第十三話 大日本帝国憲法を強くしよう!①
Side:近衛高麿
憲法は人間で言えば、背骨か腰に相当するような、国家にとって極めて重要なものだ。
現在の日本には大日本帝国憲法があるのだが、これが成立した背景には不平等条約の影響がある。
というのも、当時のヨーロッパ列強が日本と通商条約を結んだ際に、日本に不利な不平等条約となってしまった原因だからだ。
つまり、列強各国から見れば「日本なんて憲法すら持たない非文明国なんだから、信用するに値しない。よって不平等条約で十分だ」と思われたのだ。
これを改めてもらえるよう、交渉する目的で作られたのが鹿鳴館・・・
もとい、大日本帝国憲法なのだが、21世紀においてその評価はどういったものだろうか?
「軍国主義の権化」、「諸悪の根源」…そのような評価ではないだろうか?
とんでもない。
明治憲法は、プロイセン憲法を参考にした立憲君主制憲法であり、以下の点で当時としては極めて進歩的だった。
・近代国家としての体裁を整える役割を果たした。
・臣民の権利(天賦人権ではない)を一定程度保障した。
・内閣制度や議会制度を導入した。
つまり、近代国家としての体裁を整えるという目的から見れば、「立憲君主制の範囲内では近代的」と評価されるだろう。
しかし、その条文の中でも、作った当人の伊藤博文が途中で失敗したと思ったのが第55条だ。
この第55条の内容は、「国務各大臣は天皇を補弼し、その責任を負う」と書かれていて、つまり総理を含む国務大臣全員が、天皇の下で横並びであると解釈できる文面になっているのだ。
それを伊藤博文は、自分が総理大臣になってから気付いたという、なんともお粗末な話だ。
これのどこがマズイかというと縦割りだからだ。
本来なら天皇の下に総理大臣がいて、その下に各国務大臣がいる形式にすべきところ、そうは解釈されないため、総理大臣の権限が限定され、内閣の運営に支障を来たす。
さらに時代が進むと、横の連絡がスムーズに行かないばかりか、軍の報告が総理大臣に届かないというような結果に繋がった。
また総理大臣の権限が弱いから、閣内不一致を原因とする内閣の交替が頻繁に起こった。
さらに後年、陸軍大臣と海軍大臣は、現役の大将か中将が充てられることが規定された。
これにより陸軍と海軍は、自分たちが支持しない内閣からそれぞれの大臣を辞任させ、後任人事を拒否することによって、軍の意向を内閣に押しつけることができるようになってしまった。
最終結果が軍部の暴走だ。
また史実で陸軍と海軍の仲が悪かったのは有名だが、これの要因も突き詰めればこいつが根にある。
仲が悪いだけならまだしも、方針の違いに発展した。
陸軍はソ連、次いで中国(と言っても国民党)を仮想敵とし、海軍は予算欲しさにアメリカを仮想敵に設定した。
実際の戦争もこの通りバラバラに戦った。
これでは勝てる戦争にも勝てない。
よくこんな状態で日本はアメリカと戦えたものだと感心する。
太平洋戦争(この名称は、アメリカに使用を押し付けられた表現だから、あまり使いたくない)は、無謀な戦争だったとよく言われる。
圧倒的な物量で押してくる相手に対して、竹槍で戦うなんて馬鹿のすることだと。
俺も子供の頃はそう思わされていた。
しかし、詳しく調べてみるとそんなことは決してない。
結果が悲惨だったから逆算して考えているだけだ。
事実、開戦を知ると国民は狂喜乱舞したではないか。
だが結局のところ陸軍は国民党と戦争中だったし、日ソ中立条約を結んだソ連も、満州国境に常時200万人という大軍を張り付けたままだった。
海軍もアメリカ、イギリスに加え、オランダ、オーストラリアとも戦っている。
そんな悪条件でも最初は勝ちそうになった。
それだけ陸海軍ともに、前線の将兵がとんでもなく優秀で強かったのだが、兵や下士官がいくら優秀でも国家の方針も戦争目的も統一出来ていないのでは勝てないのだ。
残念だがこの点で、令和の一部日本企業も同じだ。
無能な経営陣が派閥抗争にだけ気を取られるような会社は、優秀な社員がどのように頑張っても成果が上がらない。
要するに内閣が軍部を統制出来ていて、国家方針と戦争目的を明確にしておれば勝てたのだ。
プロイセンの「鉄血宰相」ビスマルクのように。
では、『天皇は陸海軍の大元帥なのだから、天皇が主導すれば解決できた』とは考えられないか?
それは無理だ。
この憲法に天皇の拒否権はないし、天皇が命令を下すことも認められていない。
あくまでも奏上されて来たものを認めるだけで、せいぜいが意見を言う程度だ。
だから戦争責任も問われなかったのだが。
これは立憲君主国の特徴でもあるのだが、結局のところ誰がどう決めるのか曖昧だった。
実のところ、日本人はこういう体制が好きなようで、徳川将軍も最初の頃は老中の言いなりで、政策に関与できなかった。
これまで述べたような悲惨な史実は、この第55条問題を解決すれば回避出来る。
逆に放置すれば、俺がどんな策をとったところで同じ結末を迎えるだろう。
何とかしなくてはいけないが、憲法改正はいくら父でも不可能に近い。
なぜなら憲法発布の際に、陛下自ら『これは不磨の大典であると』宣言しているからだ。
不磨とはすり減らないという意味で、すり減ることのない立派な憲法というわけだ。
これでは改正出来ない。
しかし、日本人お得意の法解釈の変更と、内閣法の制定で修正は可能だ。
で、いつも通り父に相談だ。