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第八話 日清戦争と三国干渉


Side:近衛高麿


あれからしばらくは平穏な日々が続き、俺は書庫にこもりつつ、学校にも忘れずに通う日々だ。

授業は実に退屈ではあるが…


退屈な中であっても、学友の中に将来的に俺が歴史を改変するにあたって、協力者として使えそうな人物はいないか探ってみるが、著名な人物は同級生におらず、無名の人物に関しては流石にこの年齢では将来性は判断出来ないから人材収集は停滞したままだ。


それよりも3歳になった文麿と積極的に遊ぶことを心掛けている。

お陰で随分と懐いてくれた。


いいぞいいぞ!このまま真っ直ぐに育つように努力しよう。

しかし一緒に遊んでいて思うが、文麿はやはり繊細で優しい子供だ。

とても政治家には向かないように思う。

評論家とか学者向きではないかと、前世で学者だった俺が自分のことを棚に上げて思う。


そういえば、俺も自分で政治家向きの性格かどうかは自信がない。


もしかすると…父が早死にするのを防いだほうが、歴史改変をしやすいのではないかと思うようになった。


そうこうしているうちに、1894年(明治27年)を迎えて俺は8歳となる。


いよいよ日清戦争開始だ。

と言っても史実通りに進行していて、俺にとって意外な出来事や俺が存在する事で起きる歴史的エラーも皆無で、あっという間に下関講和条約に至る。


そして史実の三国干渉があり、国民はロシアに対して憤激するものの、超大国ロシアに現時点では勝てないのは明白なので、臥薪嘗胆(がしんしょうたん)を合言葉に、これから10年にわたり雌伏することになる。


この時点で父から改めて問われた。


「お前が以前に言っていた通りになった。

しかも今回の三国による干渉は、裏でドイツが暗躍しているらしいのだ。次はどうなると予想する?」


俺は予想ではなく、これからの史実を父に告げる。


「この先ロシアは、我が国が領有を諦めさせられた遼東半島を清から奪い、念願の不凍港を手に入れるでしょう」


俺の言葉は父にとっては驚き以外の何者でもなかったらしい。

愕然としている。


「確かに政府内でもロシアの野心を疑う意見があった。だが、結局は力の無い国が苦しむのか…」


「はい。ですがそうなりますと、ロシアの動きに敏感で、その動きを牽制し続けていたイギリスが黙っていません。

なんとかロシアの動きを止めようとするでしょう」


父は腕組みをしつつ唸った。


「確かにな。イギリスにとってはロシアを放置すれば自国の権益まで侵されるのだから当然だろうな」


次が肝心なところだ。


「しかし…さすがのイギリスといえども、アジアまで大軍を運用するのは無理がありますので、これから10年以内に必ず、日本に対して同盟を結ぼうと先方から声をかけて来る筈です。

ですので当面はロシアに対抗できるよう、清からの賠償金を利用して国力と軍事力の拡充を行いましょう」


父はしばらく黙っていたが、やがて諦めたように言った。


「そうだな。それ以外に道はなさそうだな…」


これで俺に対する信頼は得られたみたいなので、今後父をコントロールしやすくなりそうで何よりだ。


ただ、今回の日清戦争でひとつ気になったのは、脚気(かっけ)による陸軍兵の損害についてだ。

患者数は実に4万1000人以上、その内4000人以上の兵士が脚気により戦地で命を落としたとの記録を学者時代に見た記憶があり、父を通じて軍部に確認してもらったところ、やはり人数は合っていたらしく、この点を指摘すると父も問題視し始めた。


もちろんこの病気は江戸時代以降、だいたい毎年1万人以上の日本人が亡くなっていたらしいから、これはもう国民病と言っていい。

未来の日露戦争では、陸軍兵3万人程が亡くなってしまった。


ところが…陸軍に比して海軍兵の脚気による死者は日清戦争では0人で、日露戦争でも3人だったそうだから、きちんと対策をすれば解決するのだ。

対策とは、海軍軍医総監を務めた高木兼寛による麦食の推奨が挙げられる。

この人は原因不明ながらも脚気は食物の選択で防ぐことを体験上知っていたのだ。


当然だが、俺は脚気の原因がビタミンB1不足から起こる事実を知っている。

玄米を食べていた戦国時代以前は無かった病気で、白米を食べるようになってから副菜の貧しさ故にビタミンB1不足に陥ったのだ。


江戸時代は「江戸わずらい」として知られていて、地方から江戸に来た人も罹患したが、箱根を越えたら治ったという話が残っている。

これは江戸に参勤交代でやってきた地方武士が、江戸の食生活(白米中心)に慣れていないため、症状が出て帰郷すると治るという特徴があったためだと思われる。


きっと祟りか何かだと、当時の人は思ったのではないかな。

医者であっても風土病だと判断しただろう。


とにかく明治になっても原因は特定されておらず、陸軍の軍医総監は原因は細菌であると主張して譲らず、根絶まで遠回りしてしまい無駄な死者を出し続ける。


早い話しが、海軍では栄養のある麦を食べさせていたが陸軍では白米にこだわり過ぎていたのだ。


因みにこの軍医総監は、森 林太郎(もり りんたろう)という人物だ。

森 林太郎は知らなくても彼のペンネームは知っている人が多いだろう。

文豪として知られる森 鴎外(もり おうがい)その人だ。

漢籍に詳しいこの文豪は、確かに文学面での功績も大きいが、少々頑固で自説を曲げないのが欠点と記憶している。


高木兼寛はイギリス医学の影響を受けており、データ比較を重視した。対照的に森鴎外はドイツ医学(理論中心)を信奉したのも要因の一つかもしれない。


また、陸軍の白米主義は「日本人らしい純粋主義」「軍紀の象徴」としても利用されており、単なる栄養問題ではなく文化的・精神的イデオロギーの問題でもあったと言えようか。

白米は陸軍権威の象徴でもあったというわけだ。


つまり、白米か麦かといった矮小な話ではなく、指導者の信念と判断の重さが問われる問題でもある。


これだけでもご理解頂けるかもしれないが、同じ大日本帝国に属していながら陸軍と海軍では成立の過程からして全く違う。

陸軍は設立当初はフランス陸軍を師と仰いだが、普仏戦争においてナポレオン3世がプロイセンの捕虜になるという惨敗を喫して以降はプロイセン(ドイツ帝国)に乗り換えた。


海軍は最初からイギリス海軍、ロイヤルネーヴィーを師匠としたという違いがあったから、陸海軍の反目というものは設立当初から存在していたと言えるだろう。


ともかく、俺は日清戦争が終わり、国内が落ち着きつつあるなか、国民の栄養や食糧分野について父に献策をしようと思う。


イデオロギーの対立は芽のうちに摘まねばならないのだ。

『陸軍将校の食堂では、光り輝く白米を「純粋日本の象徴」として賛美する。

一方の海軍士官の食卓では、黒ずんだ麦飯を「命を守る合理の糧」として静かに噛みしめる』

こんな光景は見たくない。


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