【外伝】クレムリン攻防戦
1944年5月
Side:ヨシフ・スターリン
於:モスクワ クレムリン
陸軍の無能者たちが各地で敗戦を重ね、東と南から日露を中核とする500万人の同盟側の大軍が迫ってきている。
同盟軍はウラル山脈東方のエカチェリンブルク近郊で戦われた戦闘と、南部クルスク州での決戦において我が軍を圧倒している。
これに対して赤軍は有効な対策を打てないという。
既に敵は東部戦線と、南部戦線の部隊がモスクワ郊外で合流を果たし、東と南から圧迫するように配置を終えたらしい。
補給は完全に途絶し、モスクワは孤立してしまっている。
8月15日
遂に同盟軍の連中はモスクワ市内に侵入を開始し、赤軍との間で激しい市街戦となった。
だが、補給が断たれて既に3か月が経とうとしており、食糧や弾薬不足に悩まされている赤軍の士気は全く上がっていないと聞く。
どうにかならんのか。
儂の周りにいる連中はただ立っているだけか?
せめて儂の盾となって敵に突入すべきだろう。
そう言ったところ、連中は儂を避けるようになった。
どうしてだ!
8月21日
ソコトラ島と言う場所で、同盟の首脳会談が行われたらしい。
それに関する報告書が来たが、日露の首脳が笑顔で写真に収まっているのが腹立たしい。
もっと早く暗殺すべきだったのだ。
しかも奴らは我が国を解体する計画らしい。
許せん!
「おいベリヤ!日露の首相を一刻も早く排除しろ!」
「…へい。親分。手配します」
今の微妙な間はなんだ?
こいつも粛清してやろうか。
9月3日
遂に同盟軍の連中がクレムリン宮殿に乱入してきた。
ここは儂の聖域だぞ。
汚い靴で穢すことは許さん!!
そう言ったのだが連中は命令に従わない。
どうしてだ。
儂は悪くない!
全て周りの奴らがやったことだ。
「おいベリヤ!」
いつも通りベリヤを呼びつけようとしたのだが。
ん?なんだ?いつもと違って冷めた目つきだな?
「どうしましたスターリンさん?」
うぬ!?なんだその口の利き方は。
儂は気にせず言った。
「お前が代わりに出頭しろ。
儂はその間に脱出する。当然の判断だろうが!」
するとこの男は予想外の言葉を発した。
「それは出来ないです。
あなたも私と共に降伏しましょう。
それ以外の道はありません」
そう言いながら儂に迫ってきた。
いやベリヤだけでなく、この場にいる他の奴らも同じ考えらしい。
これはマズイな。逮捕しよう。
「ミロシニチェンコ親衛中尉。
たった今、反革命的言辞があった!
ベリヤを逮捕・拘禁したまえ!」
そう命じたのだが。
「いいえ!それは出来ません。共産党の終焉を見届けていただく責務があなたにはあります。
よって、あなたを逮捕・拘禁します」
そう言いながら、逆に儂に対して手錠をはめやがった。
「何をする貴様らぁ!うおおおおおお!」
ベリヤが周囲の者に言い放った。
「おい。早くこいつを同盟軍に差し出そう。
そうすれば俺たちは、その功績によって許されるかもしれん」
そう言いながら周囲の奴らを扇動して、儂を同盟の奴に引き渡しやがった。
どうしてだ!
9月3日
Side:ミハイル・トハチェフスキー
於:モスクワ
スターリンが逮捕された。
それも部下たちの裏切りにあって拘束されるという、独裁者としてはあっけなくも寂しい結果で終わった。
今後はこの男がやらかした数々の人道犯罪と、戦争犯罪を裁く軍事裁判が待っているだろうな。
私もこの男によって危うく命を奪われそうになったのだ。
結局ソ連との戦争において、同盟軍も20万人以上の損害を受けたが、戦闘機や爆撃機による戦闘が主であり、地上戦は従だったから意外に被害は少ないと言えるだろう。
しかしソ連側の損害は桁が違うものとなった。
その多くが捕虜であり、実に400万人もの捕虜が東部戦線と南部戦線において積み上がり、捕虜収容所はどこもかしこも満員御礼だ。
ここからの再建が大変だな。
これから最初に手を付けなくてはならんのが治安の維持だ。
各地の強制収容所を解放し、加害者を逮捕・拘禁したうえで我が国のコノエ首相の指示を待とう。
この件で我が国のコノエ首相から指示されている内容は、同盟軍内の綱紀の維持が、最も高い優先事項となっているからな。
これは南部戦線のイマムラ総司令官も、同様の指示を日本のコノエ首相から受けているそうだ。
我が国の首相によれば日露両国はこれからの歴史において、後ろ暗い点を作ってはならないそうだ。
従って捕虜、ソビエト共産党、一般市民に対する扱いは慎重に扱い、人道問題を引き起こすことなく対応するようにとの厳命だ。
当然だろうな。
9月3日
Side:近衛 彦麿
さっきソビエトの最高指導者である、ヨシフ・スターリン書記長の身柄確保に成功したとの報告がもたらされた。
長かったね。
ここまでとても長い戦いだった。
早速、アレクセイに報告すべく参内したのだけれど、あいにく不在だった。
侍従長によれば、彼は裏庭にあるバラ園に一人でこもっているらしい。
待っていようかとも思ったのだけれど、一刻も早く教えたかったし、行ってみることにした。
アレクセイはバラ園で一人で作業していた。
「アレクセイ。ちょっといいかい?」
ここウラジオストクでは9月に咲くバラがあるんだよね。
短い夏の終わりを象徴するような存在で、その儚さがとても風情があって美しい。
そんなバラの手入れをするのは、気分転換にはちょうどいいみたいだね。
アレクセイは手を止めて言った。
「ヒコマロ。そろそろ公務に戻ろうかと思っていたのだけれど、どうしたんだい?
なんか急ぎみたいだね?」
「うん。とてもいい知らせだ。
クレムリンを制圧し、ヨシフ・スターリンの身柄確保に成功したとの報告が来たよ」
日常的に戦況報告はしていたし、スターリンを追い込んでいることも併せて随時報告してはいたけれど、やっぱり結果が出ると違うみたいだね。
一瞬アレクセイは硬直したみたいに見えた。
色々と思うこともあるのだろう。
アレクセイはここで姿勢を正して言った。
「そうか………やってくれたか。
ヒコマロ、ここまで本当に長かったね。君がいてくれたからこそ、ここまで来れた。
ちょっと早いけどお礼を言わせてもらうよ。
どうもありがとうございます」
そう言って僕に頭を下げた。
改まって言われると、ちょっと照れ臭いね。だけど。
「何を言ってるんだい?お礼なんて要らないよ。僕が好きでやって来たことだからね。
それよりも大事なことはこれからだ。
以前から打合せしていた通りに進めていいかい?」
それは、これからのロシアの在り方と、共産党への対処方法、モスクワとサンクトペテルブルクの街についての扱いなどだ。
僕としては日本軍の戦略爆撃機で破壊した工場や、社会インフラの再建といった重要な仕事が控えているし、共産党の扱いは特に重要だ。
当然ながら、共産主義は危険思想として禁止しなくてはいけない。
それから、革命以来27年にわたって、共産党の支配領域で行われてきた数々の蛮行の捜査と、責任者や犯罪行為の手先として関与した人物たちの逮捕・投獄も行わなくてはならない。
何よりもウクライナに対する人道犯罪は、徹底的に捜査する予定だ。
スターリン個人の犯罪行為も立証しなくてはならない。
彼の判断によって殺害された人物は、少なく見積もっても1000万人を下回ることは無いと、現時点ですら断言できるだろう。
人類はこのような暴君の出現を二度と許してはならないし、その温床となった共産主義の考えを否定しなくてはいけないのは当然だろうね。
よって共産党本部は爆破して解体し、跡形も残らないようにするし、レーニンの遺体が保存展示されているレーニン廟、および重要人物が埋葬されているクレムリンの壁墓所を破却する必要があるだろう。
同時に共産党の非合法化と、ソ連憲法の廃止を実行しなくてはいけない。
それから各共和国の独立を推進しよう。
タチアナ義姉上がイギリスで頑張ってくれているからね。
僕やアレクセイも援護射撃をしなくてはいけない。
その対象となる国は、ウクライナやベラルーシといった諸国だ。
ただし、カスピ海周辺はトルコとの関係が微妙だから、いきなり独立させると、紛争の原因になってしまうかもしれないから保留だね。
とにかく喜んでいる暇はなく、これからが本当に大変だ。
9月3日
Side:タチアナ・ニコラエヴァナ
於:ロンドン
モスクワを包囲していた同盟軍がクレムリンに突入し、スターリン書記長の拘束に成功したとの知らせが来ました。
長かったですね。本当に長い戦いでした。
今から27年前、私たち一家は日本に逃れ、短い間でしたが異文化と、私たちとは違う価値観に触れたことで、これまでの常識と考え方を根底から見直すきっかけになりました。
その結果、両親の考え方が変わり、お姉様をはじめ私たちの考え方もまた変わりました。
日本のコノエ首相が目指しておられる、人類の恒久平和。
これに対して私たちだからこそ、お手伝いが出来ることがあるはずなのです。
そして、再び私はロンドンにてジョージ6世やチャーチル首相と面談を重ねてきました。
ソコトラ島において、戦争終結後に植民地を解放し、現地の人々の独立と自治を認めるという内容の方向性が決定しましたが、改めて詳細な内容を詰めるためです。
既に英仏を除く各国は、それぞれの国が保有している植民地を、戦争終了後に解放するという内容を発表済みです。
とは言え…チャーチル首相は頑固な方ですわ。
あくまでもイギリスの繁栄だけを基準に物事を考えておられますし、かつての大英帝国の繁栄を再び取り戻すのだと主張して止みません。
従いまして、ソコトラ会談の決定事項も、素直に受け入れる姿勢を見せておられません。
ですが、冷静に見てそれはどうなのでしょうか?
この国が保有しているアジアの主な植民地である満州や朝鮮半島、香港や上海などの中国大陸沿岸地域、マレー半島やバーラトにセイロン。
それらの地域は日本の影響力が極めて大きく、かつて日本の植民地であった台湾の独立を契機として、独立に向けた機運は、もはや世界中に知れ渡るほどの高まりを見せています。
さらにイギリスの海外投資は、戦争の影響によって激減しており、戦前の10分の1になっているらしいです。
しかも戦争を継続するためとはいえ、対外債務が急速に膨らんでいるのです。
戦争とはお金がかかるものですが、それを上手に使って国内の景気向上に活用出来た日本と、ただ単に戦争に浪費するだけだったイギリスの差は決定的なものでしょう。
自国が戦場になったのですから、仕方がないのでしょうけれど。
その結果、イギリスは既に債権国から債務国へと転落しているのです。
その債務の引受先は、ほとんどが日本で、一部がロシアとアメリカ連合国なのです。
このような状況にもかかわらず、日本の要求を受け入れないチャーチル首相に対して、当然のようにイギリス国内から多数の反発と懸念の声が出ています。
それは国王陛下も同じお考えですわ。
今もチャーチル首相を交えて3人で話し合っていたのですが、陛下が首相に質問しました。
「チャーチル首相、植民地の現状につきまして…その実態を改めてご確認なさっておりますでしょうか。
状況を…鑑みますと、これらの植民地はもはや…維持が困難な事態にあると承っておりますが、その実情を…ご把握でいらっしゃいますか?」
さすがに立憲君主国の先達ですね。
国王の立場と限界をしっかり理解されておいでです。
その点はアレクセイももっと見習わなくてはいけないでしょう。
ですが、まず問題はそこですよね。
植民地の経営状態はどこも悲惨との話ですわ。
バーラト以外では大赤字であり、バーラトの黒字でもって、他の植民地の赤字を補っている状態らしいです。
それに…
チャーチル首相が陛下に対して返答されました。
「陛下、アレクサンドロス大王は世界を征服しましたが、帳簿のバランスは取りませんでした。
今や我々は彼と逆でして、支配は崩れつつありながら、会計だけは維持せねばならぬ始末。
インドなくしてこの帝国の信用は、ローマの蛮族の侵入のごとく崩れ去りましょう」
…イスカンデル大王を引き合いに出すとは、さすがチャーチル首相らしいですわ。
これに対して国王陛下が懸念点を伝えました。
「チャーチル首相、インドにおける…兵の貢献は実に顕著と存じます。戦後、その250万人の戦士の方々の誠意に応える形が…いかなるものであるべきか、今一度、ご検討を願えますでしょうか」
これに対して、首相が返答されました。
「陛下、インドの自立心は認めざるを得ません。
しかしながら、民主主義の苗木は、ただ地に植えただけでは育たず、時には雑草よりも脆く倒れるものでございます。
未熟な土壌に独立という名の雷雨を浴びせれば、混乱の泥沼ができるやもしれません」
これに対して陛下はおっしゃいました。
「インドの自立へのご意志は…承知いたしております。しかしながら、政治的成熟を理由に独立を延期するご考慮に異論は…ございません。
されど、その独立を示すことこそ宗主国として…の責任であり、指導者の育成や混乱回避のための支援を行うことが肝要…であると存じます。
我が国も国際社会の一員として、恒久平和への障害を未然に防ぐ義務を負っております。こちらは…首相におかれてもご同意いただけるところと存じます」
「・・・・・」
珍しく首相は答えに窮しておられますね。
国王陛下が続けられました。
「加えまして申し上げますと、日露両政府が、戦後の平和的再建と債務問題について…誠意ある対応を模索しておられると伺っております。その一環として…、植民地の独立を視野に入れたご提案も検討中とのことです。
これは戦後の世界秩序構築において重要な要素であることをお汲み取りいただき…たいと存じます。
もしこのご提案をお拒みになられますと、債務の見直しは避けられず、返済…の困難はさらなる混乱を招くことになるでありましょう。
首相におかれましては、英断を…賜りますようお願い申し上げます」
そうです。
日露両政府はイギリスが植民地を手放す決意をしたならば、保有する債権を大幅に減債するという交換条件を提示して決断を迫っているのです。
それが日露のコノエ政権から、私に託された条件なのです。
逆にイギリスが植民地の独立を拒むのであれば、債務に関しての協議は困難となり、返済スケジュールの見直しも視野に入らざるを得なくなりますわ。
これは、どれほど飾った言葉で表現しようとも、外交的圧力に他なりません。
したがって私の口からは言いにくいことですので、状況を冷静にご判断いただければ幸いです。
加えて日露両政府は、植民地における民主的な統治体制の整備と人材育成に協力するとともに、宗主国の威信と誇りを損なわぬ形で、段階的な独立を推進する方針です。
私は日本に立ち寄り、コノエ首相から今回の条件を託されたのですが、それにあたってコノエ首相は次のように話されました。
「日本はソコトラ会談において英仏と衝突しましたが、決定的な決裂は望んでおりません。
よって、この条件提示もその一環です。
時にぶつかり、時に懇親を深める。外交とはそのようなものでしょうし、叩いているようで実は撫でている。撫でているようで実は叩いているという、さじ加減が外交という道具の本質なのです」
と、私には理解しがたいお言葉でした。
日英は40年以上にわたる同盟関係を継続しています。
しかし、その関係性は当初のものとは完全に違うものとなりました。
今やイギリスにとって、日英同盟の存在は欠かすことの出来ない拠り所なのです。
それはイギリス本国内でも、当然ながら隠しおおせないほどの常識として、広く認知されています。
この国においては1935年を最後に総選挙が行われておりませんが、ソコトラ島での全体会議をきっかけとして、総選挙をすべきとの機運が盛り上がってきております。
主に労働党が主張しているのが、国王陛下のお考えを取り入れた案で、植民地の独立を認めて日英同盟を強固に維持しようとの主張です。
これはイギリス国内で最も広く支持されている考えのようです。
つまり、勇ましい言葉で自国の力を誇示し続けるチャーチル首相のお考えは、もはやこの国では受け入れられないものとなっておりますわ。
ですから、私も強く出るのではなく、相手が折れるのを待つのが上策でしょうね。
日露両政府によるイギリスへの債権の減債。
その意味の裏にあるメッセージを理解してくれたのでしょう。
やがてチャーチル首相は、声を絞り出すように国王陛下へ返答されました。
「…陛下、もしも帝国の太陽が沈むとすれば、それは我らが選んだ夜明けでなければなりません。
各地の植民地について、独立の道筋を…慎重にではありますが、描き始めましょう」
ようやく諦めていただけたようですね。
これで私も、お姉様から託された仕事を完遂できそうですわ。
Side:アドルフ・ヒトラー
「総統。ソビエトが敗れました」
「なんだと!それではモスクワ攻略に向かっていた連中が、今度は大挙してこちらにやってくるのか?」
「はい。遅かれ早かれそうなると考えます。
既に我が国は、敵の爆撃機によって多くの軍事施設と主要設備を破壊され、継戦能力が失われつつあります。
このままでは…」
いやまだだ。まだ終わらぬ。
「フォン・ブラウン博士が進めていた長距離ロケットがあったではないか!
あれを用いて反撃するのだ。
それからジェット戦闘機もあったはずだ。
あれがあるのだから日本軍にも十分に対抗できるはずであろう!」
なんだその不審に満ちた目は!?
スターリンのように粛清するぞ!
そもそも日本人など、飢えに苦しみ、海藻を口にして命をつないできた民族だ。
食糧難が原因で、ワカメや海苔を食うようになったはずだが、何が悲しくて海藻など食わねばならんのだ?
そんな民族に遅れをとるなどあり得ない!




