【外伝】後始末
1937年(昭和12年)1月3日
Side:近衛篤麿
アメリカで発生した分離独立運動、これは私がNECに命じて実行させた工作活動の結果なのだが、これによって、本当に独立してしまった地域が三カ国も出た結果に対して、世界でも大騒ぎになり、急遽日英露仏の四カ国同盟の外相・駐日特命全権大使が東京に集合して協議を行い、この緊急事態に対処することになった。
その結果、四カ国同盟及び国際連盟としては、今回アメリカ合衆国からの分離独立を宣言した以下の三か国。
・アメリカ連合国( Confederate States of America)略してCSA
・テキサス共和国(Republic of Texas)
・ハワイ王国(Kingdom of Hawaiʻi)
これらを国家承認すると決定したのだが、当然ながら落選した現職大統領のルーズベルトをはじめ、合衆国政府と次期大統領に当選したアルフレッド・ランドンも反発を強めておる。
しかしアメリカ合衆国は国力の低下と、それに比例して軍事力の低下の度合いは、もはや誰の目にも明らかであり、これを見たイギリスなどはこの機会を逃すものかとばかりに、過去の両国関係の歪みを解消しようと躍起になっておる有り様だ。
積極的に分離独立国を優遇し、様々な援助を与えたばかりか、国家承認にも前のめりで、同盟国ながらその態度は醜いと言わざるを得ん。
もちろん口や態度には出せないし、仕掛け人は私だから、なおさら何も言えないがな…
日本政府の立場としては、北米大陸の騒動などより、何をおいても優先せねばならぬのが西海岸とハワイに多く在住する同胞の安全確保であり、このうち西海岸については、合衆国政府に対して軍の派遣をちらつかせて強く申し入れを継続している。
ハワイについては更に現実的な対処が必要で、何故なら日本人は正しく認識してはいないだろうが、ハワイ最東端のハワイ島と北米大陸西岸よりも、ハワイ最西端のミッドウェー島と日本本土の方が距離が近いのだ。
従って、より日本にとって現実的な問題となることは明らかであり、ここで旗色を鮮明にしておかねば将来的に取り返しのつかない事態となってしまうであろう。
すなわち、アメリカ合衆国が「ハワイ問題は、アメリカ合衆国にとって死活問題だ」と主張するのであれば、我が大日本帝国こそ、それを主張する権利があるのだ。
高麿の主張もこれに基づいたものであった。
「我が国にとって、何よりも大切な場所はハワイであり、ここは極めて重要です。
かつて明治大帝の御世に、同盟の打診がハワイ王国よりあったのは事実ですし、アメリカ合衆国に代わって日本が国交を結び、安全を保障すればハワイ王国は日本の同盟国に加わるでしょう。
そうなれば、アメリカ合衆国といえども簡単には手出しは出来なくなります」
まさにそうなのだ。
そしてハワイ諸島を拠点として使用が可能となれば、太平洋の制海権は完全に日本が握ることが可能となり、我が国の安全圏が拡がるのだ。
問題があるとすれば、ハワイの真珠湾はアメリカ太平洋艦隊の本拠地であり、アメリカ合衆国の対アジア戦略にとって最大の要衝である点だ。
だから普通に考えて、太平洋艦隊が日本側の要求を呑んで、真珠湾から自発的に退去するなどというのは、考えられない話であるのだ。
しかしこの点においても、アメリカ合衆国本国で大きな騒動が発生しておるという。
1937年1月4日
Side:チェスター・ウィリアム・ニミッツ・シニア (海軍中将 アメリカ合衆国 大西洋艦隊司令長官)
於:アメリカ連合国 バージニア州ノーフォーク軍港
いったい何がどうなっているんだ?
このバージニア州のみならず、南部諸州がこぞって独立を宣言してしまった。
そればかりか、我が海軍の将兵の中においてすら、独立に賛成するものが多数を占めるという事態になってしまっている。
最初のうち、つまり昨年11月頃であれば、反逆者としてMP(Military Police)に命じて逮捕・立件していたのだが、とてもではないがMPで対応できる人数を超えている。
もう制御不能だ。
しかも合衆国将兵やその家族が住む宿舎に、バージニアや周辺州の州兵が集結して合衆国からの離反を迫ったがために、将兵の間で南部に付くか、北部に帰るかで意見が分かれるという最悪の事態に至っている。
彼らが分離独立を主張するからといっても、こちらとしては海兵隊を差し向けて制圧するような手荒な真似は出来ないし、ましてや艦砲射撃で独立派を吹き飛ばすなど絶対に出来ない。
加えて私の個人的な感情は、もっと複雑だ。
私はテキサス州出身で、故郷もアメリカ合衆国からの分離独立を宣言してしまったのだから。
私の職責としては、表だって独立を称賛するなどというような真似は出来ない。
当たり前だが私は星条旗に忠誠を誓った海軍軍人であるのだ。
だが、個人の心情としてはまた別のものであるのも本音だ。
テキサスは独立を勝ち取ったのだ!
いいや!駄目だ駄目だ!
そんなものは考えることすら立場上、許されるものではない。
私がそんなことをつらつら考えていたら、アメリカ連合国( Confederate States of America)政府から、ノーフォーク軍港に係留されている全ての艦艇、及び軍事施設の引き渡し命令が来てしまった。
私としては断固拒否すべきだが、この状況では逆らえない。
なんといっても私を支持する多くの幕僚たちも、独立反対派は艦を離れたがっているのだ。
私一人が拒否したところでいかんともし難い。
それにしても…この手際の良さと、整然とした秩序は何なのだ?
分離独立運動は民衆による突発的、且つ発作的なものだったと思っていたが、実は組織だった計画的なものであったのだろうか?
もしかすれば背後に「黒幕」でも存在して、何年も前から機会を伺っていたのではなかろうか?
そんなことより…今まで味方だった人間や艦艇が、今後は敵に回るという事態になってしまう。
こんな状況を招いてしまった私のキャリアもこれで終了で、下手をすれば軍事法廷の被告になってしまうだろうが、アメリカ合衆国は関係の良くない日英に対して圧倒的に不利となるばかりか、新たな敵を北米大陸内に抱える結果となってしまったのだ。
最初からイギリス寄りのカナダはもちろん、アメリカ連合国とテキサス共和国、そしてメキシコをはじめとする中南米諸国…
周囲は敵ばかりとなってしまったが、誰がどこで間違えたのだ?
1937年1月29日
Side:ハズバンド・エドワード・キンメル (海軍中将 アメリカ合衆国 太平洋艦隊司令長官)
於:ハワイ準州 オアフ島 パールハーバー軍港
「司令長官閣下。
アメリカ合衆国政府と大統領から、全将兵の本土への帰還命令が来ました」
本当に来てしまったのか?
少し前から嫌な情報が回っていたが事実だったのか。
しかしそれでも…
「………一応確認したいのだが、その命令書は本物なのかね?」
「小官も信じたくはありません……ですが、残念ながら本物であります。
太平洋艦隊は今後二つに分割され、大西洋方面の守りにも就くことになるであろうとの、スワンソン海軍長官からの指示書まで付いています」
なんということだ。
太平洋艦隊は、事実上ハワイから追い出されるのか。
せっかくアメリカが長年にわたって巨額の費用を掛けて整備し、発展させてきた軍港設備や飛行場をハワイ王国へ返還しなくてはいけなくなるとは…
しかも悪いことに、日本がハワイと安全保障条約を結んでしまったから、すぐにでもハワイ沖で演習中の日本艦隊が入港してくるだろう。
私にはこれを拒否する権限が無いのだ。
これは世界の軍事バランスを根底から揺るがす大事件と言えるだろうし、太平洋地域における日米のパワーバランスは、一気に日本優位へと傾いてしまうな。
アメリカ合衆国にとってなお悪いことは、大西洋艦隊の全艦艇を失ってしまったという事実だ。
大西洋艦隊は海軍の全艦艇のうち4割を占めていたから、4割の艦艇を失うということは、戦力において完全に日英を下回ってしまうのだ。
更に残った6割の艦艇を、日英にそれぞれ対峙させるため、太平洋と大西洋に分割して配備しなくてはいけないから、この状況では日英に対抗するなど夢のまた夢だろう。
しばらくの間、アメリカ合衆国は苦しい立場となるな。
私はこの時に感じた「しばらく」という時間が、私が生きている間では取り返すことが出来ないという事実に、まだ気づいてはいなかった。
1937年1月30日
Side :アドルフ・ヒトラー
ロウズヴェルトのやつめ、あっけなく落選してしまったな。
だからアメリカなんぞのような、任期が決まっている制度などロクでもないのだ。
結局は口だけで大した男ではなかったという結論だろう。
だが、提案内容は素晴らしいものであったから、スターリンの気が変わらないうちに吾輩も動くべきだな。
機会を見てリッベントロップ外相に改めてお膳立てさせよう。
今はそのリッベントロップと打ち合わせ中だが、やはり話題の中心はアメリカだった。
「総統閣下。アメリカ合衆国がもはや当てにならない以上、我がドイッチュランドも戦略の見直しが必須と愚考いたします」
吾輩は机の上の鉛筆を指で弾きつつ言った。
「確かにその通りだな。君がモスクワへ赴いて今後の対策を協議するのだ」
「はい。総統閣下。お任せください。
共産主義者ども焚きつけて、日露と戦うよう仕向けてまいります」
「それが良かろう。
それにしても…これで太平洋は日本人のものとなってしまうのか。
あの野蛮人どもは、喜んでクジラ漁にいそしむことになるのだろうな?
いくら魚が好きな者たちとは言ってもやり過ぎではないのか?」
リッベントロップが苦笑しつつ吾輩に言った。
「総統閣下。クジラは魚ではなく、哺乳類なのです。
つまり彼らは“魚ではなく哺乳類”を食べているのです」
確かにそうだった。しかもクジラは極めて頭脳明晰な高等生物だというではないか?
そんなクジラを食うなんてあり得ないだろう。野蛮人め!
「野蛮人には野蛮人をぶつけるのが相応しかろう。そのように手配するのだ」
リッベントロップは静かに頭を下げた。
同日
Side :ヨシフ・スターリン
ロウズヴェルトが落選しただと!?
しかもアメリカ合衆国が四つに分裂した!?
こうなってしまっては、もうアメリカを利用して日本へぶつけるなどという使い方は出来ん。
マズいぞ。基本的な戦略を見直さざるを得なくなった。
「おいベリヤ!日本に送り込んだ連中は今どうなっているんだ」
「へい親分。入国早々に目を付けられたらしく、今はまだ大人しくさせとりますです。はい」
「それでは話が違うではないか!お前はゾルゲとかいうやつは優秀だと言っておったな!
儂を誤魔化そうなどと考えても無駄だぞ!儂はすべて覚えておるのだ」
「へ、へい!ではそろそろ本格的に活動を再開するよう指示します!」
「成果があるならば認めよう。しかし何も無いならば…わかっておるだろうな!?」
「へい!!全力を尽くしますです。はい!」




