第八十四話 総理大臣継承
1938年(昭和13年)3月
Side:近衛高麿
俺は父の跡を継ぎ、52歳にして内閣総理大臣に就任した。
間に高橋是清を挟んでいるとはいえ、西園寺公望から始まって、実質的に3代続けてお公卿さん内閣だが、同じ3代連続している北朝鮮よりマシだろうと自分に言い聞かせることにした。
なお、史実の戦前において恒例となっていた、元老による後継総理大臣の指名という方法は、採用しなかった。
父としては「最後の元老」の権限を行使することは可能だったが、そんなことをしなくても衆議院にて与党が過半数を取っているし、父が政友会総裁の地位を俺に譲ったから、自動的に俺が総裁になって総理大臣になったのだ。
民主的かどうかは微妙なところだが、以前の元老による密室会議に比べたら、選出のプロセスが明らかになっている点だけをみても、遥かに成長していると言っていいだろう。
しかし、経済的な緊急事態は脱したが、これからが危機の本番だ。
F・ルーズベルトは何とか抹殺できたが、ヒトラーとスターリンという化け物が、二人とも健在だから、これからが大問題となるだろう。
奴らがどう出るかは大体予想出来るとはいえ、もう史実と比べて、背景も動機も全く違ってきており、どうなるかは未知数だ。
新たな内閣は、混乱を避けるために第三次近衛内閣と呼ばれているらしい。
そりゃそうかもしれんが、第三次としつつも、総理大臣が別人だから後世に誤解を招きそうな命名で、将来の受験生が混乱しそうだが、俺の本意ではないから許して欲しい。
ともかく内閣の主なメンバーは下記の通りだ。
主要閣僚としては…
大蔵大臣 賀屋興宣 49歳。
大蔵次官 池田勇人 39歳。
外務大臣 吉田茂 60歳。
内務大臣 吉田茂 53歳。
国防大臣 近衛高麿 首相兼任 52歳。
司法大臣 平沼騏一郎 71歳。
法制局長官 木村篤太郎 52歳。
統合作戦本部長 近衛文麿 47歳。
この内閣の最大の任務は、これから起きるであろう戦争に勝つことだろうが、それ以上に大切な仕事は経済発展の継続で、以前にも触れたが政治家とは、社会から広く集めた税金というカネを、どのように社会へ再配分させるか考えるのが最大の仕事で、何を行うにしてもまずは原資がなくては話にならないから、裏付けとなる経済発展は必須であり、これが出来ない、或いは目指さない政治家は不要であるとさえ考えている。
そしてこれは、令和でも同じだっただろう。
よって大蔵大臣は、その目標に向けた要となる役職であり、今回指名した賀屋興宣は、史実でもこの時代で大蔵大臣をやっていたはずで、大局観のある優秀な人物だからお任せしても全く問題ないだろうし、池田勇人とも同郷の先輩後輩の間柄だから二人で協力しつつ、うまく舵取りしてくれると期待する。
池田も次官になったのだから、「貧乏人は麦を食え」などという舌禍事件は起こさないと思う。
少し心配ではあるが。
言うんだったら「貧乏人も米を食え」と言って欲しいし、そう言える位の経済状況には持っていきたいものだ。
まあ…本人の名誉のために補足すると、あれは本人が直接そう言ったわけじゃないのだが。
彼が参議院予算委員会の答弁の中で、当時は不足していた米に関して「私は所得に応じて、所得の少ない人は麦を多く食う、所得の多い人は米を食うというような、経済の原則に沿ったほうへ持って行きたい」と言ったに過ぎないのだ。
これをあるマスゴミが切り取り、曲解して「貧乏人は麦を食え」と誇張報道した影響で大蔵大臣辞任に追い込まれた。
昔も今も将来も、メディアのやることは姑息で卑怯だ。
ともかく、池田勇人と言えば「所得倍増」だろう。
昭和30年代半ばからの10年以内に、国民の平均所得を倍増させる目標を岸信介内閣の時代に計画しており、自身が総理大臣に就任後に宣言したのだが、実際には7年で達成させた。
以前に紹介した「複利計算法」では、下記のように紹介した。
「複利法とは、一定期毎に利息を計算して元金に繰入れ、この元利合計を次期の元金とする法なり。
(元金)×(1+利率)(期間)=元利合計
但し利率は利子計算期の利率、期間は利子計算期の数とす」
そして併せて紹介したのが、「70の法則」と「72の法則」だ。
・金利が5%以下の場合
70÷金利=2倍になる年数。
・金利が5%より高い場合
72÷金利=2倍になる年数。
よって10年で倍にするためには、72÷7(%)=10.3(年)だから、年率7%成長を10年継続させるとしたが、周囲、特に野党からは「夢みたいなことを言うな!」と散々攻撃されたものの、実際には72÷10(%)=7.2(年)と10%を超える年率で成長させたわけで、これは偉業と言えるだろうし、是非ともこの時代にこれを達成させてほしい。
以前も紹介したように、複利の計算方法は昭和30年代の大人であれば、多くの国民がすぐに計算出来ただろうから反応も大きかっただろう。
戦争になれば、計画も予算も「蛇口」を目一杯広げた状態になるだろうから、達成はさせやすいはずだ。
史実では昭和7年度から、昭和12年度までの国家予算は、大体20億円前後で推移していたが、昭和13年度から急激な伸びを見せる。
昭和13年度で30億円を超え、15年度か16年度では確か80億円を超えたはずだ。
そして日米戦がはじまると、一気に200億円近くになったと記憶しているし、年度は忘れたが200億円を超えた年もあったはずで、ほぼ80%がやっぱり軍事費だった。
だから、必要な予算を潜り込ませたりするなど、やり方は色々あるし、アメリカが経済的苦境から脱したのも戦争がきっかけだったのだから、日本も飛躍的発展は可能だろう。
勝てば、という前提付きだが。
それから外務大臣の「吉田茂」と、内務大臣の「吉田茂」は、同姓同名の別人なので要注意だ。
なんでそうしたのかって?
能力で選んだら、自然にこうなってしまったとしか言いようがないし、決してウケ狙いというわけではない。
本人同士も、間違われることが頻繁にあったそうだし、更には偶然とは思うけれども、娘さんの名前まで同じ「和子」さんだというオチが付いている。
ちなみに外務大臣の娘さんは、令和の自民党の重鎮のお母さんに当たる人だ。
そして外務大臣の吉田茂は前駐英全権大使だったから、チェンバレンやチャーチルといった、イギリス政府の指導者たちとは信頼関係を築いているから適任だろう。
どんな意味の信頼関係かは横に置いておくとしても…
ただし、俺に対して「バカヤロー」と言わないか少々心配だ。
なお、前任の外務大臣石井菊次郎は、新渡戸稲造の後任として国際連盟事務総長に就任した。
新渡戸稲造は史実だと既にこの世にいないはずだが、この世界では生きている。
しかし、そろそろ交代させてあげないといけないのは間違いないだろうが、石井菊次郎にはまだまだ働いてもらうつもりだ。
内務大臣の吉田茂は、内務官僚としての実績と、その堅実な行政手腕を期待しての入閣だ。
派手さは無いが、そこは問題ではないだろうし、テクノクラートと言うわけでもないが、科学的知見も決して劣るものではないから、アインシュタインたちにお願いしている「アレ」絡みの仕事も任せよう。
本来は国防大臣の仕事かもしれないが、忙しすぎて俺には無理だからだ。
司法大臣の平沼騏一郎は、司法官僚としてのキャリアが豊富で、史実においては内閣総理大臣を経験している。
日独伊三国軍事同盟の成立に苦心したが、独ソ不可侵条約の締結により、ハシゴを外された格好になって、「欧州の天地は複雑怪奇なる新情勢を生じた」という有名な言葉と共に総辞職した人物だ。
以前も紹介したように、独ソが連携するなんて考えられない事態だから、驚天動地の心境だっただろう。
ただし、この状態を逆手にとって、ドイツとの軍事同盟を破棄し、日英同盟を復活させるくらいの気概は持って欲しかったとは思う。
それが日本の破滅を回避する、一発逆転の絶好のチャンスだったのだから。
だが、そんなことが出来る政治家は、もう日本にはいなかった。
そして、軍の要である統合作戦本部長には、中将だった文麿を大将に昇進させた上で就任させたが、彼を指名したのは、国防大臣としての俺だ。
これから戦争になるのは避けられないから、俺と話が通じやすい人物の方が適任なので、少々強引ではあるが指名した。
世間では、これまで「武家」としてのイメージが無かった我が家の兄弟が、武門を代表することになった事実に驚きを持って受け止められているらしいが、それは俺も同じ気持ちだ。
きっと「近衛独裁」とでも言われているのだろう。
因みに近衛文麿と言えば連想されるのが、一国一党を目指した「大政翼賛会」という組織で、これが後世「日本もファシズムの一派だ」と言われる要因になったが、あれの目指したものは統制を通じた産業の発展であり、その目的を達するためには「経済に対する政治の優位が必要」と主張された。
その帰結として出てきたものが、「打倒すべきは財閥と、その代弁者である既成政党であり、新しい状況を認識しない軍官僚と軍閥であり、天皇を取り巻く宮廷官僚である」というものだった。
この新体制は「新たなる党によって指導され、国家自体もこの党の指導の下におかれ、党の最高指導者は天皇に対する唯一の輔弼者となる」というものを目指していた。
こうした体制のモデルは、ソビエト共産党であり、ナチス党であり、ファシスト党であり、中国国民党であったのは事実だ。
しかし実際には、反対派によって首相を指導者とした一国一党組織は国体に違反するとされ、さらには統制経済に反対する財界グループの巻き返しによって、一種の国民運動として終わったから、あれを「一党独裁」つまりファシズムと断じることは出来ないだろう。
それはともかく、今まで長きにわたって日本を支えて来た多くの功臣たちが内閣を去り、新しいメンバーに入れ替わっての船出だ。
犬養毅や原敬、高橋是清といった人達は、暗殺されることもなく天寿を全うできるだろう。
その高橋是清だが、退任に当たって、俺のところに挨拶に来たのだが、遂に言って欲しくなかったことを言われてしまった。
「貴方はもしかしたら、この時代の人ではないのではないですか?」と。
最初の出会い、ジェイコブ・シフが引き受けてくれた債権の時もかなり疑念を持ったそうだが、疑念が決定的になったのは関東大震災における俺の行動と、世界恐慌前後に対する対応だったみたいだ。
まあ、それはそうだろう。
冷静に見ていたらあり得ない行動に見えたのは間違いないだろうし。
この人に対して、隠し事は出来ないと悟った俺は正直に告白した。
オリガに次いで二人目となる告白だが、高橋是清はむしろ納得したみたいで、「これからの日本を宜しく導いてください。そしてこれは私の遺言であります」と言って俺のもとから去っていった。
俺は「今まで本当にありがとうございます」と言うのを忘れなかった。
彼のおかげで、最大の経済的難局を乗り越えることが出来たのだから、これは本音だ。
さて、国内外の状況と、軍備状況を改めてチェックしてみよう。
経済的には恐慌はおろか不況ですら脱して、元の経済成長路線に復帰出来ている。
この要因として大きいのが、史実とは全く違って、日本の周辺には経済的に自立して成長著しい国家群が存在していることも大きな要因だ。
つまり、優良で太いお客様が複数いらっしゃるのだ。
東パレスチナの人口は、ヨーロッパ近辺からの大量移住者を運んだ結果、既に600万人を超え順調に発展中で、もう少しで樺太との間で工事中のトンネルとパイプラインが完成しそうだから、エネルギー問題もクリア出来るだろう。
ロシアの人口も、ウクライナ方面からの移住者を1000万人運んだ実績によって、現在は2100万人を超えてこちらも急速に発展中だ。
21世紀のヨーロッパならば「移民反対!」を叫びそうな状況だが、そうなってしまう原因は宗教問題と国民性の違いによる治安の悪化もそうだが、移民に仕事が奪われるからに他ならないからだ。
しかし、これまでのロシアは常に人手不足にあえいでいた状態だったから問題になっていないし、宗教にしても言語にしても、帝政ロシア時代から常に隣人として存在してきた訳だから、今更問題になりようがない。
それに経済発展を続けるこの国の国土は、帝政時代から比べたら半分になったとはいえ、まだまだ広大だ。
シベリアの奥地を開拓するのは時間がかかるかもしれないが、それでも土地は余っている。
いや、余りまくっていると表現したほうが適切だろう。
アレクセイ陛下と彦麿のコンビで強力に、かつ国民の支持に注意を払いながら政策を立案している。
また日本のやり方に倣った諜報組織も既に稼働中で、名称はやっぱり「Komitet Gosudarstvennoy Bezopasnosti」日本語直訳で国家安全委員会。
略してKGBだった。
ちょっと怖いイメージだが、俺の知っている組織とは中身は違うと信じたい。
そのKGBの最初の仕事がソ連軍の中核を担っていた赤軍幹部の「引き抜き」で、スターリンによって「大粛清」される前にロシア側にスカウトする任務だった。
大粛清は、史実だと去年あたりから始まっていたはずだが、このスターリンの猜疑心による大粛清でラパロ協定にて育てた優秀な幹部が殺された。
史実の「赤軍大粛清」では元帥5人のうち3名、軍司令官級15人のうち13人など、結果的に大佐以上の高級将校の65%、5000人もの人材が粛清された。
また赤軍を監視し督戦させる目的で派遣された政治委員も、最低2万人以上が殺害され、また赤軍軍人で共産党員だった者は30万人いたが、そのうち半数の15万人が命を落としたとされていた。
この「督戦」という聞きなれない言葉は、辞書によると『部下を監督・激励して戦わせること。また、後方にいて、前線の軍を監視すること』とあり、共産党においては後者を主な任務として指揮官に同行し、指揮官以下の軍全体を監視した。
彼らの意識は共産党への忠誠が一番で、軍事的合理性は二番以下という厄介な存在であり、粛清されなかった政治委員は必死になって「督戦」するだろうから、ますます軍人から見て憎悪の対象となるだろう。
この政治委員の存在自体が、猜疑に満ちたスターリンの心が作った歪んだ存在と言える。
また、多くの共産主義国家・独裁国家にはこの「督戦隊」が存在しており、軍人の合理的な判断に掣肘を加えていたのは事実だ。
それはともかく、今回KGBの勧誘によって見事にゲオルギー・ジューコフとミハイル・トハチェフスキーという2人の名将をロシアに連れて来ることに成功していた。
これは無論、俺が彦麿に進言というか「指名」した結果なのだが、この2名に加えて、彼らを支える将校や参謀たちも密かにソ連を脱出して亡命してきたから、戦力的な向上は著しいだろう。
この時、トハチェフスキー元帥は45歳、ジューコフ少将は41歳とまだまだ若いから楽しみだ。
この他にもイエロニム・ウボレヴィッチや、イオナ・ヤキールといった高級将校たちが亡命を果たしたから、適切な武器供与を日本から継続し続ければ、ソ連に対しても互角以上に戦ってくれるものと信じたい。
ロシア軍の悩みとしては、ソ連に比べて兵力が少ないことだから中身で勝負するしかないのだ。
台湾も独立以来、急速に発展中で人口は600万人を超えている。
日本が植民地として開発を始めた明治時代から比べても倍増の勢いだ。
これらの国家は、単に人口が多いとか少ないという点だけでなく、経済発展の結果として大量の中間層が形成されつつあるのが大きな特徴であって、その層の購買力も高まっているから、工業力の発展した日本の良いお客様となっている。
日本の生命線である海上通商路にも変化があった。
ソコトラ島に大規模な潜水艦基地を作った事によって、ヨーロッパ方面での作戦行動がし易くなった。
いちいち日本まで帰港しなくても、補給や整備が受けられるというのは大変便利であって、最新の秘密兵器である九八式酸素魚雷の備蓄も進んでいる。
更には重爆撃機の発着に対応出来るよう、飛行場を拡幅しての拠点化、要塞化が進行中だが、本当にこの島があって良かったと思う。
日本にとって紛れもない戦略的要衝だ。
それとついでに述べるが、史実で言えば現在、1938年(昭和13年)当時の首相は、俺ではなく文麿だ。
今年は第一次近衛政権の時代で、結局第三次近衛内閣で日米開戦の直前に文麿が政権を投げ出すまで、途中交代を挟みながら日本の舵取りをした時代だ。
歴史にifは無いとはよく聞く言葉だが、俺としては学者の立場よりも、身内の話でもあるからどうしてもifは考えてしまう。
文麿の置かれたであろう立場を考察すると、今の俺の立場とは全く違って、もう「詰み」に近付きつつある状態だ。
一向に回復しない国内経済と、何も決められない政党政治。
荒ぶる国民からの突き上げと、メディアの主戦論。
陸海軍間の不毛で無意味な確執と、定まらぬ国家方針。
このようにメタメタではあるが、完全に詰んではいないし、こんな状況でもやりようはあったのは間違いないだろう。
何といっても世界最強の帝国陸海軍を擁していたのだから、ヒトラーが幻惑されるくらいの力はあったはずで、結局は使い方を誤ったと言えるだろう。
もし、盧溝橋事件で増派しなければ…
もし、国民党政府との和平のチャンネルを自ら閉ざさなければ…
特に「北進論」と「南進論」の話は重要で、結局日本はアメリカからの石油を絶たれたせいで南方の石油を求め、「援蒋ルート」を断つためもあって南進論を選んだが、あれだって泥縄のズルズルで何となく決まっていった印象だし、文麿が自身の政治生命を賭けて明確な戦略を有していたなら、別の答えになった可能性は十分ある。
もっとも、日本が北進論を選ぶというのは、スターリンが一番困るシナリオだったはずで、だからこその諜報と工作だったのだし、南進論に向くよう誘導するためにルーズベルトによって石油が禁輸されたのだ。
この当時の政治家全般に言えることは、明確な国家戦略が無かったことと、以前から指摘しているように、陸軍と海軍をコントロール出来ていない点だ。
ビスマルクのように、この点だけでも達成出来ていたら、違う未来は拓けただろう。
もちろん史実みたいな、悲惨な敗戦は回避出来ただろうという意味においてであって、日本が最終的に勝てるかどうかはまた別の話だが、その可能性は十分あっただろう。
せめて池田勇人のように、どっしり構えて「山より大きな猪は出ないよ」などと言えていたら、多少は潮目が変わった可能性はあるが、文麿にそれを求めても酷だっただろう。
俺としては、それを回避するために今まで頑張ってきたのだ。
そしてそれは、あと少しで達成できる所まで来ている。
それから今日の面白い出来事としては、朝日新聞記者の取材を受けたのだが、その中に例の尾崎秀美とリヒャルト・ゾルゲがいて、俺に堂々と取材しようとしていたことだ。
史実に名高い、あの「ゾルゲ事件」の主役のご両名だ。
これまで何度か紹介したので覚えている人も多いだろうが、昭和史における重要人物だ。
それにしても…俺に直接会いに来るとは余程焦っているのか?
これにはとても興味が湧いたので、俺の方から話しかけることにした。
「そちらは見慣れない外国の方ですが、あなたはどこの国の人ですか?」
と聞いたら、やつは臆面もなく言った。
「私は日本の同盟国、ロシア立憲君主国のほうから来ました」
まるで「消防署のほうから来ました」と言って消火器を売りつける悪徳セールスみたいな口上だが、それに対して俺は言ってやった。
「見た目がドイツ人っぽいから、ドイツのほうだと思いましたよ」
これは完全に嫌味だ。彼の父親はドイツ人だったからだ。
「よく言われますが、ドイツとは関係ありません」
よく言うな。ここで嘘は吐かないほうがいいと思うぞ。
「そうですか。私は黄禍論を拡めたドイツ人が嫌いですが、ロシア人は好きです。
そう言えば、貴方はジャガイモは好きですか?」
「嫌いではないですが、あまり食べません」
「ではソーセージとビールは好きでしょう?」
「・・・え〜〜」
あんまりいじらない方がいいかな?
「それで、今日は何が聞きたいのですか?」
やつは目の奥に薄気味悪い光をたたえて言った。
オマエはただでさえ顔が怖いんだよ!
なのにそんな表情になったら自らの悪行を白状しているのと同じだと思うが?
「ロシア立憲君主国の国民として、ソ連との戦争になることを恐れています。
日本にとってソ連と戦うメリットは何でしょうか?」
「それは私ではなく、スターリンさんに聞くのがよいかと思いますよ?
ただまぁ…日本としては、ソ連と戦争になるとは予想していませんから、何の準備もしていませんけどね」
と適当に言ってやった。準備は抜かりないのだが。
だが、これだけで終わるのはシャクだからついでに言ってやろう。
「ただし、私には長い手足がありましてね。そこにいらっしゃる尾崎さんも、私のお友達なのですよ。 昔からのね」
これまたKGBみたいに適当に言ってやったら尾崎が随分慌てていた。
後で喧嘩してください。
NTTによれば、証拠が固まったから、来週あたりに両名とも逮捕するらしいので、大々的にスパイを捕まえた事実を報道してあげよう。
そういえば2003年頃だったが、この男を主人公にした映画「スパイ・ゾルゲ」が公開されていたので見に行った。
だが「最後まで平和を望んでいた」とか、随分とゾルゲが美化され見るに耐えない内容だったから驚いた。
あれを見た人間は日本のことが嫌いになるだろう。
娯楽要素も教養的要素も無い、極めて醜悪な政治的プロパガンダだと感じた。
断言するが、史実においてゾルゲが望んでいたのは決して平和ではない。
日本がソビエトに牙を向けるのを防ぐためだ。
そして、あわよくば日本国内においてアメリカ憎しの世論を形成し、日米戦へと仕向けるのを狙っていた。
だが、もうこの世界ではあんな倒錯した映画が作られることは無いだろう。
二人ともさようならだ。
それはどうでもいい。
それよりも、アメリカの出方が気になるが、当面は南部連合とテキサスへの対応で精いっぱいだから「究極のモンロー主義」状態が継続するだろうし、時間的余裕はあるだろう。
NECはメンバーを完全に入れ替えて新たに諜報をメインとした組織に再編成して配置を終えた。
さて、本格的にヨーロッパに注力しなくては。




