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【外伝】近衛彦麿 ⑮

1938年5月


日本では政権交代が行われ、父上から兄様へと首相が引き継がれた。

だから基本的な政策には全く変更が無いし、ソ連が仮想敵国の第一位であることに変わりがない。

そんな兄様から連絡が来て、どうもソ連の国軍、向こうでは赤軍と呼称しているが、その組織に対してスターリンによる大幅なテコ入れが為されているらしい。


この表現は穏やか過ぎるね。僕がKGBから得た情報ではまさに「大粛清」と言って良いだろう規模になりつつあって、既に千人単位の犠牲者が出ているという話だった。

理由は日露が推し進めたウクライナの飢饉に対する人道援助にあって、赤軍の対応を不甲斐ないと断じたスターリンの判断によるものだと思う。


どうやらスターリンへの忠誠心が足らないから失敗するんだと考えたみたいだけど、物事が上手くいかないからといって責任をなすり付けている様にしか見えないね。

特に弾圧を受けているのが高級幹部と言って良い佐官クラス以上の軍人だそうだが、これは軍人に対する一種のテロと言っていいだろう。


そこで僕はKGBを通じて積極的に、優秀で且つ共産党に染まっていない赤軍幹部に声をかけてロシアへ来てもらうよう手配した。


その結果として勧誘に成功したのがゲオルギー・ジューコフと、ミハイル・トハチェフスキーという軍人とその幕僚たちだった。

この2名は兄様の「指名」だった事もあって特に力を入れて勧誘した。


2人とも粛清されそうになっていたから渡りに船だったみたいだしね。

ちなみにトハチェフスキー元帥は45歳、ジューコフ少将は41歳とまだまだ若いから楽しみだ。

ついでに言えば僕はもうすぐ34歳になるけどね。


ただし、この時に気を付けなくてはいけないのが「逆スパイ」で、ロシアに寝返って来た赤軍幹部たちの中に、実はスターリンの息がかかった人物が居るのではないかという当然の疑問だ。


彼らがスパイを多用するのは有名で、ロシアのKGBも最近では大きな戦力に成長しつつあるけれど、何といっても向こうの方が「先輩」だ。


特に先ほど紹介した2名は、仮に逆スパイだった場合の被害が大き過ぎる。

こちらの作戦や戦力といった重要な情報が筒抜けになってしまうからだ。

当然のことながら政府内からもそんな心配の声が出ていたので僕が直接面談することにした。


とは言ってもね…人間の心の中なんて調べようが無いのは紛れもない事実だ。

ここでスパイ(間者)の種類を紹介しておこう。

って偉そうに言っているけど僕の成果じゃない。

古代中国の「孫子の兵法」に答えが書いてあるんだ。


それによれば間者の用い方には五種類ある。

郷間(きょうかん)内間(ないかん)反間(はんかん)死間(しかん)生間(せいかん)だ。


1、郷間

敵国の領民を使って必要な情報を収集する策


2、内間

敵国の役人を買収して内通させ、こちらの間者に仕立てることで情報を収集する策


3、反間

敵国の間者を手懐け、こちらの間者に転向させて情報を収集する方法。

つまり二重スパイや逆スパイ対策だ。


4、死間

敵と味方の双方を騙しながら偽の情報を流し、それを味方の間者には本当だと信じ込ませ、その偽情報をしっかりと敵に伝えることで攪乱させる策


5、生間

何度も敵国から帰って来ては報告をする間者


今回の場合で言えば「反間」に当たるだろう。


具体的な対応策も孫子の兵法で紹介されていて「反間は厚くせざる()からざるなり」と書かれている。

簡単にいえばスパイであるのを前提に相手の心情に入り込んで厚遇し、こちら側に完全に寝返らせなさいと書いてあるんだ。


この文章は『せざる』と『()からざるなり』の二重否定で、「絶対にやれ」という強い意味だから注意が必要だね。

だったらそう書いて欲しいけれど・・・


それにしても…古代中国の策謀家たちは大変だねぇ。

一瞬でも油断したら命がなくなるのだから必死に対策を考えたのだろうけど。

孫子は有名だけど、他にも六韜(りくとう)なんかも有名で、この中にある虎韜(ことう)は別名「虎の巻」として大変よく知られている。


僕も「太公望」呂尚の作と言われている六韜を全て一通り読んだけど、強烈な策謀だらけで気持ちが萎えた。

「敵対国から優秀な人間が外交使節として来たら話をまとめるな。逆に愚鈍な人間が来たときに話をまとめれば、愚鈍な人間が出世してその国は弱まるだろう」とかね。


えぐいやり方だ。


部下の人間性を観察する具体的なやり方についても記述があった。


「追及してみてとっさの反応を見る」


「間者を差し向けて内通を誘い、誠実さを見る」


「大金を扱わせて正直かどうかを見る」


「秘密を打ち明けて口の堅さを見る」


「酒に酔わせて本性を見る」


「困難な仕事を与えてその勇気を見る」


「女を近づけて堅実な人物かどうかを見る」………と、上司にこんなふうに試されたらたまったもんじゃないなと思うような内容がいっぱい書いてあった。


まあ参考になることも書いてあったけれどね。

「外観だけで人物を判断してはならない。

何故なら外観と中身が一致していない場合が十五もある」と書いてあって、主なものを列記すると…


・賢そうに見えて愚かな人間がいる。


・謙虚にふるまいながら、相手を見下している人間がいる。


・なんでも心得ているように見えながら、実は何も知らない人間がいる。


・まじめそうに見えながら、誠意のない人間がいる。


・好んで駆け引きを弄しながら、肝心の決断力に欠けている人間がいる。


・誠実そうに見えながら、信用ならない人間がいる。


・ぼんやりして頼りなげに見えながら、忠実な人間がいる。


・勇気があるように見えながら、じつは臆病な人間がいる。


・いかめしく構えていながら、実は心のやさしい人間がいる。


などで、現在の社会においても、該当しそうな人物はいっぱい実在するだろうから参考にはなるね。

僕の立場で最も気を付けなくてはいけないなと感じたのは次の(くだり)だ。


「周囲が褒める人間を優秀だとみなし、逆に周囲がけなす人間を使えない者だと決めつけて遠ざけると、仲間の多い人間だけが昇進し、少ない人間は遠ざけられてしまう。

こうなると腹黒い人間ばかりが登用され、その結果として体制の乱れが激しくなって、ついには組織の滅亡に至る」


怖いねぇ…気をつけよう。


他にも発明家として名高い公輸 盤(こうしゅ はん)と対決した墨子(ぼくし)なんかも有名だし、兵法書の類はもっとたくさんある。


要するに僕たち日本人から見たら、どうやって他人を騙すか?出し抜くか?という事を熱心に研究している人たちで、それが身に染み付いている民族なんだよね。


根本がこれだから、他人を疑う習性の無い日本人が勝てる隙が無さそうで怖いけれど、古代から勃興した国家は結局のところ全て滅びて、あの地域に現時点で国家は存在していない。

つまりは全ては無駄な努力に終わったという表現が出来るだろうし、一度も国が滅びた経験のない日本人にはこれも理解できないだろう。


まぁたまに「中国には4000年の歴史がある」って言う人が居るけれど、それは真っ赤なウソだ。

何故なら、4000年とか5000年という数字は、あの場所に人が住んでいた記録があったという事に過ぎないからで、だったらエジプトはどうなんだ?って話になるし、日本だって縄文時代は相当な長さだろう。

よって現時点で中国の歴史は0年だ。

国家が無いのだから。


それはともかく西洋でも「君主論」で知られる、イタリア人のニッコロ・マキャベリなど有名な策謀家もいる。

中でも「It is better to act and repent than not to act and regret.(行動せずに後悔するより、行動して後悔する方が賢明である)」

は有名だ。


みんな苦労して国を治めたという結論かな。


話がだいぶ脇道に外れてしまったけど、ともかく僕は孫子の兵法に書かれている通りに、2名の高級士官を優遇しまくったんだ。

ソ連のスパイなのかどうかは不明だけれど、スパイである事を前提として逆にロシア軍の内情や弱点なんかも開示しまくった。


「こちらが日本製の主力戦車である『九八式戦車』です。

今年になって制式採用され始めた新型戦車で、不整地でも40㎞/hで走行が可能です。

重量も36トンありますが、これを見てどう感じますか?」


「とても力強い印象ですが、前面装甲はどの位の数値なのでしょう?」


「車体前面の傾斜装甲は80mm、砲塔前面は100mmとなっていますね。

ソビエトのT-26戦車の主砲である45mm砲弾の直撃を500mの距離で受けても弾き返しました。

逆にこの80mm主砲はT-26を2000mで撃破可能です」


「それは凄いですね!ソビエトが開発中の新型戦車として採用されるであろう、T-34でも打ち破れそうです。

これは作戦立案時の参考データとさせて頂きます」


「ただしロシア軍の弱点は歩兵戦力の数が少ない点にあります。

この戦車も乗員は操縦手、砲手、車長の3名となっていて、省力化が図られている点も特筆すべきでしょうね。

しかも主砲弾の装填は半自動ですからその点でも大変進んだ戦車と言えるでしょう。

ですが、広大なシベリアにおいて占領地を確実に制圧する為には、戦車などの機械化部隊がどれほど優れていたとしてもそれだけでは足りません。

歩兵による確実な制圧が欠かせないのです」


「…ご指摘の通りですね。

最初は問題なくても戦争の経過と共に兵力の損耗が激しくなるでしょうから、優勢を維持できなくなるかも知れませんが、対策は何か考えておられるのですか?」


「日本の方針としては、航空戦力の充実を図る計画と聞いています。

圧倒的に優秀な航空戦力でソ連の地上部隊を吹き飛ばし、制空権を確実に手に入れた上で着実に地上部隊を前進させようとのいうのが基本戦略で、ただでさえ少ない地上部隊の損耗を極限まで減らそうとしています」


「…部下となる者たちの人命を大切に考えて頂けると思っていてもよろしいのでしょうか?」


「もちろんです。

その点は人数の多いソビエト軍とは決定的に違うのですから最も重要です。

私としては元帥や少将に無茶な命令をするつもりもありませんし、現場の意見は可能な限り取り入れるつもりですから、要求が有りましたら直接私に言って下さい。

私は元帥を信じて全兵力をあなたに預ける用意があります。

どうか日本軍や東パレスチナ軍と共闘してソビエトに勝って下さい」


「…有り難く承ります。

我らは陛下と首相閣下に忠誠を誓い、最善を尽くすことを誓います」


2人ともとても感激してくれたみたいで、ロシアに忠誠を誓うと言ってくれた。

それが真実かどうか、彼らがスパイであるのか無いのかは神様かスターリンにしかわからない。


え?神様かスターリンにしかわからない?

自分で言っていてアレだけど、なんという逆説、なんという皮肉だろう。


でも僕が騙されたのならそれまでだと諦めるしかないね。

裏切られない様に厚遇し続けるしかないだろう。


それと…今回2名が亡命した際に、家族は同伴しなかったというのも僕が彼らを信じた理由となる。


え!?普通は逆じゃないの?と思うだろう。

でもあのソビエトのやることだよ?

極悪非道の代名詞たるスターリンと、その腰巾着の卑劣漢ベリヤを舐めてはいけない。


家族を人質にとって言う事を聞かざるを得ない立場に追い込み、裏切らないように監視役の「家族」を付けてロシアに送り込んで来るなんて平気で実行するだろう。


だからほぼ全ての高級軍人が家族を連れて来なかったという事実は、逆に僕には安心材料なんだ。

トハチェフスキー元帥もジューコフ将軍も家族のことは諦めているから気にしないで欲しいと言っていたからね。


一刻も早くソビエトを倒して彼らが家族と会えるようにするのが最善策だろうが、それ以前にKGBを派遣して可能な限り家族をこちらに連れてこよう。


それにしても…いつの間にか僕も腹黒いことを考えなければいけない立場になってしまった。

とにかく全力で準備するしかないね。


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>トハチェフスキー元帥もジューコフ将軍も家族のことは諦めているから気にしないで欲しいと言っていたからね。 あっそういう…人って怖いね!
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