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第八十話 ユダヤ人脱出 


1934年(昭和9年)3月


Side:近衛高麿


2年前に政権を掌握したヒトラーは、早速「ユダヤ人には一刻も早くドイツ国外へ出て行ってもらう」と公言して憚らないようになっていった。


この辺りは史実と同様で、いきなりポーランド南部にあるアウシュビッツなどの絶滅収容所へ送って「効率的に処理」したわけではない。


段階を経て、徐々に迫害をエスカレートさせていったのだ。

だからまず最初に方針として掲げたのが、ユダヤ人を自分たちの目の前から退去させることだった。

実際に史実でも、マダガスカル島へ集団移送する案が具体的に検討された時期があったくらいで、とにかく目の前から消えて欲しかったのだ。


そして今回の世界線においては、「東パレスチナという、彼らにとっての約束の地が出来たのだから、移住してはどうか?」と度々発言するようになった。


これに呼応したのがドイツ国民で、あからさまな差別が半ば公然と行われるようになっていった。

最初はユダヤ人に商品を売らないとかといったレベルであったろうが、徐々に差別の度合いがエスカレートしつつある状況だ。


こうしたヒトラーの態度と、ドイツ国民の反応に対して、ドイツ国内に在住する多くのユダヤ人の不安を掻き立てるのには充分であったし、俺もアンソニーたちを通じてナチスの危険性は何度も警告したうえで、移住にあたっての協力は惜しまないと伝えている。


将来的にドイツが東ヨーロッパ方面に進駐するようになって、更にソ連と領土を奪い合うような事態になってしまっては脱出の機会を失うことにもつながりかねず、占領地でのユダヤ人の扱いは非常に心配されるものになるだろうから、まだヒトラーと話し合いで解決できる今のうちに移動させてしまおうと考えている。

もっと言えば、戦争が始まってからではドイツ国内の移動すら難しくなってしまうだろう。


脱出させるなら、早ければ早いほど良いのは、分かりきった話だ。


問題はドイツ以外のヨーロッパ在住のユダヤ人に、そういった危機感があるのかという点だが、そこはアンソニーたちに任せるしかないが、ロシアにおけるポグロムは有名だろうから説得力はあるだろう。


俺は国際連盟を通じて、ユダヤ人のドイツから東パレスチナへの人道的移住に関する提案を行った。

現時点で東パレスチナが保有する船舶数は殆どないのが現状だから、多くは日本側が船舶を提供して輸送任務を実行することになる。


日本国内においての反応だが、帝国議会では当初「そこまで他国人に親切にする必要はない」との意見が多数出たが、「関東震災からの復興に際して、無金利融資という多大な援助をいただいた事実」を挙げ、恩返しであることと、世界におけるユダヤ人のおかれた立場と、キリスト教徒、特にカトリックから見た宗教的な偏見を説明して、人道分野における日本の国際的リーダーシップの必要性を強調し、何とか予算の承認を得ることが出来た。


動かせる船舶は、先ごろ完成した基準排水量3万トン級大型輸送船100隻と、貨物船やその他輸送船、改装が終わった「宗谷」型護衛空母や、「伊勢」型空母から「金剛」型戦艦まで、とりあえず一定期間使用しても日本経済に影響の出ない範囲で使用が可能な、大型の船舶を総動員して実行することになった。


その数、500隻。


しかも、これまで誰も経験したことのない民族大移動だ。

戦時下ならとても実行できない作戦だろう。

このあたりの詳細は、東郷茂徳駐独大使を通じてヒトラーと直談判を行った。


特に3万トン級の大型輸送船「利尻」型100隻の運搬能力は極めて大きかった。

以前も指摘したが、基準排水量という軍艦基準の大きさ表記だが、武装はゼロだし装甲も全く施されていないから数値以上にデカく見えるし、実際に全長は300m近い上に船内は殆ど積載空間だ。

この巨大な船倉を上下四分割して居住空間を拡大し、最上甲板まで急ごしらえの居住空間を設置したことによって1隻当たり6000名以上の運搬能力を得るに至った。


勿論、快適性には程遠いが、我慢してもらうしかない。

この「利尻」型100隻が1往復するだけで60万人の輸送能力があり、その他400隻の船舶合計で1往復90万人以上が移動できたから、合計150万人以上が一回当たりの輸送量となる。

ヨーロッパから東パレスチナまでは、給油のための寄港を含めやはり片道40日程度必要だったから、1往復3か月が必要で、600万人を運ぼうとすれば1年を要するという大事業だ。


時間が経ってしまったら、ドイツに輸送船を派遣するなど不可能だったろうから、良いタイミングだったが、日本側としてはどの程度移住の希望者が出るのか分からないまま、手探り状態での作戦実行だ。

時間的余裕があるのがせめてもの救いだが、広域から集まって来るのか不安が残る。


救出のメインはやはり一番危険なドイツだろうが、現時点でドイツ国内のユダヤ人在住者は最大でも60万人に達しない。


実は意外に少ないのだ。


ユダヤ人はヨーロッパ各国に広く分布しているけれども、ドイツ1国なら精々この程度しか住んでいない。

実態としては東ヨーロッパの方が断然多い。


アンソニーの調べでは人口が多い順に下記の通りだ。


①ポーランド  330万人


②ハンガリー  83万人


③ルーマニア  61万人


④ドイツ    56万人


⑤フランス   35万人


⑥オーストリア 19万人


⑦リトアニア  17万人


⑧オランダ   14万人


⑨ボヘミア   12万人


⑩スロバキア   9万人


その他     42万人


合計      678万人


ポーランドが特に多いのは、歴史的にユダヤ人に寛容的な時代があったためだ。

特に14世紀から15世紀にかけては、西ヨーロッパでユダヤ人に対する宗教的迫害が強まった時代において寛容であったため、多くのユダヤ人がポーランドに住むようになった。


もっとも、ポーランドという国は歴史的に何度も地図上から消えた国で、国境線の変更も頻繁にあったから、現在のポーランドの地図で話してもよく分からなくなるので、国境付近に在住しているユダヤ人も元はポーランド国民だった時代があるだろう。


これら多くの国は将来においては、ドイツの占領地となってしまうだろうから、何とか早めに脱出させたい。

こちらはアンソニーたちによって、強く警告を促すことになった。


なお、上記以外にもソ連領内と将来ソ連になると予想する地域には、300万人以上のユダヤ人が住んでいたが、東パレスチナへの移住が進んでいるのは以前説明した通りで、既に200万人以上が移住済みだ。

とにかくヒトラーの気が変わらないうちに移住作戦を実行しよう。


こうして日本主体でユダヤ人移住作戦は決行された。

結論から言えば、最初の段階で移住希望者は、ドイツと周辺国合計で約300万人程度だった。

俺としてはもっと多いと期待していたから、肩すかしだと感じたが、危機感がまだ現実的ではないのだろう。


ナチスが本格的に東欧諸国を蹂躙する事態になったり、その結果ナチスの対応が荒っぽくなって様々な差別的法律が出来たり、或いはユダヤ人排除が決定的となった事件である「水晶の夜」が起きない限り、移住に踏み切らないかもしれない。


俺は引き続き警告を発し続けるようにアンソニーに依頼した結果、多くの科学者たちが研究を続けるために、東パレスチナよりは環境が整った日本へ自発的にやってきた。


一例を挙げると、生化学の権威オットー・マイヤーホフ、グスタフ・エムデン、ハンス・クレブス、カール・ノイベルグそしてオットー・ハインリヒ・ワールブルグといった錚々たるメンバーだ。


そして、今回輸送船で脱出した人たちの中にはアルベルト・アインシュタインがいて、彼も日本にやってきた。

この人も様々な科学的研究を続けるためだ。


一緒にやって来たエドワード・テラーは、史実においては「水爆の父」と呼ばれている。

また同じく科学者・数学者のジョン・フォン・ノイマンは、ハンガリーから日本にやってきたし、ニールス・ボーアはデンマークからやってきた。


特筆すべきは、ドイツにおける新型兵器研究の中心であった、カイザー・ヴィルヘルム学術振興協会は、もともとユダヤ人構成比が高かったこともあって、それこそ「根こそぎ」メンバーがやってきた印象だ。


更には日本に今回やってきたのはユダヤ人に限らず、多数の外国人科学者達が含まれていた。

例えばエンリコ・フェルミはイタリア人だが、奥さんがユダヤ人だったために日本に来たし、ヴェルナー・ハイゼンベルクは普通のドイツ人だったが、ユダヤ人を擁護したために排斥され、これまた日本にやってきた。


俺はアインシュタインやノイマン、テラー、フェルミにハイゼンベルクといった物理学系の人々と直接面談して、湯川秀樹博士と仁科芳雄博士の両名を引き合わせた上で、無尽蔵の研究資金を与える見返りに「ある研究」を実行することを依頼した。


内容については言うまでもないだろう。

三度も核攻撃を受けた未来の日本を考えると、本音としては持ちたくないし、俺自身トラウマがあるが、他国が開発に成功したら「困った事態だ」では済まなくなるから、やらなくてはならないのだ。


ロバート・オッペンハイマーはアメリカ生まれのユダヤ人だが、実のところ彼のスカウトには失敗したから、万が一にでもアメリカがこの開発に先行した場合、世界は暗黒に包まれてしまう。

独ソに先行された場合については言うまでもないだろう。


実際に使うことなど想定していないし、開発に成功した場合でも公表する予定はない。

しかし、科学技術の発展そのものは阻止出来ないから、将来的にはどこかの国が保有を宣言し、他国を脅すかもしれない。

その際には日本も保有している事実を公表し、「寄らば斬る」との態度を取らないと、厳しい現実世界において生き残れない。


その他にも実に様々なユダヤ人が日本にやって来た。

彼らの多くは高い教育水準を受けていた人物が多く、日本人との切磋琢磨によってさらなる高みに我々を導いてくれそうだ。


それと日ユ同祖論か?


史実ではこれを検証したヨセフ・アイデルバーグは、現在は東パレスチナに住んでいて、まだ18歳なので関わってはいないと思うが、日本を訪れたユダヤ人は大体同じことを思うのだろう。


俺には何とも言えないし、あまり興味も無いが、お互いがそう信じるならば良いのではないか?

確か21世紀でもゲノム解析の発達で、新たな見解があったみたいだし。

日本国内ではそんな論説が有力になってきているからか、ユダヤ人に対する国民の反応は極めて好意的だ。


まぁそんな縁がなくとも、そもそも日本人はキリスト教徒ではないから、キリストを死に追いやったのが誰であろうが興味は無いだろうし、ユダヤ人に対する偏見を持たない数少ない民族であるのも確かだ。


それ故にユダヤ教を問題にする日本人は皆無だし、日本に対して影響力の大きいプロテスタント系の英米人も、ユダヤ人に対する偏見は小さいから、なおさらだろう。


現実の話としてはこれ以降、日本陸海軍の正面装備は更なる進展を遂げることになる。

イギリスからの直接的な技術供与があったのは無論だが、ユダヤ人科学者たちがドイツに対する報復目的で、自発的、かつ積極的に日本軍に対して協力したことが極めて大きな要因だろう。


具体的な成果となる、新開発された兵器としては下記の通りで、いずれも史実の日本が保有出来なかった兵器ばかりだ。


・レーダー装備かつ、航続距離が爆撃機並みに長い夜間戦闘機として名を馳せることになる「二式陸上戦闘機 月光」と、「四式陸上戦闘機 極光」


・重装甲の長距離重爆撃機である「一式重爆撃機 朱雀(すざく)」と、更に巨大な「三式重爆撃機 飛鳥(あすか)」、戦略爆撃機である「五式重爆撃機 鳳凰(ほうおう)


・世界初の音響追尾魚雷である「一式酸素魚雷」


・世界初の対艦ロケット式滑空魚雷の「四式航空魚雷」


・哨戒機搭載も可能にした、対潜音響追尾魚雷の「零式短魚雷」


・駆逐艦搭載の対潜"ヘッジホッグ”「九七式対潜迫撃砲」


・携帯式対戦車ロケット弾発射器「二式対戦車砲」


などなど。様々な分野に及ぶ。


特に威力を発揮したのが「一式酸素魚雷」と「四式航空魚雷」だ。


「一式酸素魚雷」は、潜水艦搭載の主要兵器として活躍した。

この兵器のベースとなったのは、史実の潜水艦用の「九五式酸素魚雷」を更に改良・大型化した「九八式酸素魚雷」で、酸素魚雷とは長射程で雷跡が確認し辛い点が特徴だが、これに最終段の駆動用として電池を併用したことによって、航跡はこれまで以上に発見し辛くなり、射程は40kmにまで伸びて威力も増していた。


この優秀な魚雷に、パッシブ型の音響追尾装置を加えたのが「一式酸素魚雷」で、敵艦のスクリュー音や機関音を感知して食らいつき、命中率は極めて高かった。

しかも雷跡がほぼ完全に見えない点に加えて、航走音が小さく、常識的な潜水艦攻撃距離の遥か遠方から攻撃出来たため、敵から見ると付近に潜水艦の存在が探知できない状況にもかかわらず、突然被雷して訳の分からない内に沈没に至るという、悪夢のような兵器となった。


実際問題として敵方は、「魚雷攻撃を受けた」との認識が無いまま撃沈されるケースが頻発した。


これを、ユトランド沖海戦の記憶が残っていたがために「これは日本海軍が得意とする機雷、それも性能不明だが、移動が可能な新型機雷による攻撃」と誤認したために、結果的に長らく秘密は守られ、その存在が明らかになるのは実に1950年代半ば以降となる。


「四式航空魚雷」の方は、艦上攻撃機搭載型の魚雷だが、敵水上艦艇が将来的に装備するであろう近接信管の悪夢から逃れるため、敵艦に肉薄する必要の無いロケット方式を採用し、射程距離は20km程度と長くはないものの、発射されたそれは、敵艦近くまで飛行した後は最終的に着水して魚雷となり、こちらも音響追尾式なので後は勝手に敵艦を感知して追いかけるという、これまた怖い兵器で、弾頭炸薬量は従来の「九一式航空魚雷」に比して大きかったから、小型艦はもとより、戦艦といえども5発以上被弾したら設計上の限界を超えて沈没する恐れがあるという高性能兵器だ。


更に四発式の重爆撃機「朱雀」と、同じくそれを凌駕する重爆撃機「飛鳥」、更には成層圏超重爆撃機「鳳凰」は、ソコトラ島から始まって、戦域が拡がるのに合わせてイギリス本土やロシアのクラスノヤルスク、そしてメキシコとカナダに進出し、そこを拠点として暴れ回り、敵方の軍需工場や港湾施設に飛行場、更には鉄道、橋梁、ダム、油田、発電所といったインフラを重点的に爆撃して、敵国の体力を奪っていくことになる。


また夜間戦闘機「月光」と「極光」は、それら爆撃機の護衛として、敵方の夜間戦闘機との死闘を演じることになる。


それは未来の話ではあるのだが、このようにユダヤ人の協力を得た日本軍の装備は、まさに世界最先端をいく内容となった。


こうしてユダヤ人の脱出作戦は何とか無事に終了しそうだが、更なる人道上の大問題が遂に発生する。


ホロドモールだ。


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― 新着の感想 ―
ノイマンさん来たのはいいが使いこなせるのかねぇ。逸話読む限りかなりの偏屈。すんげー天才つう向こう側の人
質問ですが、今回の話のユダヤ人脱出でアンネフランク達家族も脱出して東パレスチナに移住しているのですか?
お金持ってる銀行家や技術持ってる研究者がこぞって東に来るわけだ。 それはそれでドイツから恨まれそう。 もちろん追い出した以上逆恨みなんだけど、恨みなんて理屈じゃないかならぁ。 まぁ、第二次世界大戦前に…
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