【外伝】人道作戦
1935年10月
Side:近衛彦麿
ウクライナからの難民移送は順調だ。
日露両国は、既に前年に行ったユダヤ人の脱出支援という貴重な実務経験があったから、移送計画は遅滞も少なくて済んでいる。
英仏をはじめとしたヨーロッパ各国が船舶を出してくれたことも大きな要素だし、ウクライナの西隣に位置するルーマニアと、黒海を隔てた対岸に位置するトルコが協力してくれたのは、とても大きな出来事だったね。
日英露仏軍は、ルーマニアまで陸路で逃れてきた人々を海路で運ぶことが出来たし、黒海沿岸で日本海軍が直接救助した人たちも多い。
その際にイスタンブールを分断するかのように開いたボスポラス海峡と、南西に位置するダーダネルス海峡という、ヨーロッパとアジアの境目にある二か所の要衝を制限なしで通過できるのは、とても重要なんだよね。
国際協力ってやっぱり凄い。
ああドイツには無視されたし、アメリカは「内政干渉に当たるからやめろ」ってギャンギャン言ってきたけど、父上はもちろん兄様も僕もアレクセイも無視している。
ロシアにおける受け入れ態勢としては、現状で人が住んでいる街ではなく、新たな入植地を提示してそこに住んでもらうことにした。
主な地域はアムール州で、大麦、小麦、トウモロコシ、大豆といった農産物や牧畜に地下資源の開発などが産業基盤となるだろう。
鉄道や道路もそうだし、電気や水道といった社会資本がある程度揃っていた方が移住はすんなりいくのだろうけれど、それまで住んでいたロシア人との無用な争いは可能な限り避けたかったからね。
住宅建設を含めて大変な費用がかかるけれど、これまでの各種産業の発展による蓄えなどもあったから日本から借款せずに済みそうだ。
何より受け入れ態勢を整えるために、国内が好況に沸いているのは嬉しいね。
最終的に1000万人を受け入れたら人口が倍になる。
国力の充実も図れるし、慢性的な人手不足も少しは落ち着くだろう。
来年の収穫時期までは食糧の確保も含めて綱渡りが続くけれど、耐えるしかないと考えている。
まあ1000万人が一気に移住してくるわけではないにしても、準備は欠かせない。
あれこれ大変だけれど頑張る値打ちはあるね。
Side:ヨシフ・スターリン
ぐぬぬ…ウクライナから続々と人民が逃げ出しておる!
人民が居なければいかに大穀倉地帯であろうとも、誰が小麦を育てて収穫するのだ!?
このような事態に至ったのは誰の責任だ?
そう。悪いのは日露軍と、それを見ていることしか出来ない我が赤軍だ。
特に赤軍の無能さは重大で、儂が何度命令しても日露軍を止められないという体たらくだ!
儂には責任がない。儂は常に正しい命令を下しておるにもかかわらず、その命令を達成できない赤軍に責任があるのだ。
こいつらを大々的に粛清しなければ党にも軍にも示しがつかない!
Side:フランクリン・D・ロウズヴェルト
「大統領閣下。何度も日露をはじめ英仏にも警告していますが、ソビエトに対する内政干渉を中断する意思は無いらしく、こちらの要請はことごとく無視されています!」
黄色い猿どもが蠢動していますね。
何とジャップはロシアの熊に声を掛けて、あろうことかソビエトの主権を侵害したのです。
私は優秀なスタッフに不満をぶちまけました。
「出っ歯サルのくせに私たち白人に挑戦するとは…あり得ない愚行でしょう!
そんなサルに乗せられる熊も熊です。
東ローマ帝国の継承者を自任しているらしいですが、大した文化や文明を持たない熊らしい節操の無さと言えばわかりやすいでしょうね」
もっとも、アメリカもそれ以上に歴史は浅いですし、大した文化や文明も有りませんがね。
それと…
「そう言えばロシアの首相は黄色いサルとなっていますが、ロシア人には誇りというものが無いのでしょうか?
外国人に国政を任せるなんて一体どうなっているのでしょう?」
もっとも、私の先祖もオランダからの移民ですがね。
そんなことはどうでもいいのです。
優秀な私のスタッフたちの怒りも収まらないみたいですね。
「おっしゃる通りです。
国務省を通じて内政干渉にあたる行為は即座にやめるよう、強く抗議したにもかかわらず、彼らの動きは止まりません。
しかもですよ大統領閣下。
彼らは人道的処置であるとの大義名分を振りかざし、同盟国である英仏や、果てはトルコやルーマニアにまで協力を強いて、ウクライナ人のロシアへの移送を実行中なのです。
更にヨーロッパ各国は日本の圧力に屈して船舶を大量に拠出し、奴らの計画に加担している有り様なのです」
本当にそうですね。スタッフたちの言う通りでしょう。
いったい彼らの白人としての矜持はどこに捨て去ったのでしょう?
特に英仏は日本のイヌにでもなるつもりでしょうか?
これはいまだかつてない暴挙と言えるのです!
国際連盟?そのような集団は承認できませんなぁ。
よって国際連盟の総意に基づく決議など無効なのです。
そんな連中が寄ってたかってソビエトのような、か弱い平和勢力の安全を脅かすなど有ってはならないのです。
「サルたちに警告するのは我が民主党政権内における総意であり、私に忠誠を誓う優秀なスタッフたちは皆怒っていますから、強く警告を続けましょう。
それにしてもロシア人の操る戦闘機はソビエト軍を圧倒しているとか言っていましたね?」
「はい大統領閣下。
一部のスタッフはロシア人では無くジャップが戦闘機を操縦していると言っていましたが、そんなはずは無いと断言していいでしょう。
あの黄色いサルたちは近眼で戦闘機になど乗れるはずがないではありませんか!」
そうですね。それに間違いはないでしょう。
ジャップの奴らはそれを補うために狡猾な手段を使うのですから、一瞬たりとも油断してはいけません。
以前に海軍五大国で交わした軍縮条約だって、きちんと順守しているか怪しいものです。
身の丈に合っていない超大型空母の「伊勢」型は特に怪しいですね。
専門家によればあの空母の基準排水量は東京海軍軍縮条約に違反する大きさである疑いがあるそうですから調べさせましょう。
そもそも海軍五大国の一角を、白人以外の国家が占めるなどあってはならないのです。
それから我が政権内でも課題として検討されていますが、アメリカ国内に住みついている日系人に対しても積極的に排斥してまいりましょう。
数は少ないと言いますが、数の問題では無いのですよ。
黄色いサルは認められないのです。
一方で妻のエレノアが言うように、中国大陸や朝鮮半島から逃れてきた黄色いサルたちには手を差し伸べてもいいでしょう。
彼らは果てしない泥沼となっている内戦と、イギリスによる搾取の被害者なのです。
内戦だってイギリスの関与は明白ですし、彼らを受け入れることによってイギリスに対するけん制や当て擦りの効果があるでしょうから、積極的に受け入れましょう。
対応がダブルスタンダードですと??聴こえませんなぁ。知りませんなぁ。
貿易については更に問題です。
ジャップの奴らは我々の課している保護関税をまるであざ笑うかの如く、為替操作で対抗してきています。
何という狡猾さでしょうか!?
日本製繊維製品には銘柄指定で更なる高関税が必要でしょう。
サルたちは「公正でない」、「アンフェア」だと騒ぐでしょうが、知った事ではありません。
アンフェアだと怒る権利は我々にしか与えられていない特権であり、フェアかアンフェアかは我々が決めるのですよ。
サルの国は海にでも沈めばいいでしょう。
「大統領閣下。ジャップに対する対抗策として、更に一歩踏み込んだ次の一手が必要と考えますが?
それと申し上げにくいのですが、閣下の行っておられるニューディール政策は、成果が未だ現れておりません。
国務省内では戦争を起こし、合衆国が予算をふんだんにバラまけるようにするしかないとの意見が日々高まりつつあります」
確かにその通りなのですが、次の一手は…さてどうしましょうね。
もっと奴らにダメージを与える策も併せて取らなくてはいけません。
あの強固な四カ国同盟に対抗するためには、アメリカ単独では厳しいですから仲間を増やさないと…
そうなると独ソ両国しかありませんね。
そんな事を考えていると、モーゲンソー君が良い提案をしてくれました。
「ヒトラー総統がソビエトを、共産主義者を嫌っているのは事実ですが、共に日英露仏と戦わせることは可能と思われます。
いえ、独ソ両国が共同作戦を取る必要などないのです。
ジャーマニーが西の英仏と、ソビエトが東の日露を敵とすれば問題ありません。
つまりお互いの背中を預けあうのです。
更に東欧や北欧を両国で分割支配させれば、お互いの事を気にせず占領できるでしょうし、仕上げとして機が熟した段階で我が国が日英の背後を突けば、勝利はおのずと手に入れることが可能となるでしょう」
「……それはなかなか魅力的で、確実な手段ですね。
よろしいでしょう。
ヒトラー氏を説得してみましょう」
なんとか活路を見出さねばなりませんね。
Side:アドルフ・ヒトラー
日露が共闘してソビエトに侵攻するとは驚いた。
どうも日本の首相をはじめとする指導者層は、お人好しにも程があるだろうし、とんだ甘ちゃんだ。
日本人が世界を指導するのだとでも考えておるのか?
そういえばあの腹立たしい国際連盟とやらの本部も東京にあったな。
他人のやり方に堂々と口を挟んでくる日本の奴らの考えにはついていけない。
それにしても…
「リッベントロップ外務大臣。
この状況を君はどう見るのかね?」
「総統閣下。今やヨーロッパにおける諸問題は新たな段階に入ったと見るべきです。
今回のように、はるばるとユーラシア大陸の東の果てからやってくる日露両国の動きは見通せません。
これによりヨーロッパの天地は複雑怪奇なる新情勢を生じましたので、我がドイッチュラントはこれに鑑み従来準備してきた政策は打ち切り、更に別途の政策樹立を必要とするものと考えるに至ったのであります!」
確かに複雑怪奇な新情勢ではあるな。
「別途の政策とは、何を指すのかね?」
「日本は総統閣下の邪魔をしたいのではないかと想像します。
従いまして、対日政策の優先度を上げるべきと愚考します!」
むむう…昨年のユダヤ人の移送もそうだった。
結果として日本の評判が、ドイッチュラントやソビエト以外の各国において上がっておるのも腹が立つ。
畜生め!
だが、そんな喜びに舞い上がっておるのも今のうちだ。
今のうちにせいぜい楽しむのだな。
そのうちに思い知らしてやるからな。
それまでは生臭い魚でも食って震えてやがれ。
吾輩はこれまではゲルマン民族の団結を高める為に、可能な限り異物は排除するように手を打ってきた。
犯罪者、薬物中毒者、同性愛者、障碍者、共産主義者、ジプシー、そして忌まわしきユダヤ人!
このうち共産主義者とはある程度妥協せねばならぬかな?
日英露仏とソ連を同時に相手とするのは少々分が悪いからな。
さて吾輩がヨーロッパを征服するためにはどうしたものか…




