第八十五話 第二次世界大戦 開戦
1939年(昭和14年)8月
Side:近衛高麿
とりあえず、アメリカ合衆国(北部)は、小康状態を保つようになっている。
新大統領のアルフレッド・ランドンとしては、現在の混乱状態に至った原因は前任者のルーズベルトの責任であるとの宣伝に躍起となっている。
これは殆ど事実だから、アメリカ国内では受け入れられつつあるが、だからと言って南部のアメリカ連合やテキサス共和国、そしてハワイ王国がアメリカ合衆国に復帰するはずもなく、難しいかじ取りを余儀なくされている。
ランドンとしては、とにかく一刻も早く政治体制を整え、中途半端で終了した「ニューディール政策」の後始末をしたうえで、衰えた国力の再構築と、経済の立て直しに海軍の再建、そしていきなり出現した「隣国」への対応という、本当に厄介な懸案事項が山積している状態で、ユーラシア大陸における戦争に加担する目的でルーズベルトが提唱した、「ルーズベルト・ドクトリン」は継承しないと宣言するに至っている。
とてもじゃないが、そんな余裕は無いだろうから当然の処置と言えるな。
これを受けたヨーロッパは不気味な平穏状態が継続している。
ヒトラーとスターリンが大人し過ぎるのだ。
いや、昨年のことになるが、独ソ双方の外相が交わした、「モロトフ=リッベントロップ協定」、いわゆる史実における「独ソ不可侵条約」に近しいであろうモノは締結されたから、今後は独ソが連携しつつ動く可能性が高い。
その際にヨーロッパの新聞を取り寄せて確認したのだが、紙面に描かれていた風刺画は、強烈な印象を与えるものだった。
独ソ関係を風刺したモノだが、「スターリンとヒトラーの結婚式」を描いており、スターリンが新郎、ヒトラーが新婦という内容で、神父役がルーズベルトだった。
やはりヨーロッパにおいては、これはスターリンがヒトラーにラブコールを送った結果、実現した連携で、ルーズベルトがその橋渡しをしているとの認識だろう。
史実でも似たような風刺画があったが、あれは今回とは逆でヒトラーが新郎、スターリンが新婦だった。
こういった風刺画は、本質を鋭く突く時があるから侮れない。
などと言っているが、俺もそのうち対象になってしまうのだろうな。
いや、マウントバッテンとの結婚式の風刺画だけは勘弁してもらいたい。
アイツは「実績」があるだけに、そんなのを見たら本気で俺を襲いかねない。
そして現在、その独ソの状況はどうなっているのか?
という点だが、NHKと同盟国の情報部門が必死に集めてまとめ上げたものを解析すると、以下のような現状であるらしいと判定された。
・スターリンの内部掌握は、「ホロドモール」の挫折によって計画より遅れた。
・その結果、スターリンはロシアよりも、日本に対する敵意を高めている。
・スターリンは日本に対して、諜報活動を仕掛けることに躍起となっているが、進捗は芳しくない。
・スターリンによる赤軍の粛清は既に終了し、再び軍備拡大を再開した。
・スターリンは中央アジア諸国を勢力圏とすることを決意している。
・「ルーズベルト・ドクトリン」の有効性を、独ソ双方が共有するに至った。
・ヒトラーはスターリンと呼吸を合わせて東西同時侵攻を狙っている。
・ドイツ国内でのユダヤ人迫害を強化しようとしている。
・ヒトラーは東欧諸国への政治的干渉を強めており、特にドイツ人構成比の高い国家において顕著である。
一見すると平和そうに見えても、これはもう臨界状態だ。
現在、ドイツの勢力圏に堕ちそうな地域に住んでいるユダヤ人は、まだ200万人くらいは住んでいるらしいから、密出国でも何でもいいから早急に逃げるようにと、アンソニーは勿論、日本在住のユダヤ人たちにも強く警告は発したが、間に合うだろうか。
ヒトラーは政権を掌握するや、すぐさまドイツ再軍備をスタートさせた事は以前に触れたが、この頃になると「マルクの神様」と言われたシャハト博士によって経済的混乱を何とか鎮静化させ、アウトバーンの建設、国民ラジオの配布、フォルクスワーゲンの供給と次々と対策を講じており、失業率の減少と景気の回復によってヒトラーの人気は絶頂期を迎えていた。
特に軍備の増強は目を見張るものがあり、国家予算の大半を軍事費に向けるという極端な政策で、もし開戦しなければドイツ経済が再び崩壊したであろうことは以前に述べた通りだから、確実に戦争を起こすだろう。
空軍再建宣言、徴兵制の復活と矢継ぎ早に軍事力を高める動きをしている。
それだけではなく、チェコやハンガリー、オーストリアといったドイツ人構成比の高い、もしくは少数でも在住している国家群に対しては史実による陸軍進駐ではなく、それ以前に政治体制の簒奪、或いはナチス政府の傀儡化によって実質的な侵略は既に終了しており、あとは仕上げとして陸軍を動かせば自動的にドイツの版図に含まれる体制となっているらしい。
史実との比較は難しいものの、ヒトラーの政権奪取が1年以上早かった事実を考慮すると、ドイツの陸軍と空軍の戦力は、史実以上の実力を有するものと考えておくのが妥当と思われる。
海軍についても同様だ。
初期の頃は「ポケット戦艦」という、ロンドン海軍軍縮条約の隙間を狙ったような艦艇しか建造出来なかったし、「シャルンホルスト」級は、デザインがカッコいいので俺は好きだが、性能的にはいかにも中途半端な印象でしかなかったものの、近年ではもう各国の戦艦を完全に凌駕するような性能を持つ「ビスマルク」級を完成させており、更に史実には存在しなかった戦艦が2級、各2隻建造されていて最初のクラスの1番艦がもうすぐ完成するらしい。
いやこの建造スピードをみると、最初のクラスはイギリスに対抗する為に元々計画されていたのだろう。
因みに「ビスマルク」級に次いで建造されたのは、40cm砲8門を搭載した基準排水量5万トンクラスの「プリンツ・アイテル・フリードリヒ」級で、1番艦は「プリンツ・アイテル・フリードリヒ」、2番艦は竣工していないが名前は判明しており「プリンツ・アーダルベルト」という艦名を予定しているらしい。
これ、どういうつもりだろう?と海軍内で話題になっていた。
これらの艦名の元になった人物は、前ドイツ皇帝ウィルヘルム2世の次男と三男で、ヒトラーは前皇帝を嫌っていたはずだが、これは一種の国民融和策だろうか?という話だった。
毎度余計な話で恐縮だが、日本以外の国では21世紀でも船舶名に人名を付けることは普通に行われている。
イギリスだと「クイーンエリザベス」が有名だろう。
これは「客船」と「空母」で、同時代に二隻存在していたが、由来としては別人から命名されていて、空母の方は女王から、客船はその母公のエリザベス皇后からの命名だ。
アメリカだと原子力空母は大体が人名だし、フランスも「クレマンソー」や、「シャルル・ド・ゴール」とかある。
だが、日本では船舶名に人名が採用された例がないのは、明治天皇がそう決めたからだ。
戦艦「上杉謙信」とか空母「楠木正成」、クルーズ客船「清少納言」とか、俺からしたら違和感しかないが。
まあどうでもいい話だった。
その次のクラスは艦名は不明だが、どうやら43cm砲8門搭載の6万トンクラスという巨艦であるらしい。
これは史実でも計画されていたらしい、いわゆる「H級戦艦」というものだろうが、世界にはこれに対抗できる戦艦は存在していないから、ドイツ海軍の至宝といった存在となるだろう。
いや…偽物の「大和」型モドキ4隻があったな。あれに引っ掛かってくれたらしい。
ただなぁ、ドイツ海軍はバランスが悪い。
目立つ大型艦は一定数を揃える事が出来たとしても、潜水艦以外の補助艦艇の質と量で海洋国家たる日英を脅かす存在にはなり得ないだろう。
結局、戦艦による通商破壊戦と艦隊保存主義?だったか、母港に逼塞したまま動かず、ただ存在だけ誇示する結果になりそうな気がする。
一方、軍艦を建造しまくっているのは、アメリカ海軍も同じで、失った艦艇を補充するために大建艦計画を遂行中だ。
巡洋艦、駆逐艦も当然の事ながら建艦中だが、大型艦に特に注力している。
戦艦では40cm砲(16インチ砲)搭載の戦艦を、続々と起工しているとの情報がもたらされた。
おそらくは史実の45口径40cm砲9門搭載の「サウスダコタ」級と思われる戦艦が4隻、次のクラスとなる「ノースカロライナ」級が4隻…いやノースカロライナはアメリカ連合国に含まれるようになってしまったから艦名は分からないな。
それから更に有力な、史実では50口径40cm砲9門搭載の「アイオワ」級と同等らしいクラスが4隻、更に詳細不明なものの、「アイオワ」級を拡大させたようなクラスの戦艦を4隻建造予定らしい。
最後のクラスは、これまた「大和」モドキに触発されたとみていいだろう。
戦艦の攻撃力をカウントする式として「口径長×口径=攻撃力」というものが存在していて、史実の「大和」型は45口径46cm砲だから上記の式に当てはめると45×46=2070。
一方の「アイオワ」級や「超アイオワ」級は50×40=2000と、それほどの差が無くなるので、あとは門数で圧倒する事を狙ったのだと想像する。
しかし、造ったはいいが、無事にパナマ運河の通航が許されるかな?
パナマ政府にはアメリカ連合の息が掛かっていそうだが。
それと気になるのが、とうとう大型空母の建造に着手したらしいという情報だ。
大型といっても情報を集めると、どうやら史実の「ヨークタウン」級と同等らしいものが5隻らしいので、基準排水量は精々2万トン程度だろうから、航空戦力だと日本海軍が圧倒できるだろう。
とは言うものの、アメリカ空母は伝統的に艦載機を格納庫だけに収容するだけでなく、飛行甲板上にも留め置く方式を取ったから、排水量に比して搭載機数は多く、1隻当たり90機前後は運用できると見ておいた方がいいだろう。
1939年9月。
ソ連の状況はと言えばNHKの情報にもあったように、スターリンも体制固めを行っていて、静かに中央アジア方面への政治的浸食と圧迫を行い、徐々にソ連の実質的支配地域を広げつつある。
陸軍兵力も大幅に拡充を開始していて、これも情報にあったように既に赤軍に対しての史実にあった「大粛清」は終わっているみたいだから、仕切り直しを図っているのだろう。
しかし、どうも今回の「大粛清」は史実より大規模なのではないか?
これは想像だが、トハチェフスキー元帥とジューコフ少将が参謀や幕僚を引き連れてロシアに亡命してしまったから、スターリンの猜疑心に火がついて大量の軍人を粛清したと感じる。
ラパロ協定の成果が消えてしまうのでは?
まぁそれは日露にとって朗報だが。
大粛清。やっぱり怖い。
当然日英露仏の間でも、これに対して対策が協議されているが、相手が軍事行動を起こさない以上、こちらから戦争を仕掛ける事には英露仏の三国共に反対だった。
因みに今年からイギリスの駐日特命全権大使はマウントバッテンになった。
彼は既に海軍元帥にまで出世していた生粋の軍人だが、イギリス政府としてはこれからキナ臭くなりそうな国際情勢を見越して俺との関係性を重視し、慣例無視で抜擢したみたいで、当然マリアや子供たちと一緒に来日している。
オリガは喜んでいるし、マリアも実家が近くなった事もあって喜んでいるから全体的には素晴らしい。
だが、これはいよいよ襲われないように気を付けねば。
と、これは半分以上は冗談だが、ともかくイギリスの対独ソ方針を確認してみた。
「独ソ共に周辺諸国に政治的浸食を高めていて、このままだと時間の問題で戦争になるが、イギリスとしての見解はどうなのだ?」
と聞いたら。
「兄上。現状では国民の反対意見が強く、イギリス軍が動くことは出来ません」
という回答だった。
これはフランス駐日大使のシャルル・アルセーヌ・アンリに確認しても同じ答えだった。
英仏は以前から述べているように第一次世界大戦における被害が大き過ぎて、国民の間では「いかなる戦争にも反対だ」との意識が根強く、ロシアもいまだに100万人単位の大軍を派遣できる体制には至っていないため行動には慎重だった。
俺としては独ソの体制が整う前に、更にはアメリカが息を吹き返す前に早く行動したいのだが、難しいみたいだ。
その代わりと言っては何だが、日本側でもNHKや同盟国側からの情報をもとにして戦争は最早避けられないとの共通認識は醸成されつつあるし、新聞をはじめとするメディアの報道も同じだ。
だから陸軍兵力の増強も開始されて徴兵と訓練が始まっている。
陸軍では先ごろ完成した、主力戦車である「九八式戦車」と、砲兵支援用の「九八式突撃砲」、歩兵随伴用の「九八式駆逐戦車」と「九七式機動車」、兵站にも使用予定の「九七式兵員輸送車」などの正面装備や補助装備が着々と訓練を開始しており、既にロシア軍へも供給を開始するとともに、日本軍の一部もロシア軍との共同訓練を行っている。
ロシア陸軍はソ連陸軍のような「ラパロ協定」を経験していなかったから、いかにトハチェフスキーやジューコフが優秀であったとしても基本的には前近代的な組織であり、このままソ連軍とぶつかるのは危険が大きく、練度を高める為にも集団同士の演習を行った方がより高い効果が得られるのは自明だからだ。
北白川殿下や朝香宮殿下とも久しぶりに懇談したが、殿下たちもそれぞれの部隊を率いて最前線に立つみたいで、両者の無事を祈るとともに再会を約束した。
俺としては全力でソ連に当たりたいのだが、英仏はとにかく戦争を嫌がっていて、史実同様にポーランド侵攻がなされない限り動きそうにないのが気がかりだ。
そのために西部戦線への陸軍投入も検討している。
そしてこの辺りから独ソの動きに急激な変化が見られるようになっていき、開戦が迫ってきた。
1939年10月。
ドイツがラインラントの非武装地帯に軍隊を進駐させ、ベルサイユ条約・ロカルノ条約を破棄した。
フランスは対抗措置をとらず、ヒトラーはその成功によって権威を高めることになった。
同年11月。
ドイツはオーストリアを併合し、ヒトラーはウィーンに凱旋。
オーストリア国民は救世主を迎えるような態度でヒトラーの帰還を歓迎した。
またミュンヘン会談でズデーテン地方を獲得。
史実では、この行為の前後から第二次世界大戦は始まっている。
同年12月初旬。
ドイツはチェコへ進駐し保護領にして、更にスロバキアを保護国化。
ソ連もフィンランド国境に大軍を集結させて大規模な演習を開始。
同年12月末。
かつてドイツ領だったチェコ北東部ズデーテン地方のドイツ系住民は、ドイツへの編入を希望して実力行使に出た。
ヒトラーはこれを歓迎し、ドイツ領と認めると宣言。
当然だが、この件もドイツ側からの工作によるものであることは疑う余地が無いだろう。
明けて1940年(昭和15年)2月初旬
ポーランドから逃れてきたユダヤ人青年が、ロンドンのドイツ大使館を訪れ、一等書記官を射殺した。
この事件をきっかけに、ドイツに関係する国々においてユダヤ人に対する略奪と暴行が起こった(いわゆる水晶の夜か?)
ドイツ政府はドイツ勢力圏内に残存していたユダヤ人に対し、連帯責任として10億マルクの罰金を科し、さらにすべてのユダヤ人生徒を高校、大学から追放し、ユダヤ人が特定の職業に就くことを禁じた。
その上、追加処置としてユダヤ人の映画館、劇場、博物館、コンサート、講演会への立ち入りが禁止され、運転免許も没収された。
遂にはユダヤ人隔離を徹底させる命令も出た。
日本政府はこれに激しく反発し、東郷茂徳駐独大使を召還し、国交を一時的に断絶させる処置を取る。
ただし、大使館は閉鎖されることはなく、在ヨーロッパ各国の日本大使館や領事館に対して、ユダヤ人脱出を支援するための人員を増派し、彼らに対する出国ビザの発給業務遂行を徹底するよう厳命。
これにより多くのユダヤ人が東欧諸国からの離脱を開始した。
1940年2月末。
独ソ両国によるポーランド侵攻が迫っているらしいとの情報が駆け巡り始め、一気に緊迫の度合いを増してきた。
まだ厳寒期だから軍事行動は起さないかも知れないが、警戒態勢は取らなくてはいけないしヨーロッパへの派遣準備を急がせよう。
同年3月。
いよいよポーランド方面がキナ臭くなってきており、ソ連軍はフィンランド侵攻の準備は既に整っていると思われるため、同時に東西から侵攻を開始するのではないかと、英仏は見ているらしい。
日英露仏同盟は両国に対して警報を発しているが、英仏の戦争に向けた体制は国民の反対意見が大きく思うように出来ていない。
同年4月末。
事前の情報とは違って、雪解けと共にソ連軍が南側の中央アジア方面への侵攻を開始した。
同年5月初旬。
我々の予想に反して、ヒトラーは全軍にフランス侵攻を命じ、最前線のフランス軍は総崩れとなった。
ゲッべルスは宣言した。
「一つの民族、一つの帝国、唯一無二の総統に栄光あれ!ジークハイル!」と。
そして第二次世界大戦が始まった。




