【外伝】スパイ大作戦
1944年(昭和19年)9月
Side:八原 博通(陸軍大佐 日本陸軍 イギリス派遣部隊 作戦参謀)
於:イギリス南部 ポーツマス近郊
ソ連もようやく降伏し、東部と南部戦線の将兵たちも、しばらくの間は休めるだろう。
後はドイツとの戦いが残っている。
東部および南部方面軍は大兵力、おそらく400万人以上の大軍で西進を始めるだろう。
我々もそれに合わせてフランスへの上陸を果たし、パリをドイツ人の手から解放せねばならんな。
・作戦の初期段階として、まず東部方面軍がドイツ陸軍を東欧へ誘引する。
・次の段階として手薄になったフランス北部に上陸を果たす。
この二段階を経て実行されることが、大筋で決定されている。
問題は…我々の上陸地点を、いかにしてドイツ側の目から逸らせるかという点だな。
これまでの協議にて、上陸目標地点はフランス北西部のノルマンディー地方であると決定されている。
だが…それは敵から見ても予想の範囲内だろう。
よって、十分な上陸阻止対策を施した場所へ、強襲上陸作戦を断行すれば多くの将兵の命を危険に晒す。
そんなことは初歩中の初歩、いや初歩以前の常識だから、欺瞞情報を流してドイツ軍の目を他の地点に向けることはとても重要だ。
今日はイギリス派遣軍の宮崎繁三郎中将とともに、英仏側との打ち合わせに臨んでいるが、驚くことにチャーチル首相が出席していた。
早速、首相が声を張り上げた。
「諸君、ソビエトの影は払われた。だが戦いはまだ終わらぬ。
今度は、鉄のごとき意志でヨーロッパを締め上げる男たるヒトラーの番です。
幸いにも、東の友邦・日本が空よりその牙を鈍らせてくれた。
ならば我々は陸から刃を突き立てよう。
この戦争の終わりに相応しい、決定的な一撃を」
ここで言葉を区切ってチャーチルは一同を見渡した。
「申すまでもありませんが、我々の損害は、極力“控えめ”であるべきですな。
そこで、私が密かに温めていた策を、今ここで明かすといたしましょう。
時に歴史を動かすのは、大砲ではなく準備という名の静かな知恵ですぞ」
嬉しそうに見えるのは気のせいか?
いや、何か謀略じみたことを仕掛けたに違いないな。
「さて、目標は皆さんご承知の通り、ノルマンディー。
ドーバーを挟んで向こう岸、フランスの海岸線は大半が崖ばかりですが、あそこは珍しく“歓迎してくれそうな”浜辺がある。
しかも戦略的にも手頃ときた。
問題は…敵もそれを知っているという点ですな」
今度は、まるで学生に講義をする老教授のような態度だ。
さっきから芝居がかっているように感じるのは、私だけだろうか?
「敵も賢ければ、我々も狡猾でなければならん。
ノルマンディーが狙いだと気づかせぬために、私は一つの死体に“語らせる”ことにしたのです。
英国将校の軍服を着せ、偽の作戦文書を持たせて、飛行機事故に見せかけて海に沈めた。
その文書には我々がドイツ北方、北海に面したノルデンに上陸すると“きわめて信憑性高く”書かれていた。
もちろん、内容は嘘八百。だが、敵にとっては最高の“事実”と見えるようにしたのです」
なるほど。
イギリスはドイツ軍が偶然に入手するように、死体をスペインのウエルバ沖の海岸から投棄したという。
それにドイツ側が、まんまと引っかかってくれる事を期待したというわけだな。
これが上手くいけば上陸正面の誤認につながるから効果は大きいだろう。
うん?まだあるのか?
首相が続けて言った。
「普通の諜報屋なら、偽文書ひとつで満足するでしょう。
だが私は“もう一品”仕込むことにしました。
なに、料理と同じで、謀略にも深みが必要ですからな。
実を申せば、我が周囲にはヒトラーのスパイどもがうろついております。
そして私は彼らを捕まえるどころか、“招待客”として泳がせておるのです。
なぜか?
それは簡単。真実を隠す最良の方法は、敵に“望んだ嘘”を見せることですからな」
またまた芝居がかった態度だな。身内にスパイがいるなど本来は恥でしかあるまいが、謀略が成功しそうなせいか、よほどご機嫌らしい。
「私がヒトラーのスパイどもに気づいたのは、2年前、ダンケルクの海に、カナダ第二師団が血を流したあの日でした。
上陸作戦は、まるで敵が我々の手の内を知っていたかのように潰されました。
いや、事実そうだったのです。敵は知っていた。
我々の情報が、奴らの食卓に並んでいたのですからな。
調べを進めるうち、私は気づいたのです。我が側には、ヒトラーに忠誠を誓う“目と耳”がいたと」
自慢げに胸を張って言う話ではないと思うがな。
少しこの人は常人とは感覚がズレているのではないか?
「ヒトラーは、自らのスパイ網に絶対の信頼を置いておるようですな。
我々の情報が筒抜けだと、鼻高々でおることでしょう。
だからこそ私はその自信を逆手に取ることにいたしました。
偽情報を与え、あえて信じさせる。
そしてこう言わせたいのですな。
“我々の情報源は確かだ……だったはずなのに、なぜ計画が裏目に出た?”と。
スパイを使って勝ったと思わせ、そのスパイによって敗北を与える。
これほど痛烈な皮肉が、他にあるでしょうか?」
底意地の悪いことで定評のあるチャーチルらしい物言いだが。
「先の大戦時の終盤に、日英軍はドイツ北方、東フリージア諸島の対岸ノルデンに上陸し、ドイツ第二帝国を崩壊へと追いやりました。
今回はその“伝説”を、ヒトラーに思い出させるのです。ただし、皮肉を効かせて。
我々の標的は『Normandy』。しかし、敵の目には『Norden』と映るように仕掛けました。
共通の頭文字『NOR』にちなんで、この作戦を『Nordic作戦』と命名し、スパイどもが喜んで飛びつくように偽情報を流してやったのです。
まさに“過去の勝利”をなぞらえた、未来の罠。
歴史とは、賢者の手にかかれば二度刺さる剣にもなる、ということですな」
ノルディックとは北欧を表す単語だが、逆にそれが欺瞞っぽい印象を受ける。
それにしても…二重の謀略とはご丁寧な事で。
だが、これを聞いた各国の反応は悪くなさそうだな。
「ヒトラーは、2年前の“成功体験”に酔っております。
スパイの報せ通りに我々が動いたことで、あの男は自らの諜報網に絶対の自信を持った。
愚かなことに。
いつもなら猜疑心の塊のような男ですが、今回はその疑念すら、自らの“実績”で眠らせてしまったのです。
さあ、今こそ網を仕掛ける時。
過信という名の目隠しをしたまま、彼はまんまと罠に飛び込んでくるでしょう」
ここでチャーチルはまた言葉を区切って、周囲を見渡しつつ言った。
「スパイが潜り込んでいるのは、我が国だけではありませんぞ。
こちらも“礼儀”として、ヒトラーの食卓にも一人座らせております。
その人物によれば“あの男は今や、スパイの報告なしでは靴紐も結べぬ”そうでしてな」
なるほどな。あのヒトラーを引っ掛けるためには、二重の欺瞞工作を行わないと危険と判断したのだろう。
さすがは戦争屋と呼ばれるだけのことはあるのだな。
それと…イギリスも作戦成功に大きな役割を果たすのだから、その功績を認めろと言いたいのだろう。
ソコトラ島の会談においては、近衛首相にやり込められて立場が無かったそうだから、失地回復に躍起となっている心理だろうな。
周囲の圧力に屈して、遂に戦勝後に植民地を手放す方針を発表したしな。
これで、イギリスの植民地から徴兵されていた兵士たちの士気は大いに上がっている。
一方で、これを見たフランスの植民地軍の兵士の間では、当然のように不満が高まっているから、これではフランスも追随するしかあるまいが、ド・ゴールはどうするのかな?
こちらもチャーチルに負けず劣らず頑固だからな…
まあ今はそれよりも戦争だ。
我々も上陸に向けて準備をしよう。
そして1944年(昭和19年)11月1日
いよいよノルマンディー上陸作戦が実行された。
ノルマンディー付近は敵の布陣が予想通り手薄であった。
ドイツ軍はチャーチルの罠に掛かり、ノルデン海岸を要塞化して待ち構えていたが、肩透かしを喰らった格好だ。
第一次世界大戦においてここに上陸を許し、内陸部へと進攻された苦い経験が足を引っ張ったとも言えるだろうがな。
そもそも、あの作戦が実行出来たのは、ユトランド沖海戦における勝利のおかげであり、浮遊機雷の使用を進言した近衛首相の功績だ。
結果としてドイツの不意を突いてノルマンディーに上陸したのは、日本軍の海兵隊10万人を先頭にした同盟軍兵力250万人と戦闘車両4000両で、散発的に攻撃してくるドイツ軍の抵抗を排除しつつ、フランス内陸部へと進撃し、海岸から約20kmほど内陸のファレーズ付近でドイツ軍を包囲した。
ここで態勢を整え、12月初頭に日本軍とイギリス軍やイギリス植民地からの派遣軍、カナダ軍、そして自由フランス軍などの諸国からなる同盟軍は東へ進み、パリ方面へ進撃を開始した。
ドイツ軍も11月7日にディートリヒ・フォン・コルティッツ歩兵大将をパリ防衛司令官に任命し、パリを防衛に当たっていたらしいが、11月18日には南フランスのマルセイユ・モンペリエ間にも50万人の同盟軍が上陸し、パリ解放は現実且つ時間の問題となった。
そしてなんとヒトラーはパリが陥落する際、パリを焼き尽くしてから撤退するよう厳命したと後日聞いた。
なぜそんな命令を出したのかと言えば、『敵に渡すくらいなら灰にしろ!跡形もなく燃やせ!!』という心情だったらしいが、そんな事をするだけの爆薬や武器があれば、もっと他の場面で使用するだろう。
だが、命令を受けたコルティッツ大将は、これを無視して降伏してくれた。
更にドイツ軍による市民に対する示威行動や脅迫を交えて、パリ市内での市民蜂起を押さえ込み、大規模な市街戦や都市破壊を避けることにも成功した。
これは人道面から見ても素晴らしい功績と言えるだろう。
ヒトラーの命令を墨守するだけの操り人形がこの地の指揮官であった場合、最悪はパリ市民を人質にとっての籠城戦という悪夢が現出したはずなのだ。
無防備都市宣言でも出してくれれば良いが、ナチスに染まった人間では期待できなかっただろう。
そうなればスターリンが行った非人道的行為と比べても、何ら変わらぬ惨劇となったであろうことは疑いない。
我々も最悪は虐殺者としての汚名を着せられる恐れすらあったのだ。
あくまでも偶然の結果だという意見もあるかも知れない。
だが、それでもコルティッツ大将は『パリを救った男』として評価されるだろうし、その価値は変わらない。
我々から見ても、彼は素晴らしい判断力を持った名将だと評価すべきだ。
そして1944年(昭和19年)12月25日、クリスマスのこの日に自由フランス軍と、共産党系を除くレジスタンスによってパリは解放され、ドゴール率いる自由フランス政府、日英を主体とする同盟軍がパリに入城し、フランスの大半が同盟軍の支配下に復活、ヴィシー政権は崩壊した。
いよいよパリは解放された。
ただ、残念なこともあった。
パリ市民による残虐な行為が明らかになったのだ。
それはこれまで占領していたドイツ兵に対する虐待行為もそうだし、ドイツ兵と「仲良く」したフランス人女性へのパリ市民によるリンチなどが横行し、人間の持つ負の感情の行きつく醜い所業を、また一つ歴史に刻んでしまったという後味の悪いものだった。
戦争とは人間の残虐性を促進させるものであるらしい。
我らも気を付けねばならないが、これを引き起こしたのがシャルル・ド・ゴール将軍の演説にあったというのが気になる。
確か「ソコトラ宣言」で、これらの行為は禁止され、しかも戦争犯罪人として処断されると取り決めたはずだが、ドゴールはどうしたのだ?
道徳的主導権・民族的純化を訴えることで存在感を示そうとしているのか?
鬱屈した感情を女性たちにぶつけているように感じるのは私だけか?
これは…後日に問題となると思われる。
もし彼のような強力な指導者が消えれば、フランスも植民地解放へ方針を変えざるを得なくなりそうだな。




