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【外伝】核実験

注記:登場人物の思想や行動は、それぞれの立場からの視点に過ぎません。

1944年(昭和19年)12月8日


Side:レオ・シラード

南太平洋 ヘレン環礁近海にて


我々ユダヤ人がヒトラーとナチスによって祖国を追われ、日本人の好意によりこの地に迎えられてから、早くも10年が経った。


日本人は我らを受け入れてくれただけに留まらず、尊敬の念をもって対応してくれた。

その根源の意識の中に、我らユダヤ人と日本人のルーツに関するものが、静かに拡がっていたからというのは後になって知ったことだ。


日本に住むようになって気付いたことは、私の友人であるアインシュタイン博士の傾倒する、スピノザ哲学との精神的な響き合いだった。


スピノザの哲学は、神道に見られる「自然との共生」の精神と、ある種の親和性を感じさせる。


スピノザの唱える“神=自然”という汎神論は、神道における“八百万の神”の観念と根底で通じる。

両者ともに、自然の背後に人格神ではなく、理法や存在の全体性を見ているのだ。

どちらも、私たちが自然という大いなる存在の一部であるという自覚のもとに、謙虚で調和的な生き方を促す点で共通している。


日本人は地震や台風といった災害さえも、怒りや呪いの対象ではなく、受け入れるべき現実として共に生きている。

そこには、自然を支配しようとせず、ただ寄り添うという、私の育った文化にはなかった知恵がある。


科学者としての私は、それを「合理」とは呼ばない。だが、これほど理に適った生き方が他にあるだろうか。


その神道の頂点に君臨する天皇の存在は、静かな威厳をもって人々に深い影響を与えている。

それはヨーロッパの皇帝とは異なり、世俗の権力から距離を取りつつ、人々の精神的なよりどころとしての役割を果たしている。


また、王朝交代を経験せず、古代から現代まで連綿と続くその系譜は、ヨーロッパの王室にはない時間の深みを帯びている。

政治を超えた存在として、沈黙の中に重みを湛える天皇の姿に、ヨーロッパ人は畏敬と神秘を感じるだろう。


私はそう思ったのだが、アインシュタイン博士は賛意を示してくれたが、他の科学者は「偶然では?」、「あなたは命を救われたから、過剰な礼賛をしているだけでは?」との反応が多かった。

日本人とて完璧では無いし、数知れない失敗や矛盾を抱えているだろうと。


確かに命を救われた者として、無意識に日本に理想を投影しているのかもしれない。

だがそれは、相対的に評価されるべきだろう。


だから私は信じたい。

日本の天皇は、武力によらず精神で国を治めるという、人類の統治思想のひとつの頂点であり、精神により国を統べるという在り方は、いずれ武力を超えた人類の理想として、世界の人々の安らぎとなるであろうと。



そんな羨望に近い思いを抱いていた私は、当時、国防大臣であったコノエ首相の依頼を受け、核分裂を応用した新型爆弾の開発に携わり、ついに完成させて実証実験を行う運びとなった。


実のところ私は当初、この話を断っていたのだ。

科学を武力に結びつけるのは私の信念に合わない。

それが理由だった。


だが首相の持つ恒久平和への願い。

具体的な道筋と光明。

それらを脅かす数々の勢力。

障害を乗り越え平和を築くために必要な力。


倫理的な葛藤が無かったと言えば嘘になる。

しかし、文明は常に進化し続け、いずれ誰かが具現化するだろう。

それであれば自らが関り、神の裁きを受ける。

これが私の出した答えだ。


開発にあたっては、コノエ首相の全面的な支援が大いに助けとなった。

特に、オーストラリアでのウラン鉱床の採掘権を早期に確保できたことは重要で、まるで首相はすべてを見通しているように、日本が確保した土地を掘ってみたらウランが見つかったという事実がある。


あまりの偶然に、驚いたことをよく覚えている。


我々は入手した原料を用いて、同型の爆弾を五発製造し、そのうちの一発を使って今回の実験に臨む。

当然、この情報は同盟国はもとより、必要最低限の関係者以外には絶対に漏れてはならず、極力人目につかない場所で実施しなければならない。


また、この爆弾は環境に深刻な影響を与える可能性が高いため、人間の生活圏から隔絶された場所で行う必要がある。


結果として、南洋諸島のヘレン環礁が実験地として選ばれた。

この環礁はパラオの中心島バベルダオブ島や、コロール島から南に約600km離れ、最も近い有人島であるパラオ最南端のトビ島からも70km離れているため、多方面で安全が確保されている。


しかし、日本政府、特にコノエ首相の強い意向で、トビ島に住んでいた約20名の島民は、ほぼ強制的にコロール島へ移住させられた。


また、実験は西風が強く吹くと予想される日を選ぶなど、パラオや周辺諸島に影響が及ばないよう厳重な態勢で臨んでいる。


これらのことから、コノエ首相が被曝に関する知見を持っているのは間違いないだろう。

ただ、政治家がここまで環境や放射能の影響に気を配るとは予想外であり、おそらくユカワ博士やニシナ博士から指導を受けたのだろうと思う。


実験は、環礁内に停泊させた廃艦予定の巡洋艦に核爆弾を設置し、周囲に同じく廃艦予定の旧式艦を並べ、威力の確認を兼ねて行う形式だ。

準備も比較的簡単に済むので、これは最良の手段だと思う。


環境を考慮すれば地下核実験が望ましいが、正確な威力検証が難しいし、日本には適した場所がない。

樺太なら人里離れているが、東パレスチナやロシアに近すぎるため、地震と区別されない振動が生じれば問題になる。


なお、日本海軍は特別演習を理由に、環礁から半径300km以内の船舶航行や航空機飛行を禁止するなど、厳重な警戒態勢を敷いている。


そして今日、全ての条件が整い、いよいよ実験が開始される。

私はヘレン環礁から西へ30km沖合に停泊中の日本駆逐艦の甲板で、開発責任者のチュウイチ・ナグモ大将らとともに、その瞬間を待っていた。


爆弾の規模は計算上、TNT火薬換算で約30キロトンに相当すると推定されている。


艦内スピーカーから実験開始の放送が流れ、爆弾内部の核物質は臨界量に満たない二つの部分に分かれ、砲身状の円筒ガンバレルの両端に配置されている。

火薬の爆発力でこれらを一気に衝突させ、合体させることで「超臨界状態」が生まれ、瞬時に核爆発が起こる仕組みだ。


艦内の緊張感が一気に高まる中、カウントダウンが始まる。


「超臨界まで30秒前…10秒前…4、3、2、超臨界、今!」


その瞬間、突如眩い光が環礁全体を包み込んだ。

爆発場所を取り囲む珊瑚礁でできた環礁は、爆発の瞬間2秒ほど昼間より明るく照らされ、その光の色は紫から緑、そして最後には白へと変化した。


私は予め支給された紫外線遮断用の遮光ガラス越しに爆発を見たが、予想以上に眩しく、まるで太陽が十個同時に目の前に現れたかのような錯覚に陥った。


爆発から約80秒後、衝撃波と続く大音響が観察者たちの元に届き、乗艦していた駆逐艦は不気味に震動した。


後日の報告によると、衝撃波は200km離れた海上でも感じられ、発生したキノコ雲は高さ1万3000mに達したという。


また風向きや気流の分析から、放射性降下物は環礁の北東側の無人海域に拡散し、乗員への被曝リスクは極めて低いと報告されている。


実験結果としては、爆心地の巡洋艦は瞬時に中央部が蒸発し二つに折れて沈没し、周囲の軍艦も全て何らかの被害を受け、沈没した艦も多数あった。



総じて、今回の実験は概ね予想通りと言えるだろう。これにより日本は正式に核兵器を保有することとなった。


私の傍らにいた数学者ジョン・フォン・ノイマンは興奮し、「この爆弾をクソったれのナチスの上に落とそう!ヒトラーの尻に落として焼き尽くしてやるんだ!!」と叫んだ。


一方で、ドイツ人物理学者ヴェルナー・ハイゼンベルクは静かに目を閉じ、感慨に耽っているみたいだった。


そして日本側の科学者であるニシナ博士は呟いた。「彼らユダヤ人を匿って、我々はドイツ人を滅ぼしてしまうのか?総理は何をしたいのだ?」と。


別のユダヤ人技師は、呆れたように「独善的な日本人にこのような武器を持たせるのは、あまりに危険だ」

と顔を歪めた。


私は神に謝罪の言葉を呟き、深い後悔と不安を胸に抱いていた。

人類はついに禁断の神の領域に足を踏み入れてしまったのだ。

我々は穢れてしまった。どうかお赦しください…


その時、ナグモ大将が私に声をかけた。


「シラード博士……我々は、実に恐るべきものを作り上げてしまいましたな。

後の世の人々は、近衛首相を、あるいは我々を、いかなる名で呼ぶことになるのでしょうか……」


私たちの思惑とは違って、世界に絶望をもたらした悪魔かもしれんな…


「… しかしながら、ナグモ大将。近衛首相はこの実験の全貌を外部どころか、ごく一部関係者以外には公表しない方針と聞いています。

抑止力として保持しますが、その存在すら秘匿するという方針だとか」


「小官もそのように承知しております。

しかしながら、保有の事実を明示せずしては、抑止力としての効力は望めませぬな」


それは確かに。


「… おっしゃる通りかもしれません、大将。

もっとも、私の見立てでは、こういった技術は、いずれ誰かが辿り着く運命にあります。遅いか早いかの違いだけです。

特にアメリカ合衆国…オッペンハイマーのような人物がいる以上、既に彼らが同じ道を歩み始めている可能性は高い。

首相の話では、アメリカが核開発に成功したと確認された段階で、日本も保有していることを初めて公にするおつもりのようです。

戦後には国際連盟を通じ、すべての国に対して核兵器の開発を禁じる決議を提案し、日本もそれに同調する方針だとか」


私の言葉にナグモ大将は懸念を口にした。


「ドイツもソ連も、我が帝国が直接討つ以上、そういった宣言にも相応の実効性はあろうかと存じます。

しかしながら、合衆国とは未だ刃を交えてはおらぬ。国際連盟の勧告ごとき、あの国が素直に従うとは到底思えませぬな」


「それは否定できません。ですがアメリカという国の気質を考えれば、現状のような行き詰まりをただ座して受け入れるとは思えません。

彼らは、追い込まれた時ほど大胆な手段に訴える傾向があります。

軍事的な選択肢を取る可能性も、決して低くはないと私は見ています」


ナグモ大将は驚いた表情で続けた。


「そういう意味では、我々とて気を緩めるわけにはまいりませぬな。

戦局は常に移ろうもの、たとえ実験が予定通りだったとしても、それを以て油断すれば命取りとなりましょう」


そう言ってナグモ大将は深く頷いた。

私は静かにその場を見つめつつ言った。


「ええ。それでもなお、仮に日本とアメリカが武力衝突に至ったとしても、私はその後の展開について、一定の希望を抱いております。

歴史の重力が、必ずしも力による支配に味方し続けるとは限らないのですから」


ナグモ大将は意外そうだな。

だが、これが一般的な日本人の反応かな?


「左様でありますか。

差し支えなければ、そのご見解の根拠を拝聴いたしたく存じますが」


「日本の国民の皆さんが、まだそのことに完全にはお気づきでないとしても。いえ、近衛首相は確かにその兆しを見ておられるはずです。

日本という国の歩みと理念に、共鳴し、共にあろうとする国家は、思われているよりずっと多いのです」


やはり意外そうだな。

有色人種にとっての希望であるという自覚が、まだないのだろう。


「それは、あなたたちユダヤ人を保護したことや、ウクライナへの支援ゆえでありますか?」


「もちろん、それも要因の一つです。

ただ、より本質的な点は、日本が第一次世界大戦後の国際秩序において果たしてきた、長期的で体系的な役割にあります。

パリ講和会議における『人種差別撤廃条約』以降、日本は国際社会における秩序と公正を模索し、特に植民地主義に苦しんできた多くの国々にとって、希望の象徴となってきました。

私の見立てでは、これまで過小評価されてきたその貢献が、戦後の世界構造の再編において、決定的な意味を持つことになるでしょう。

列強諸国が植民地を手放さざるを得ない瞬間は、そう遠くないと私は見ています」


「なるほど……小官は不器用な軍人ゆえ、その種の国際情勢には疎いところがございますが、誠に心強いお話でありますな」


う~ん。日本人が、白人による有色人種への不当な侵略行為のすべてを知っているとは思えないが、一応教えておく必要はあるな。

私は海を指さしながら続けた。


「大将、太平洋における列強の植民活動――これは単なる領土拡張ではなく、文明の名を借りた抑圧の歴史でした。

彼らは『発見』と称して島々を次々と自国の支配下に置きましたが、その過程で現地文化は破壊され、宗教は強制され、労働力は搾取されました。

キリスト教の布教に名を借りた文化的浸食、経済的利益のための強制労働、疫病の蔓延による人口の激減――いずれも、暴力とは異なる形での深刻な人道的危機でした。

ハワイ、グアム、マーシャル諸島、そしてイースター島やエロマンガ島など…被害の例を挙げればきりがありません。

私の立場からすれば、これを科学の進歩とは決して呼べません。むしろ、倫理の退廃と見るべきでしょう」


ナグモ大将は神妙な表情だな。


「もちろん、現地の人々も抵抗しなかったわけではありません。

武力に頼らずとも、文化や信仰、共同体の結束を通じて自らの尊厳を守ろうとした者も多かった。

しかし列強諸国は、その意志を尊重するどころか、近代兵器と組織的な暴力をもってこれを徹底的に封じ込めました。

科学や文明の名を借りながら、実際には弱者の声を押しつぶすために使われたという点で、あれは科学の堕落とも言える出来事でした」


ナグモ大将が頷きながら言った。


「我が国もまた、かつては列強の圧に晒され、危うい局面を迎えたこともございましたが、幸いにしてその都度、独立と誇りを堅持することが叶いました。」


「まさに、そのような時代背景の中で登場したのが日本でした。

近代兵器という、白人列強の独占と見なされていた道具を用い、しかも、当時“無敵”と信じられていたロシア帝国に対して歴史的な勝利を収めたのです。

これは単なる軍事的勝利に留まりません。有色人種に属する多くの国々や民族にとって、日本の勝利は、自らの可能性を信じる契機となりました。

世界秩序に風穴をあけ、被支配の宿命を打ち破り得るという希望の象徴となったのです」


あの戦争が、非白人国家による最初の勝利だったことは、今でも人類の歴史にとって特別な意味を持っている。帝国主義の壁に最初の亀裂が入ったのは、あの瞬間だったのかもしれない。


私は続けた。


「したがって、たとえアメリカ合衆国であっても、日本との敵対は、結果的に世界の大勢を敵に回すことになりかねません。

現代の国際関係においては、道義的な正統性を欠いた行動は、いずれ包囲される運命にあります。

私の観察するところによれば、近衛首相は明らかに、力による支配ではなく、争いの根を断つという人類全体の利益を見据えた指導を志しておられます。

その姿勢こそが、日本が国際的信頼を得ている理由でもありましょう」


アメリカ合衆国がその覇権的な態度を改めたら、本当の意味で恒久平和が訪れる可能性はあるのではなかろうか。


真の意味で世界の希望となり得るのは、日本と天皇陛下以外には存在しないと私は考えている。


日本を中心とした世界秩序が築かれたのなら、その望みは十分にあると私は思うのだ。


間違いかもしれない。

希望は砕かれるかもしれない。

それでもこの混沌とした世界を救うため、私は信じたかったのかもしれない。


だからこそ、日本が超大国として君臨する未来を、私自身が望むようになったのだろう。

これは昔の私では考えられない意識の変化だ。


ナグモ大将は沈黙し、しばし空を見上げていた。

高く、そして静かにたなびくキノコ雲は、空の一部となりつつあった。


「…我々が作ったものは、果たして平和の礎となるのか、あるいは…」


その先を、彼は言わなかった。私も、それ以上言葉を探すことはしなかった。


ただ、心の中に問いが浮かんだ。

これは本当に「正義」なのか?

我々は本当に、「守る」ためにこれを使うつもりなのか?


私は、答えを持っていない。

だが、それでいいのかもしれない。

人はすぐに答えを欲しがるが、本当の問いには、簡単な答えなど存在しない。


やがてキノコ雲は崩れ、風に溶けていった。

私の胸に残ったのは、ただ一つ。


人間は、神の領域に触れてしまった。

その代償を、まだ誰も理解してはいない。


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