今回が初めてというわけでもない。
かつて行われた米英戦争において、停戦交渉が成立した後にも戦闘が発生したという歴史的事実があるからで、それが1815年1月8日の「ニューオーリンズの戦い」だ。
実際にはその約2週間前、1814年12月24日にベルギーのガンにて「ガン条約(Treaty of Ghent)」が締結され、和平はすでに成立していた。
しかし、当時の通信手段は未発達で、ヨーロッパで調印された条約の情報がアメリカ本土、特に戦場に届くまでには時間がかかった。
そのため、現地の軍指揮官は条約の締結を知らないまま、戦闘が発生してしまった。
アメリカ国内では、この戦闘での勝利の報が条約締結の情報よりも先に届いたことで、「米英戦争を勝利で締めくくった」との印象が強まり、ナショナリズムが高揚した。
この戦いにおいて、アメリカ側の指揮官だったアンドリュー・ジャクソンは英雄視され、1828年の大統領選挙での勝利にもつながったとされる。
しかし、時系列を冷静に検討すれば、この戦闘の正当性や必要性には疑問の余地がある。
一部には、交戦当事者が停戦交渉の進展を把握していた可能性を指摘する声もある。
少なくとも当時のジャクソンに対する過度な英雄視は、これを見直して再評価する必要性があるだろう。
このような経緯は、アメリカ国内でもごく一部の知識層しか知らず、しかも多くは忘れたかったらしいが、近衛首相が傷口に塩を塗るかのごとく、過去の事実を広範囲に拡散させたからな。
容赦のない人だ。
功利的な成功が倫理を凌駕する風潮が、歴史の中で繰り返されてきたのだろう。
だがこれで陽気さだけが強みだったアメリカ合衆国人も意気消沈で、それは経済活動などにも直結し始めているから侮れない。
一気に後進国へと沈んでいくかもしれん。
Side:ある老憲法学者 (新アメリカ合衆国憲法担当) の独白
やれやれ。幣原さんから突然指名されて、この国の新しい憲法の草案づくりを任されたのだが、1週間で仕上げろというのは、さすがに無茶というものだ。
結局、あれこれ苦労した末に、ようやく形にすることができた。
結局のところ時間がなかったせいで、日本やイギリス、ロシアの憲法や判例を参考にして作ったから、パッチワークみたいな憲法草案となった。
あとから聞いた話だが、アメリカ合衆国が降伏した時点で、すでに憲法改正の方針は決まっていたらしい。
だったら、もっと早く相談してくれてもよかったのに。まったく…
まあ、それはともかく、この新憲法草案の最大の特徴は、大統領権限の大幅な縮小に加えて、第9条において「戦争の放棄」を明文化した点にある。
アメリカ合衆国を抑え込む目的で、二度と戦争を起こさないと明確に書いた。
国権の発動としての戦争、武力による威嚇や行使は、国際紛争を解決する手段として永久に放棄する、という内容だ。
それを実現させるために、陸海空軍その他の戦力は保持しない、加えて国の交戦権も認めないと明記した。
これでアメリカ合衆国の牙を抜くという、GHQの目的は達成されるだろう。
だが…こういう成文憲法というものは、なかなか厄介だ。
たとえば、「その他の戦力」と書いたが、一般に“戦力”とは戦争を遂行する能力のことを指す。つまり、兵站能力は立派な戦力と判断されるだろう。
その兵站能力には輸送力も含まれるから、軍用トラックや輸送艦は違憲だろう。
さらに言えば、民間用のものであっても、軍事転用が可能と判断されるなら、それもまた戦力だと議論される可能性がある。
突き詰めていくと、アメリカ合衆国はトラックや自動車、貨物船や電車すら持ってはいけない、という話になる。いや、それどころか、通信網や電力網だって戦力と見なされるかもしれない。
それなら、アーミッシュのように、近代文明を捨てて馬車に乗る生活に戻るか?
だが、馬だって前世紀までは戦場の主力だった。そう考えると、馬も戦力になるのではないか?
…ここまでいくと、さすがに極端かもしれない。
だが、そういった憲法解釈の方向性によっては、アメリカ合衆国の国論を分断する結果につながる可能性がある。
私がこの憲法草案に込めた狙いは、まさにそこにある。
憲法の文言を一字一句違わずに守ろうとする勢力と、柔軟に運用しようとする勢力の内部抗争。
そういった不毛で、果てのない対立構造が構築されれば、日本に対する反発も分散される効果が期待できる。
大日本帝国陸海軍が過去に繰り広げた内部対立のように、「敵より憎い身内」と、お互いが認識するようになればしめたものだ。
仮にこの国の連中が、自衛のための組織を作ろうとしても、必ず憲法問題に発展するだろう。
更にこの国には連邦政府と各州の特殊な関係があり、連邦政府の定めた憲法と、州が定める州兵や災害救助隊をどのように整合させるのか見ものだ。
それを助長させる目的で、第89条においてアメリカ合衆国憲法は「最高法規」であって、州憲法や州法は連邦憲法に反してはならないと定め、州法と連邦法が衝突したときは、連邦法が常に州法に優先するという、『最高法規条項(Supremacy Clause)』により縛りつけた。
さて、日本人のように憲法解釈で柔軟に対応出来るかな?
歴史を顧みれば、日本においては、そういった実績がある。
それは大宝律令なのだが、律令には正規軍である「軍団」が詳細に規定されていたにもかかわらず、実際には軍団が存在せず、代わりに地方豪族の子弟による「健児」制度が採用された。
さらに、重要な治安維持職であった「検非違使」も、律令には明記されていない存在だったが、折り合いをつけて運用された。
この国は、そんな柔軟な対応が出来なければ、迷路に入り込むだろうし、憲法を理由に連邦から離れる州がまた現れるかもしれない。
さらに付け加えるならば現在、この国は日本の統治下にある。そのため、この憲法草案を拒むことはできない。
日本との戦争の経緯を考えると、彼らはどうしても自虐的な歴史観に陥るはずだ。
たとえ多少の文言が変わっても、基本的な枠組みはGHQ(同盟国総司令部)が譲らない。
そうなれば、この国の政府・国民は「これは日本に押し付けられた憲法だ」とは主張できない。彼らは何とか事実を隠し、「アメリカ人が自ら作った憲法だ」と建前として言い張るはずだ。
そうすることで、憲法改正の動きも抑え込むことができるだろう。
さて、疲れたからもう寝よう!
本当は美女と温泉にでも浸かってゆっくり骨休めをしたいものだが、この国にそんな余裕はない。
それが一番、腹立たしいのかもしれない。
早く日本に帰りたい。
老憲法学者のくだりは、GHQ民政局の次長として強権を振るい、日本国憲法の草案作成に深く関与した、チャールズ・ルイス・ケーディス様の心情を推し量ったものです。
彼は、1946年2月、マッカーサー元帥の命令のもと、わずか1週間で日本国憲法草案を起草するという離れ業をやってのけたと伝えられています。
もっとも、最後は鳥尾子爵夫人との不倫関係が温泉旅行中に発覚し、GHQから追放されるという、ある意味で実に「人間的」な幕切れを迎えたお方でした。本作の老憲法学者も、そんな彼の光と影を陰陽あわせて描こうとしたオマージュです。
なお、文中に登場した「アーミッシュ」は、アメリカ合衆国およびカナダに定住する宗教共同体で、17~18世紀にかけてスイスやドイツ周辺から移住してきた人々に由来します。
彼らは今なお電気や自動車といった近代技術をほとんど用いず、農耕や牧畜を中心とした質素な共同生活を営んでいます。もっとも、信仰の解釈や地域差により、一部では例外的に電話や発電機を取り入れる場合もあります。
推定人口は約35万人。本文中の“近代文明をすべて拒否すれば戦力ではない”という極論のアイロニーとして、象徴的に用いました。




