1942年の状況
1942年(昭和17年)3月
Side:近衛高麿
昨年7月のソ連による攻勢は撃退し、逆にエニセイ川を越えたクラスノヤルスク西岸において同盟側も入念な戦争準備を実行し、8月以来250万人規模の陸軍兵力をもって西進を続けている。
クラスノヤルスクからモスクワまでは3300km。
果てしなく遠く先は長いが、最初の目標都市は600km以上西にあるノヴォシビルスク(ロシア帝国時代はノヴォニコラエフスク)だった。
この街はシベリア随一の大河といえるオビ川の水運を活用した港湾都市で、21世紀ではシベリア地方最大となる160万人の人口を抱えていたが、この時代では当然そこまで大きな街ではなく、ここを昨年10月に陥落させた。
戦術的構想としては日本陸軍の山下奉文大将と、ロシア陸軍のミハイル・トハチェフスキー元帥、ゲオルギー・ジューコフ中将そして航空隊指揮官の寺本熊市中将によって基本的には航空戦力の比重を上げ、優秀な戦闘車両の投入によって人数だけは多いソ連軍を蹴散らしていく方針がとられた。
史実でもそうだったが、日米戦の前後においても日本軍の対ソ戦備は大した兵力では無かった。
最大でもたった17個師団23万人の兵力しかソ連国境に展開していなかった。
一方のソ連は常に200万人以上の兵力を国境付近に張りつけていたから、ざっと1割だ。
それでも関東軍は「露助」なんてこれで十分だと自信満々だったし、実際戦っても1945年より前なら負けなかっただろう。
それが今回は250万人という兵力と、圧倒的な航空戦力、及び高度に機械化された軍団で前進するのだから、油断は出来ないとはいえ、それほど難しい戦いではない。
実際にノモンハン事件(ハルハ河の戦い)において日本軍は4倍以上の兵力と大量の戦車を用いたジューコフ率いるソ連軍と激戦となった。
戦闘結果について長らく日本側の大敗と言われてきたがソ連崩壊後には評価が逆転しており、ジューコフ自身が後世に最も苦しい戦いは何だったかと問われ「ハルハ河」と即答している程だ。
この世界の東部戦線戦線における日本軍構成比は低いが、似たような状況となると俺は期待している。
そしてソ連の主力戦車T-34を中心とする兵力に対しては零式艦上戦闘機と零式艦上攻撃機、そして特に高高度からの一式重爆撃機「朱雀」による爆撃で対処している。
何も相手の得意とする圧倒的な人海戦術に合わせる必要など無いのだし、航空戦力では質と量の双方において我々が圧倒しているからこれは当然の処置だろう。
そして広大なシベリアの大地に点在している街の一つを制圧したら飛行場も併せて建設し、兵站線を確保したうえで次の拠点を目指して前進していく。
これを繰り返す作戦だ。
時間は掛かるだろうが着実に前進する為にはこの方法が安全だ。
何といってもシベリアの真っただ中での戦闘だから兵站線、すなわちこの場合は自動的にシベリア鉄道だが、これに沿って双方が戦うしかないのだ。
空輸も使えるが、効率とコストを考えたら鉄道が有利だし、戦車のような重い兵器を運搬するなら尚更だ。
そして次の目標は、600km先のエルティシ川に面した河港都市オムスクで、厳寒期で凍結した川を渡河して東側のみならず西側からも圧迫する作戦らしい。
ここを落とせばさらに速度を上げて進軍していくだろう。
なお、航空隊指揮官の寺本熊市中将は夜間戦闘機「月光」と、重爆撃機「朱雀」のペアで先行してシベリア西部の諸都市の軍事拠点、弾薬貯蔵施設や兵站拠点、更には飛行場や戦闘車両の車列を潰しているから敵の反撃も予想以下のレベルらしい。
開戦以来、日本国内は戦争一色の雰囲気だと思われがちだが、実際はそればかりではない。
間宮海峡トンネルとパイプラインが完成して樺太の天然ガスがロシアと東パレスチナへ供給され始めたし、列車も運行を開始した。
さらには宗谷海峡トンネルとパイプラインが開通して北海道と繫がった。
流石に青函トンネルは完成しておらず工事中だが、東海道新幹線と東名・名神高速道路、首都高速と阪神高速は完成して運用を開始しているから戦争特需と相まって利用状況は極めて高い。
女性の社会進出も、史実とは比較にならないくらい進んでいて、生産現場の戦力となっているから、軍需品はもちろん民需品も潤沢に生産できているし、国民生活にもそれ程の我慢を強いる必要はなさそうだ。
いやむしろ積極的に消費して欲しいくらいだ。
日本人は戦争=困窮生活と連想しがちだが、史実の第二次世界大戦におけるアメリカ人の生活はそんな状況でもなかった。
戦場から遠いというのも理由の一つだが、基本的な考え方と経済基盤という意味での体力に大きな差があったからだ。
だからこの世界の日本ではそういう意味においては厳しい戦争ではない。
決して戦争を賛美したりはしないが。
一方でバトル・オブ・ブリテンは激しさを増している。
ドイツとしては、もはやイギリス本土さえ落とせば戦争に勝利できると確信しているみたいだから、史実よりも空軍兵力の大部分を投入してきている感じだ。
イギリスとしては当然、必死の防空戦を展開しており、可動戦闘機はフル稼働状態で、イギリス本土上空での戦いだから撃墜された搭乗員もすぐに基地へ戻って再び出撃するというような総力戦だ。
日本も当然ながらそれを助けて「宗谷」型護衛空母と、航空隊が奮戦していたが、そこへ「伊勢」型空母4隻と「出雲」型空母4隻を基幹とする日本の本格的な空母機動部隊が到着し、新規投入された零式艦上戦闘機と、零式艦上攻撃機は、その能力を如何なく発揮してドイツ空軍を圧倒している。
「宗谷」型も、艦載機を九三式艦上戦闘機から零式艦上戦闘機に入れ替え戦闘を継続中だ。
ドイツ空軍を率いるヘルマン・ゲーリングはこの状況に対して、まるで「発狂」したように更なる増援をバトル・オブ・ブリテンへと送り込み、日英軍との死闘を繰り広げている。
ここで俺の考えた「三直制」のシステムは海軍の予想を超えた成果を出せているみたいで、搭乗員の疲労を抑えつつ長期にわたって戦線を維持できるから、現場の反応は極めて良いそうだ。
効果が証明できたから、「宗谷」型の艦載機も、三直制に切り替えるべく、搭乗員養成を開始した。
こちらの搭載可能数は1隻あたり30機で50隻分とすると、30機×50隻×2で3000機分の機体と搭乗員が必要となるから搭乗員の確保も大変だ。
因みにこの世界において、俺は史実のように多種多様な航空機のラインナップを揃える予定はない。
「商品SKU」がたくさんあることによって、「売上げ」に繋がるというのは考え方の一つかもしれないが、開発部門に負荷を掛け、結局中途半端な「商品」ばかり揃える結果に繋がりかねないからだ。
またそれぞれが中途半端な生産数では、「生産コスト」も上昇し、品数が多いと「在庫負担」も増すし「在庫管理」や「流通管理」も煩雑になるから、シンプルな方が良い。
更には搭乗員の慣熟という意味でも機種は少ない方が良いのは当然だろう。
そして陸上機と艦上機の違いだが、艦上機は陸上機の代わりを勤める事は可能だが逆は無理だ。
これまでの問題は空母から発艦させるためには低速での出力特性が求められたり、その為にどうしても主翼が大きくなる、すなわち負の側面として最高速度や急降下性能が劣る傾向にあったり、そもそも着艦フックや折り畳み翼機能など必要のない陸上機においては重量増となってハンデでしかなかったが、基本的な工作技術の向上と良質な燃料、それに伴うエンジン出力増によって問題とならなくなっている。
したがって戦闘機部門においては艦上戦闘機と、長距離爆撃機随伴が主要業務のためどうしても機体が大型化する夜間戦闘機の二機種に絞り、大量生産を行い、常に他国に対して優位を保てるように戦略的、長期目線での開発に特化してもらっている。
ただし、陸上でしか使用しない艦上機については流石に着艦フックなどは完全に不要だから外しているみたいだが。
そしてその成果としては「零式艦上戦闘機」を上回り、おそらくは史実の「P51マスタング」や「F8Fベアキャット」をも凌駕するであろう性能を持つ戦闘機の開発の最終段階に入っているし、更にその次の主力艦上戦闘機としてはプロペラ機では無く噴進機、つまりジェット機とすることを目指して開発中だ。
このプロペラ機の制式採用は来年になりそうだから「三式艦上戦闘機」と命名されるだろう。
同時に艦上攻撃機も最終段階で、この機体は開発中の新型対艦用滑空魚雷を2発搭載できる双発機となっており、その分大型だから運用できる空母は「宗谷」型護衛空母は無理で、「伊勢」型、「出雲」型と「大和」型に限定されるだろうが、大きな攻撃力を実現できるだろう。
海軍では潜水艦部隊も本格活動を開始している。
ドイツ海軍は史実通りに、潜水艦は当然として戦艦まで同盟側輸送船を狙った通商破壊戦に投入しており、必然的に単艦、若しくは2隻程度での活動だから狙いやすい。
対潜駆逐艦が随伴していたら少々面倒なのだが、ドイツにはそのような対潜水艦作戦に特化した艦種はない。
想像していた通り、ドイツの陸海空軍のうち「穴」は海軍で、空軍と陸軍には勢いがあるが海軍には感じられない。
これは元々海洋国家では無かった事も要因だし、せっかくゼロから再建した海軍の艦艇を失いたくないという心理が働く事も考えられるのと、失った艦艇は一朝一夕で補充出来ないから当然だろう。
秘匿兵器である九八式酸素魚雷と、その発展系として誘導式を採用した新兵器の一式酸素魚雷は恐るべき効果を発揮しており、輸送船やタンカーはもちろん、艦名は不明だが既にポケット戦艦2隻とシャルンホルスト級戦艦を1隻葬っている。
一方で潜水艦狩り部隊や哨戒機による攻撃でも、着実にドイツUボートの撃沈数を増やしているので、イギリスへの補給は滞りなく継続できている。
そのような状況下で、日本陸軍は本格的な派兵として200万人の兵力をヨーロッパへ送り込もうとしていた。
3月中旬
そして史実にも行われた北アフリカ戦線だが、砂漠地帯へ進出してきたイタリア軍とドイツ機甲師団に対してはイギリス陸軍が対処している。
だが、既にドイツ軍は200万人近くという予想外の大兵力をチュニジア北部の港湾都市チュニスへ上陸させており、西側のモロッコにいたイギリス軍をけん制しつつ、東側に位置するリビアを制圧していたイタリア軍を助ける動きをしている。
どうやって移動させたのかと思ったらスペインやフランス、イタリアの船まで掻き集めて運んだらしい。
問題は史実では考えられない大規模兵力という点だが。
日本としては北アフリカという地は戦略的には重要ではない、いや完全に不要だから無視したい。
しかしエジプトを領有しているイギリスが敗走してしまうと、敵にスエズ運河を押さえられる危険があるから、それを防ぐ目的でソコトラ島から一式重爆撃機「朱雀」と、零式艦上戦闘機、零式艦上攻撃機を前進させ、カイロを拠点にイギリス軍を援護している。
イタリアの戦車に対しては、遮蔽物の無い砂漠地帯だから爆撃が有効みたいだ。
更に来年配備予定の新型の三式重爆撃機「飛鳥」が投入されたら、爆撃の効果は更に上がるだろう。
3月末
さて、開戦初頭に情報戦で敗れた俺は、諜報組織だけに頼った戦略構築に限界を感じていた。
得られた情報を最適解で処理して的確な結論に至るような、そんな神様みたいな情報将校に人材を得なければならない事を痛感していた。
そして、実はそんな能力を持った人物に一人、心当たりがある。
開戦時に目をつけていた人物で、名前は堀 栄三という、29歳の陸軍参謀中佐であり、現在文麿の部下として統合作戦本部作戦二課に所属している。
この人は史実において、大本営陸軍部第2部の参謀として勤務していたが、活動期間は若かったために1943年(昭和18年)10月から敗戦までと2年に満たない。
にもかかわらず、日米戦において魔術のような実績がある。
アメリカ軍の侵攻ポイントを正確に予測し、「敵軍戦法早わかり」という冊子を作成して、最前線の実戦部隊に配布したのだ。
これのお陰でペリリュー島でも、硫黄島でも、沖縄でも日本軍は最終的には全滅してしまったけれども、襲い来るアメリカ軍に手痛い傷を負わせることには成功した。
また、台湾沖航空戦においても、大戦果を強調した大本営の発表にいち早く疑念を持ち、沖縄防衛の牛島満司令官やフィリピン担当の山下泰文大将に報告し、警告している。
余りにもアメリカ軍が、堀参謀の予想通りに動くものだから「あいつはアメリカの間諜なのでは?」と一時期は本気で疑われたという逸話まであり、マッカーサー元帥の頭の中まで覗いたという意味で「マッカーサー参謀」の異名を奉られていたという傑物だ。
この人を活用しない手は無いと考え準備していたのだが、いよいよ文麿に命じて俺の元へ来てもらい、直属の情報参謀として意見をもらう事にした。
もちろん栄転扱いで階級は大佐に引き上げたうえで、正式に「情報分析室長」の肩書を与え、50名以上の部下を付けて国防大臣室の隣で早速仕事に取りかかってもらった。
ついでに述べておくと、同じ統合作戦本部の作戦一課に、瀬島龍三という名の参謀がいたが、二度と東京に戻って来れないような地方の閑職に飛ばすよう文麿に指示しておいた。
理由は察して欲しい。
脱線したが、長らく御活躍いただいた明石大将もそろそろ80歳近くになり、流石に後任を選ばなくてはならなかったのだけれど、俺としては後任に相応しい、しっくり来る人物に今まで出会えなかったのだが、この堀大佐なら適任だ。
彼は仕事を始めてすぐにNTTやNHK、NECという組織の存在を知ったみたいで、「日本がこのように立派な諜報組織を保有しているとは知りませんでした」と驚いていた。
それはそうだろう。
俺は「諜報組織としての手と足は立派だが、頭脳が追い付いていなかった。
だから君に頭脳になって貰いたいのです」と命じておいた。
4月初旬
計画発表から5年が経過し、そろそろ頃合いな時期なので戦艦「大和」モドキ4隻をカムチャツカ半島から回航して横須賀と呉の沖合、これ見よがしに見せびらかしつつも木製だとバレない距離に停泊させ、海軍兵に扮した製造元の大工さんと、NTT職員たちに交替で住んでもらい、波の静かな日を狙って、たまに遥か沖合まで動かすことによっていかにも「作戦行動中でございます」という雰囲気を演出してもらっている。
いやしかし、遠目では凄い威容で、力強い雰囲気だとしか言いようがないし、かなり上層部の海軍関係者であっても本物だと信じているはずだから、欺瞞効果は高いだろう。
艦名は史実通り、戦艦に命名する基準である旧令制国名を全艦に与え、「壱岐」「隠岐」「佐渡」「対馬」と命名した。
書類上は今後「壱岐」型戦艦と呼ばれるが、早速各国の情報部員と思われる人物が複数現れて写真を撮っていたらしい。
同盟国を含めて今後話題になるだろうが、どんな風に伝わるのか楽しみだ。
ただ、木製だから火事には要注意だな。
一発でバレてしまう。
4月中旬
堀大佐には西部戦線の分析を重点的に行ってもらっていて、その結果を見て日本の作戦行動の参考にしようと考えていたのだが、活動開始から2週間が経とうとする今日になって堀大佐から報告された内容と今後の方針は、俺が考えたことも無い意外なものだった。
「小官の分析結果としまして、日本は北アフリカ戦線に注力する"態度″を見せるべしと考えます」
それは理解できる。イギリスを助けて200万以上のドイツ軍に対峙しなくてはならないのだから。
その為に大兵力をソコトラ島に集結させているのだし。
しかし態度を見せる?
「態度を見せるとはどういう意味ですか?」
「現在ソコトラ島近辺に集結しつつある200万人の陸軍兵力を北アフリカに投入する動きを見せつつ、実際には別方面に投入するべきです。
いわばヒトラーの誤算につけ込むべきであります」
堀大佐によれは、北アフリカ戦線はヒトラーから見たらとんだ計算違い、大誤算だという分析だ。
というのも、アフリカに植民地を保有していないドイツから見ると、この地に進出するメリットなんて元々何もないのは確かだ。
そんな状況でドイツの同盟国イタリアが、期待もしていなかったのにドイツ側で参戦してしまった。
しかもフランス方面における戦いでは、日本海軍航空隊の空襲を受けて総崩れとなる醜態を演じた。
そんなイタリア軍だから、むしろ参戦なんかせずに傍観、或いは中立国として静観してくれていた方がヒトラーにとってメリットは大きかったという結論だ。
何故ならドイツから見たイタリアの地理的優位性として、地中海方面からの我々同盟軍による攻勢に対しての防壁、或いは緩衝地帯バッファとしての効用は期待できたからとの分析だ。
ところがイタリアはドイツ側に立って参戦してしまい、更にはイタリア自身の安全圏を確保するためとはいえ、ドイツにしたら戦略的にはどうでもいい北アフリカに侵攻してしまった。
これで地中海方面からの同盟側の反攻にまで目を向けなくてはいけなくなったので、イタリアだけに任せておくわけにもいかなくなり、アフリカ軍団と呼ばれるようになる有力な陸軍兵力をアフリカへ送り込んできたのだという。
エルヴィン・ロンメル率いるそれは、史実においても北アフリカの地に送り込まれたけれども、それほど大した兵力ではなかったと記憶している。
しかし、この世界ではバルバロッサ作戦は行われないからか、余力の出た陸軍は200万人以上もの兵力と機甲師団が大挙してアフリカに侵攻してきている。
きっとマンシュタイン辺りは反対しただろうが、ヒトラーが押し切ったとみるべきだろう。
更には後続する部隊もイタリアに集結していて、これからアフリカに向かうみたいだ。
誤算と言えばイタリアは、「コルフ島事件」のような過去のしがらみ、恨みつらみもあって東に位置するギリシャに対して20個師団以上の大軍で侵攻を図ったものの、13個師団しか保有していないギリシャ軍に追い払われるという体たらくで、後始末というかカバーするために、ドイツはバルカン半島にまで進出させられる破目になった。
堀大佐の最終結論としては、このイタリアの弱さに付け込むべきであるとの内容で、同盟側は地中海の制空権と制海権を完全に奪い、北アフリカのドイツ機甲師団への補給を断つことにより孤立させた上で、これを行動不能に追い込むべしというものだった。
したがって、今後は地中海において敵の輸送船団を一隻残らず沈めてしまい、制空権を確実に奪った上で、射程距離内にある敵の陸上兵力に対しては「金剛」型戦艦8隻による艦砲射撃で吹き飛ばし、内陸部の補給部隊は「朱雀」の爆撃で吹き飛ばして物心両面で追い込み、ドイツ陸軍をアフリカの地で降伏させるのが良いとの結論だ。
確かにチュニスやトリポリ、エルアライメンやトブルクといった要衝は海岸沿いに点在しているし、それら都市間を繋ぐ道も当然海岸沿いにあるから艦砲射撃は有効だろうし、制空権を確保できれば陸上部隊は叩き放題だ。
しかもドイツはバトル・オブ・ブリテンにおいて苦戦中で、地中海への援軍は出したくても出せない。
なるほど。
その隙を突いて日本は、イタリアへ陸上兵力を投入する提案なのかな?
イタリアとしては、ドイツと仲良くダンスを踊るつもりだったのかもしれないが、ダンスが下手なくせに無理して踊ることによってステップを乱してコケてしまい、ドイツまで巻き込まれてよろめくという状態だろう。
やはりイタリアは『味方にすると恐ろしい国』だ。
「そして次の段階として、シチリア島辺りからイタリアへの上陸作戦を敢行するわけですね?」
我々の行動としては、わざわざ史実のようにフランス側のノルマンディー辺りからドイツへ攻め込まなくても、イタリアから攻め込むほうが日本から近いしな。
と思ったら。堀大佐は予想外のことを言った。
「いいえ。イタリアは地中海の物流を完全に遮断し、物資の流通を止めるだけで簡単に崩壊しますから、放置して問題ありませんし、イタリアから陸路でアルプスを超えて北方のドイツを攻めるのはリスクが高くお勧めしません」
イタリアに対する評価が俺より低い!
「では我々はどこに進むのが最善なのです?」
「ルーマニアです」
「ルーマニアですか?」
「そうです。黒海を制圧し、トルコとルーマニアを助けると同時に、南からソ連侵攻を目指すべきで、東部戦線と呼吸を合わせればソ連を倒し、勝利を得るのは難しくありません」
そうか!
「そしてソ連を降した後は、ドイツへ東側から突入するということですね?」
「おっしゃる通りです」
なるほど、理にかなっているのではないかな。
今までなんとなく感じていた違和感の正体はこれだ。
ドイツがソ連を助ける可能性は極めて小さいから、これこそが勝利への早道になるだろう。
それに南からモスクワを目指すのだとすれば、ウクライナとベラルーシの解放も行われる筈だから、一足伸ばしてもらってポーランドのあの場所も早めに解放したい。
この分析を基に、マウントバッテンやイギリス政府とも協議したうえで、日英海軍は地中海並びに北海を含むブリテン島周辺で制海権と制空権を奪うことを目標に戦い、空母機動部隊も活用してドイツ海軍と空軍を相手に戦争を継続するとした。
一方で陸軍は最終段階でイギリスはフランス方面から、日本がソ連を制圧後に東から二方向でドイツを目指すことになった。
その為にも日本が北アフリカのイギリス軍を助けるために、200万人以上の兵力を北アフリカに投入するとの欺瞞情報を盛んに流し始めたと同時に、実際のところソコトラ島の日本の大部隊はスエズ運河を目指して続々と出港していった。
そして北アフリカ戦線では、史実とは比較にならない激しい戦闘が連日続くことになった。
堀大佐の分析通り、敵は続々と増援を送り込もうとしているらしいが、地中海の制海権は概ね同盟側にあるから、途中でかなりな数の輸送船が撃沈されている。
このまま補給路を絶ってしまえばいかに精強なドイツ軍といえども無力化できるだろう。




